1: LingLing ★ 2022/07/26(火) 23:11:14.61 ID:CAP_USER
「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説
橘玲、人類学者・篠田謙一対談(後編)
化石となった人骨のゲノム(遺伝情報)を解析できるようになり、数十万年に及ぶ人類の歩みが次々と明らかになってきた。自然科学に詳しい作家・橘玲(たちばな・あきら)氏が、国立科学博物館の館長でもある遺伝人類学者・篠田謙一氏に、人類の歴史にまつわる疑問をぶつける特別対談。後編では、日本人の歴史に焦点を当てる。現在の日本人に連なるいにしえの人々は、いったいどこからやって来たのだろうか――。(構成/土井大輔)
>>橘玲×篠田謙一対談(前編)『ホモ・サピエンスが繁栄し、ネアンデルタール人が絶滅した「意外な理由」』
● 日本人のルーツは? 縄文人のDNAから考える
橘玲氏(以下、橘) 日本人の話題に入りたいと思います。6万年ほど前に出アフリカを敢行した数千人のホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人と各地で出会い、交わりながらユーラシア大陸を東に進んでいきます。その東端にある日本列島に到達した人たちが縄文人になるわけですが、主要なルートは朝鮮半島経由とシベリア経由と考えていいんでしょうか。
篠田謙一氏(以下、篠田) ほぼその通りですね。5万年くらい前、人類は東南アジアから海岸伝いに北に上がってくるんです。そのころは中国大陸の海岸線が今より広がっていて、朝鮮半島も台湾も大陸の一部でした。日本列島は孤立していますけれど、今より大陸との距離は近かったんですね。
大陸で数万年間かけて分化していった集団が、北方からであったり朝鮮半島経由であったり、複数のルートで日本列島に入ってきた。それがゆるやかに結合することで出来上がったのが縄文人だと考えています。
私たちは北海道の縄文人のDNAを多く解析したんですけども、そこには(ロシア南東部の)バイカル湖周辺にあった遺伝子も多少入っているんです。もしかすると、ユーラシア大陸を北回りで東にやって来た人たちの遺伝子も、東南アジアから来た人たちと混血して、日本に入ってきたのではないかと考えています。
橘 中国も唐の時代(618年~907年)の長安には、西からさまざまな人たちが集まっていたようですね。
篠田 大陸は古い時代からヨーロッパの人たちと遺伝的な交流があったと思いますよ。例えばモンゴルは、調べてみるととても不思議なところで、古代からヨーロッパ人の遺伝子が入っています。陸続きで、しかも馬がいる場所ですから、すぐに遺伝子が伝わっていくんです。
橘 ということは、長安の都を金髪碧眼(へきがん)の人たちが歩いていたとしても、おかしくはない。
篠田 おかしくはないですね。ただ、それが現代の中国人に遺伝子を残しているかというと、それはないようですけれども。
● 弥生人の定説が 書き換えられつつある
橘 日本の古代史では、弥生時代がいつ始まったのか、弥生人はどこから来たのかの定説が遺伝人類学によって書き換えられつつあり、一番ホットな分野だと思うのですが。
篠田 そう思います。
橘 篠田さんの『人類の起源』によれば、5000年くらい前、西遼河(内モンゴル自治区から東に流れる大河)の流域、朝鮮半島の北のほうに雑穀農耕民がいて、その人たちの言葉が日本語や韓国語の起源になったというのがとても興味深かったんですが、そういう理解で合っていますか?
