1: 樽悶 ★ 2021/08/02(月) 22:34:00.47 ID:kJ7ttiNV9
富を蓄えた北部九州に対抗するために、三世紀初頭の奈良盆地に人びとが集結し、ヤマト勢力が出現した。邪馬台国の卑弥呼は、勃興する強敵・ヤマト勢力に対抗するために、策を講じる――。邪馬台国こそ日本列島を代表する「ヤマト」である――卑弥呼は魏に対して嘘の報告をしたのだ。

■倭人の王の外交デビュー

『漢書』地理志(一世紀ごろ成立)に、弥生時代の日本の様子が記されている。

※省略

このころ、朝鮮半島南部の鉄を取りに、穢(わい)・倭・馬韓の人びとが群がっていたとあり、奴国の海人たちも、こぞって進出していたのだろう。そして、富を蓄えた上での、朝貢ということになる。

※省略

改めて確認しておくが、ヤマトの纒向(まきむく)に人びとが集まりはじめたのは3世紀初頭のことで、ヤマトが国の中心となったのは、3世紀半ばから4世紀にかけてのことだ(絶対年代は確定していない。幅がある)。また、邪馬台国がヤマトと同一かどうかは、ハッキリわかっていない。

邪馬台国は2世紀後半から3世紀にかけて日本のどこかに存在した倭国の首都だ。邪馬台国は倭国の王が住む国で、卑弥呼と台与(とよ=壱与〔いよ〕)の2人の女王が立てられたが、この間にも中国では、動乱が続き、勢力図はめまぐるしく変化していった。

西暦265年に、魏は晋(西晋)に変わり、280年に南方の呉が滅び、晋が国土を統一すると、翌年11月、倭人が来朝し、方物を献上している。王の名は記されていないが、卑弥呼の宗女・台与と思われる。

邪馬台国の2人の女王は、『日本書紀』に登場せず、中国側の史料に現れるだけだ。しかも台与は、このあと歴史からフェイドアウトしてしまう。行方がわからないのだ。ここにも大きな謎が隠されている。

倭国は北部九州と考えた方が理にかなっている。拙著『ヤマト王権と古代史十大事件』(PHP文庫)の中で述べたように、邪馬台国は北部九州の山門県(やまとのあがた:福岡県みやま市)にあったと思う。

奈良盆地にヤマトが出現したのは、富を蓄えた北部九州に対抗するためで、多くの人びとがヤマトに集結した。逆に窮地に立たされた北部九州は、朝鮮半島に進出してきた魏に、すばやく使者を送り、「われわれが日本列島を代表する邪馬台国(ヤマト)」と偽りの報告をして、卑弥呼は「親魏倭王」の称号を獲得してしまったのだろう。

江戸時代に本居宣長が唱えた「邪馬台国偽僭(ぎせん)説」の考えに近い。本居宣長は、「天皇が中国にへりくだるはずがない」という発想から偽僭説を思い浮かべたが、そうではなく、虎の威を借りることで、ヤマトを牽制する目的があったのだろう。親魏倭王のヒミコを倒せば、ヤマトは魏の敵になる。

また、この時北部九州は一枚岩ではなく、沿岸部の奴国と西隣の伊都国(いとこく・福岡県糸島市と福岡市西区の旧怡土郡)は、それぞれがヤマトと邪馬台国、別々の勢力と通じていたと思われる。

奴国はヤマトと手を組み、伊都国は邪馬台国と魏の間をとりもったのだろう。考古学は三世紀初頭にヤマトや山陰勢力が奴国周辺に押しかけていたことを突きとめているが、奴国はヤマトを北部九州に誘い入れた人たちだ。

※省略

北部九州は朝鮮半島の鉄を大量に入手することで栄えた。もちろん、鉄の代償となる何かを輸出していただろう。

つまり、この記事にある行程は、邪馬台国と朝鮮半島をつなぐ最大のルートだったはずで、それにもかかわらず、交易の道が「本当に歩けるのか」と訝しむほどであるはずがない。ここに大きな意味が隠されている。

伊都国と奴国は、「海の道」の終着点となる天然の良港を備えていたから栄えたのだ。とすれば、末盧国から伊都国まで魏の使者を歩かさなければならない特別な理由があったと考えねばならない。

答えは簡単だと思う。邪馬台国と伊都国は、ヤマトに通じていた奴国に、魏の使者の到来を悟られてはならなかったのだろう。奴国は海人の国でもあり、奴国の海人たちは伊都国や末盧国の近辺を普段から船に乗って往来していただろう。だから、魏の使者を船に乗せて末盧国から伊都国に連れて来れば、見つかってしまう恐れもあったのだ。

