かたすみ速報

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    タグ:大日本帝国

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    1: 首都圏の虎 ★ 2020/09/12(土) 10:22:20.35 ID:0Biicpox9
    no title
    2020年9月9日、中国のポータルサイト・百度に「日本はかつて、どうして中国を侵略したのか」とする記事が掲載された。

    記事は、日本が中国の唐文化を最も完全な形で残している国であり、古代から近代に入る前まで中国に対して崇敬の念を抱いてきたと紹介。それが近代に入って日本が明治維新により近代国家への歩みを始め、帝国主義陣営の道を進み始めると様相が変化したと伝えた。

    そして、産業革命を実現した日本は本土に資源が乏しいため、他所から資源を手に入れる方法で一層の発展を遂げようとしたと主張。日本にとって中国は豊かな資源と膨大な労働力、広大な土地を持つ天国のような場所であり、中国大陸への進出を目指すようになったとしている。

    また、1930年代以降は世界的な不景気の影響を受けたこと、軍国主義勢力が台頭したことから、国内の危機を転嫁するために中国への侵略戦争を始めたとし、東北三省を掌中に収めたことで大量の経済基盤と各種戦略資源を手に入れたと紹介した。さらに、景気の低迷が進み、軍部が政治を掌握するようになると全国民が戦争に熱狂するようになり、全面的な対中侵略に乗り出したと論じた。(翻訳・編集/川尻)

    Record China
    https://www.recordchina.co.jp/b834496-s0-c10-d0135.html


    【【中国が上海租界地を攻撃したから】日本はなぜ中国を侵略したのか、自国の資源が乏しいからだけだったのか 中国メディア】の続きを読む

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    1: 新種のホケモン ★ 2020/09/04(金) 10:24:08.79 ID:CAP_USER
    cn250
     中国では連日のように抗日ドラマがテレビで放送されており、映画界でも定期的に抗日映画の新作が撮影、上映されている。現在は第2次上海事変(中国名:淞滬会戦)を描いた「八佰(The Eight Hundred)」が中国で上映されており、大きな注目を集めている。

     中国メディアの百家号は3日、中国で映画「八佰」が上映されたことで、多くの中国人は再び「苦難に満ちた抗日戦争」の記憶を新たにしていると主張しつつ、日本と中国では歴史に対する態度が大きく異なっていると主張する記事を掲載した。

     記事は、中国が抗日をテーマにした映画やドラマを上映、放送し続けるのは「国辱を忘れず、歴史を胸に刻みこむためである」と主張。戦争とは残酷なものであり、今日の安定した生活があるのは「戦争で失われた無数の命のおかげ」であるとする一方、こうした中国の歴史に対する態度と日本の態度は大きく異なっているのが現状だと主張した。

     そして、中国メディアが過去に日本の街中で中学生たちに対して「南京大虐殺を知っているか」とインタビューを行ったところ、中学生たちから返ってきた答えは「名前だけは聞いたことがある」、「知っているが詳しくは分からない」といったものだったと伝え、これは日本が教科書で自分たちが行ったことを子どもたちにしっかり教えておらず、事実を「隠している」ことを示すと主張。

     また記事は、日本は中国のように戦争をテーマにしたドラマや映画を撮影し、放送することもないとし、南京大虐殺を詳しく知らない日本の子どもたちは「大人になった時には戦時中の罪を否定することになるかもしれない」と主張。日本は歴史を正視すべきであり、正しい歴史を子どもたちに教えるべきであると主張した。(編集担当:村山健二)

    サーチナ 2020-09-04 08:12
    http://news.searchina.net/id/1692457?page=1

    【【なかったものをあるといわれても】南京大虐殺を詳しく知らないだと?それが日本の歴史に対する態度だ!戦時中の罪を否定することになるかもしれない】の続きを読む

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    1: 新種のホケモン ★ 2020/08/21(金) 08:29:35.07 ID:CAP_USER
    sai
     韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はかつて顕忠日の追悼演説で、「鳳梧洞の戦い」における勝利の主役である崔振東(チェ・ジンドン)将軍は「独立戦争で初の大勝利を挙げた」として「国軍のルーツ」と持ち上げた。ところが報勲処は崔将軍の「親日欠缺(けんけつ=要件が欠けていること)」を確認し、7月に行政安全部(省に相当)へ叙勲取り消しを要請したという。文政権の「親日追い込み」に合わせて独立有功者の行跡を洗い直す過程で、崔将軍の「親日」が発覚したのだ。しかし文政権は叙勲取り消しを保留した。文大統領自身が賞賛した「抗日英雄」に「親日派」とレッテルを張る「不敬」を犯すことはできなかったからだろう。