篠田 私たちはそう考えています。1万年前よりも新しい時代については、中国大陸でかなりの数の人骨のDNAが調べられているので、集団形成のシナリオがある程度描けるんです。その中で、いわゆる渡来系といわれる弥生人に一番近いのは、西遼河流域の人たちで、黄河流域の農耕民とは遺伝的に少し異なることがわかっています。
橘 黄河流域というと、今でいう万里の長城の内側ですね。そこでは小麦を作っていて、西遼河の辺りはいわゆる雑穀だった。
篠田 まあ、中国でも小麦を作り始めたのはそんなに昔ではないらしいんですが、違う種類の雑穀を作っていたんでしょうね。ただ陸続きで、西遼河も黄河も同じ農耕民ですから、全く違ったというわけではなくて、それなりに混血して、それが朝鮮半島に入ったというのが今の説なんです。
(つづく…)
橘玲/篠田謙一
https://diamond.jp/articles/-/306767
橘玲、人類学者・篠田謙一対談(後編)
化石となった人骨のゲノム(遺伝情報)を解析できるようになり、数十万年に及ぶ人類の歩みが次々と明らかになってきた。自然科学に詳しい作家・橘玲(たちばな・あきら)氏が、国立科学博物館の館長でもある遺伝人類学者・篠田謙一氏に、人類の歴史にまつわる疑問をぶつける特別対談。後編では、日本人の歴史に焦点を当てる。現在の日本人に連なるいにしえの人々は、いったいどこからやって来たのだろうか――。(構成/土井大輔)
>>橘玲×篠田謙一対談(前編)『ホモ・サピエンスが繁栄し、ネアンデルタール人が絶滅した「意外な理由」』
● 日本人のルーツは? 縄文人のDNAから考える
橘玲氏(以下、橘) 日本人の話題に入りたいと思います。6万年ほど前に出アフリカを敢行した数千人のホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人と各地で出会い、交わりながらユーラシア大陸を東に進んでいきます。その東端にある日本列島に到達した人たちが縄文人になるわけですが、主要なルートは朝鮮半島経由とシベリア経由と考えていいんでしょうか。
篠田謙一氏(以下、篠田) ほぼその通りですね。5万年くらい前、人類は東南アジアから海岸伝いに北に上がってくるんです。そのころは中国大陸の海岸線が今より広がっていて、朝鮮半島も台湾も大陸の一部でした。日本列島は孤立していますけれど、今より大陸との距離は近かったんですね。
大陸で数万年間かけて分化していった集団が、北方からであったり朝鮮半島経由であったり、複数のルートで日本列島に入ってきた。それがゆるやかに結合することで出来上がったのが縄文人だと考えています。
私たちは北海道の縄文人のDNAを多く解析したんですけども、そこには(ロシア南東部の)バイカル湖周辺にあった遺伝子も多少入っているんです。もしかすると、ユーラシア大陸を北回りで東にやって来た人たちの遺伝子も、東南アジアから来た人たちと混血して、日本に入ってきたのではないかと考えています。
橘 中国も唐の時代(618年~907年)の長安には、西からさまざまな人たちが集まっていたようですね。
篠田 大陸は古い時代からヨーロッパの人たちと遺伝的な交流があったと思いますよ。例えばモンゴルは、調べてみるととても不思議なところで、古代からヨーロッパ人の遺伝子が入っています。陸続きで、しかも馬がいる場所ですから、すぐに遺伝子が伝わっていくんです。
橘 ということは、長安の都を金髪碧眼(へきがん)の人たちが歩いていたとしても、おかしくはない。
篠田 おかしくはないですね。ただ、それが現代の中国人に遺伝子を残しているかというと、それはないようですけれども。
● 弥生人の定説が 書き換えられつつある
橘 日本の古代史では、弥生時代がいつ始まったのか、弥生人はどこから来たのかの定説が遺伝人類学によって書き換えられつつあり、一番ホットな分野だと思うのですが。
篠田 そう思います。
橘 篠田さんの『人類の起源』によれば、5000年くらい前、西遼河(内モンゴル自治区から東に流れる大河)の流域、朝鮮半島の北のほうに雑穀農耕民がいて、その人たちの言葉が日本語や韓国語の起源になったというのがとても興味深かったんですが、そういう理解で合っていますか?
篠田 私たちはそう考えています。1万年前よりも新しい時代については、中国大陸でかなりの数の人骨のDNAが調べられているので、集団形成のシナリオがある程度描けるんです。その中で、いわゆる渡来系といわれる弥生人に一番近いのは、西遼河流域の人たちで、黄河流域の農耕民とは遺伝的に少し異なることがわかっています。
橘 黄河流域というと、今でいう万里の長城の内側ですね。そこでは小麦を作っていて、西遼河の辺りはいわゆる雑穀だった。
篠田 まあ、中国でも小麦を作り始めたのはそんなに昔ではないらしいんですが、違う種類の雑穀を作っていたんでしょうね。ただ陸続きで、西遼河も黄河も同じ農耕民ですから、全く違ったというわけではなくて、それなりに混血して、それが朝鮮半島に入ったというのが今の説なんです。
(つづく…)
橘玲/篠田謙一
https://diamond.jp/articles/-/306767
2chの反応
36: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:49:35.65 ID:fGVzMoi7
36: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:49:35.65 ID:fGVzMoi7
>>1
「いわゆる渡来系といわれる弥生人に一番近いのは、西遼河流域の人」
あれ?弥生人は韓民族ってチョンが言ってなかった?
「いわゆる渡来系といわれる弥生人に一番近いのは、西遼河流域の人」
あれ?弥生人は韓民族ってチョンが言ってなかった?