ならばこのあと、ヤマトと邪馬台国の関係はどうなったのだろう。

※省略

ただ、勝利を収めたのはヤマトだったこと、邪馬台国にしろヤマト建国にしろ、九州を中心とした海人たちが暗躍し、鍵を握っていたということは間違いない。(続きはソース)

関裕二(歴史作家)

7/31(土) 11:52配信 ヤフーニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210731-00010000-php_s-bus_all


2chの反応

271: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:11:56.76 ID:cIRiJ5tF0
>>1

これはマジで面白い説。

可能性はゼロじゃない。

しかも様々な疑問点を一気に解消できる説でもある。

601: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 17:19:50.22 ID:roLpn0vV0
>>1
そもそも「倭国」というのは向こうの呼び名で、こっちで倭国があったわけじゃないだろ。
邪馬台国にせよ奈良盆地にせよ当時は豪族の小国家の連合体であって、統一国家じゃないしな。

2: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/02(月) 22:34:55.62 ID:UMuTxHWJ0
そもそも邪馬台国と卑弥呼は存在するんか?

31: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/02(月) 22:55:40.17 ID:8vLf4P6q0
>>2
あったとされ、いたとされている。
確認されていないので無いとも言える。

402: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:10:02.09 ID:3KfoRVo70
>>31
中国の史書に書かれ、日本で金印という物的証拠も出た以上、実在は間違いない

405: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:11:54.35 ID:hPaEPPl80
>>402
親魏倭王の金印なんて出てないよ

407: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:14:09.79 ID:9lKnIa7B0
>>402
大和政権が金印もらったなら、金印は皇室が保管してて、それこそ記紀に書かれるはず。

413: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:19:34.57 ID:echOXxKp0
>>407
金印持ってたら倭国の末裔として疑われることも無かっただろうにな

■旧唐書より
※倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
no title


<倭国伝>~AD631年までの記録
倭国(九州)は古の倭奴国なり。
※漢委奴国王の金印は福岡で発見された

<日本伝>AD701年以降の記録
日本国(ヤマト)は倭国の別種なり。

■史書における「別種」の使用例
<高麗伝>
高麗は出自、扶余の別種なり。

<百済伝>
百済国の本も亦た、扶余の別種。

■結論
・畿内ヤマトと倭国は別の国だった

419: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:25:01.25 ID:9lKnIa7B0
>>413
朝貢だから金印以外にもお宝をたんまりもらってるはずだから、
大和朝廷がもらってれば、何かが現代まで保管されてるはずだし、
どっかの神社の御神体になってるはず。
そういうのがまるっきり無いからな、邪馬台国も倭の五王も大和じゃないような気がするわ。
大和側に記録も物証もなんにもないからな。

135: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 06:14:58.07 ID:uqW4JiAS0
>>2
洛陽まで辿り着いて漢語でコミュンケーション取れたんだから
ある程度の勢力としては存在したのだろう
どこにあったかは知らんが

261: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:04:49.19 ID:y4AJG7ZZ0
>>2
魏志に登場したほとんどの国が存在してることを確認されているのにわざわざ嘘を書く必要がない

311: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:52:21.28 ID:88DDzdXX0
>>2
そこを疑ったら邪馬台国議論そのものが無価値となってしまうな

485: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 15:31:04.31 ID:+IFrBK9c0
>>2
邪馬台国は存在したけど、今の天皇家につながるかは謎。

519: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 16:14:13.81 ID:CEZxnmjK0
>>485
繋がる
つか
繋げるために近畿日本は九州から神武を招待したわけだから

10: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/02(月) 22:38:56.33 ID:9X2Z9WHh0
また古いネタをもってきたな

14: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/02(月) 22:44:18.83 ID:SR8fIcCd0
分家というか出てった方の次男三男の裔(近畿)が強大になって本家(九州)を飲み込んだんだろ?

24: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/02(月) 22:49:37.60 ID:GLUvC7ir0
最初から最後まで筆者の推測でしか無いじゃねーか

86: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/02(月) 23:51:13.38 ID:E/vEOYBe0
九州が倭国、1世紀の倭国の王が奴国
倭国之極南界也とは九州全体のこと

男王の時代が7,80年続き、王の座を巡って倭国大乱となる
女王を立ててまとまったのは九州北部、九州南部はそれを不服とした

魏志倭人伝にはこうある
女王国東渡海千余里復有国皆倭種
つまり九州の北半分が女王国で南半分が狗奴国でここまでが倭国
九州の東に海を渡るとまた倭種の国々があり巡り歩けば五千余里という
まさしく畿内ヤマトは「またある倭種の国々」だったわけだ