     崔将軍が1920年に鳳梧洞の勝利を導き出したという事実に疑いの余地はない。軍務都督府という独立軍の部隊を率い、洪範図(ホン・ボムド)将軍の部隊と連合して日本軍を撃破した。多くの財産を鳳梧洞一帯での独立運動に投げうちもした。しかし、1937年の日中戦争以降「変節」した、という主張が出てきた。日帝に巨額の献金を行い、日本軍討伐隊の先頭に立ったという疑惑だ。遺族らは「日帝の拷問で強奪されたもの」「日本軍に協力したことはない」と反論している。こうした論争は一度や二度ではない。35年間国を失った民の抗日と親日を、どうしてダイコンを断つように区別できようか。

     日帝強占期に生まれてもいない現政権の勢力は、政治的な突破口が必要になるたび、あちこちで親日派のレッテルを張る。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時にも一度、国をつついた騒動だ。当時、親日派清算の先頭に立っていた与党議員の父親が満州国警察の特務だったことが発覚し、与党代表は父親が日本軍の憲兵として服務していた事実が明らかになって代表ポストを退いた。親日追い込みをして自分の足を切ってしまったのだ。報勲処の調査の通り崔将軍が「親日派」であるなら、文大統領は6・25の戦犯に続いて親日派を「国軍のルーツ」として賞賛したことになる。こんな笑い話をいつまで繰り返すのだろうか。

    朝鮮日報 8/21(金) 7:58
    https://news.yahoo.co.jp/articles/2fd8ff3e2612c6fe4abbd9633b6b1ad3b3dec5bd

    事実の「鳳梧洞の戦い」
    1920年(大正9年)同年6月4日には、午前5時に穏城郡南陽対岸の三屯里から朝鮮人武装組織50人が豆満江を渡河して日本の警察憲兵及び守備隊と銃撃戦となり、武装組織は三屯里の民家に退却した。その際、日本側の損害はなく、武装組織は1人戦死、2人負傷し、2人捕虜、小銃2挺、小銃弾245発を押収した。事件の背後に有力な一団があるとみた日本陸軍の第19師団は、安川少佐率いる歩兵2個中隊による追撃隊を派遣、同年6月7日に汪清県鳳梧洞で家屋内から射撃する独立軍と4時間にわたり衝突し、日本軍の戦死者は1人、武装組織は遺棄死体33人以上を残し、捕虜8人を捕らえた。また、屋内にいた朝鮮人女性4人、子供1人が負傷した(鳳梧洞の戦い)。この戦いを見るや上海の大韓民国臨時政府は、「我が軍の大勝利」として図們江軽便鉄道占領説など誇大な宣伝発表を行った

    【【韓国が歴史を捏造するからこうなる】文大統領が賞賛した「抗日英雄」、報勲処の調査では「親日派」日帝に巨額の献金を行い、日本軍討伐隊の先頭に立っていた】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2020/08/20(木) 23:36:25.43 ID:CAP_USER
    kr250

    「これは日帝強制占領期間に植民統治に活用された施設である。正しい歴史を知らせて歴史の正義を正すための親日残滓清算活動の結果、この松汀(ソンジョン)神社が日帝植民地残滓物であることを明らかにする。」

    75周年8・15光復節を2日前にした13日、光州(クァンジュ)松汀公園金仙寺で断罪文除幕式が開かれた。断罪文は要人や施設に対する正確な歴史的事実を指摘して親日行為を一般の人たちに知らせるための施設だ。

    金仙寺は日帝強制占領期間、統治施設だった松汀神社があった場所だ。解放後の1948年、地域のある仏教財団がこの建物を改・補修した後現在まで寺の建物として使っている。改・補修をしたというが、大雄殿などあちこちに日帝神社の跡がそっくり残っている。

    神社は日帝が内鮮一体を強調して朝鮮の民族精神を抹殺するために作った施設で、代表的な日帝残滓だ。このような施設が何と70年を越える長い歳月の間、市民が楽しみに訪れる都市公園の中に全国で唯一の木造神社建物として保存されてきた事実が恥ずかしい。

    光州で断罪文除幕式が開かれたのは今回が二回目だ。昨年8月8日、光州公園で開かれた「光州神社階段」断罪文除幕式が最初だった。光州神社があった場所は今の顕忠塔の場所だ。

    1940年、全南道から神社管理権を移された朝鮮総督府が今の神社階段を整備した。神社の建物は解放直後、住民たちによって破壊されて消えたが光州公園入口の階段と中央広場から顕忠塔に上がる階段はそのまま残っている。

    「これは日帝強制占領期間に建てられた光州神社に上がる階段だ。神社は日本が天皇のイデオロギーを注入するために全国あちこちに建てて朝鮮人を強制的に参拝させるなど軍国主義的侵略政策と植民地支配に利用した。」