46: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/27(水) 00:14:59.09 ID:1BHjl3tL
>>1
縄文人は半島経由じゃないよバカw
氷河期に地続きの樺太に入った集団がまず第一波。
(これが北海道アイヌの原型っぽい。)
それに氷河期が終わって水没したスンダランド(東南亜)から
船で渡ってきたスンダランド人が混血したのが縄文人。
縄文人は半島経由じゃないよバカw
氷河期に地続きの樺太に入った集団がまず第一波。
(これが北海道アイヌの原型っぽい。)
それに氷河期が終わって水没したスンダランド(東南亜)から
船で渡ってきたスンダランド人が混血したのが縄文人。
49: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/27(水) 00:21:55.71 ID:1BHjl3tL
>>1 (>>46つづき)
縄文人と共通する半島の弥生人の遺伝子は
氷河期が終わって太平洋・インド洋に広く四方に渡海した
スンダランド人のもの。列島にも半島にも入ってる。
そこを理解しないと間違う。
縄文人と共通する半島の弥生人の遺伝子は
氷河期が終わって太平洋・インド洋に広く四方に渡海した
スンダランド人のもの。列島にも半島にも入ってる。
そこを理解しないと間違う。
3: LingLing ★ 2022/07/26(火) 23:12:25.24 ID:CAP_USER
さらに誰が日本に渡来したのかっていうのは、難しい話になっています。これまではいわゆる縄文人といわれる人たちと、朝鮮半島で農耕をやっていた人たちは遺伝的に全く違うと考えられてきたんですね。それがどうも、そうではなさそうだと。
朝鮮半島にも縄文人的な遺伝子があって、それを持っていた人たちが日本に入ってきたんじゃないかと。しかもその人たちが持つ縄文人の遺伝子の頻度は、今の私たちとあまり変わらなかったんじゃないかと考えています。
橘 「日本人とは何者か」という理解が、かなり変わったんですね。
篠田 変わりました。特に渡来人の姿は大きく変わったと言ってよいでしょう。さらに渡来人と今の私たちが同じだったら、もともと日本にいた縄文人の遺伝子は、どこに行っちゃったんだという話になります。
両者が混血したのだとすれば、私たちは今よりも縄文人的であるはずなんですけども、そうなっていない。ですから、もっと後の時代、古墳時代までかけて、より大陸的な遺伝子を持った人たちが入ってきていたと考えざるを得なくなりました。
橘 なるほど。西遼河にいた雑穀農耕民が朝鮮半島を南下してきて、その後、中国南部で稲作をしていた農耕民が山東半島を経由して朝鮮半島に入ってくる。そこで交雑が起きて、その人たちが日本に入ってきたと。
篠田 日本で弥生時代が始まったころの人骨は、朝鮮半島では見つかってないんですけども、それより前の時代や、後の三国時代(184~280年)の骨を調べると、遺伝的に種々さまざまなんです。縄文人そのものみたいな人がいたり、大陸内部から来た人もいたり。遺跡によっても違っていて。
橘 朝鮮半島というのは、ユーラシアの東のデッドエンドみたいなところがありますからね。いろいろなところから人が入ってきて、いわゆる吹きだまりのようになっていた。
篠田 しかもそれが完全には混じり合わない状態が続いていた中で、ある集団が日本に入ってきたんだろうと考えています。
橘 その人たちが初期の弥生人で、北九州で稲作を始めたのが3000年くらい前ということですね。ただ、弥生文化はそれほど急速には広まっていかないですよね。九州辺りにとどまったというか。
篠田 数百年というレベルでいうと、中部地方までは来ますね。東へ進むのは割と早いんです。私たちが分析した弥生人の中で、大陸の遺伝子の要素を最も持っているものは、愛知の遺跡から出土しています。しかもこれは弥生時代の前期の人骨です。だから弥生時代の早い時期にどんどん東に進んだんだと思います。
ただ、九州では南に下りるのがすごく遅いんです。古墳時代まで縄文人的な遺伝子が残っていました。
橘 南九州には縄文人の大きな集団がいて、下りていけなかったということですか。
篠田 その可能性はあります。今、どんなふうに縄文系の人々と渡来した集団が混血していったのかを調べているところです。おそらくその混血は古墳時代まで続くんですけれども。
当時の日本列島は、ある地域には大陸の人そのものみたいな人たちがいて、山間とか離島には、遺伝的には縄文人直系の人がいた。現在の私たちが考える日本とは全然違う世界があったんだろうと思います。平安時代に書かれた文学なんかは、きっとそういう世界を見たと思うんです。
橘 すごくロマンがありますね。
篠田 今の私たちの感覚では、わからないものなのかなと思いますね。