368: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 11:45:03.77 ID:P8xQv/NR0
>>86
まあそれが一番スッキリした解釈だわな

102: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 00:14:58.16 ID:rMcbekG/0
書紀は神功皇后が魏志の倭の女王であるかのように書いている
江戸時代まで卑弥呼は神功皇后のことだと普通に思われていた
その神功皇后は短い福岡滞在の期間で数百ヶ所に伝承を残している
一方、筑後山門の田油津媛もその名前が人をたぶらかす、衆を惑わす女王を連想させるものになっている
どちらも卑弥呼ではないし、どちらも創作の可能性があるのだが、どちらも九州に強い縁があり、それを大和朝廷が卑弥呼に見せかけようとしていること自体が卑弥呼が九州福岡にいた証左のような気がするよ

104: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 00:30:28.90 ID:jXD98Bzn0
3世紀纒向の勢力圏は、伊勢、東海、北陸、山陰を中心に河内、吉備くらいで
九州との交流は貧弱と言わざるを得ない

畿内説が主張するような巨大な勢力はもう少し後の時代にならないと生まれない

143: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 07:20:59.48 ID:y+qAxRB/0
2世紀
no title

no title


3世紀
no title


卑弥呼の時代の纏向遺跡と北九州の交流は無いに等しい

192: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 09:06:29.23 ID:yYbbcpdJ0
関裕二

歴史評論家
武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー
千葉県柏市生まれ
仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究、1991年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビュー、以後古代をテーマに執筆活動を続けている
民間の歴史研究家である
またその史観は、市井において賛否両論ある

276: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:16:13.82 ID:eGy+lT4A0
妄想逞しいな
面白いから好きだけど、こういうの

283: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:24:15.94 ID:9lKnIa7B0
このへんて解明される可能性てあるのかね?
天皇陵を発掘して、古墳時代の文書が出てこないとどうにもならないような。
日本書紀がかかれた奈良時代の人からみても2世紀頃なんて太古の昔のことだよね。

286: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:28:45.64 ID:baYrJ4Gm0
>>283
奈良時代から見て大昔のことでも
日本書紀、古事記に書かれている
後の時代測定ではこの魏志倭人伝の卑弥呼の時代は
崇神天皇の時代と推定されている
崇神天皇についてはおろか歴代天皇の誰もが日本書紀や古事記では魏に使いを送ったという記述が一切ないのが
大和王権は魏に使いを出していないことの証拠になる
つまり大和王権と邪馬台国は別物、全く違う国ってこと

289: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:32:52.92 ID:9lKnIa7B0
>>286
でも倭の五王も日本書紀には書いてないわけだろ。
倭の五王も大和王権とは別てことになるの?
でも、卑弥呼が大和王権側なら何かしら歴史に痕跡が残るだろうな・・・・

292: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:34:16.06 ID:baYrJ4Gm0
>>289
かもな
倭の五王は大和王権とは別の倭国
九州北部の王かも知れないな

296: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:36:48.90 ID:do6pVOq+0
>>289
当然だろ
倭の五王は九州倭国の王だとしか考えられない
他の可能性はゼロ
中国の正史に他国の王の名前を中国側が勝手に捏造して
載せた例なんて全くない
記紀に記録が無い以上は近畿日本の王だとは考えられない

301: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:39:08.48 ID:baYrJ4Gm0
>>296
倭の五王の名前も
天皇の名前の傾向と異質に感じるしな

297: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:38:08.08 ID:K7I5KAt50
卑弥呼は日本書紀に登場しないというか
日本では呼び名が違うだけの話だろ
日本書紀では気長足姫尊(神功皇后)が卑弥呼に該当する人物と言われている

303: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:41:40.92 ID:9lKnIa7B0
>>297
日本書紀に書かない理由がなくね。
シナに朝貢して金印もらったぜなんて、日本書紀に書いて当たり前だし、
そこら中に石碑立てまくってもいいようなレベルなんだけどね。

307: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:47:38.81 ID:baYrJ4Gm0
>>303
しかも後に大和王権は自分たちが古の邪馬台国の後継と偽って外交しているのに
なぜ日本書紀に邪馬台国時代に魏に使いを出したことを書かなかったのか?
不思議だよな
神話要素の強い古事記は国内向けに天皇の正当性をアピールするために書かれたのに対し
日本書紀というのは外国に対して日本の歴史を紹介する文書として書かれたものだそうだ
つまり日本書記には淡々と何年に何をしたのか事実を列記している書物なのに
実際に魏に使いを送ったことを記載していない
なのに外交の場では邪馬台国と言っているw
つまり邪馬台国云々といったのは遣隋使がその場の雰囲気で吐いた嘘
というか隋に邪馬台国のことを訊かれて、よく知らない固有名詞だけれど自分たちの国のことなんだろうなと思って
曖昧に肯定しただけのことかもしれないなw

