1: 樽悶 ★ 2022/05/29(日) 17:10:25.56 ID:symeUSZW9
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 豊臣秀吉自筆の書状が加治木島津家資料の中に残されていたことが分かり、27日、寄託先の黎明館(鹿児島市)が発表した。自筆書状は100通余り見つかっているが、県内では初めて。明(みん)の征服を目指した「文禄(ぶんろく)・慶長の役」のさなかに正室の北政所(きたのまんどころ)へ宛てた1通で、同館は「外征に臨む中での心情が伝わる」と解説している。

 1592(天正20)年の6月3日付と推定され、縦28.4センチ、横42.1センチ。前線基地の名護屋(佐賀県)から出された。「当年中に唐国(明)を取り、唐国に遷(うつ)ったら迎えを遣わせる」と書かれ、末尾に「太閤(たいこう)」とある。「からこく(唐国)」の途中とみられる「こく」から始まり、前段部分はなくなっている。

 同館の小野恭一学芸員(37)は「妻に対して、自身の野望を強気につづっている」と指摘。一方、明征服の時期を「当年中」と記すが、1カ月ほど前に出した別の書状では「9月」と伝えていた。秀吉は6月2日、朝鮮水軍の反攻などで渡海の延期を決めており、戦況悪化を認識していたと考えられるという。

 書状は2020年1月、館に寄託された。東京大学史料編纂所(へんさんじょ)と協力し、筆跡などから秀吉自筆と確認。加治木島津家に伝わった経緯は手掛かりがなく「同時代の島津義弘らが入手したか、または後世に購入されたのか、現時点では不明」としている。(以外ソース)

5/28(土) 8:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6eb07152fc186dfce626bce2404925fea2d15c4b

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