かたすみ速報

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    タグ:ソ連

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    1: 樽悶 ★ 2020/09/15(火) 23:15:40.81 ID:iJeGh7BH9
    第五方面軍司令官として北海道防衛の策を練る樋口季一郎(樋口隆一氏提供)
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    樋口季一郎中将の記念館を見学する孫の樋口隆一氏(右)ら親族=15日、北海道石狩市の同館(寺田理恵撮影)
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     ナチスの迫害から多くのユダヤ人を救出した旧陸軍の樋口季一郎中将(1888~1970年)の功績を伝える記念館が15日、北海道石狩市・五の沢地区に開館した。戦後75年を経て足跡を知る人が少なくなっており、運営法人の三上武樹理事長(57)は「功績を世界に発信したい。記念館があること自体が発信になる」と話している。

     樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスに追われソ連・満州国境に逃れてきたユダヤ難民を満州国に受け入れ、脱出ルートを開いた。救出した人数は2万人など諸説がある。

     多くのユダヤ人を救った外交官の杉原千畝(ちうね)氏になぞらえ、「もう一人の杉原」と呼ばれる。

     また、先の大戦の終戦当時、千島列島のシュムシュ島(占守島)や樺太での旧ソ連軍との自衛戦闘を司令官として指揮し、「北海道への侵攻を阻止した」との再評価が進んでいる。

     記念館の名称は「偉大なる人道主義者 樋口季一郎記念館」。古民家の蔵を改修し、北海道防衛策を練った机や北海道小樽市で新たに見つかった資料など約20点を展示している。23日から一般公開される。

     15日の開館式には、樋口中将の親族や石狩市の加藤龍幸市長ら約30人が出席した。孫の樋口隆一・明治学院大名誉教授(74)は「祖父は『人として当たり前のことをした』と言っていた。北海道防衛では周到に準備したにもかかわらず、数多くの犠牲者を出さざるを得なかったことは忘れてはいけない」とあいさつの言葉を述べた。

    9/15(火) 20:45配信 ヤフーニュース
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200915-00000620-san-hok

    【【北海道】もう一人の杉原千畝、樋口季一郎中将の記念館開館 「ナチスの迫害から多くのユダヤ人を救出」「旧ソ連の北海道への侵攻阻止」】の続きを読む

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    1: 蚤の市 ★ 2020/09/15(火) 15:45:51.43 ID:ZBAXR54I9

    nomonhan
     第2次世界大戦は、欧州ではなく極東アジア・モンゴルの草原で始まった――。日本と旧ソ連が衝突した1939年の“ノモンハン事件”について、こうした新たな見方が欧米で広がりつつある。歴史家らは、そこにソ連の独裁者、スターリンの思惑を見る。

     「ノモンハン事件は、規模としては主要な戦いとは言えない。しかしその影響は絶大だった」

     こう指摘する英国の著名な歴史作家、アントニー・ビーヴァー氏は、文筆活動の集大成といえる第2次大戦の通史を、ノモンハン事件から書き起こした。「それは、ユーラシア大陸の東と西を初めて結びつけた戦いだった。そして欧州戦線の分岐点となった独ソ戦の行方も左右した」と語る。

     モンゴル東部を流れるハルハ河の一帯には、80年余が過ぎた今も“大戦の発火点”と呼ぶべき跡が生々しく残されている。

     規則正しく並ぶ円形の壕(ごう)は、39年8月20日早朝、ソ連軍が日本の関東軍に総攻撃を仕掛ける際に物資を蓄えた拠点の跡だ。国境に近いこの周辺は現在も航空機の接近が禁じられているが、一帯の戦跡を継続的に調べている「ノモンハン事件日蒙共同調査団」(岡崎久弥団長)に対して2019年、ドローンによる撮影が認められた。

     欧州では当時、ポーランドに領土の割譲を求めるドイツのヒトラーと、対抗する英仏とが、それぞれソ連を味方にしようと激しい外交戦を繰り広げていた。その矢先、関東軍は東京・参謀本部の制止を振り切り、満州国軍警備隊とモンゴル軍騎兵部隊の国境をめぐる小競り合いを、モンゴルに駐留するソ連・機械化部隊との局地戦に広げた。

