かたすみ速報

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    タグ:京城

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    1: 新種のホケモン ★ 2020/02/02(日) 08:15:24.25 ID:CAP_USER
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    韓国を研究する米国の少壮学者、日本統治時代におけるソウルの変化の様相、人々の反応を具体的に記録

    「朝鮮神宮を訪問した植民地住民ら、観光名所を訪れたかのように行動」

    【新刊】トッド・A・ヘンリー著、キム・ベクヨン、チョン・ジュンヨン、イ・ヒョンア、イ・ヨンギョン訳『ソウル、権力の都市』(山のように刊)

     米国カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の歴史学科教授を務める著者トッド・ヘンリー(48)は、韓国を研究する米国人学者だ。彼は序文において韓国学者の間で『西林派(Westwood faction)』の一員だと言えることを誇らしく思う」と表明した。「西林派」とは「士林派」をもじった造語で、西洋の韓国学者を意味する。著者は「西林派」の中でも、1945年以前の韓国を主に研究する学者で、エドワード・ワーグナー、ジェームズ・パレ、マルティナ・ドイヒラーなど第1世代、カーター・エッカート、ドナルド・ベイカー、マーク・ピーターソン、ジョン・ダンカンなど第2世代に続く、第3世代の少壮学者に属する。

     「西林派」の学者は韓国人研究者に見られがちな民族主義的傾向に引っ張られず、日帝時代を眺める際、近代と収奪、親日と反日という二分法を超越する。著者もアプリオリな二分法を超え、日本による植民支配期のソウルの公共空間がどのように変化し、当代の人々がこれにどのように反応したのか具合的様相を観察する。朝鮮王朝500年の首都にして大韓帝国の皇城であった漢陽を植民地首都・京城に変えようとする日帝の企画は、朝鮮人を日本帝国の臣民にする「同化政策」の核心だった。

     1925年に南山に建立された朝鮮神宮は、天皇家に「精神的同化」をするよう設計された施設だった。京城に暮らす日本人のように、朝鮮人も天皇に同質感を抱いて参拝するよう強要された。しかし同化は結局失敗した。植民地住民は朝鮮神宮を訪問はしたが、敬虔(けいけん)な参拝ではなく、観光名所を訪れたかのように行動した。神道を支持していた日本人の小笠原省三は「神宮の前まで行けば、日本人は帽子を取って頭を下げるのに対し、朝鮮人はさっと背を向けて家に帰ってしまう」として「朝鮮人は参拝しなかった。

    彼らはただ参観しているだけだった」と回顧した。
     日中戦争と太平洋戦争で戦時体制に変わった1937年以降、参拝強要は一段と暴力的かつ強圧的になったが、朝鮮人の内面を支配することはできなかった。あるキリスト教の牧師は、神学生らと共に団体で神宮を訪問した。牧師は、外見上必要な儀式を全て行ったが、このように祈った。「神が一日も早く日本の鬼神を追い出し、その場所にキリストの教会を建ててくださいますように。われわれが一日も早く、われわれの独立を取り戻せますように」

     日帝が、朝鮮王室の正殿である景福宮に大理石でできた総督府の建物を新築し、宮殿の多くの殿閣を撤去した跡地で大規模な博覧会を開いたのは、日本の統治が近代的繁栄をもたらしたと宣伝しようとする「物質的同化」のプロセスだった。博覧会では、植民地以前の朝鮮の過去を不毛かつ抑圧的なものとして、日帝の植民統治以降の朝鮮の現在を近代的かつ生産的なものとして見せる図表や写真を展示し、日帝の支配を経済的搾取ではなく恩恵と見なすよう誘導した。しかし、動員された朝鮮人観客の大部分は、展示品を見るよりも遊戯施設や休憩所で多くの時間を過ごした。

     大恐慌時代の1929年、博覧会の費用を捻出するため行われた募金キャンペーンは、逆に植民地産業が抱えている民族的差別を浮き彫りにする結果となった。募金を行った京城協賛会の一部会員は、朝鮮人には寄付する金がないと懸念を表した。強圧的な募金や観覧に動員された朝鮮人らは、朝鮮の経済と文化の伝統が展示されたものを見て、日帝の統治に敵意を示すこともあった。

     総督府は、京城で毎年2度実施する大掃除や衛生博覧会などを通して、朝鮮の生活が清潔になったと主張した。著者は、これを「公衆的同化」と呼ぶ。総督府は、朝鮮人大衆がこの企画にうまく反応するだろうと信じたが、朝鮮人の多数よりも少数の日本人住民の保健の方に恩恵がもたらされる基調は常に維持された-と著者は記す。

