(安部首相はイタリアG7の帰路、マルタに立ち寄った。安部首相の目的は同島に眠る日本人兵士の英霊を慰霊するためだった。このニュースに接した筆者は、マルタを訪問したときのことを思い出し、その旅行記を再録する。この原文は『エルネオス』に掲載されたが、小誌では初めての筈です)

 ▼マルタといえば騎士団だが。。。

 「マルタの鷹」とは軍事的要衝を守りきれなかった英領の哀しい運命なのか
 「ヤルタからマルタへ」と国際政治学で区分けされるのは冷戦の開始がヤルタ会議だったが、冷戦の終結を約した米ソの会談場所はマルタだったからだ。

 1989年12月、ゴルバチョフとブッシュ大統領がマルタに集い、握手し、戦後世界を規定した東西冷戦は終わった。 直後からソ連共産党は終焉に向かって疾走を開始し、東西ドイツを分けた「ベルリンの壁」は壊され、ルーマニアでは独裁者チャウチェスク夫妻が処刑された。

 その世界政治の巨大な地殻変動は二年後のソ連崩壊の導火線となり、東欧からバルカン半島にかけて全体主義国家が次々と瓦解させ、嘗ての「ワルシャワ条約機構」の加盟国の多くがNATOやEUに加わり民主制度に移行した(詳しくは拙著『全体主義の呪いは解けたか』、ビジネス社を参照)。

 その震源地だったマルタ。到着して直ぐにガイド嬢に尋ねた設問とは、「その歴史的な場所は何処ですか?」
 すると「沖合の船上でした」との回答。
 「ならばブッシュ大統領が宿泊したホテルでも撮影しておきたいのですが?」
 「え、日帰りじゃなかったかしら」
 
 マルタの首都はヴァレッタという軍事基地の面影が濃厚で石灰岩、大理石、城塞とで固まった要塞都市だ。そういえばヴァレッタと聞くと小型拳銃を連想する。
 旧市街はすべてが歴史的建造物で世界遺産に指定された。「マルタ騎士団」の伝説以前から聞いていたが、まさに城郭都市、軍事要塞の典型だったのである。
 このヴァレッタを挟んで西側がスリーシティ(昔の首都)、人が住んでいるのか疑うほどの静謐な町で路地が狭く家屋の入口に小さなオブジェがあって、かろうじて誰の家かが分かる。

 このスリーシティの隣町がカルカーラという寒村で後節にみるように日本と縁が深い。
 歴史を振り返るまでもなく、古代から地中海の覇権が争われ、ギリシア、ローマ、フェニキア、カルタゴ、ベネチア、オスマントルコ、そして英国と覇者は入れ替わった。
 おなじ環境のキプロスと異なるのは英軍が残留しているかどうか、である。マルタからは英軍は撤退した。

 マルタといえば十字軍の騎士団を思い浮かべる人が多いだろう。
 マルタ騎士団の赫々たる戦歴のなかでも、1565年に大船団を派遣してマルタを囲んだオスマントルコ海軍に対抗して三ヶ月の猛攻に耐え抜いたことだ。元寇に勝利した鎌倉武士が凶暴な蒙古軍を追い返したように。
 しかしマルタは紀元前8000年に開けた文明最古の要衝でもあり、島の中央から南に拡がる巨石神殿はエジプトのピラミッドより古い。


 ▼マルタに残る巨大神殿の謎

 この巨石神殿は世界史の謎である。
 タルシーン神殿の発見は1914年。さらに南にはハジャーイム神殿があり、接着剤もないのに石壁は垂直に並べられている。全容の発掘は1910年だった。崖を地下に彫り込んだ神殿はハイポジウム神殿という。これらは最重20トンもの巨石を切断し(どんな工具で)、クレーンもない紀元前にいかにして運搬したのか? どうやって高く積み上げたのか。 この謎はイースター島のモアイ像を連想させるが、ともかく歴史には謎が多い。
 マルタには西暦一世紀にパウロが漂着したため、爾来、カソリックである。
 あちこちにカソリック教会が建立された。教会のなかにはドームを作る費用が集まらず、いかにもドーム内部に描いたという「だまし絵」が人気の大聖堂(コゾ島)も含まれる。

 ヴァレッタの西側に開ける地区は豪華マンションとヨットハーバー。とくにセント・ジュリアン地区が新市内を形成しており観光客が密集する。
 高層のリゾートマンション、ホテル、豪華レストランが建ち並ぶ。海岸線と平行する遊歩道には海鮮レストランが並んで、それぞれが工夫を凝らしたインテリア、なかにはディスコを兼ねているモダンな店もある。

 夕暮れ時にそぞろ歩きする島民にまじって観光客も夕日をみにくる。
 インターコンチネンタルホテル、ヒルトンなど五つ星ホテルもこのあたりに位置し、カジノが林立している。正装して入るカジノ客をみているとアラブ人とロシア人が多い。中国人は突然減ったという。
 
 マルタ本島からコゾ島へも行きたいと思った。
 理由は単純で、有名作家マイケル・バー・ゾーハーが住みつき、毎日のように顔を出したバアがあると聞いたからだ。ヘミングウエイのキューバとフロリダ南端の離れ島キーウエスト。007のイアン・フレミングはジャマイカ島に住み着いたっけ。
 フェリー乗り場は島の北北西端にあるチェルケウア港からで、この港へ行くにはヴァレッタからバスで一時間もかかる。フェリーは僅か二十分でコゾ島へ着いた。かなりの外国人観光客が乗船していた。
 風の門と言われる奇妙な岩が並ぶアズールウィンドーはダイビングのメッカとして知られ、世界中からダイバーが集まる。行ってみると風が強い。