朝鮮半島にも縄文人的な遺伝子があって、それを持っていた人たちが日本に入ってきたんじゃないかと。しかもその人たちが持つ縄文人の遺伝子の頻度は、今の私たちとあまり変わらなかったんじゃないかと考えています。
橘 「日本人とは何者か」という理解が、かなり変わったんですね。
篠田 変わりました。特に渡来人の姿は大きく変わったと言ってよいでしょう。さらに渡来人と今の私たちが同じだったら、もともと日本にいた縄文人の遺伝子は、どこに行っちゃったんだという話になります。
両者が混血したのだとすれば、私たちは今よりも縄文人的であるはずなんですけども、そうなっていない。ですから、もっと後の時代、古墳時代までかけて、より大陸的な遺伝子を持った人たちが入ってきていたと考えざるを得なくなりました。
橘 なるほど。西遼河にいた雑穀農耕民が朝鮮半島を南下してきて、その後、中国南部で稲作をしていた農耕民が山東半島を経由して朝鮮半島に入ってくる。そこで交雑が起きて、その人たちが日本に入ってきたと。
篠田 日本で弥生時代が始まったころの人骨は、朝鮮半島では見つかってないんですけども、それより前の時代や、後の三国時代(184~280年)の骨を調べると、遺伝的に種々さまざまなんです。縄文人そのものみたいな人がいたり、大陸内部から来た人もいたり。遺跡によっても違っていて。
橘 朝鮮半島というのは、ユーラシアの東のデッドエンドみたいなところがありますからね。いろいろなところから人が入ってきて、いわゆる吹きだまりのようになっていた。
篠田 しかもそれが完全には混じり合わない状態が続いていた中で、ある集団が日本に入ってきたんだろうと考えています。
橘 その人たちが初期の弥生人で、北九州で稲作を始めたのが3000年くらい前ということですね。ただ、弥生文化はそれほど急速には広まっていかないですよね。九州辺りにとどまったというか。
篠田 数百年というレベルでいうと、中部地方までは来ますね。東へ進むのは割と早いんです。私たちが分析した弥生人の中で、大陸の遺伝子の要素を最も持っているものは、愛知の遺跡から出土しています。しかもこれは弥生時代の前期の人骨です。だから弥生時代の早い時期にどんどん東に進んだんだと思います。
ただ、九州では南に下りるのがすごく遅いんです。古墳時代まで縄文人的な遺伝子が残っていました。
橘 南九州には縄文人の大きな集団がいて、下りていけなかったということですか。
篠田 その可能性はあります。今、どんなふうに縄文系の人々と渡来した集団が混血していったのかを調べているところです。おそらくその混血は古墳時代まで続くんですけれども。
当時の日本列島は、ある地域には大陸の人そのものみたいな人たちがいて、山間とか離島には、遺伝的には縄文人直系の人がいた。現在の私たちが考える日本とは全然違う世界があったんだろうと思います。平安時代に書かれた文学なんかは、きっとそういう世界を見たと思うんです。
橘 すごくロマンがありますね。
篠田 今の私たちの感覚では、わからないものなのかなと思いますね。
4: LingLing ★ 2022/07/26(火) 23:13:15.55 ID:CAP_USER
● 弥生人の渡来に 中国の動乱が関係?
橘 中国大陸の混乱が、日本列島への渡来に影響したという説がありますよね。3000年前だと、中国は春秋戦国時代(紀元前770~紀元前221年)で、中原(華北地方)の混乱で大きな人の動きが起こり、玉突きのように、朝鮮半島の南端にいた人たちがやむを得ず対馬海峡を渡った。
古墳時代は西晋の崩壊(316年)から五胡十六国時代(439年まで)に相当し、やはり中原の混乱で人々が移動し、北九州への大規模な流入が起きた。こういったことは、可能性としてあるんでしょうか。
篠田 あると思います。これまで骨の形を見ていただけではわからなかったことが、ゲノム解析によって混血の度合いまでわかるようになった。今やっと、そういうことがゲノムで紐解ける時代になったところです。
古墳を見ても、副葬された遺物が当時の朝鮮半島直輸入のものだったり、あるいは明らかに日本で作ったものが副葬されたりしてさまざまです。その違いが埋葬された人の出自に関係しているのか、ゲノムを調べれば解き明かすことができる段階になっています。
橘 イギリスでは王家の墓の古代骨のゲノム解析をやっていて、その結果が大きく報道されていますが、日本の古墳では同じことはできないんですか。
篠田 それをやるには、まず周りを固めることが先かなと思いますね。「ここを調べればここまでわかるんですよ」というのをはっきり明示すれば、やがてできるようになると思います。
● 政治的な思惑で 調査が進まないプロジェクトも
橘 古墳の古代骨のゲノム解析ができれば、「日本人はどこから来たのか」という問いへの決定的な答えが出るかもしれませんね。中国大陸から朝鮮半島経由で人が入ってきたから、日本人は漢字を使うようになった。ただ、やまとことば(現地語)をひらがなで表したように、弥生人が縄文人に置き換わったのではなく、交雑・混血していったという流れなんでしょうか。