314: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:54:37.86 ID:y4AJG7ZZ0
>>307
卑弥呼の時代には文字が存在してなかったからだろ

317: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:56:42.89 ID:baYrJ4Gm0
>>314
だから崇神天皇の時代のことも日本書記や古事記には記載されているだろ?
文字の無かった卑弥呼の時代=崇神天皇の時代だぞ
それ以前の出来事も古事記や日本書紀には記載されている
なぜすっぽりと魏に使いを送ったことだけ記載が抜けなきゃいけないんだよw

306: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 10:44:49.24 ID:3Nomf3a40
>>297
神功皇后は卑弥呼の時代から1世紀くらいズレてると思う

322: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 11:01:18.83 ID:PVW2Jqkm0
>>297
>日本書紀では気長足姫尊(神功皇后)が卑弥呼に
その辺りの解釈論は、https://ja.wikipedia.org/wiki/海部氏系図
が1975年に重文(76年に国宝)指定され、かなりというか大幅に変わったよ。
記紀からでは判らないことが、海部氏系図やその他の大連クラスの各地に伝わる系図でほぼ全て整合が取れている。12代景行天皇辺りになると、どこの誰を后にしたとかが全部整合している。神功皇后は14代仲哀天皇の後で、完全に歴史の範疇になりつつある。

339: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 11:10:11.51 ID:bi8vE6Na0
>>>297
倭と高句麗と争ったのが4~5世紀頃だから、神功皇后は卑弥呼では無いな
時代が100年以上違う

381: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 12:11:46.55 ID:hPaEPPl80
>>297
日本書紀 神功皇后 四
丙申、轉至山門縣、則誅土蜘蛛田油津媛。
時、田油津媛之兄夏羽、興軍而迎來、然聞其妹被誅而逃之。

訳文
25日、山門(やまと)の県(あがた)に移動して土蜘蛛の田油津媛を誅しました。
田油津媛の兄の夏羽が軍を起こして迎えに来ましたが
妹が誅されたことを聞き逃げました。

山門県の田油津媛が卑弥呼もしくは壱与

393: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 12:54:20.64 ID:baYrJ4Gm0
>>381
年代的には神功皇后は卑弥呼よりも100年くらい後の人だから
田油津媛は壱与よりも後の時代の人
たぶん壱与の子孫だろう
その土蜘蛛の女王のいた国こそ魏志倭人伝に書かれていた邪馬台国の100年後

401: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:06:21.32 ID:hPaEPPl80
>>393
神功皇后の年代って諸説あって確定できていないけどね

408: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:15:11.03 ID:baYrJ4Gm0
>>401
高句麗の好太王碑に刻まれている文字を読み解けば
以下のような文章がある

399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平壌に出向いた。ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、大王は救援することにした。
400年、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、これを追って任那・加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。
404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた

日本が朝鮮半島を攻めたことが書かれている
これが神功皇后の三韓征伐のことと解釈すると
神功皇后は卑弥呼よりも100年以上後の世で活躍したことになる

438: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:44:02.85 ID:hPaEPPl80
>>408
その説はもちろん知ってるけど、神功皇后が受け取ったとされる
七支刀に刻まれている年号が合っていないという問題と
ワカタケルとの年代があまりにも合わなくなるという問題がある
結果年代の断定は不可能としかいえない。

447: ニューノーマルの名無しさん 2021/08/03(火) 13:53:35.07 ID:baYrJ4Gm0
>>438
七支刀に年号何て刻まれていたっけ?
日本の古代史の年号がおかしいのは
なんという文献か忘れたけれど
日本を訪れた中国の使者が倭人は年の数え方を知らない
人間の歳の数え方で春に1歳年を取り、秋にまた1歳年を取る
そのように数えるから1年が2年として勘定していると記載されている
古代日本人のそういう年数の概念のずれが、日本書記の年数がおかしなことになっているのと
関連があると思う
古代の天皇の年齢が異常に長寿なのもその年数の数え方の概念が独特だったことが影響しているんだろう
つまり120年の統治期間を持っている天皇は実際には60年と統治期間だったと考えると
古代のおかしな年数の謎は解消される

たぶん神功皇后の日本書記での年数が古くなってしまうのはそのことが影響しているんじゃないかな?

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