1: ごまカンパチ ★ 2021/01/04(月) 00:27:57.79 ID:BjBmZCdz9
 honoujinohen

 戦国武将の織田信長(1534~82)が、配下の明智光秀(1528?~82)に討たれた本能寺の変(1582年)をめぐり、光秀は本能寺(京都市中京区)の現場には行かず、
部下に実行させていたとする学説が出てきた。本能寺の変に参加した家臣から聞いた情報として、事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。
これまで映画やドラマなどでは光秀本人が寺を襲ったように描かれてきたが、それを裏付ける史料はなく、研究者の間でも議論されてきた。

古文書は江戸時代前期に、加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が書いた 「乙夜之書物(いつやのかきもの)」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻本)。
史料の存在は一部で知られていたが、主に加賀藩に関わる部分が注目されてきた。
このほど、富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)が読み解いて明らかにした。

萩原さんによれば、本能寺の変の記述は1669年に成立した上巻にある。
寺を急襲した光秀軍を率いたとされる重臣の斎藤利三(としみつ)の三男で、自らも数え16歳で事件に関わった利宗(としむね)が、 おいで加賀藩士の井上清左衛門に語った内容として収録されていた。
利三と、光秀重臣の明智秀満(ひでみつ)が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、光秀は寺から約8キロ南の鳥羽(京都市南部)に控えていたと書かれている。

奥書(書き入れ)には、関屋が息子のために書き残し、他人に見せることは厳禁とある。
萩原さんは「関屋の自筆本で後世の加筆もないとみられ、事件に参加し、重要情報に触れ得る立場の人物が情報源であることから、信頼性が高い記述ではないか」とみる。

光秀本人が本能寺を襲ったと考えられてきたのは、光秀と交流があった公家の吉田兼見(かねみ)の日記(1570~92年)などに 「惟任日向守(光秀のこと)、信長之屋敷本応寺へ取懸」などと記されていたためとみられるが、うわさを書き残した可能性も指摘される。

光秀が本能寺に行かなかったことについて、本郷和人・東京大史料編纂(へんさん)所教授(日本中世史)は 「十分あり得ることではないか。光秀自身が最前線に赴く必要はないし、重臣を向かわせたのも理にかなう」と話す。

朝日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ade4e8214a4e27f466490a44d787af505f62b40


2chの反応

173: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:26:50.06 ID:AEEbGVGs0
>>1
あれだな秀吉黒幕説もあるし
光秀の知らぬ間に、秀吉は以下の兵士が
光秀の部下を上手く動かして攻めてたりして

6: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 00:29:22.26 ID:vpdK22N40
部下が勝手に襲って引っ込みつかなくなったのか?w

21: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 00:37:57.28 ID:ikA7/kW80
こんなもんだよな
先頭に立つとか漫画じゃあるまいし

22: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 00:38:29.32 ID:18Ux9/Wk0
敵は本能寺にありっつーことでお前ら行ってこい!

31: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 00:42:52.61 ID:PiU3cJKP0
やっぱついてけなくなった光秀の軽挙だな

35: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 00:45:41.66 ID:+nNPB6sR0
そもそも先鋒に大将が出るわけが無いから
本能寺に光秀が出てこないのも当たり前だから

69: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:03:12.32 ID:lvS9yPM70
>>35
普通の戦ならそりゃそうだが、主君への謀反となればどうかな?
斎藤利三がイモ引いて「信長様あいつです!」って自分を信長に売る可能性だってあるだろ
供回りが少ないのは知ってるんだし、自分の手で確実に、と考えても不思議じゃないぞ

37: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 00:47:42.56 ID:SDlzKo2B0
本能寺に入った明智軍の兵たちは信長の下女に「上様は」と言う言葉を聞くまで
敵が誰なのか知らなかったらしい

53: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 00:55:27.84 ID:K6wJJ23c0
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180215-OYT8T50014/

信長の家臣だった稲葉一鉄の子孫らが書き残したとされる『稲葉家譜』には、光秀が信長にハゲを暴露されたことを恨んだため、という珍説が書かれている。

 「信長は法に背そむいた光秀を呼びつけ、譴責けんせきして光秀の頭を二、三度叩いた。光秀は髪が薄く附髪(カツラ)をしていたが、この時に打ち落され、信長の仕打ちを深く恨んだ。光秀謀反の原因はここに起因する」

54: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 00:56:24.40 ID:V1VuPHiX0
明智軍の足軽兵は家康を討つと直前まで聞かされていたと日記に書かれている

68: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:02:34.98 ID:RzowmGjD0
あたしが見たのは確か、光秀が客人に臭い飯を出させてしまって
それに激怒した信長が森欄丸に皆の前で光秀の頭を扇だか何かで叩いたのよ。
光秀は頭だかおでこから血を流していたわ。そのことを光秀は根に持ったのよ。

70: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:03:41.69 ID:B885uTB00
> 事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。

これ、信憑性どうなのよ?w

96: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:18:16.95 ID:3p6ven9C0
>>70
まとめられたのが87年後であって
本能寺の話は参加した斎藤利三の息子から聞いたものだから信憑性あり

76: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:06:57.97 ID:/attbOEL0
面白いね。確かに少人数で泊ってるのは分かってたろうし、使える家臣を送れば済むね
自分は遊軍として、信忠軍やその他の敵襲に備えて動けるようにしておくってのは理にかなってる。

80: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:08:25.06 ID:T783aYd30
日光東照宮の近くに明智平という地名があるんだろ
やっぱ家康と組んでいたんじゃないの