篠田 そう考えるのが自然だと思います。弥生時代の初期に朝鮮半島から日本に直接入ってきたんだとしたら、当時の文字が出てきているはずなんです。ところがない。最近は「硯(すずり)があった」という話になっていて、もちろん当時から文字を書ける人がいたのは間違いないんですが、弥生土器に文字は書かれていません。一方で古墳時代には日本で作られた剣や鏡に文字が書かれています。
橘 日本ではなぜ3世紀になるまで文字が普及しなかったのかは、私も不思議だったんです。
篠田 弥生時代の人たちは稲作を行い、あれだけの土器、甕(かめ)なんかも作りましたから、大陸から持ち込んだ技術や知識は絶対にあったはずなので。いったい誰が渡来したのか、その人たちのルーツはどこにあったのかっていうところを解きほぐすことが必要だと思っています。
橘 古墳時代に文字を使うリテラシーの高い人たちが大量に入ってきて、ある種の王朝交代のようなものが起きて、『古事記』や『日本書紀』の世界が展開する。縄文から弥生への二段階説ではなく、縄文・弥生・古墳時代の三段階説ですね。
篠田 そうしたことが、おそらくこれからゲノムで読み取れるんだろうなと思います。
弥生時代、最初に日本に入ってきた人というのは、現在の我々とは相当違う人だったというのが現在の予想です。それを知るには当時の朝鮮半島の状況、弥生時代の初期から古墳時代にかけてどうなっていたのか、人がどう動いたのかをちゃんと調べる必要があるんですが、難しいんですよ。いろいろと政治的な問題もあって。
橘 国家や民族のアイデンティティーに絡んできますからね。
篠田 現地の研究者との間では「この人骨を分析しましょう」という話になるんですけれども、上からOKが出ないわけです。「今この人骨を渡すのは困る」と。それでポシャったプロジェクトがいくつかあって。なかなか進まないんです。
橘 政治の壁を突破して、ぜひ調べていただきたいです。朝鮮半島は「吹きだまり」と言いましたが、日本こそユーラシア大陸の東端の島で、北、西、南などあらゆる方向から人々が流れ着いてきた吹きだまりですから、自分たちの祖先がどんな旅をしてきたのかはみんな知りたいですよね。
篠田 ここから東には逃げるところがないですからね。
次に「日本人の起源」というテーマで本を書くのであれば、5000年前の西遼河流域から始めようと思っているんです。
朝鮮半島で何が起こったかわからないので今は書けないんですけれども、そこでインタラクション(相互の作用)があって、今の私たちが出来上がったんだというのがおそらく正しい書き方だと思うんですよね。
橘 それは楽しみです。ぜひ書いてください。
橘 中国大陸の混乱が、日本列島への渡来に影響したという説がありますよね。3000年前だと、中国は春秋戦国時代(紀元前770~紀元前221年)で、中原(華北地方)の混乱で大きな人の動きが起こり、玉突きのように、朝鮮半島の南端にいた人たちがやむを得ず対馬海峡を渡った。
古墳時代は西晋の崩壊(316年)から五胡十六国時代(439年まで)に相当し、やはり中原の混乱で人々が移動し、北九州への大規模な流入が起きた。こういったことは、可能性としてあるんでしょうか。
篠田 あると思います。これまで骨の形を見ていただけではわからなかったことが、ゲノム解析によって混血の度合いまでわかるようになった。今やっと、そういうことがゲノムで紐解ける時代になったところです。
古墳を見ても、副葬された遺物が当時の朝鮮半島直輸入のものだったり、あるいは明らかに日本で作ったものが副葬されたりしてさまざまです。その違いが埋葬された人の出自に関係しているのか、ゲノムを調べれば解き明かすことができる段階になっています。
橘 イギリスでは王家の墓の古代骨のゲノム解析をやっていて、その結果が大きく報道されていますが、日本の古墳では同じことはできないんですか。
篠田 それをやるには、まず周りを固めることが先かなと思いますね。「ここを調べればここまでわかるんですよ」というのをはっきり明示すれば、やがてできるようになると思います。
● 政治的な思惑で 調査が進まないプロジェクトも
橘 古墳の古代骨のゲノム解析ができれば、「日本人はどこから来たのか」という問いへの決定的な答えが出るかもしれませんね。中国大陸から朝鮮半島経由で人が入ってきたから、日本人は漢字を使うようになった。ただ、やまとことば(現地語)をひらがなで表したように、弥生人が縄文人に置き換わったのではなく、交雑・混血していったという流れなんでしょうか。
篠田 そう考えるのが自然だと思います。弥生時代の初期に朝鮮半島から日本に直接入ってきたんだとしたら、当時の文字が出てきているはずなんです。ところがない。最近は「硯(すずり)があった」という話になっていて、もちろん当時から文字を書ける人がいたのは間違いないんですが、弥生土器に文字は書かれていません。一方で古墳時代には日本で作られた剣や鏡に文字が書かれています。
