(社説)朝鮮通信使 交流の記憶を未来へ
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(旧・記憶遺産)に、群馬県の古代石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」と、江戸時代に朝鮮王朝から日本に派遣された外交使節団「朝鮮通信使」に関する記録が選ばれた。
「世界の記憶」は、歴史的な資料を後世に引き継ぐ趣旨で、2年に1度、各国や民間が申請した資料をもとにユネスコが審査する。日本からは前回までに5件が登録された。次代に残す貴重な記録が、新たに加わったことを歓迎したい。
とくに注目すべきは、日韓の団体の共同申請で初めて認められた朝鮮通信使である。
朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶した両国の国交を回復するため、朝鮮国王が派遣した使節団だ。1607年にはじまり、約200年で12回を数えた。最大で500人規模の一行は対馬や瀬戸内海、陸路をへて江戸へ入り、朝鮮国王の親書にあたる「国書」を届けた。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(旧・記憶遺産)に、群馬県の古代石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」と、江戸時代に朝鮮王朝から日本に派遣された外交使節団「朝鮮通信使」に関する記録が選ばれた。
「世界の記憶」は、歴史的な資料を後世に引き継ぐ趣旨で、2年に1度、各国や民間が申請した資料をもとにユネスコが審査する。日本からは前回までに5件が登録された。次代に残す貴重な記録が、新たに加わったことを歓迎したい。
とくに注目すべきは、日韓の団体の共同申請で初めて認められた朝鮮通信使である。
朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶した両国の国交を回復するため、朝鮮国王が派遣した使節団だ。1607年にはじまり、約200年で12回を数えた。最大で500人規模の一行は対馬や瀬戸内海、陸路をへて江戸へ入り、朝鮮国王の親書にあたる「国書」を届けた。
【【朝日新聞/社説】「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる」…朝鮮通信使に随行した芳洲の教えは、いまの外交にも通用する 】の続きを読む