かたすみ速報

日本及び周辺諸国に関するニュースと2chまとめサイト。ネットの片隅で更新していきます。




    タグ:大日本帝国

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    1: 影のたけし軍団ρ ★ 2019/10/09(水) 17:03:29.26 ID:CAP_USER
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    【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はハングルの制定を記念する「ハングルの日」を迎えた9日、 交流サイト(SNS)にメッセージを投稿した。

    日本による植民地支配に抵抗して1919年に朝鮮半島で起きた三・一独立運動と大韓民国臨時政府樹立から100年の年に迎える意義深い「ハングルの日」だとした上で、「573年前にハングルを創生した世宗大王の愛民精神と、日帝強占期(日本による植民地時代)にハングルを守り抜いた独立運動家たちの民族精神を思い起こす。日帝強占期はハングルを守ることがすなわち独立運動だった」とつづった。

    植民地時代にハングルを守った独立運動家の精神に言及することで、 日本の不当な経済報復としての輸出規制措置に打ち勝つという意思をあらためて強調したものと受け止められる。

    朝鮮日報
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/09/2019100980043.html

    【【ハングルは日本が広めたのだが】韓国・文大統領 「日帝強占期(日本による植民地時代)にハングルを守り抜いた独立運動家たちの民族精神を思い起こす」 】の続きを読む

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    1: 鴉 ★ 2019/09/30(月) 19:28:13.00 ID:CAP_USER
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    日本憲兵に腕を切られても抵抗した“朝鮮の血女”尹亨淑
    9/29(日) 20:06配信

    麗水市・麗水地域独立運動家遺族会が27日、麗水で開催 「義血之士 尹亨淑を記憶する」をテーマに追悼祭を開く 故人の殉国69周年にあたりその生涯と闘争についての初の学術大会

     1919年3月、光州スピア女学校2年生の尹亨淑(ユン・ヒョンスク)は、教師のパク・エスンたちと独立宣誓を事前に印刷するなどデモの準備を終えた。そして3月10日午後3時30分、街頭に出た。尹烈士たちは数百人のデモ参加者とともに、光州川辺に沿って市場に向かった。日本憲兵は、太極旗を持ちデモ隊の先頭に立っていた尹烈士の左腕を軍刀で切り落とした。尹烈士は血を流しながらも立ち上がり、太極旗を拾い上げ大韓独立万歳を叫んだ。

     尹烈士の超人的な抗拒を見守った市民らは、悲憤慷慨してさらに激しくデモを続けた。尹烈士は、軍刀で左腕を切られ右目に重症を負った状態で逮捕された。保安法違反で懲役4カ月の刑を宣告された尹烈士は、数年間、軍病院と推定される所に幽閉された。尹烈士はこのデモ以後、“朝鮮の血女”という別名を得た。

     “南道の柳寛順(ユ・グァンスン)”と呼ばれる尹亨淑烈士(1900~1950)の闘争と生涯にスポットを当てる学術大会が初めて開かれる。全羅南道麗水(ヨス)出身の尹烈士の墓所移転などの追悼行事は開かれたことはあるが、故人の抗日闘争を称えるための学術大会が開かれるのは今回が初めてだ。

     「義血之士 尹亨淑を記憶する」というテーマの学術大会が27日午後2時、全羅南道麗水市役所の麗水文化ホールで開かれる。今回のイベントは、麗水市が主催し、「麗水地域独立運動家遺族会」が主管する。ハン・ギュム光州大学教授が「抗日愛国烈士 尹亨淑の関連資料検討および生涯と活動についての再照明」をテーマに発表する。キム・ホウク光神大学教授は、「日帝強制占領期の湖南キリスト教の宣教と尹亨淑の抗日運動」について話す。3・1運動100周年を迎えて開かれる学術大会では、クォン・オボン麗水市長が開会の辞を述べ、ソ・ワンソク麗水市議会議長が祝辞を送る。尹烈士の母校である光州スピア女子高校のコ・セヨン校長とキム・ユジョン総同窓会長が詩の朗唱を行う。「義血之士 尹亨淑の生涯」を扱った映像も上映される。

     今年で殉国69周年を迎える故人の生涯と闘争を称える追悼祭も開かれる。追悼祭はこの日午後5時、麗水市華陽面(ファヤンミョン)昌武里(チャンムリ)にある尹烈士の墓所にて、ユン・ビョンヨン牧師の執礼で進行される。昌武里が故郷である尹烈士は、順天(スンチョン)梅山(メサン)の聖書学院を修了した後、1918年光州スピア女学校に入学した。獄中生活の苦しみを体験し障害者となった体で抗日闘争と識字運動を続けた尹烈士は、伝道師として宣教活動を行い、1950年9月28日に人民軍に捕まり虐殺された。政府は2004年、尹烈士に建国褒章を追叙した。

    チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

    ハンギョレ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190929-00034501-hankyoreh-kr

    【【韓国の捏造】日本憲兵に軍刀で腕を切られても抵抗し、大韓独立万歳を叫んだ“朝鮮の血女”ユン・ヒョンスク 】の続きを読む

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    1: アンドロメダ ★ 2019/09/16(月) 15:52:24.17 ID:CAP_USER
    ミン・ヒシク教授
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    聞き手「ミンさんの記憶で日本当時時代に一番良かったことはなんですか」
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    ミン教授「年をとった人やインテリは」
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    ミン教授「日本が韓国を占領したのを幸いに思ってるんです」
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    ミン教授「なぜかというと日露戦争でロシアが勝っていたら」
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    ミン教授「韓国はロシアの属国になっていました」
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    ミン教授「ロシア人がもしも韓国に入ってきたらどうなるかというと」
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    ミン教授「みんな捕まってシベリア送りになっていました」
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    ミン教授「ロシア人が韓国を盗るわけですね」
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    ミン教授「そうなると韓国人はものすごく惨めです」
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    ミン教授「日本人が統治した場合とは比べものにならないほど惨めな状況になる」
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    ミン教授「それをインテリ(知識人)は感じますね」
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    ミン教授「日本統治寺代に反日なんて全くありませんでした」
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    ミン教授「差別なんかなかったですね」
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    ミン教授「米ができたら、ちゃんと皆と同じく分けてくれました」
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    ミン教授「韓国人とか、そういった区別がなかったんですよ」
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    ミン教授「そういう区別がなかったので、生活にはあまり困らなかったですね」
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    ▽続きは下記のソースでご覧ください
    https://anonymous-post.mobi/archives/13603

    【【韓国】大学教授が証言する日帝強占期の真実がネット掲示板で話題に 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/09/15(日) 11:30:23.28 ID:CAP_USER
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    「日帝植民地の最高権力機関である朝鮮総督府と、日本人土木建設業者との間の政経癒着と腐敗スキャンダルは絶えなかった」