     スターリンは、欧州の戦乱から自国を当面は局外に置くためドイツと手を結ぶ一方、“背後の敵”日本をたたく決断を下す。それによりドイツは英仏と戦い、ソ連はドイツと日本からの挟み撃ちを回避できるという思惑に基づいていた。

     ソ連・モンゴル連合軍の司令官はゲオルギー・ジューコフ将軍。スターリンの指令を受け、周到な準備のもとで日本軍と満州国軍を圧倒的な物量で包囲し、壊滅的な打撃を加えた。1939年8月20日の総攻撃は2日間で大勢が決する。同23日に独ソは不可侵条約を締結。これには両国でポーランドを分割する密約があった。

     そしてドイツは9月1日、ポーランドへ侵攻。これが一般的な第2次大戦の始まりとされるが、ノモンハン事件はそこに至るまでの“流れ”の中にある。英仏は同3日、ドイツに宣戦布告。一方、ソ連もノモンハンで16日に日本と停戦を成立させると、17日にポーランドへ侵攻した。

     後に独ソ戦を勝利に導いて英雄となるジューコフが、最初に指揮した大規模な戦闘がノモンハン事件だった。8月20日の関東軍総攻撃の作戦図は、スターリングラード攻防戦で彼がドイツ軍を包囲・殲滅(せんめつ)した“天王星作戦”と酷似する。

     米国の歴史研究者で「ノモンハン 1939」の著者、スチュアート・ゴールドマン氏は「『第2次大戦の起源』という複雑なジグソーパズルで、ノモンハン事件は小さくはあるが、大切なピース。そのピースをはめると、全体の図柄が非常にわかりやすく見えてくる」と評した。


     関東軍はそうと知らずに第2次大戦のスイッチを押してしまったのか――。この問いにゴールドマン氏は「その通り」と答えた。「彼らは、4千マイルも離れた欧州の外交と自分たちがモンゴル国境でやっていることに関連があるとは思いもしなかったでしょう。しかし結果は重大でした」(天野みすず、編集委員・永井靖二)

    朝日新聞 2020年9月15日 15時00分
    https://www.asahi.com/articles/ASN9H2DZ2N99PLZU001.html

    【【朝日新聞】ノモンハン事件、第2次大戦の「着火点」 欧米に新視点】の続きを読む

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    1: 記憶たどり。 ★ 2020/08/13(木) 21:42:08.85 ID:r6eujXje9

    ロシア中央銀行は11日、旧ソ連軍による1945年のクリール諸島(北方領土と千島列島) 上陸作戦を記念する5ルーブル(約7円)硬貨を12日に発行すると発表した。

    ロシアの前身であるソ連は45年8月に日ソ中立条約を破って対日参戦。
    日本のポツダム宣言受諾後に千島列島に侵攻し、北方領土を占領した。
    記念硬貨発行は侵攻を正当化しており、日本側の反発を招きそうだ。

    硬貨には極東カムチャツカ半島にある「クリール諸島の解放者」として
    ソ連兵をたたえる記念碑が描かれた。発行枚数は200万枚。 


    ロシア中銀が発行する旧ソ連軍のクリール諸島上陸作戦に関する記念硬貨(ロシア中銀提供)
    rocoin


    ヤフーニュース
    https://news.yahoo.co.jp/articles/46e5a583512feb4c0028f1bece56920d040284e8 

    【【解放でなく占領】ソ連の千島列島侵攻で記念硬貨200万枚を発行。「クリール諸島の解放者」としてソ連兵を称える記念碑描く。ロシア中銀】の続きを読む

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    1: 朝一から閉店までφ ★ 2020/06/05(金) 00:37:37.10 ID:Czr5eW8J9
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    2020年06月03日 13時53分

     第二次世界大戦中、旧ソ連の駐ウラジオストク総領事代理を務めた根井三郎さん(一九〇二~九二年)が、ナチスドイツの迫害から逃れたユダヤ人難民に発給した日本通過ビザが初めて発見された。
    根井さんが独断でビザを発給したとの証言記録は二〇一七年にロシアで見つかっており、この調査に携わった大学教授は「証言を裏付ける重要な資料」とみる。
    ユダヤ人難民を救った「命のビザ」は駐リトアニア領事代理の杉原千畝(ちうね)が有名だが、「根井ビザ」の発見者は「陰の功労者にも光を当ててほしい」と話している。 (高野正憲)