    市はこの断罪文を通して、そこが日帝残滓であることを明確にした。市はその他にも今年、元暁寺(ウォニョサ)松花式浮屠碑・浮屠塔など6ヶ所21個の残滓物に対して断罪文を設置した。

    最近、日帝残滓清算を骨子としたキム・ウォヌン光復会長の光復節記念演説をめぐり議論になっている。これが大韓民国の現住所という事実に胸が痛む。解放75年が流れたが、私たちの社会のあちこちに日帝残滓がそれだけ根深いという反証だ。光州市が断罪文設置事業を中断してはいけない理由だ。

    ユン・スンハン論説委員

    無等日報(光州の地方紙、韓国語)
    http://m.honam.co.kr/detail/WYXZ2h/611432

    【【韓国】 光州の日帝残滓施設に『断罪文』設置~朝鮮の民族精神を抹殺するために建てられた神社など】の続きを読む

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    1: 昆虫図鑑 ★ 2020/08/18(火) 10:57:44.62 ID:CAP_USER
    中国メディア・今日頭条は16日、「抗日戦争前の日本は、米ソと肩を並べるほどの強さだった」とする記事を掲載した。

     記事は、日本が枢軸国の一つとして第2次世界大戦の主な参戦国になったと紹介。その当時の日本が持っていた実力は米国やソ連と肩を並べるほどで、世界屈指の強国の一つであったとした。

     そして、領土では朝鮮半島や中国東北部などを支配下に置き、さらに勢力を中国の華北地方や東南アジア、さらに、パラオ諸島やマーシャル諸島、カロリン諸島、北マリアナ諸島といった太平洋の主要な島にまで拡大していたとし、これにより豊富な資源と人力を獲得していたと伝えている。

     また、経済面では世界で6番めの経済大国であり、整った工業体制をすでに持っていたと説明。軍需工業の発展も目覚ましく、飛行機、戦車、空母といった主要軍備をすべて自前で製造できたほか、多くの工業製品の生産量が世界でも上位に入っていたとした。

     さらに軍事面ではすでに世界の主な軍事強国の一つとなっており、特に海軍の実力は世界トップクラスだったと紹介。強力な軍需産業に裏付けられたハード面の実力だけでなく、軍隊の兵力が多くなおかつその大部分が厳しい軍事訓練を受けており、実戦経験が豊富だったとし、これに武士道の薫陶が相まって、その戦闘力は非常に高かったと伝えた。

     記事はこのほか、政治分野においても主要な強国の一つとして国際的に大きな発言権、影響力を持っていたとした上で「もし日本の野心があまりに大きすぎなかったら、日本の強国としての地位は失われなかっただろう。そして、今でも米国に肩を並べていたかもしれない。少なくとも、何事も米国人の顔色をうかがうような現在の状況にはならなかったはずだ」と評している。(編集担当:今関忠馬)

    サーチナ
    http://news.searchina.net/id/1691966?page=1

    【【事実だが何を考えてる中国】第2次世界大戦前の日本は、世界屈指の強国だった=中国メディア】の続きを読む

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    1: ごまカンパチ ★ 2020/07/06(月) 23:22:47.54 ID:HCO0++sK9
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     台湾・台北市で日本統治時代に鉄道部(鉄道省)として使用された建物の修復が完成し、
    鉄道の発展史などを紹介する「国立台湾博物館鉄道部園区」として生まれ変わった。
    開館式が6日、同市で開かれ、蔡英文総統は「歴史的遺跡の再利用だ。台湾には豊富な文化資産がある」と述べ、観光振興に生かしていく考えを表明した。

    建物は1918年に建設され、第2次大戦後は台湾鉄路管理局としても使用された。
    2007年に国定遺跡に指定され、文化部(文化省)などが赤色のレンガや木材を使って当時の面影を残すよう修復を進めてきた。

    ヤフーニュース
    https://news.yahoo.co.jp/articles/1f9dbc558d7f481e454b21b7b74a525e37cbad9e



    【【台湾】台北に鉄道博物館オープン 日本統治時代の建物を修復】の続きを読む

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    1: 3K宇宙背景放射(光) [US] 2020/06/05(金) 20:32:09.87 ID:5T1+rrTR0● BE:201615239-2BP(2000)
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     韓国政府の科学技術情報通信部(省に相当)郵政事業本部が、大韓民国独立運動史の重要な戦果の一つである 「鳳梧洞の戦い」戦勝100周年に合せ、記念切手68万8000枚を5日に発行する。同本部が4日に明らかにした。

