かたすみ速報

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    タグ:カトリック

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    1: Toy Soldiers ★ 2021/02/15(月) 08:16:01.05 ID:155ciml19
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    ヨーロッパ、中南米……こんなところに日本人奴隷
    ――日本人奴隷の流通は、どのくらい規模だったのでしょうか?

    岡 増補新版で新しく加えた部分で示した、イエズス会の宣教師ガスパール・コエーリョの1587年の書簡によると、1隻の船で毎年平均して1000人以上の奴隷がマカオに運ばれていった、との記述があります。
    ただ、ポルトガル船は年に1隻しか来ていないわけではなく、時代によってはカピタン・モールと呼ばれるポルトガルの役職者(役人)が船長として動かしている大きな船が来ていたり、それ以外にもプライベートトレーダーがジャンク船でやって来たりしています。

    「この年に何隻マカオから日本に来た」といった研究は、私貿易船のデータがわからないので限界がありますが、最低1隻の大型船で1000人くらい、つまり10年なら1万人ですから、多くの人が想像しているよりも日本人奴隷はたくさんいたといえるのではないでしょうか。
    大坂の陣(1614~15年)の後にマニラの日本人人口が2000人以上になっているという記述も史料に見られますが、これは日本人が奴隷や傭兵として海外流出した影響だろうと思われます。

    ――日本人奴隷の地理的な広がりについては、本によれば東南アジアはもちろん、そこからさらに南アジア、ヨーロッパ、中南米にまで及んでいたと。

    岡 1年に1000人以上という規模で出て行った日本人が、ポルトガルの拠点であったマニラやマカオで終わらず、その先まで行くのは当たり前ですよね。
    「スペインに滞在した慶長遣欧使節団(1613年)の末裔がいる」と謳っているスペイン・セビリア近郊の通称「ハポン村」(「ハポン」は「日本人」の意で、この村では名字がハポンの人が今も多い)、コリア・デル・リオの話が有名ですが、
    実際にはそれだけ日本人が海外に出ていたわけですから、誰の子孫でも――奴隷の子孫という可能性も――十分あり得ます。ハポンさんの話だけが日本では知られているけれども、同じような話は世界中にあります。

     例えば、ポルトガルの田舎の村に「この人の祖母は日本人」と書かれている戸籍があったり。『世界の村で発見!こんなところに日本人』(テレビ朝日系)というテレビ番組がありますが、その現象は16世紀にはすでに起こっていたんです。

     ただ、朱印船貿易時代(1604~35年)に日本を出て行った貧しい出自の少年が、ヨーロッパの30年戦争(1618~48年)で傭兵として武勲を立てる『イサック』(原作:真刈信二、漫画:DOUBLE-S)という冒険活劇のマンガがありますが、
    そういう活躍をしてシャム(現在のタイ)の山田長政みたいに海外で一国の主になれた存在は数万人にひとりです。ほかの圧倒的多数は後の世で名前も知られることなく、奴隷として使役されて死んでいきました。

    ――奴隷の用途は傭兵や船員、女性なら妾とさまざまだったそうですが、流通価格はアフリカ系のほうが日本人より高かったと。値段は何で決まっていたんですか?

    岡 それは用途によりますよね。売春させるなら美しいほうがいいし、傭兵なら武術や体格。すべての品物に高級品から汎用品まであり、それぞれ相応の値段が付いているのと同じで、奴隷もランク付けがされていました。
    今回の増補新版では長崎でのアフリカ人奴隷取引についても書いていますが、アフリカ系の人の価値が高かった理由としては、例えば戦国時代にポルトガル人がアフリカから日本に連れてきて信長が従えていた弥助の存在がありますよね。
    信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています。あるいは、中国の史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。ですから、実用的な屈強さを求めただけでなく、そういう人間を自分の近くに置くことで「こんなに強いヤツを従えているんだ」という格付けに役立つと考えた、イメージ戦略の部分もあったと思います。

    (略)

    サイゾー
    https://www.cyzo.com/2021/02/post_268095_entry.html

    【【キリスト教】ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー 】の続きを読む

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    1: nita ★ 2018/05/19(土) 15:29:00.18 ID:CAP_USER9
    【5月19日 AFP】チリのカトリック教会の司教ら34人が18日、同国でのカトリック聖職者らによる児童性的虐待スキャンダルを受けて辞任する意向を明らかにした。フランシスコ法王(Pope Francis)時代のローマ・カトリック教会はこの問題でたびたび揺れているが、司教の代表団全員が大量に辞任するのは過去2世紀ではおそらく初。

     チリの聖職者による児童性的虐待の告発を受け、フランシスコ法王は同国の司教らをローマ法王庁(バチカン)に招集し、3日間の集中的な協議を行った。その後、同司教らは驚くべき声明を発表。

    「ローマにいるわれわれ全員は、各人の処遇を委ねるため、法王に辞任を申し出た」ことを明らかにし、「われわれが犯した深刻な誤りと怠慢によって、性的虐待の被害者、法王、神の民、そしてわが国チリに苦痛を与えたことを深くおわびする」と述べた。

     チリのカトリック教会の高位聖職にある数人は、1980年代と90年代に小児愛者のフェルナンド・カラディマ(Fernando Karadima)神父による児童性的虐待の被害者らから、虐待の事実を黙殺して隠蔽(いんぺい)を図ったとして告発されている。

     フランシスコ法王は17日、チリの司教らへの短い声明文の中で「正義を取り戻す」ために同国のカトリック教会への「改革」を約束したことを発表した。

     だが、チリのテレビ局「T13」が18日に暴露した、協議の最初にチリの司教らに手渡された10ページの極秘文書の中では法王はさらに踏み込んだ言及をしている。

     同文書は、「犯罪」と「未成年者に対するつらく恥ずべき性的虐待、権力乱用、聖職者らの善悪の観念について喚起。さらに、一定の司教を解任する措置は必要ではあるが「不十分」であるとし、チリのカトリック教会の「エリート主義者と権威主義者」の中でこうした性的虐待を許容した「根源」を調査するよう要請している。

    2018年5月19日 12:31 発信地:バチカン市国
    AFP
    http://www.afpbb.com/articles/-/3175209?act=all


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