     韓国の歴史学者からこういう話を聞いたのであれば、むしろあまり驚かなかったかもしれない。最近、学術書『日本の学者が見た植民地近代化論』(知識産業社)を出版した日本人歴史学者の鳥海豊・韓国歴史研究院常任研究員(57)は「日帝の近代化は韓国の工業発展よりも、日本人土木建設業者(請負業者)の利益のための大規模土木建設事業に偏っていた。この過程で、総督府出身の官吏が業者として直接参入するケースもあった」と語った。鳥海氏が確認した日本の鉄道局、逓信局や朝鮮総督府など官吏出身の日本人土木業者だけでも22人に上る。鳥海研究員は早稲田大学で学士・修士課程を終えた後、ソウル大学国史学科で博士号を取った。

     日帝が1910年に韓国を強制併合した後、重点を置いて推進していた事業が鉄道建設、土木工事といった社会間接資本(SOC)分野だ。1910-39年の朝鮮総督府の年平均予算(1億8571万円)のうち、19.3%(3579万円)を注ぎ込んだと推定される。だが鳥海研究員は「SOC投資額の63%を占める工事を、当時韓国で活動していた日本人土木建設業者の組織である『朝鮮土木建築協会』のメンバーと契約していた」と語った。「仕事の発注」を通して、朝鮮総督府が日本人業者に土木建設事業を配分したというわけだ。逆に朝鮮人建設業者らは、随意契約や鉄道局の技術主任(現場監督)制度のせいで入札から排除された。

     調べてみると、日本人と朝鮮人は資産保有の点でも大きな差が出た。1928年の朝鮮総督府統計年報(グラフィック)によると、日本人の1人当たりの郵便貯金額は56.46円、一方で朝鮮人は0.23円にすぎなかった。実に245倍の差だ。鳥海研究員は「日帝時代の経済発展で朝鮮人に利益がもたらされたという仮定を再検討する必要がある」と語った。

    日本人業者の「入札金水増し」や談合といった腐敗スキャンダルも絶えなかった。談合とは、業者が集まって、十分な利益を確保できる水準で落札業者をあらかじめ決めること。1934年の京城土木談合事件では、検察が起訴した工事の件数だけでも32件、契約総額1295万円に達した。さらには、朝鮮総督府交通局の課長も「朝鮮の業界で最大の問題は談合」と証言した。

     雑誌『開闢』は、1923年の城川江堤防工事の際、朝鮮人土木業者であれば1500万円でできる工事を日本人請負業者と9000万円で契約したと暴露した。実に6倍の「入札金水増し」だったというわけだ。鳥海研究員は「日帝強占期に多くの朝鮮人が土地を失ったり仕事がなくなったりして、間島地方や日本へ生きる道を探しに行ったが、逆に朝鮮の日本人業者は増え続けた」と語った。

     韓国の学会では、日帝の経済的搾取に重点を置いた「収奪論」と、植民地期の経済規模の成長に注目した「植民地近代化論」の間での論争が熱い。鳥海研究員は、「植民地近代化論」で経済成長の根拠となっている朝鮮人労働者の日当に疑問を投げ掛けた。朝鮮総督府統計年報には日当1円と記録されている。だが鳥海氏は、日本人業者の回顧録や法廷での証言、当時の記事などを根拠に「実際に現場で支払われる労賃は30-60銭にすぎなかった」と語った。その差額分だけ日本人土木業者は不当利得を手にするので、腐敗スキャンダルが絶えなかったと主張する。鳥海研究員は「朝鮮総督府の統計における朝鮮人の賃金は、現実よりはるかに高く記録されている」として「この統計に基づいた日帝時代の経済発展の数値も修正する必要がある」と語った。彼は「『日本人がなぜ日本を批判するのか』という質問もよく受けるが、より良い日本をつくるため」と答えた。

    キム・ソンヒョン記者

    朝鮮日報 2019/09/15 06:05
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/09/11/2019091180151.html


    【【韓国】朝鮮総督府の開発事業、「日本人業者を太らせる事業」だった 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2019/09/04(水) 23:01:01.28 ID:CAP_USER
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    【ウラジオストク=小野田雄一】1939年にモンゴル国境付近で旧ソ連軍と日本の関東軍が衝突したノモンハン事件から80年となったのに合わせ、ロシアのプーチン大統領は3日、モンゴルの首都ウランバートルを訪問し、同国のバトトルガ大統領と会談した。プーチン氏は会談後の記者会見で「ソ連軍とモンゴル軍は80年前、肩を並べて戦い、侵略者に手痛い反撃を与えた」と指摘。事件を日本による侵略とした上で、ロシアとモンゴルの共闘と友好関係を誇示した。

     近年のプーチン政権は、第二次大戦での対ドイツ戦と日ソ中立条約を破っての対日参戦を「ナチズムとの戦い」と一くくりにし、北方領土占拠の正当化を図る傾向を強めている。

     5日に露極東ウラジオストクで安倍晋三首相との日露首脳会談を控え、プーチン氏には、ノモンハン事件を日本による一方的な侵略と位置付けることで日本を牽制(けんせい)する狙いがありそうだ。

     露メディアによると、両首脳はウランバートルの宮殿内に設けられたモンゴルの伝統的な天幕家屋で会談した。

    モンゴルではノモンハン事件について「(モンゴルは)日ソ両国の犠牲になった」との解釈もあるが、プーチン氏は「ハルハ河会戦(事件の露側呼称)がソ連とモンゴルを結びつけた」と力説した。バトトルガ氏も「両国の友情の下でモンゴルの独立と主権を守った勝利は神聖なものだ。80年の節目にプーチン氏と会えたことは非常に喜ばしい」と述べた。

     両首脳は3日、恒久的な友好協力関係をうたった新たな基本条約に署名した。



    ■ノモンハン事件

     1939年5月、モンゴル国境付近で、旧ソ連の影響下にあったモンゴルと、日本の傀儡(かいらい)だった旧満州国の国境をめぐって起きた大規模戦闘。日本の関東軍は大本営の戦闘不拡大方針に反して攻勢をかけたが、モンゴルを支援したソ連軍の総攻撃を前に大敗を喫した。9月15日の停戦成立までに計4万人を超す死者が出たとされる。事件を機に日本では対ソ開戦論が後退し「南進論」が優勢になった。

    産経ニュース 2019.9.3 22:51
    https://www.sankei.com/world/news/190903/wor1909030025-n1.html