    (略)

    東京新聞
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/33038

    【【他にもいた】杉原千畝の他にも「命のビザ」 ユダヤ難民に日本人外交官 現物見つかる】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2019/09/04(水) 23:01:01.28 ID:CAP_USER
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    【ウラジオストク=小野田雄一】1939年にモンゴル国境付近で旧ソ連軍と日本の関東軍が衝突したノモンハン事件から80年となったのに合わせ、ロシアのプーチン大統領は3日、モンゴルの首都ウランバートルを訪問し、同国のバトトルガ大統領と会談した。プーチン氏は会談後の記者会見で「ソ連軍とモンゴル軍は80年前、肩を並べて戦い、侵略者に手痛い反撃を与えた」と指摘。事件を日本による侵略とした上で、ロシアとモンゴルの共闘と友好関係を誇示した。

     近年のプーチン政権は、第二次大戦での対ドイツ戦と日ソ中立条約を破っての対日参戦を「ナチズムとの戦い」と一くくりにし、北方領土占拠の正当化を図る傾向を強めている。

     5日に露極東ウラジオストクで安倍晋三首相との日露首脳会談を控え、プーチン氏には、ノモンハン事件を日本による一方的な侵略と位置付けることで日本を牽制(けんせい)する狙いがありそうだ。

     露メディアによると、両首脳はウランバートルの宮殿内に設けられたモンゴルの伝統的な天幕家屋で会談した。

    モンゴルではノモンハン事件について「(モンゴルは)日ソ両国の犠牲になった」との解釈もあるが、プーチン氏は「ハルハ河会戦(事件の露側呼称)がソ連とモンゴルを結びつけた」と力説した。バトトルガ氏も「両国の友情の下でモンゴルの独立と主権を守った勝利は神聖なものだ。80年の節目にプーチン氏と会えたことは非常に喜ばしい」と述べた。

     両首脳は3日、恒久的な友好協力関係をうたった新たな基本条約に署名した。



    ■ノモンハン事件

     1939年5月、モンゴル国境付近で、旧ソ連の影響下にあったモンゴルと、日本の傀儡(かいらい)だった旧満州国の国境をめぐって起きた大規模戦闘。日本の関東軍は大本営の戦闘不拡大方針に反して攻勢をかけたが、モンゴルを支援したソ連軍の総攻撃を前に大敗を喫した。9月15日の停戦成立までに計4万人を超す死者が出たとされる。事件を機に日本では対ソ開戦論が後退し「南進論」が優勢になった。

    産経ニュース 2019.9.3 22:51
    https://www.sankei.com/world/news/190903/wor1909030025-n1.html


    【【プーチン大統領】モンゴルと対日共闘を誇示 ノモンハン事件80年】の続きを読む

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    1: 記憶たどり。 ★ 2019/01/13(日) 10:02:06.95 ID:zLoQCHEp9

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    ロシア国防省は12日までに、第2次世界大戦中に旧ソ連の主力戦車として投入された「T34」型戦車の30両が東南アジアのラオスからロシア極東部のウラジオストクに到着したと発表した。

    近くモスクワへ移送される予定。同型戦車は1940年に旧ソ連軍に初めて引き渡されていた。
    最近までラオス軍では実戦配備されていた。

    ロシア国防省によると、ラオスからの今回の引き取りはロシア各都市で予定される「戦勝記念パレード」に登場させるのが目的。
    この他、博物館での展示品の一新や「大祖国戦争」に関する映画製作にも使われるとした。

    軍事専門サイト「militaryfactory.com」は、T34中型戦車の一連のモデルほど第2次世界大戦を行方を決めた戦車はないとした。
    2次大戦終結前まで約5万7000両が製造された。製造は冷戦時代にも続き、合計8万両以上となった。数千両が輸出に向けられたという。