橘 日本ではなぜ3世紀になるまで文字が普及しなかったのかは、私も不思議だったんです。
篠田 弥生時代の人たちは稲作を行い、あれだけの土器、甕(かめ)なんかも作りましたから、大陸から持ち込んだ技術や知識は絶対にあったはずなので。いったい誰が渡来したのか、その人たちのルーツはどこにあったのかっていうところを解きほぐすことが必要だと思っています。
橘 古墳時代に文字を使うリテラシーの高い人たちが大量に入ってきて、ある種の王朝交代のようなものが起きて、『古事記』や『日本書紀』の世界が展開する。縄文から弥生への二段階説ではなく、縄文・弥生・古墳時代の三段階説ですね。
篠田 そうしたことが、おそらくこれからゲノムで読み取れるんだろうなと思います。
弥生時代、最初に日本に入ってきた人というのは、現在の我々とは相当違う人だったというのが現在の予想です。それを知るには当時の朝鮮半島の状況、弥生時代の初期から古墳時代にかけてどうなっていたのか、人がどう動いたのかをちゃんと調べる必要があるんですが、難しいんですよ。いろいろと政治的な問題もあって。
橘 国家や民族のアイデンティティーに絡んできますからね。
篠田 現地の研究者との間では「この人骨を分析しましょう」という話になるんですけれども、上からOKが出ないわけです。「今この人骨を渡すのは困る」と。それでポシャったプロジェクトがいくつかあって。なかなか進まないんです。
橘 政治の壁を突破して、ぜひ調べていただきたいです。朝鮮半島は「吹きだまり」と言いましたが、日本こそユーラシア大陸の東端の島で、北、西、南などあらゆる方向から人々が流れ着いてきた吹きだまりですから、自分たちの祖先がどんな旅をしてきたのかはみんな知りたいですよね。
篠田 ここから東には逃げるところがないですからね。
次に「日本人の起源」というテーマで本を書くのであれば、5000年前の西遼河流域から始めようと思っているんです。
朝鮮半島で何が起こったかわからないので今は書けないんですけれども、そこでインタラクション(相互の作用)があって、今の私たちが出来上がったんだというのがおそらく正しい書き方だと思うんですよね。
橘 それは楽しみです。ぜひ書いてください。
7: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:19:27.66 ID:FjqPTA1u
縄文人とか弥生人とかいうカテ分けがもう前世紀的な腐った民族(笑)概念のタマモノな訳で、
そこからいかに脱却するかが、本当に重要な今日的な課題なんよ。
縄文顔とか弥生顔みたいな煽り記事はマジで有害な洗脳コンテンツだから注意よ。
そこからいかに脱却するかが、本当に重要な今日的な課題なんよ。
縄文顔とか弥生顔みたいな煽り記事はマジで有害な洗脳コンテンツだから注意よ。
9: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:22:32.50 ID:a0VAPTRs
中国東北部~北朝鮮経由で稲が伝わったとは考えにくい気がするが
26: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:39:28.02 ID:SCdMlNqR
>>9
稲は高温多雨が適してるからね
北上して南下するかなと
稲は高温多雨が適してるからね
北上して南下するかなと
18: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:31:38.25 ID:opvgBabR
自説に都合のよい結果だけ見てるとこんな論説が出てくるね
稲作が朝鮮半島経由だとしたら現在より相当気温が高いはず。
稲作が朝鮮半島経由だとしたら現在より相当気温が高いはず。
20: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:35:31.65 ID:XKK3SDuS
つかこの手の大きな仮説立てるのにゲノムの結果しか参考にしてない時点でそりゃ間違いしかでないよね、って
雑穀農耕とか書いてるが、長らく縄文人は農耕しないのに人だけ増えてるのが謎で近頃ようやく解析されたって話なのに
雑穀農耕の民が環境変わって農耕できなくなったら衰退しかないやろw
雑穀農耕とか書いてるが、長らく縄文人は農耕しないのに人だけ増えてるのが謎で近頃ようやく解析されたって話なのに
雑穀農耕の民が環境変わって農耕できなくなったら衰退しかないやろw
28: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:40:36.17 ID:ESmRSvvJ
>そのころは中国大陸の海岸線が今より広がっていて、朝鮮半島も台湾も大陸の一部でした。
なら、ありもしなかった朝鮮半島を何故経由してるん?
なら、ありもしなかった朝鮮半島を何故経由してるん?