    【【プーチン大統領】モンゴルと対日共闘を誇示 ノモンハン事件80年】の続きを読む

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    1: アンドロメダ ★ 2019/08/14(水) 13:41:34.18 ID:CAP_USER
    日帝時代、朝鮮人を強制的に拉致して日本に連れて行き、働かせたというので、実態を知りたくて昔のニュースを検索してみた。
    日帝時代、朝鮮人の国籍は日本だったが、内地に行くためには渡航証が必要だった。
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    道や市の警察署で発給してもらえたが、旅行目的では発給できず、留学や公務や日本現地の招請がある場合のみ発給が可能で、一般庶民は発給が容易ではなかったという。
    ちなみに日本の敗戦5ヵ月前の1945年3月になってようやく渡航制度が廃止され、朝鮮人の無制限日本訪問が可能となった。
    昔の新聞を読むと、渡航証を取得する能力がないので、金を払って偽物の渡航証を買ったり、賄賂や密航などが盛んに行われていたと見られる。
    当時、朝鮮人たちは密航費を工面するために、草家三間(家)と唯一の財産である牛まで売った。
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    1940年、釜山で挙動不審者1人を警察が捜索したところ、偽造渡航が見つかって逮捕されたという。この青年は、慶尚北道星州出身で、偽造渡航証で日本に行くために釜山市内をさまよっていた。検問を受けたと見られる。
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    密航ブローカーが全羅南道地方の田舎を歩き回り、農村の愚民をそそのかして密航費をもらって、密航させようとしたが、釜山の影島青鶴洞の海岸で100人の密航者が逮捕された。
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    仁川に住むイ・ギョンテという男が日本へ労働しに行きたがっていたが、渡航証が思い通りに発給されず、悲観して自殺した。
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    全羅南道の順天警察署には、厳しい冬の日にも渡航証を得ようと若者老人が男性問わず押し寄せて、警察署が頭を痛めていたという。
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    日本へ労働に行くために、釜山の波止場には人々が二列縦隊で行列を作る。
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    日本本土は景気が良く、労働力が足りず、就職がうまくいくとして、我先にと渡航が増加して当局が頭を痛めていたという。
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    慶尚北道の会議で渡航証明撤廃を希望する議論をする。
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    全羅北道南原の居酒屋で、ブローカーが渡航をさせると言って50ウォンを受け取り、詐欺を働き、巡査に検挙される。
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    釜山の松島の海岸で50人余りの密航者を検挙。
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    釜山の佐川洞で密航者100人余りを乗せた船を捕まえて、そのうち80人余りを逮捕する。
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    ▼韓国人の反応を引用

    ・うちのじいさんも日本に密航して苦学して大学にも通ったと言っていたけど、その時は生きるのが大変だったせいか、そういう人が結構いたという。実際に記事を見ると興味深いね

    ・消すな この記事をスクラップしておきなさい

    ・強制徴用しなくても溢れていたねw

    ・韓国の歴史学者のやつらは歴史を捏造と妄想で埋め尽くしている。こいつらは当時の新聞資料や総督府の資料のような一次資料もまともに研究しなかったようだ

    ・終戦後、日本に残っていた朝鮮人は60万人を超えたというが、その人たちは強制的に本土に渡ったのだろうか?
     そんなに行きたくなかったのに強制徴用で連れて行かれたのなら、大部分が解放後にすぐに帰って来るべきではないか?帰れないように防いだわけでもないのに

    ・今まで無条件愛国主義者の捏造歴史にだまされていたことは悔しい

    https://anonymous-post.mobi/archives/12613


    【【韓国ネット民】日帝時代に強制徴用があったのか調べてみた→日本本土への渡航証が発給されず悲観して自殺する者もいた…密航も横行 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/06/28(金) 21:56:03.96 ID:CAP_USER
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    ▲「B C級戦犯」出身者の集まりである同進会会長イ・ハクレ翁[聯合ニュース資料写真]

    (東京=聯合ニュース)日帝が起こした太平洋戦争終戦後、B・C級戦犯に分類された韓国人が日本で早急な補償関連法案の準備を促したと毎日新聞が27日伝えた。

    報道によれば日帝の捕虜監視員として動員され戦後いわゆるB・C級戦犯という頸木をおった李鶴来(イ・ハクレ, 94)翁は当事者団体の同進会会長名で去る26日、法制定を促す声明を出した。声明は「日本の立法措置によって長い間の人権問題を解決しようとする法案」であって、「(韓日)両国社会で苦痛の戦後を送った当事者と遺族の名誉を回復させる意味でも制定は必ず当事者生存中に実現されなければならない」と強調した。

    同進会はイ翁を含む少数の状態と毎日は伝えた。彼は他の朝鮮人戦犯の同僚らと共に1955年にこの会議を作って64年間、日本政府を相手に補償を要求している。彼は日本国籍者ではないとの理由で日本政府の補償対象から除外された。去る26日、閉会した日本定期国会ではこれらに特別支援金を支給する内容の法案は提出されなかった。

    太平洋戦争の時、捕虜監視員などで投入された朝鮮人のうち、日帝敗戦後に開かれた連合軍主導裁判で148人が戦犯になり23人が処刑された。A級戦犯は侵略戦争を企画・開始・遂行した人々が該当し、B級戦犯は殺人・捕虜虐待・略奪などを犯した人々を意味し、C級戦犯は上級者の命令によって拷問や殺人を直接行った人々をいう。

    聯合ニュース
    https://www.yna.co.kr/view/AKR20190627113800073

    【【嘘つき韓国人】引きずられて行ったのに「戦犯」にされた韓国人、日本で補償法案要求 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/06/22(土) 21:39:39.99 ID:CAP_USER
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    長い流浪生活を行った悲運の高麗時代の僧塔「原州法泉寺址(ウォンジュ・ボブチョンサジ)智光(チグァン)國師塔 」(国宝第101号)が100年ぶりに故郷に戻ってくる。

    文化財庁は、「20日、文化財委員会・建築文化財分科会で、原州法泉寺址智光國師塔を元の場所である江原道原州市の法泉寺址に移転することにした」と、21日明らかにした。

    高麗文宗(ムンジョン)時代に國師を務めた僧侶海麟(ヘリン、984~1070)の舎利を奉安した智光國師塔は、ユニークな構造と華やかな彫刻、優れた裝嚴装飾で、高麗僧塔の白米に挙げられる。しかし、日本植民地時代から現在までの108年間、あちこちに流れて経験した受難は、韓国近・現代史の痛みと軌を一にする。