    旧ソ連やロシアはその後、新型戦車も開発していたが、T34はロシア国民に強烈な印象を与えた戦車とされている。
    今回、ラオスから取り戻したのもその人気にあやかり、国威発揚を狙ったものとの指摘もある。

    ロシアでは最近、旧ソ連軍兵士とT34を題材にした映画「T34」が公開され、興行成績で新記録を打ち立てていた。

    CNN
    https://www.cnn.co.jp/world/35131210.html

    【【おそ露】ロシア、旧ソ連時代の主力「T34」型戦車30輌をラオスから回収。「戦勝記念パレード」に登場させ国威発揚を狙う目的 】の続きを読む

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    1: ばーど ★ 2019/01/11(金) 09:33:25.20 ID:gntmZylo9
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    【1月10日 AFP】ロシアの歴史学者と考古学者のチームが、ナチス・ドイツ(Nazi)の爆撃機パイロットが撮影した写真を手掛かりに、旧ソ連時代に独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)の秘密警察によって射殺された人々の遺体が大量に埋められた場所を特定した。

     モスクワ南西部コムナルカ(Kommunarka)地区にある遺体の大量埋葬地の存在が初めて公になったのは、旧ソ連崩壊の直前、ソ連国家保安委員会(KGB)が文書記録を公開したときだった。そこは、スターリンの秘密警察だった内務人民委員部(NKVD)が、1930年代にモスクワで使用していた3か所の処刑場の一つだった。

     歴史学者らは、1937~41年の間に少なくとも6609人が射殺され、コムナルカの集団埋葬地に遺体が埋められたと考えている。

     周囲から区切られたこの地域の森林はかつて、NKVD長官だったゲンリフ・ヤゴーダ(Genrikh Yagoda)氏が別荘地として使っていた。だがヤゴーダ氏自身もスターリン政権と衝突し、1936年に解任、38年に射殺された。その遺体もコムナルカに遺棄された可能性が高い。

     最近まで、遺体の大量埋葬地は、犠牲者の遺族が追悼碑を建てた森林内の一画にあると考えられていた。だが、歴史学者らは現在、埋葬場所は誤認されていたと考えている。

     グラグ(Gulag)と呼ばれる強制労働収容所の歴史を扱う「グラグ歴史博物館(Gulag History Museum)」の館長で、今回の調査を共同で指揮したロマン・ロマノフ(Roman Romanov)氏によると、コムナルカに関する本格的な考古学調査はこれまで全く行われたことがなかった。「(コムナルカには)何もなかった。みんながキノコ採りをするくらいだった」

     スターリン時代のさらに大きな処刑場だったモスクワのブトボ(Butovo)地区に比べると、コムナルカでの調査規模は小さい。だが、コムナルカに新たな追悼施設を設置するにあたり、歴史学者らは、遺体が埋められている正確な場所を突き止めたかったとしている。

    ■ナチスの写真が手掛かりに

     調査の鍵となったのは、ナチスの戦闘機パイロットによる1942年のモスクワの空撮写真だった。埋葬場所がまだ「出来たて」のころだ。この写真によって、当時の付近一帯の木の高さが確定できた。

     歴史学者は、これらの木の一部は、遺体が埋められたばかりの場所に植えられたと結論付けた。NKVDが処刑の痕跡を消すためによく使っていた手段だ。次は、犠牲者の遺体が実際に埋められた穴の特定に移った。

     スターリン時代の犯罪について記録や実証を行っている人権団体「メモリアル(Memorial)」の幹部、ヤン・ラチンスキー(Yan Rachinsky)氏によると、1937~38年のスターリンによる「大粛清」では、モスクワだけで約3万人が射殺されたと推計されている。

     1980年代ペレストロイカ(改革)時代に短期間だが情報が開示され、KGBがスターリン時代の犠牲者に関する資料を、ジャーナリストやメモリアルに送ってきたと同氏は語る。

     射殺され、その後すぐにコムナルカに埋められた人々の中には、政府高官や科学者も含まれていた。「モンゴル政府(の関係者)はほぼ丸ごと、そこに埋められた」と、ラチンスキー氏は言う。当時、モンゴルはソ連の衛星国だった。