30: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:42:35.52 ID:r4P6hOHs
またいつもの篠田謙一かw
こいつ韓国の古代DNAがわかってないのに半島から来たと言い続けてるパヨクだからな
2019年3月『新版 日本人になった祖先たち』
『SNPを用いた主成分分析の図(図4)で興味深いのは、韓国の現代人がちょうど、日本と北京の中国人の中間に位置していることです。
これは朝鮮半島集団の基層にも、縄文につながる人たちの遺伝子があることを意味しています。
縄文人が朝鮮半島まで分布していたと考えることもできますが、
初期拡散で大陸沿岸を北上したグループの遺伝子が朝鮮半島にも残っていたと考えることもできます。
最近では韓国でも古代DNA分析が始まっているようですので、縄文相当期の韓国の古代ゲノムが明らかになれば、
両者を直接比較することでこの問題を解決することができるでしょう。』
こいつ韓国の古代DNAがわかってないのに半島から来たと言い続けてるパヨクだからな
2019年3月『新版 日本人になった祖先たち』
『SNPを用いた主成分分析の図(図4)で興味深いのは、韓国の現代人がちょうど、日本と北京の中国人の中間に位置していることです。
これは朝鮮半島集団の基層にも、縄文につながる人たちの遺伝子があることを意味しています。
縄文人が朝鮮半島まで分布していたと考えることもできますが、
初期拡散で大陸沿岸を北上したグループの遺伝子が朝鮮半島にも残っていたと考えることもできます。
最近では韓国でも古代DNA分析が始まっているようですので、縄文相当期の韓国の古代ゲノムが明らかになれば、
両者を直接比較することでこの問題を解決することができるでしょう。』
40: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/27(水) 00:02:46.44 ID:sMTMiB7a
>>30
朝鮮が日本と同根じゃないと困るんだべな
それこそイデオロギー抜きで検証して欲しいわ
朝鮮が日本と同根じゃないと困るんだべな
それこそイデオロギー抜きで検証して欲しいわ
31: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:44:43.47 ID:XKK3SDuS
結論ありきで解析するタイプだな
38: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/26(火) 23:58:16.67 ID:TDkAj1fN
弥生=稲作開始って前提は昭和の終わりごろにはもう崩れていたと思う
42: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/27(水) 00:04:39.73 ID:w7AiNy7S
韓国人学者「縄文は日本から来た」
「伽耶時代の人々の間に見られる遺伝的多様性は、少なくとも2つのシナリオで説明することができる。
1つは、朝鮮半島の南東部の海岸線には、土器や黒曜石の矢じりなどの遺物によって、縄文人が存在したことを示すいくつかの証拠が残っている。
黒曜石は日本の九州から輸入されたものとされているが(43)、このような証拠は新石器時代(紀元前10000~1500年)のものであり、かなり遠い歴史である。
このシナリオでは、今回のサンプルより8世代前の混血イベントのDATESの結果が報告されているが、
この希釈をもたらした混血と関連づけることも可能であろう。
第2のシナリオは、伽耶時代の人口が多様で、日本との激しい交易やつながりに関連して、ある程度の国際性が優勢だったというものである。
人類の移動と混血は、これらの地域の交易ネットワークや地理的集団間のつながりと密接な関係がある。
この地域に縄文的な集団と非縄文的な集団が明確に存在していたと仮定すれば、
縄文成分との混血は伽耶の統治時代と重なる200CE前後に起こった可能性がある。」
https://nazology.net/archives/110991
韓国の学者の方がパヨク日本学者より賢いじゃん
「伽耶時代の人々の間に見られる遺伝的多様性は、少なくとも2つのシナリオで説明することができる。
1つは、朝鮮半島の南東部の海岸線には、土器や黒曜石の矢じりなどの遺物によって、縄文人が存在したことを示すいくつかの証拠が残っている。
黒曜石は日本の九州から輸入されたものとされているが(43)、このような証拠は新石器時代(紀元前10000~1500年)のものであり、かなり遠い歴史である。
このシナリオでは、今回のサンプルより8世代前の混血イベントのDATESの結果が報告されているが、
この希釈をもたらした混血と関連づけることも可能であろう。
第2のシナリオは、伽耶時代の人口が多様で、日本との激しい交易やつながりに関連して、ある程度の国際性が優勢だったというものである。
人類の移動と混血は、これらの地域の交易ネットワークや地理的集団間のつながりと密接な関係がある。
この地域に縄文的な集団と非縄文的な集団が明確に存在していたと仮定すれば、
縄文成分との混血は伽耶の統治時代と重なる200CE前後に起こった可能性がある。」
https://nazology.net/archives/110991
韓国の学者の方がパヨク日本学者より賢いじゃん
43: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/27(水) 00:07:47.68 ID:6mfezIzy
縄文末は寒冷化していた時期だから、当時の技術では中国北部~朝鮮半島北部は稲作不能
とすると、中国南部から九州、朝鮮半島南部に稲作を伝えたとした方が自然
朝鮮半島南西部は倭人の勢力圏だったこととも整合性がある