    智光國師塔は、日本植民地時代の1911年、文化財収奪に血眼になった日本人の手によって解体され、法泉寺址から去った。当時、京城(キョンソン)市内の明洞(ミョンドン)にあった村上病院に運ばれた塔は、その翌年、ソウル中区南倉洞(チュング・ナムチャンドン)の和田邸宅の庭に再び移された。ついに同年5月、日本の大阪に搬出されることになった。朝鮮総督府の返還要求で1912年末に故国に戻ってきたが、いきなり景福宮(キョンボクグン)に置かれた。

    光復(日本植民地からの独立)後も試練は続いた。韓国戦争の時に爆撃を受けて大きく破損し、1957年には緻密な考証なしに急いで復元された。以後、1990年に国立故宮博物館(当時は国立中央博物館)の裏庭に移転して、20年間その座を守ってきた。しかし、2005~2015年に行われた文化財特別安全点検と精密安全診断の結果、塔のあちこちに亀裂や脱落現象などが確認された。

    結局、文化財委員会は、2015年9月、塔の全面解体・保存処理を決定した。2016年5月から大田(テジョン)国立文化財研究所で塔を保存処理している。研究所は今年末までに保存作業を完了する計画だ。現在法泉寺址には、108年前に別れた智光國師塔碑(国宝第59号)のみがぽつんと残っている。

    文化財庁は、「塔を元の場所に殿閣を立てて復元するか、法泉寺址の敷地に建設を進めている展示館の内部に置く案などを多角的に検討している」とし、「実際の移転は2021年ぐらいにならなければならないだろう」と明らかにした。

    柳原模

    東亜日報 June. 22, 2019 09:30
    http://www.donga.com/jp/home/article/all/20190622/1768523/1/


    【【また嘘をつく韓国】108年間の他郷暮らしをした智光國師塔が故郷に 植民地時代の1911年、文化財収奪に血眼になった日本人の手によって…】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/05/28(火) 23:27:28.57 ID:CAP_USER
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    (アンカー)日本帝国主義の象徴、靖国神社に戦犯でもないのに合祀された韓国人が何と2万人を超えるという事実、知っていますか?「私のお父さんが戦犯だと言っているのか」とし、恥辱と痛恨の歳月を送ってきた遺族たちが「お父さんの名前を抜いて欲しい」という訴訟を提起しましたが、日本の裁判所が今日、敗訴判決を下しました。判決文の朗読にぴったり5秒かかったといいます。報道はユン・ヒョンジョン記者です。

    (レポート)日帝強制支配期に強制的に徴兵されて亡くなった韓国人、2万千181人が靖国神社に無断で戦犯らと合祀されています。遺骨まで埋められたわけではありませんが、A級戦犯と共に合祀者名簿に記録されているものです。強制的に引きずられて行って亡くなったのも無念ですが、戦犯と合祀されて親日派という誤解を受けるのは遺族たちにとって、さらに耐えられない恥辱でした。

    [ナム・ヨウンジュ/強制徴兵犠牲者の妹(2013年)]「私が生きている間に兄さんの名前を必ず抜かなければなりません。それでこそご両親に会える面目があるんじゃないでしょうか。」

    合祀者名簿から名前を抜いて欲しいと要求して何と5年半待った判決。しかし、裁判所はたった5秒後に棄却決定を下し閉廷しました。

    「原告のすべての要求を棄却する。訴訟費用は原告側が負担する。」

    ぴったりこの言葉だけ、どんな説明もありませんでした。遺族たちは言葉を失いました。

    [パク・ナムスン/強制徴兵犠牲者の娘]「日本法はこのようにしますか?人を無視することでもなく。自分たちの思いのままに靖国神社に埋めておいて出すこともせず。」

    日本裁判所は2007年に提起した1次訴訟当時、「合祀は宗教的行為で遺族たちはこれを尊重しなければならない」という詭弁を強要したことがあります。今回も判決文を通じて同様の主張を並べました。

    [イ・ミョング/強制徴兵犠牲者の息子]「私ももういくらも残っていない私の人生を終えるまで、生前にお父さん、その名前を必ず取り出したいです。取り出さなければなりません。」

    遺族たちは控訴を通じて戦いを継続するのはもちろん、国連人権機構など国際社会にもこのような事実を訴える計画です。

    MBCニュース、ユン・ヒョンジョンです。

    MBCニュース(韓国語) 
    http://imnews.imbc.com/replay/2019/nwdesk/article/5334059_24634.html

    【【韓国発狂】「私の父を、兄を戦犯から抜いて欲しい」韓国人遺族の叫び、日本の法廷5秒で棄却】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/05/20(月) 22:43:15.93 ID:CAP_USER
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    ▲忠北沃川のチョン・ジヨン生家前の石橋のそばにたった過去の「皇国臣民誓詞碑」石碑(記者注:石碑は石橋になっており、今回たてられたのは丸い「標識石」)

    【沃川=ニューシス】 中日戦争の始まった1937年、忠北(チュンブク)沃川(オクチョン)の彰明(チャンミョン)普通学校(現・竹香(チュクヒャン)初等学校)の朝礼時間。この学校の校長、ヨシダ・イチロウ(吉田一太)と学生4004人は朝会に先立ち以下の文章を大きく叫んだ。

    「私共ハ、大日本帝国ノ臣民デアリマス。私共ハ、心ヲ合ワセテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス。私共ハ、忍苦鍛錬シテ立派ナ強イ國民トナリマス」

    日帝が内鮮一体、皇国臣民化を叫んで大韓民国の民族性を抹殺し始めた1937年から崩壊した1945年まで、我が国では日帝に忠誠を強要されるこの誓約文が鳴り響いた。学校はもちろん官公庁や会社などで朝会をしながら我が国民は常にこの「皇国臣民誓詞」を朗唱しなければならなかった。

    日帝は皇国臣民誓詞を朗唱させるだけで終わらず、全国のあちこちにこの誓約文が書かれた「皇国臣民誓詞碑」をたて始めた。その中の一つが忠北沃川で最も古い小学校「チュクヒャン初等学校」でも発見された。この石碑は光復後、統一塔と呼ばれて1993年にはじめて日帝強制占領期の残滓であることが知られた。

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    ▲中日戦争の序幕を年1937年忠北沃川の彰明(チャンミョン)普通学校(現・竹香(チュクヒャン)初等学校)の朝礼時間の写真。

    沃川郡はこの石碑を1994年、沃川邑の昔の村にある詩人チョン・ジヨンの生家の前に横にし、生家を行き来する訪問客が踏んで過ぎるように石橋にした。ところが、周辺にこの石橋に関する情報や案内図はまったくなかった。沃川郡は詳しい説明を入れた標識石を最近たてた。

