1: 朝一から閉店までφ ★ 2020/11/29(日) 20:56:21.11 ID:CAP_USER

kankokumaradna
吉崎エイジーニョ | ノンフィクションライター/ジャーナリスト
11/28(土) 18:59

25日に全世界に衝撃を与えたディエゴ・マラドーナ氏の訃報。

当然のごとく、韓国でも連日大きく報じられている。

「”アディオス ディエゴ”…マラドーナの棺に100万人の波」(京郷新聞)

「”永遠の10番”マラドーナ他界…サッカー界からの哀悼相次ぐ」(ノーカットニュース)

「”神のもと”に旅立った”神の手”マラドーナ…サッカーの星、散る」(TV朝鮮)

マラドーナと韓国の間には、1986年のメキシコW杯での対戦以降、1995年のボカ・ジュニアーズとの対戦、2010年の南アW杯での対戦そして2017年のU-20W杯ファイナルドローでの縁などがある。


86年の衝撃 猛烈マンマーカーが「ふともも蹴り」

マラドーナと韓国との最初の出会いは、1986年6月2日のメキシコW杯グループリーグ初戦だった。

日本を最終予選で降し、1954年スイス大会以来の32年ぶりの本大会出場を決めた韓国。イタリア、ブルガリア、そしてアルゼンチンとグループAで同組になった。

メキシコシティーのエスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオで、6万人の観衆を前に行われた試合。3-1で勝利したアルゼンチンは3ゴール全てでマラドーナが起点となり(バルダーノ2、ルジェリ1)、韓国は0-3からパク・チャンソンが右足でミドルシュートを決めた。これは韓国サッカー史上で初めてのW杯本選でのゴールだった。

韓国にとっては「世界との遭遇=マラドーナ」だったのだ。

なかでも、当時密着マークについたホ・ジョンムの存在がクローズアップされた。

大会時の所属クラブは現代(HYUNDAI)だったが、1980年から1983年までオランダのPSVアイントホーフェンに所属。現在でいうところのボランチで計77試合に出場、11ゴールを記録した実績を持っている。在籍当時には、アヤックスにいたヨハン・クライフのマークにもついたことがあった。また、韓国内では当時ドイツで活躍していたチャ・ボングンに強いライバル意識を持っていた存在としても知られる。

韓国で後に語り継がれるのが、冒頭の写真のシーンだ。ドリブルし、バイタルエリアに侵入しようとするマラドーナに対して、マンマークを離してしまったホは慌てたように駆け寄る。その後、思いっきり太ももを蹴った。

このプレーを海外メディアがこう評した。

「テコンドーサッカー(テコンサッカー、とも)」

今回のマラドーナの死去に際し、当時このファウルのシーンの映像を「KBS」が振り返った。

当時の韓国の試合中継時のコメントがなんと…

「故意のファールではないのですが」

だったのだ。

このシーンに、ツッコミのニュアンスで字幕がつけられた。

「韓国があまりに好きすぎて過度に保護している」

そうでもしなければ止まらない。後にマラドーナはこの頃の韓国を「技術は少々低かった」と振り返った。韓国としては今よりもはるかに世界の情報が少なく、経験も少ない時代の最初の”壁”だったのだ。

(略) 

ヤフーニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/yoshizakieijinho/20201128-00209916/

【【韓国】マラドーナから始まった「テコンドーサッカー」 韓国からも惜しむ声相次ぐ】の続きを読む