159: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:13:04.77 ID:ZqMYozFS0
>>80
そりゃまあ
斎藤利三の娘が春日局だもの

85: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:09:53.71 ID:Ti0ZQwEq0
言経卿記にも謀反随一って書かれてるしな、斎藤利三

91: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:12:21.19 ID:YVRXlpWB0
これはわりと有名な話じゃなかったかな。
敵は本能寺にありってセリフも創作だし。
まあ、だからといって光秀自身が
知らなかった、そのつもりはなかった
なんてことはありえないわけで、
どっちにしても主犯なのは間違いないけど。

98: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:19:15.20 ID:YVRXlpWB0
いずれにしても、作戦は綿密だし手際も良い。
信長だけじゃなく信忠も殺さないと意味がないが
これもしっかり達成されてるからな。
本人不在でこの手腕は見事としか言いようがない。
いかにも光秀っぽい周到さだと思うよ。

120: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:38:51.30 ID:C1hs6rH00
直前に徳川は信康を切腹されてる
信長は味方の粛清の段階に入った時期であり同盟の力を削ごうとした形跡も多い
これらは信長による権力の一極集中を志向する行動であり光秀はそれを嫌った
本能寺の変後足利義昭に書簡を送ったことからもこの意志が読み取れると思う
光秀は自身の天下よりも諸国連合国家体制の確立を図ったとみた方が自然な解釈だ
光秀の野望があったとすると、その連合国家体制の棟梁をフィクサー的に支えたいということだったと思うがね

130: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:51:56.30 ID:1tWEqoxc0
>>120
あれは 信長に命令されたことにして 嫌いだから殺したんだよ。

まず嫁が嫌い。今川の姫で高ビーで嫌い。(側室に選ぶのは身分の低い女 未亡人がこのみ)
嫁と息子をを岡崎に置き(遠ざけ)、自分が東の抑えとして浜松に入った結果・・・
三河・岡崎の一向宗にかぶれられ 家臣ともどもウザくて嫌い
息子は 嫌いな嫁の言いなり 家臣は一向宗でウザい  ころしてーーーー
ってときに息子の嫁が信長に泣き付いて チャンス!っとぶっ殺したんだよ。


信長様の怒りを…って言い分出来たら 殺すだろうw 嫌いな女だ。

122: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 01:42:49.05 ID:Y0wr8eXl0
割と家康暗殺を秀吉と光秀が信長にそそのかして、乗り気になった信長を光秀が討つように秀吉が暗躍したんじゃなかろうか?
光秀本人を篭絡したんじゃなく、利光・秀満あたりから篭絡して。
急襲の準備自体は家康暗殺のためという面目で事前から行えるし、信長、信忠の周りに兵を進めるのも身辺警護とか、遠征のあいさつとかで充分説明つく。
何なら、利光・秀満が事を起こして「家康ではなく信長を討った。覚悟を決めろ。」の事後報告で光秀の退路を断った。くらいまであり得るかも、とか。想像が絶えない。

153: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:11:23.76 ID:Jz87jR980
鳥羽まで来とるやん
高速混んでて馬廻りが遅れただけやろ
先陣は烏丸線使ってたとか

165: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:18:51.25 ID:YVRXlpWB0
>>153
おそらく後詰めのための布陣。
もし信長が本能寺を脱出した場合、
二条城は包囲されてるため
鳥羽方面へ逃走する可能性が高い。
もし逃げても確実に打ち取るための布陣と思うよ

154: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:11:35.75 ID:VZOtWYJm0
(追加)信長は、松永久秀と荒木村重の時に謀反にあい、痛い目にあったので学習して、戦国大名の中でも一番、謀反対策に懸念がなかったと書かれていた。
芸術的なクーデーターということは、私たちが単純に思う以上に、情報戦や心理戦やかなり深い所で作戦は練られたということ。で、ないと500年経った後に今だに歴史的事件に紹介されてるってことは、すごい事件なんだよね。本能寺の変は。

181: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:30:27.37 ID:ZqMYozFS0
>>154
懸念がないじゃなくて余念がない、かね

158: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:12:37.73 ID:0rG6J30k0
斎藤利三の娘の春日局の墓は麟祥院にある
麒麟がくるはここからとったのかな

信長を討ち損じたら近江回りか伊賀回りで逃げたはず
伊賀回りにいたのは家康
色々ありそうやな

166: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:19:22.60 ID:lkedtV740
丹波亀山から保津峡通って桂川に出る。ここまでは通説通りで
ここから洛中に入らずに桂川沿いに鳥羽まで南下したわけだ
鳥羽伏見の戦いでもわかるようにここは京阪間の抑えになるから
諸軍団の中では一番近い摂津にいた織田信孝・丹羽長秀軍を警戒したのかもしれない

169: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:22:45.37 ID:f0G6rHTt0
光秀と天海は筆跡鑑定の結果別人と言われてるのになあ

171: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:24:31.84 ID:Y0wr8eXl0
>>169
それとか、学会ですでに別人認定されてるとか、言わないでいてあげたのに・・。

172: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:26:34.71 ID:k4xEueO90
日頃から独善気味の利三が勝手に暴走して
終わってから光秀知らされて頭抱えるも退くに退けなくなって、、、
とかちょっとありそうな

なかなか興味深い話ね

180: ニューノーマルの名無しさん 2021/01/04(月) 02:29:29.63 ID:Mg/g35YQ0
>>172
この記事どこにそんなこと書いてあるんだよ

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