    地域の学生と郡民、訪問客に日帝強制占領期間の辛い歴史を感じて絶対繰り返してはならないと決意させるためだ。

    円形に作られた標識石には「この橋は日帝強制占領期間の1940年代、沃川チュクヒャン初等学校の校庭にたてられた『皇国臣民誓詞碑』である」という文章とともに「光復後、字を消して統一塔として使われたが、1994年、現在の位置に移された。日帝強制占領期間、日本が私たちの学生たちに忠誠の誓いを強要した内容が彫られた碑で大韓民国の辛い歴史を再確認できる資料だ」と記されている。

    沃川郡関係者は「日帝強制占領期間の世相をのぞくことができる文化遺産が地域にたくさんあることが分かる」として「郡民がこの辛い歴史を教訓にして明るい未来を期待するようにこの内容を知らせる標識石の設置を増やす」と述べた。

    ニューシス(韓国語) 
    http://www.newsis.com/view/?id=NISX20190520_0000655574

    【【韓国】 日帝の『皇国臣民誓詞碑』を石橋にして踏んで渡れるようにし、「辛い歴史を再確認できる資料」と説明碑を設置】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/05/06(月) 10:34:17.42 ID:CAP_USER
    no title

     
    【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代の朝鮮半島の様子が描かれた絵はがきをまとめた「絵葉書に見る近代朝鮮」が先ごろ日本で刊行された。在日コリアンのコ・ソンイル氏が収集してきた資料をもとに刊行したもので、大韓帝国時代の状況、景福宮や昌徳宮など朝鮮王宮の写真、当時のソウルの道や建築物、冠婚葬祭の様子などが分かる184点の資料が収録されている。

    コ氏はこのほど、聯合ニュースとの電話インタビューで「日本のはがき業者が朝鮮を訪問した人のためにお土産用として作ったものや、朝鮮総督府や日本の行政機関が植民支配の成果を知らせるために発行したものがほとんど」とし、「日本側の視点で作られたものだが、当時の朝鮮が置かれた状況をうかがうことができる多様な写真を収録した」と説明した。

    また「朝鮮王朝を世界の列強の侵略から保護するという名目で植民地化する過程がはがきからも確認することができる」とも述べた。 

     乙巳条約(第2次日韓協約、1905年)後に南山に置かれた統監府の絵はがきには「ソウルを見下ろすことができる最上の位置」という說明が書かれており、当時の日本の植民地に対する意図が表れている。

     また日本が大韓帝国を併合した1910年の10月1日付で発行された記念はがきには日本を象徴する桜と、朝鮮を象徴する梨の花を背景に両国の子どもたちが手をつないで遊ぶ様子が描かれ、植民地支配の正当性を宣伝する意図がうかがええる。

     済州島出身で1965年に日本に渡ったコ氏はこれまで約5000点のはがきを収集し、写真・広告・手紙などの関連資料も約1000点所有している。

     コ氏は「日本絵葉書会関西支部の協力により刊行したが、機会があれば韓国語版も出したい」とし、「失われた歴史を後世に伝えるために生涯にわたり集めてきた収集物を所蔵し、展示・研究・教育する博物館などを探している」と話した。

    聯合ニュース 2019.05.06 09:00 
    https://m-jp.yna.co.kr/view/AJP20190503003600882?section=society-culture/index


    【【在日コリアンが刊行】併合時代の朝鮮の様子わかる絵はがき集】の続きを読む

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    1: すらいむ ★ 2019/05/08(水) 15:25:36.51 ID:wQijAH/I9
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    日露戦争で収容「捕虜でなく人間」 ロシア兵の手紙、母国の新聞に

     日露戦争(1904~05年)の捕虜として姫路市に収容されていたロシア兵が母国に送った手紙の全文が当時の地元新聞に掲載されていたことが分かった。
     手紙には捕虜たちの日々の暮らしや、市民との交流の様子などが詳細につづられている。
     姫路のロシア人捕虜の手紙が見つかるのは初めてで、専門家は「識字率が低かった下級兵士が収容された姫路では、手紙の発見は大変貴重」と評価する。(地道優樹)

     捕虜に関係する歴史の掘り起こしを進める同市のNPO法人「姫路タウンマネージメント協会」が、1906年2月発行の「ニジニーノブゴロド・ゼムストヴォ新聞」に、捕虜の手紙が掲載されているのを見つけた。

     ニジニーノブゴロドは、モスクワの400キロ東に位置する県(現在は州)で、ゼムストヴォは旧ロシア帝国の地方自治機関。
     同紙は週刊の機関誌で、手紙は「日本からの手紙」の見出しで全文掲載されていた。
     筆者は同県チェルヌハ村出身のF・Iフィラレトフ軍曹。
     手紙は05年10月15日付で、米国ポーツマスで日本とロシアが講和条約を結んで間もない時期に当たる。

     姫路市の捕虜に同紙が送られていたらしく、同軍曹は書き出しで、編集者に感謝を述べている。
     自身らの本国送還については何も知らされていないことに触れ、「無為の10カ月は、軍務の意味でも人間的な意味でも、人々を大いに堕落させてしまいました」「規律もなければ、教練もなく、何もすることがない」と苦悩をつづっている。

     一方で、日本人について「今ではあらゆる面で私たちを捕虜でなく、同等の人間に対するような態度で接してくれます。収容所でのたまにある作業の際には、(日本人の)下級労働者たちは門に入るとすぐに帽子をとります」「ものすごく腰の低い人たちです」などと記している。

    (以下略)

    ヤフーニュース(神戸新聞NEXT) 5/8(水) 7:30
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190508-00000001-kobenext-l28

    【【話題】日露戦争で収容「捕虜でなく人間」 ロシア兵の手紙、母国の新聞に  】の続きを読む

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    1: (^ェ^) ★ 2019/05/06(月) 15:10:38.83 ID:Qw4OgCfe9
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    https://snjpn.net/archives/128822
    崔碩栄さんのツイート

    ソウル大学、李栄薫教授の歴史教養講座

    第2弾「嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判」の日本語字幕版が公開されました。

    徴用工裁判に対する李教授の見解は必見。

    https://www.youtube.com/watch?v=EmVzs4yNBtw



    (略)

    ▼ネット上のコメント

    ・とても勇敢な方ですね。ご本人もさることながら、ご家族のことも心配されます。ただ、韓国の国民にとっては、真実やヒストリーなんてどうでもよいのでしょう。自分達に都合の良いストーリーを信じたいとだけ。

    ・すごい、勇気のある方ですね。尊敬します

    ・これは必見ですね。ここまで正確に今の韓国の現象を説明した動画を私は知りません。他の人にもぜひ見てほしいです。

    ・この方お国で大丈夫でしょうか?