     植民地住民を2等国民として差別・排除する体制において、彼らを「忠良な皇国臣民」にするという日帝の同化政策は、決して実現し得ないプロジェクトだった。著者は「植民地近代性というものが悪賢い分割主義的統治システムであることを余すところなく示している」と指摘する。原題は『Assimilating Seoul』(ソウルの同化)。484ページ、2万8000ウォン(約2600円)。

    李漢洙(イ・ハンス)記者

    朝鮮日報 2020/02/02 06:06
    http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2020013180154

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    1: 動物園φ ★ 2018/09/09(日) 09:27:19.51 ID:CAP_USER
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    日本、北京、果ては欧州ともつながっていた国際交通都市・京城
    「日帝による鉄道敷設は開発にして収奪」
    「当時は釜山発京城行きが下り線だった」

    日本、北京、果ては欧州ともつながっていた国際交通都市・京城 

     「20世紀前半、ソウル(京城)は東アジア鉄道ネットワークのハブ(中心地)だった。日本列島-韓半島(朝鮮半島)-満州-ユーラシア大陸を最短距離で連結するための鉄道が韓半島を貫通した。近代のソウルは鉄道が作った都市にほかならなかったが、鉄道の歴史はすなわち収奪された韓国人の血史でもあった」 

     東北アジア歴史財団の理事長も務めた歴史学者の鄭在貞(チョン・ジェジョン)ソウル市立大学名誉教授(67)が、新たな歴史書『鉄道と近代ソウル』(国学資料院刊)を出版した。5年にわたり韓国と日本の資料およそ1000点を集めて研究した成果で、600ページにもなる。 

     1979年に鄭教授が日本留学へ出掛けた際、日本の歴史学界では植民地支配を美化し、「日本が韓国に鉄道を敷いてやったではないか」 
    という見方が広く存在していた。「実にとんでもないことだった。鉄道敷設の過程で韓国がどれほど多くの労働力と土地を収奪されたか…」。その後、近現代史全般を幅広く研究した鄭教授は、単行本『日帝侵略と韓国鉄道 1894-1945』(1999)など鉄道史研究にも関心を持ち続けた。 

     今回の著書で鄭教授は、ソウルを中心に近代鉄道の歴史を振り返っている。ソウルは京仁線、京釜線、京義線、京元線、京春線、京慶線(中央線)など、「京」の字が付く韓国の幹線鉄道網の始発点にして終着点だった。さらに、北東アジアの直通国際列車が奉天(現在の瀋陽)を経て北京へ、ハルビンとシベリア鉄道を経て欧州につながる、四方八方とつながった国際交通都市でもあった。「日本の下関からユーラシア大陸の反対側にあるエストニアのタリンまで行く、1940年に発行された乗車券の写真がある。その路線は当然、ソウルを経由しなければならなかった。ソウルで、パリやモスクワまで行く列車の時刻表を買うことができた」 

     鄭教授は「鉄道は、一言でいえば利器であると同時に凶器だった」と語った。1899年から1945年までの間、日本は総延長6400キロに及ぶ鉄道を韓半島に敷設し、その鉄道網を通して支配力を強化・拡大し、物資を持ち去った。「徹底して日本帝国主義の利益のために作られた鉄道路線は、『侵略』と『開発』、『収奪』と『近代』という両方の属性を併せ持っていた」という。 

     鉄道は、ソウル市民が近代文物を受け入れるルートでもあった。「1日を12の単位に分けていた時間概念は、汽車に乗り遅れることのないよう分・秒単位に変わらなければならず、また汽車は老若男女が同じ空間に混在する、社会的に開放された場所だった」。独立運動でも大きな役割を果たしたのが鉄道だった。三・一運動は、鉄道路線を介して朝鮮全土に広がっていった。一方、同じ料金を払っても日本人より一等級下の扱いを受けるという、差別と抑圧の空間でもあった。植民地時代にあっては、釜山から京城(現在のソウル)に向かう路線が「下り」だったが、これは「帝国の首都たる東京から植民地の京城に下っていくルート」という意味だった。 

     あまり知られていない話も多い。大日本帝国は、鉄道を敷きやすい地形を選んで京釜線のルートを決めたため、ソウル-大田間では慶尚道・全羅道に向かう交通量が合わさり、ボトルネック現象が起きた。この問題は現在まで続いている。鄭教授は「南北の鉄道連結、そして1940年代に既にシステムを備えていた東アジア鉄道網の回復は、政治的利害関係とは関係なく将来必ず行われるべきこと」と語った。鉄道によって連結されたとき、ソウルは東アジアの拠点都市として真価を発揮したが、その鉄路に血のにじむ歴史があったという事実も忘れてはならないと言う。 

    朝鮮日報
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/09/07/2018090701782_1.html

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