     また、バルト三国のエストニア、リトアニア、ラトビアの政府関係者の多くも、1940年代ソ連に占領された後、そこで処刑された。

     だが、ラチンスキー氏によると、ロシアの治安当局が旧ソ連時代の資料公開をやめたため、コムナルカに遺棄されたと考えられている1000人以上が身元不明のままだという。「(ロシア当局は)突然、われわれにファイルを送るのをやめた」。現在のロシア当局は、ソ連時代の犯罪暴露には無関心だと同氏は非難する。

     一方、グラグ歴史博物館のロマノフ館長は、もっと楽観的だ。先ごろ、モスクワ中心部に政治弾圧の犠牲者を追悼する施設ができたときに、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領が、式典に出席していたためだ。

     ロマノフ氏は、モスクワ以外の地域もコムナルカの「前向きな先例」に続いて、スターリン時代の犠牲者の大量埋葬地の「正確な位置」を特定してほしいと語る。

    一方、グラグ歴史博物館のロマノフ館長は、もっと楽観的だ。先ごろ、モスクワ中心部に政治弾圧の犠牲者を追悼する施設ができたときに、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領が、式典に出席していたためだ。

     ロマノフ氏は、モスクワ以外の地域もコムナルカの「前向きな先例」に続いて、スターリン時代の犠牲者の大量埋葬地の「正確な位置」を特定してほしいと語る。

    「そのような場所は今も秘密のままだ。どこに遺体があるのかさえ知られていない。大きな森の中にそのような場所がある、ということしか分かっていない」

    2019年1月10日 16:27
    AFP
    http://www.afpbb.com/articles/-/3205879

    【【ロシア】スターリン時代の「大粛清」 皮肉にもナチスの空撮写真で大量埋葬地を特定 モスクワ 】の続きを読む

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    1: Ψ( ̄∇ ̄)Ψ ★ 2018/08/18(土) 17:16:57.90 ID:CAP_USER9
    ソ連旗
     
    ◆終戦 性暴力 語り始めた女性たち
    2018年8月15日 13時00分 NHK

    終戦直後、旧満州や朝鮮半島から祖国を目指し、引き揚げてきた女性たち。その中には、性的暴行を受けて妊娠したまま日本にたどり着き、当時違法だった中絶手術をひそかに受けた人も数多くいました。

    ソ連兵や現地の男性は、祖国に引き揚げようとする日本人女性に対し、性的暴行を繰り返しました。

    九州大学のほかに、今のソウルにあった京城大学から引き揚げた医師たちも、人道的な観点から女性を助けたいと福岡県筑紫野市にあった施設で、中絶手術を行っていました。
    ある医師の調査では、手術を受けた女性は、合わせて少なくとも800人に上ると推定されています。当時のカルテなどはほとんど残されず、わずかな手がかりは医師たちの証言。

    (略)

    NHK
    https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0815.html


    【【国連人権委は無視】ソ連兵や旧満州や朝鮮半島の男性が日本人女性に性的暴行 800人に中絶手術 性暴力 語り始めた女性たち 】の続きを読む

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    1: アルカリ性寝屋川市民 ★ 2018/06/01(金) 23:42:58.89 ID:CAP_USER9
     【モスクワ共同】ロシア落下傘部隊連盟のボストロティン会長は1日、旧ソ連によるアフガニスタン侵攻で1980年代にアフガン上空で撃墜された航空機に搭乗し、行方不明になった元飛行士の生存をアフガンで確認したと発表した。ロシアメディアが報じた。

     アフガン退役兵連盟によると、ソ連のアフガン侵攻従軍者にはさまざまな理由で現地に残った元兵士が多く「彼らにとってアフガンが新たな祖国で(ロシアに)戻ることはない」と説明した。

     79年に始まったソ連のアフガン侵攻では、89年の撤退完了までに125機のソ連軍機が撃墜されたとされる。


    共同通信 2018/6/1 22:39
    https://this.kiji.is/375277745648878689

    【【国際】アフガニスタンで元ソ連兵生存 80年代から行方不明 】の続きを読む

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    1: みつを ★ 2018/02/17(土) 18:46:33.88 ID:CAP_USER9

    2018.02.17 Sat posted at 11:30 JST
    (CNN) 冷戦時代にソビエト連邦が米国のスペースシャトルに対抗して製造した宇宙船「ブラン」は、わずか1度飛行した後に使用停止となった。当時、ソ連が進めていたブラン計画の遺物が、今もカザフスタンの草原に放置されている。

    現在、シャトル2機とロケット1機が使用されなくなった格納庫に保管されているが、一般公開はされていない。この格納庫はモスクワの南東約2400キロに位置するバイコヌール宇宙基地内にあり、近くにはブランの初飛行時に使用された発射台もある。

    スペースシャトルにそっくり?