    ・この方の名前 記憶にあるのですが、以前 「慰安婦は性奴隷では無かった」と言ってナヌムの家で 土下座させられた人 ですかね?もしそうなら、信念の人ですね、尊敬します。

    ・李教授は、丹念に資料を読み解き、学術的分析からお話されているように見えました。ポピュリズム的な視点だけで語る学者が多い彼の国の中では、彼は異質なんだろうな。

    ・この人の動画は第一弾にも度肝を抜かれた。

    【【徴用工】ソウル大学教授「朝鮮人労働者たちが奴隷として連れて行かれ酷使されたという事実…真っ赤な嘘だと言える」 】の続きを読む

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    1: 名無しさん@涙目です。(禿) [MX] 2019/04/02(火) 15:45:25.79 ID:3BEypuMJ0 BE:155743237-PLT(12000)
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    北朝鮮の鉄道、100年前の設備そのまま 韓国政府公表
    4/2(火) 14:37

    韓国統一省は、ソウルから平壌を経て中朝国境を結ぶ鉄道京義線の開城(ケソン)―新義州(シニジュ)間(約400キロ)や、北朝鮮の東側を走る同東海線の金剛山(クムガンサン)―豆満江(トマンガン)間 (約800キロ)などの現地調査結果を公表した。 日本統治時代に造られた橋をそのまま使うなど、設備の老朽化が浮き彫りになった。

    公表は3月29日だが、調査は昨年実施した。調査報告書によると、 京義線では建設から70~110年、東海線では60~100年経った橋を 現在もそのまま使用しており、亀裂や破損を確認した。

    朝日新聞
    https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190329004923.html

    【北朝鮮さん、100年前に大日本帝国が建設した鉄道設備を今でもそのまま大事に使ってる模様 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/03/17(日) 19:41:51.38 ID:CAP_USER
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    ▲『韓国でも日本人は立派だった 証言と史料が示す朝鮮統治の偉業』

     ■知っておきたい先人の貢献

     韓国は、世の一般常識とまったく異なる言動の国である。まず第一に、日韓は国家的条約を結び、日本は巨額の資金を提供した。それをもって両国間は、互いに不満はあっても、それを言わず、新しい友好関係を結び、国家として交流するはずであった。

     しかし、韓国は依然、不満を言い、最後は金銭を求めてくる。こんな品位に欠ける国家・国民性とは思わなかった。そのため大半の日本人は韓国をそういう国と軽蔑している。不幸な話であるが、日本人の大半が韓国を見下げていることを韓国人は知らない。

     一方、日本人も、かつて韓国並びに北朝鮮に対して、どういうことをしたかということについて、よく知らない。

     本書は、そうした日本人に対して、政治的・経済的・文化的に日本がどれほど朝鮮半島に貢献したか、ということを実証的に多方面にわたって論述している。

     第1章-日本の偉業(ハングル入りの新聞は日本人がつくった。創氏改名は強制ではなかった等(など))。第2章-海峡を越えた近代化(水道事業に貢献。世界最高出力の水力発電所。警察官の半数近くが朝鮮人等)に始まり、「日本人の善意」「フェアだった内鮮一体」「日本は加害者ではない」。各章の記述を読むと、朝鮮人は、日本に感謝すべきであることがよく分かった。

     日本人は、まず本書を読んで日本人の先人の献身的寄与を理解することだ。そうすれば、われわれ日本人が正しく、尊敬されるべき在り方であったことがよく分かる。

     従来、日本人の朝鮮人に対する心情は、始めからばかにしているところ、無きにしも非ず。しかし本書を読むと、日本人がどれほど誠意をもって接してきていたか、ということがよく分かった。

     著者は韓国語の達人であり、史料は堅実に使われているので安心感がある。近ごろのただ罵倒し、史料に基づかない怪しげな韓国論とはまったく異なる。あえて希望を言えば、軍事・食糧方面についても論じていただきたかったが、それは次著に期待したい。

     本書は韓国論として正確さや説得力が抜群である。(喜多由浩著、産経新聞出版・1400円+税)

      評・加地伸行(大阪大学名誉教授)

    産経新聞
    https://www.sankei.com/life/news/190317/lif1903170023-n1.html

    【【書評】『韓国でも日本人は立派だった 証言と史料が示す朝鮮統治の偉業』 】の続きを読む

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    1: ハニィみるく(17歳) ★ 2019/03/16(土) 13:18:18.93 ID:CAP_USER
    日帝強占期、中国駐在の日本公使を殺害しようとして未遂に終わった、六三亭(ユクサムチョン)義挙を記念する行事が忠北(チュンプク)提川(チェチョン)の朴達峠(パクダルジェ)で行われた。

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    ▲ 李容俊先生の1939年の日本の記録

    民族問題研究所 提川・丹陽(タンヤン)支会は16日午前、堤川市 鳳陽邑(ポンヤンウプ)院朴里(ウォンバクリ)の朴達峠で義挙第86周年記念式を開いた。

    朴達峠には、義挙に加わった提川出身の李容俊(イ・ヨンジュン)先生(1907~1946年)胸像がある。

    イ先生は、建国褒章(1977年)および建国勲章愛国章(1990年)を受章した。

    記念式には愛国志士の子孫や光復団体、堤川市の関係者など200人が参加した。

    記念式は六三亭義挙の紹介、万歳三唱(マンセサムチャン)、祝賀公演、特別講演(キム・サンウン元独立記念館館長)などの順に行われた。

    民族問題研究所 提川・丹陽支会のリ・ハクヒョ支会長は、「今年は三・一万歳抗争と臨時政府100周年であるだけに、六三亭義挙について自治体と市民に多くの関心を持ってもらいたい」と述べた。

    続けて、「義挙に直接加担したとされる12名様のうち、忠北出身は提川 李容俊、忠州(チュンジュ)柳子明(リュ・ジャミョン)、鎮川(チンチョン)朴基成(パク・ギソン)先生」と述べた。

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    ▲ 李容俊先生の1939年の日本の記録

    民族問題研究所 提川・丹陽支会によれば、六三正義挙は1933年3月17日、上海(しゃんはい)華韓人青年連盟の行動団体である黒色恐怖団(フクセクゴンポダン)の主導で、上海の虹口(こうこ)で起きた。

    当時、上海駐中日本公使である有吉明を暗殺するためだった。

    しかし、暗殺情報が何者かによって漏れて計画が発覚した。

    結局、黒色恐怖団の団員が日本警察に逮捕され、義挙は失敗に終わった。

    しかし、挙事の失敗後に中国の新聞が暗殺計画を大きく取り上げ、沈滞期だった国内の抗日運動に新風を吹き込んだという点で意味があるとの評価を受けている。

    ?浦灘義挙(1922年3月28日)、虹口義挙(1932年4月29日)とともに、上海で起きた3大義挙に数えられる。

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    ▲ 光復後の臨時政府要員の国内帰国歓迎査閲式と見られる写真。右先頭が李容俊先生