とすると、中国南部から九州、朝鮮半島南部に稲作を伝えたとした方が自然
朝鮮半島南西部は倭人の勢力圏だったこととも整合性がある
50: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2022/07/27(水) 00:32:26.56 ID:1BHjl3tL
弥生人が元々は中国東北部に居た北方言語集団と
関係してるのは当然で、それが半島に南下し、
そこに海を渡って大量に移住してきたスンダランド人が
混血して南方語彙を持ち込んで日本語ができた。
関係してるのは当然で、それが半島に南下し、
そこに海を渡って大量に移住してきたスンダランド人が
混血して南方語彙を持ち込んで日本語ができた。
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コメント
蝦夷アイヌは、10世紀までに滅んだ蝦夷(エミシ=匈奴系騎馬民族)の後に北海道に南下してきた民族。
縄文人とは関係ない。
海面が低く「朝鮮半島が存在しない時期」に大陸から移動してきたことを、頑なに「朝鮮半島を経由して」と表現するのは、何か約束でもあるのかな? ってこと。
あいつらのルーツはエベンキモンゴルで、顔立ちも体型も肌質も髪質も
日本人とは全く違う。だがカスのくせに良いものばかり好む韓国人は、
日本人の能力の高さに背乗りしたいので日本人のルーツは自分らだったと主張する。
中国としてはここらへんに住んでた古代人をウラル系民族だけじゃなく、日本から北ヨーロッパまで分布するアジア住民のルーツであるとしたいようだ。
有名な東北工程とのからみもあり、韓国とは揉めてる。
「朝鮮半島を経由して」と表現するのは、何か約束でもあるのかな? ってこと。
これには同意。
あの辺はどうせコメには向かない、漁労もない。
三国志の孫権が金髪碧眼だったとか、孔明の妻が縮れっ毛だったように残ってる。
フィンランドがヨーロッパの日本と言われてるんだそうだ。
顔つきもアジア美人みたいな人がいたりする。
「朝鮮半島を経由して」と表現するのは、何か約束でもあるのかな? ってこと。
これには同意。
あの辺はどうせコメには向かない、漁労もない。
三国志の孫権が金髪碧眼だったとか、孔明の妻が縮れっ毛だったように残ってる。
フィンランドがヨーロッパの日本と言われてるんだそうだ。
顔つきもアジア美人みたいな人がいたりする。
男は殺されるが女は飼われて生き延びる。そのせいらしいのだな。
なお、顔と頭の中身は同じではないから注意。
男は殺されるが女は飼われて生き延びる。そのせいらしいのだな。
なお、顔と頭の中身は同じではないから注意。
みたいなルーツがありそうだが。
みたいなルーツがありそうだが。
神話ではギリシャ神話に類似の話が。
しかし言語系ではインドスリランカ方面の一部。
DNAT駅にはチベット。
食文化は漁労一択で、牧畜畜産酪農はなし。
韓国はDNA以外には出せるものがない。
歴史抹殺したせいもあるのか?記録抹殺したのでは。
あるいは文盲ばかりだったか?
ナショナル・ジオグラフィックではいくらでも読めるのに、
アメブロでは禁止タグになるのだな。
インドネシア経由の南方説は出したくないんだろうな。
半島経由勢にとっては。
沖縄発掘もニュースになりにくい。
例の自称mtPだろうなあ(※当然mtP系さんとは別人です)
この人は、正確に把握するなら元ジャワ原人さん。特亜はここで
エスキモーさんが引き上げてくれた。ここまでは話も分かるし良い方
だけど自称mtPさんは白人のプールに居ない。だから旧人期のKÖ解析が問題
ここにイスラエルやアラブが出す、ネシェル・ラムラの東欧合流問題が絡む
別にこれはNOさんの事じゃない。エレクトスさんでも無い。もっと古い「男性」の話
たぶんロシアが負けた辺りで、モンゴル系とタタール系は…怖い事起きそう
火病という世界にない症状もある。
鼻の下伸ばして近づく奴には、将来の罠が待つ。
冬ソナくらいに「子供は作らない」と決めとけばいい。
性病を除けば恋愛だけなら自由になる。
デニソワならKÖさんを連れていたかもね。でも今はいないんだ
なにしろそのデニソワの遺伝子を、今一番持つのがメラネシアさんで
メラネシアさんはM-M5系なんだけど、ここでmtM1系がソマリさん
だから原人様に土下座して、デニソワ超えてネアンデルタール人まで来た
速く人間になりたいから。スッキリする人はするネタなのかもしれない
まあ、ニダーは黒人黒人と罵倒するけど、背乗りされるよりずっとマシ
東南アジアの7200年前の遺骨から、既知の人類とは一致しないDNAを検出
それ普通に欧米が表記してるよ。まあ絶滅人類と向こうも言ってるが
30~7万年前中東ホミニン本人よりはマシ。別種人類は既に滅びた現代社会
ただ特亜は「Oは良いのに」XとかVとか、妙に古い部族いでん子持ち
どうもこれが欧米的なモンチー。「僕インド人」とか言ってる場合じゃない半島
あと、弥生人は長江流域で文明を気づいた人とパプログループが同じって研究結果だったよね。米の稲の遺伝子も長江流域のモノと一致してる。そもそも、コメは亜熱帯の食物なので寒い北から半島を経由して伝わるとか不自然すぎるというかアホすぎる。
このインダスさんやテュルクさんとかの、押し下げが唐代
問題は…ニダーもだけどモンゴルも元が北の方で、要は外人さんを追い払っちゃった方
欧米の資料の方はもっと突き詰めて「特亜は東アフリカの方じゃない」別系統表記
かと言って混ざりに行っても、だから自称mtPさん問題になると言う…
合流があった表記側はそんな問題ないので、北でもエスキモーさんはmtMも連れてる方
つまり弥生さんのご先祖(O1-27z)やエスキモーさんは、人種の壁はさほどじゃない
逆言うと合流組の、弥生祖先さんが古代中華人とも言うんだろう
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