    ロシア語で「吹雪」を意味するブランのデザインは、米国のスペースシャトルに酷似していた。それは決して偶然ではない。「ソ連はスペースシャトルと同等の最大積載量を求めていたため、スペースシャトルと似た寸法の宇宙船が必要だった」と語るのは、ソ連の宇宙開発の歴史を研究しているバート・ヘンドリックス氏だ。

    米航空宇宙局(NASA)が開発したスペースシャトルは、基本的に国防総省の依頼で大きな貨物を軌道まで運ぶ「宇宙トラック」だった。国防総省はスペースシャトルを使って複数の軍事衛星を配備する計画だった。

    「スペースシャトルがもたらす軍事的脅威を認識したソ連は、ブランの開発を決断した。米国がスペースシャトルを開発していなければ、ソ連がブランを開発することもなかった。ソ連にとってブランは軍拡競争の一環にすぎなかった」(ヘンドリックス氏)

    構造的な違い

    スペースシャトルとブランは全く同じというわけではない。外見は似ているが、一見しただけでは分からない大きな構造的違いがいくつかあった。第一に、スペースシャトルのオービターは宇宙を飛行するためのエンジンを備え、大型ロケットは燃料タンクとして使用していた。一方、ブランのオービターにエンジンはなく、エネルギアと呼ばれる、より大型の本格的なロケットに取り付けられているだけだった。しかし、これによりソ連は宇宙へのより柔軟な貨物輸送が可能になった。

    またブランには、非常時に脱出するための射出座席が乗員全員分備えられていたが、米国のスペースシャトルはこのような装置を備えていなかった。さらに、スペースシャトルには設計上の欠陥があり、それが原因でチャレンジャー(1986年)とコロンビア(2003年)の2機が飛行中に爆発する事故が起きたが、ブランには大規模な事故につながる欠陥はなかった。

    (略)

    CNN
    カザフスタンの倉庫に放置されたソ連の宇宙船「ブラン」
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    1988年11月、バイコヌール基地から打ち上げられるブラン
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    30年分のほこりをかぶったブランだが、保存状態は良好だという
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    【【カザフスタン】忘れ去られたソ連版「スペースシャトル」、カザフの草原に眠る 】の続きを読む

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    1: シャイニング記者。φ ★ 2018/01/20(土) 12:11:34.54 ID:CAP_USER
    千島列島

    四島占領、米の関与紹介 根室振興局が企画展
    ---
    【根室】旧ソ連軍による北方四島占領作戦に米国の艦船が使われていたことを紹介する根室振興局主催の企画展「北方四島 運命の9日間」が、19日から根室市の道立北方四島交流センターで始まった。
    占領作戦に米国が積極的に関与していた事実に焦点を当て、米国から旧ソ連軍に貸与された艦船の写真パネルなど約40点を展示している。

    根室振興局は、当時ともに連合国だった米ソが合同極秘作戦を発動させ、米国が計145隻もの艦船をソ連側に提供し、このうち10隻が占領作戦に投入された史実を米ロの公表資料から突き止めた。 
    会場では占領作戦に使われた艦船17隻を写真パネルで紹介。
    旧ソ連軍の択捉島への侵攻開始から四島の占領完了までの旧ソ連軍の動きを紹介する詳細な図も展示している。
    (残り:161文字/全文:486文字)
    (01/20 05:00)

    北海道新聞 
    https://www.hokkaido-np.co.jp/article/157988


    【【北方領土】太平洋戦争時の四島占領に関与した米艦船を紹介 根室振興局が企画展】の続きを読む

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