    NAVER/提川=聯合ニュース(韓国語)
    https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0010698557

    【【韓国】日帝強占期の公使暗殺未遂事件、『六三亭義挙』をご存知ですか?】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/03/13(水) 20:53:23.65 ID:CAP_USER
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    「日帝強占期当時、島の住民6000人のうち800人が不逞鮮人という烙印を押されたまま監獄に閉じ込められたり監視を受けたりした」。 

      1927年5月10日に強制閉鎖された全羅南道莞島郡所安島(チョルラナムド・ワンドグン・ソアンド)の所安学校の歴史を扱った当時のメディア報道内容だ。日帝は当時、抗日運動の拠点という理由で所安学校を廃校した。住民たちは学校を再開するために署名運動に出たがそのせいで「不逞鮮人」になった。不逞鮮人は日帝に反発する「不穏で不良な朝鮮人」のことをいう。 

      今年、三・一運動100周年を迎えて抗日運動拠点だった小さな島に関心が集まっている。日帝強占期の間、激しく組織的な抗日運動が展開していた莞島所安島だ。 

      莞島から18キロ離れた所安島では、1800年代後半から光復(解放)の時まで抗日運動が続いていた。唐寺島(タンサド)灯台襲撃(1909年)や莞島三・一運動主導(1919年)、所安学校闘争(1927年)などが代表的だ。所安島は一年中島全域に太極旗がはためいている。太極旗は島の入口である所安港をはじめ、道路や通り、集落や商店街一帯に約1500本が掲げられている。所安抗日運動記念館を中心に、島全域に翻る太極旗には100年前の3月の雰囲気が残っている。 

      この島では三・一運動よりも10年前に武装抗日運動が始まった。1909年2月に所安出身の東学軍イ・ジュンハ先生と集落の青年5人が唐寺島灯台を襲撃した事件を通じてだ。日本が建てた唐寺島灯台は朝鮮から収奪した物資を積み出した日本商船の航路を照らす役割を果たしていた。当時、住民たちはこの灯台を守っていた日本人4人を処断することによって抗日意志に火を点けた。唐寺島は直線距離にして3.7キロメートル離れた所安島の付属島だ。 

      10年後に三・一運動が勃発したという便りに住民たちは再び立ち上がった。当時、所安島独立活動家は、1919年3月15日莞島邑の市が立つ日に開かれた万歳運動を主導した。ソウルで三・一運動が起きた後、14日間、太極旗と独立宣言書を謄写するなど緻密に偉業を準備した結果だ。当時1000人余りが参加した三・一五万歳運動は、南海岸一帯の抗日意志を集結させる役割を果たした。莞島郡では今年も100年前の所安島民の抗日意識を称えるために今月15日に万歳運動を開く。所安抗日運動記念事業会長のイ・デウクさん(65)は「太極旗の掲揚とムクゲの木の植樹などを積極的に展開することによって所安島の抗日歴史を全国民に知らせたい」と話した。

    中央日報 2019年03月13日 08時30分
    https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=251179


    【【韓国】年中太極旗を掲げる抗日拠点…所安島住民たちは「不逞鮮人」烙印も 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/03/11(月) 13:40:30.65 ID:CAP_USER
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    [アンカー]ユネスコ世界文化遺産の宗廟の塀のあちこちに日本王の年号が彫られている事実がKBSの取材の結果、確認されました。日帝が残した跡なのに、文化財庁はこのような事実を把握しているにもかかわらず、今に至るまで何の措置もしていないと明らかになりました。ユ・ドンヨプ記者が取材しました。

    [レポート]宗廟、朝鮮歴代の王たちの神位を迎えたところです。世界最大規模の木造建物の正殿は王が直接法事を行った場所で宮廷よりさらに神聖な空間でした。宗廟に入る正門のすぐそば、塀の下に漢字で彫られた文章が見えます。

    「昭和8年3月改築」。

    日帝強制支配期の1933年3月に塀を修理したという意味で、「昭和」は日本語で当時のヒロヒト日王の年号です。同じ言葉を塀のあちこちに難なく探すことができます。この事実を確認して私たちの市民団体に知らせた人は最近、韓国を訪れた日本人でした。

    [ペク・スンホ/「私たちの文化息遣い」宮廷道案内:「私が直接探したのではなくて日本の方のお言葉を聞いて知ることになって、灯台下暗しが恥ずかしかったです。」]

    塀に沿って巡回道を回ってこの様な言葉がいくつあるのか調べました。宗廟巡回道2.5キロ区間を見て回わった結果、日本式年号が彫られた基壇石は目で確認されただけで合計9個でした。塀の下の部分が土で覆われたところが多く、実際にはさらに多いと推定されます。

    文化財庁は取材陣が確認した個数より少ない7個を把握していると明らかにしました。朝鮮を侮辱したり日帝を称賛する内容でなく、単純な修理記録なので後続措置をしなかったと釈明しました。しかし、宗廟はユネスコ世界文化遺産であり朝鮮王室を象徴する空間です。日帝残滓を何の措置もなく放っておくのは適切でないとの指摘が出ます。

    [ホン・スンミン明智(ミョンジ)大記録情報大学院教授:「宗廟の塀を日帝強制支配期に日本の人々がどんな意図で管理したかを知らせる、そのような情報を案内板を通してとか...」]

    塀の向こう側に宗廟正殿が見渡せるその場に日本王の年号を刻んだ石が置かれて86年目。文化財庁は、KBS取材以後、実態調査と案内文設置などを検討すると明らかにしました。

    KBSニュース、ユ・ドンヨプでした。

    KBSニュース(韓国語) 
    http://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=4154811

    【【韓国】「世界文化遺産」宗廟の塀に刻まれた日王の年号…86年間放置】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/01/30(水) 23:52:22.39 ID:CAP_USER
    「私たちの世代は生まれながらの日本国民だった。それも兵役義務も参政権もない2等国民だった。私たちが戦場に出て行って死ぬ代価で残った同族たちの地位が向上するだろうと信じた。」

    これは日帝強制占領期間に日本軍徴兵1期であったウ・スヨン氏が2010年1月、朝鮮日報に投稿したエッセイの一部を抜粋したものだ。

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    ▲朝鮮日報ホームページキャプチャー.