 島の中央がヴィクトリアという町で古い教会の階段下にある広場の周りがレストランとバア街だった。朝からビールを飲んでいる観光客の隣を二階建てバスが走る。ワインとサボテンリキュールを売る店もある。
 筆者もここでくつろいで、ガイドブックを拡げた。バーゾーハーが通ったバアはすぐにわかった。


 ▼日本の英霊が祭られているマルタ

 マルタに大いに興味を惹かれた理由は二つあって、第一は紀元前の巨石神殿の謎である。
 第二はマルタ騎士団のことだ。博物館に飾ってある土葬の服飾品、アクセサリーなどを観察すると当時の女性はふくよか。キプロスの「ヴィーナスの誕生」のモデル女性より肥満型が男性のあこがれだったようである。
 騎士団は旧市内の騎士団長の宮殿と兵器庫を見学すれば、大まかな歴史が掴めるが、十字軍の兵士となる資格は貴族の息子に限られていた。

 軍事訓練は厳しく妻帯は許されず禁欲の日々を戦闘訓練で代替していた。その荘厳な寄宿舎跡が現代マルタの首相官邸や外務省なのである。
 騎士団長の宮殿は二つの中庭があるほど宏大で豪華だった。この建物が大統領府と議会になっている。敷地内の兵器庫には鉄製の鎧兜が陳列され、大砲や槍、馬車などを見入っているとあっという間に時間が経過してしまう。

 そもそもマルタ騎士団とはエルサレムの攻防をめぐってキリスト教の国々が競って結成し地中海沿岸から中東へ覇権した私兵軍団である。主力部隊はフランス、英国、ドイツ、スペイン、ポルトガルなどの出身地で分け、さらにフランスは三つの言語体系によりそれぞれの部隊を編成した。スペインは二つの言語グループ。合計八つの部隊に分けられた。
 したがってマルタ騎士団の紋章は八本の刀を象徴するエンプレムが使用されている。

 帰国日の朝、筆者が宿泊したホテルのフロントでタクシーを呼んで貰い、向かった場所は旧市内の西側、崖の突端にあるカルカーラ地区だ。
 ここに英軍墓地が点在しているからだ。
 クルマで四十分。もし通勤時間の渋滞に巻き込まれたら往復三時間くらいかかる。目的地は霧が晴れたばかりで烈風が吹き、小雨が降ってきた。おおよそ人の住んでいる気配がない淋しい場所にある。


 ▼日英同盟を忠実に履行した日本

 1914年に第一次世界大戦の火蓋が切られ、日本海軍は「日英同盟」の約束から軍艦八隻を、この地中海に浮かぶマルタに派遣した。

 英国、仏蘭西の輸送船を護衛するため、駆逐艦「松」、巡洋艦「榊」などがマルタを拠点にフランス南部の基地からの物資、兵員輸送船を護衛する任務に就いたのは1917年4月だった。
 同年2月に佐世保を出港した「松」以下四隻は南シナ海からインド洋で作戦を展開していた「榊」以下四隻と合流し、合計八隻の大日本帝国海軍艦隊を組み直してスエズ運河を越えて地中海に入り、同年4月13日、英領だったマルタに入港した。
 以後、獅子奮迅の活躍を展開する。

 とくに5月3日には英国輸送船トランシルバニア号がドイツの潜水艦の魚雷攻撃を受けたため決死の救助活動を展開し、松、榊などが英国人船員ら3000名を収容した。トランシルバニア号は乗員3200名だった。この英雄的行為に英国は勲章をあたえるほどの大騒ぎとなり、ヴァレッタは興奮に包まれた。

 6月11日、榊はミロス島を出港し、護衛の任務に当たっていた。ドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受け、かけつけた英仏艦船によってクレタ島へ曳航された。59名の日本軍人が戦死していた。遺体は火葬され、英軍墓地に埋葬された。
 英軍は日本軍人の栄誉を称え、宏大な墓地の一等地に慰霊碑を建立したのだ。
 そこには「大日本帝国台に特務艦隊戦死者の墓」と日本語の刻印が彫られた暮碑が嵌め込まれた。

 その後、第二次大戦でイタリアの空爆により破壊された日本海軍の英霊墓地は、1974年に新装されている。最近になっても時折、日本人が献花に訪れる場所となった。
 筆者は墓地に立って水と菓子とタバコとを捧げ、合掌した後、「海ゆかば」を独唱した。涙が止まらず、ちゃんとは歌えなかった。

 この物語は戦前、語り継がれて殆どの日本人が知っていた。現代ではトルコの使節団が和歌山沖で座礁し、付近の日本人が救援い向かい多くを救った美談「エルトゥールル」号で、映画にもなって人口に膾炙したが、対照的に日本帝国海軍のマルタ沖での悲劇を知らない。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み
http://melma.com/backnumber_45206_6535325/

関連ニュース
マルタの旧日本海軍戦没者慰霊=首相「国際貢献に決意」
http://katasumisokuhou.blog.jp/archives/2100077.html

小学校では「エルトゥールル」号を教えているようです。帝国海軍の活躍も教えて欲しいですね。今の反日マスコミでは、無理でしょうが。

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