    ソウル大経済研究所チョン・アンギ客員研究員(元高麗大経済学科研究教授)は去る20日、[「イ・スンマンTV」危機韓国のルーツ:反日種族主義シリーズ17-誰のための徴兵なのか]でウ氏のエッセイを紹介し「1944年~1945年、日本が施行した朝鮮人徴兵制が暴圧・強制的だったと言うのは反日強迫観念に過ぎない」と強調した。

    朝鮮人志願兵制、朝鮮の人々が先に日本に要求

    この日チョン研究員は「朝鮮人徴兵制は果たして誰のための徴兵であったのか」と質問を投げた。彼は「1920年以来、朝鮮人政治勢力は朝鮮人の国民的権利を主張する参政権請願運動を展開した」として「しかし、日本は朝鮮人の低い民度と教育水準を取り上げて時期尚早とだけを繰り返した」と説明した。彼は「それでも朝鮮人政治勢力は屈せず再度、優秀な資質の朝鮮人に限定した志願兵制施行を主張した。このような経緯を経て1938年4月、朝鮮人陸軍特別志願兵制が施行された」と明らかにした。

    チョン研究員は「陸軍特別志願兵制を施行する当時まで、日本は朝鮮人の軍事的な資質と力量を過小評価していた。ところが(朝鮮人を)実際に参戦させてみると(朝鮮人は)抜群の軍事的力量を発揮した」と強調した。特に「(中日戦争中)天王陛下万歳を叫んで戦死した、というイ・イムソク上等兵の登場は韓国人も「やればできる」という民族的自尊心を刺激した」として「日本政府は朝鮮人の陸軍特別志願兵制に対する高い支援率、中日戦争参戦での優れた軍事的力量をめぐり朝鮮人社会の愛国心と見なした」と明らかにした。

    日本議会が朝鮮人徴兵制施行を決めて、感激した朝鮮社会

    チョン・アンギ研究員は「結局、1942年5月、日本帝国議会は朝鮮人徴兵制の施行準備を決め、朝鮮人社会は両手を挙げて歓迎した。朝鮮の人々は自分たちの主張がいよいよ日本政府を説得したことに感激した」と話した。それと共に「徴兵制施行を契機に朝鮮人社会は兵役義務という日本国民の資格を獲得した。参政権の獲得と国民義務としての徴兵という義務と権利を確保することになった点で国民資格を得たと見られる」と解釈した。

    朝鮮人、日本語文盲者含む22万人が徴兵制支援
    (中略)

    朝鮮人兵士11万6000人参戦...朝鮮人のためと信じて
    (中略:>>2-5のあたり)

    チョン研究員は最後にウ・スヨン氏のエッセイを紹介しながら「朝鮮人徴兵者などは日本と天皇に忠誠をつくすことが結局朝鮮人のためであると見なし、そのため、彼らは喜んで徴兵に応じたのだろう。1944年から1945年、日本が施行した朝鮮人徴兵制は表面的な法制的強制性と異なり国民義務の履行という自発的動員を特徴とした」と付け加えた。

    オ・ムニョン記者

    メディアウォッチ(韓国語) 
    http://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=253834

    【【韓国】 朝鮮人の徴兵、朝鮮社会が先に日本に要請して施行された~彼らは戦場で死ねば同族の地位が向上すると信じた】の続きを読む

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    1: 次郎丸 ★ 2019/01/28(月) 16:39:02.05 ID:++zQKJB+9
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    創氏改名は朝日新聞が主張するほど強制性が甚だしかったのか 

     最近の日本と韓国の外交関係は、最悪といってもよいだろう。1910年の韓国併合から始まる大日本帝国統治時代の実態は、本当に韓国側が主張するようなものだったのだろうか? 評論家の呉智英氏が、日本の韓国統治の実態について考察した。

     * * *
     韓国の暴走が止まらない。半世紀前に決着がついているはずの徴用工問題を再燃させるわ、自衛隊機に照準用レーダーを照射するわ、挑撥という段階を超えて宣戦布告直前という感じだ。これも韓国に「反日」という絶対的正義が深く浸透しているからである。

     その反日の論拠の一つ「慰安婦強制連行説」は、二〇一四年、これを積極的に報道してきた朝日新聞が虚報であったと認め、検証・謝罪記事を大きく掲載した。しかし、まだこれに類する虚報がマスコミに出回っている。

     一月十一日付朝日新聞「社説余滴」は「引き揚げの苦悩は消えぬ」と題して、九十七歳の老婦人の釜山港からの引き揚げ話を紹介している。
    そこに、国民学校(小学校)の「新入生の胸に創氏改名した日本名の名札をつけ、朝鮮語を禁じ」とある。確かに創氏改名はあった。
    しかし、この記事全体に流れるような強制性の甚しいものだったのだろうか。我々は何となくそう思っている。朝鮮人が朝鮮名のままだと警察に逮捕され刑務所にぶち込まれるというように。だが、実態はかなり違う。

     この記事のちょうど一年前、昨年一月二十一日付産経新聞連載「海峡を越えて」第二回では「創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう」としている。
    朝鮮名から日本名に変えた人は約八割、残りは「金や朴など従来の『姓』をそのまま『氏』として使うことができた」。
    実例として、検事・閔丙晟(びんへいせい)、陸軍中将・洪思翊(こうしよく)、女性舞踏家・崔承喜(さいしょうき)を挙げている。三人のうち最も有名なのは美貌と芸術性で日本人も朝鮮人も魅了した崔承喜で、デパートなどの広告にもしばしば起用された。

     創氏改名が強制性の甚しいものなら、検事や将校が朝鮮名のままで許されるはずがなく、朝鮮名の舞踏家が国民的スターとしてポスターに登場するはずもない。

     創氏改名の実態について私が疑問を抱いたのは、そんなに昔のことではない。一九九〇年刊行の『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社)によってである。私もこの事典に何項目か執筆しており、送られて来た同書を読んで気づいた。

     それは朴春琴(ぼくしゅんきん)という戦前の衆議院(帝国議会)議員の存在であった。国会議員でさえ朝鮮名のままであるという事実は、創氏改名の強制性に疑いを抱かせた。

     また、戦前にこそ朝鮮人に選挙権も被選挙権もあったと確認した。日本は韓国を「併合」したのだから、国民の権利である参政権は同じように保障されるだろう。
    詳しく言うと、まず内地(日本列島内)と京城(現ソウル)に居住する朝鮮人に参政権を与え、それ以外は順次ということだったが、敗戦によって実現を見なかった。

     慰安婦強制連行説への疑問もこの時に湧いた。国会議員を出している人たちの娘を警察や軍隊が強制連行して慰安婦にすることが考えられるだろうか。国会議員以外に地方議員も何人か出ている。

     日本の韓国統治の実態について、我々は知らないことが多すぎる。

    ●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

    ※週刊ポスト2019年2月8日号

    2019.01.28 16:00 newsポストセブン
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