     1920年6月7日、洪範図(ホン・ボムド)将軍などが率いる独立軍連合部隊は、中国の吉林省和竜県鳳梧洞の谷へ日本軍を誘い込んで戦闘を繰り広げ、 157人を射殺しておよそ300人を負傷させた(原文ママ)。独立軍の被害は戦死者4人、重傷者2人だった。

     記念切手の図柄には、独立記念館に所蔵されている西洋画家の故・任直淳(イム・ジクスン)画伯の作品「洪範図将軍の鳳梧洞の戦い」を収めた。
    5日から近所の郵便局や「インターネット郵便局」(www.epost.go.kr)で購入できる。

    ■「武装闘争で自主独立を達成できるという希望を与えた事件」

     郵政事業本部は4日に配布した報道資料で、鳳梧洞の戦いの背景になった「三屯子の戦い」について詳細に説明しつつ 「(独立軍の攻撃を受けて)追撃に出てきた日本軍は独立軍部隊を発見できず、罪もない良民を虐殺した」と強調した。

     また郵政事業本部は、鳳梧洞の戦いの意義について「日帝の弾圧に苦しんでいた韓国民族に、武装闘争で自主独立を実現できるという希望を与え、 1920年代に独立戦争が活発に展開する契機となった」と評価した。

     朴鍾石(パク・チョンソク)郵政事業本部長は「今回の記念切手発行を通して、民族の主体性を守ろうと努力した独立軍を記憶し、 独立の希望と信念を植え付けた鳳梧洞の戦いの意味をかみしめるきっかけになることを望む」と語った。

    朝鮮日報
    http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2020060580092

    【【嘘の歴史】韓国政府、日本軍を打倒した「鳳梧洞の戦い」戦勝100周年記念切手を発行】の続きを読む

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    1: 新種のホケモン ★ 2020/02/07(金) 08:34:12.60 ID:CAP_USER
    kr250
     
    京畿道安城市(キョンギド・アンソンシ)の最東端にある地域名は「一竹面(イルジュクミョン)」だ。この地域は本来竹山郡(チュクサングン)南一面(ナムイルミョン)・南二面(ナムイミョン)・北一面(ブギルミョン)・北二面(ブギミョン)・蹄村面(チェチョンミョン)など5カ面で構成されていた。「竹山郡」は1895年まで近隣郡・懸を管轄していた竹山府があったことから名付けられたという。日帝時代に日本は「竹山郡」をなくした。その代わりに、この地域を安城郡に編入させた後「竹一面」と名付けた。だが、まもなく苦情が提起された。「竹一」という発音が「悪口のようだ」という指摘だった。(訳注:韓国語で「チュクイル」は「殺す」の発音と似ている)論議に巻き込まれると「竹一面」は3年後、「一竹面(イルジュクミョン)」に名前を変えた。

    京畿地域の邑・面・洞の40%が「一竹面」のように日帝強占期当時変更された地名を今まで使っていることが分かった。日本が韓国人固有の情緒と意識を抹殺するために推進した創氏改名(日本式姓と名前を持つように強要)が土地名に拡大したわけだ。いわゆる「創地改名」だ。

    京畿道が地名の変化を分析した結果、京畿道の398邑・面・洞の中で160カ所が日帝強占期当時日本によって名前が変更されたことが確認された。最も多い類型は2つの地名から一文字ずつ取って合わせた「合成地名」で121カ所にもなる。代表的なところが城南市盆唐区書ヒョン洞(ソンナムシ・プンダング・ソヒョンドン)だ。旧名は遯書村(ドゥンソチョン)、陽ヒョン里(ヤンヒョンリ)、遯路洞(トンロドン)などだったが、一文字ずつ取って書ヒョン洞に変更した。水原市勧善区区雲洞(スウォンシ・クォンソング・グウンドン)、城南市盆唐区盆唐洞、龍仁市器興区新葛洞(ヨンインシ・キフング・シンガルドン)なども合成地名だ。

    《中略》

    京畿道は日帝残滓の清算と地域の歴史性・アイデンティティの回復のために現在31市・郡を対象に行政区域の名称変更への意思があるかどうか意見を聴取している。地名の変更を希望する所があれば、行政区域の名称変更を通じて固有な行政地名復元の手続きに入る予定だ。邑・面・洞や機関名などは上位地方自治体の条例改正を通じて変えることができる。

    実際に城南市盆唐区にある草林(チョリム)駅と柏宮(ペックン)駅は住民などの要求で「薮内(スネ)駅」と「亭子(チョンジャ)駅」に名前が変わった。

    地方自治体の名前が変わった事例もある。この場合、行政安全部の承認と法制処の審査、閣僚会議と国会審議で成立する必要がある。儀旺市(ウィワンシ)は2007年日帝が任意で変えた漢字名を「儀旺市」から「義王市」に復元した。

    仁川弥鄒忽区(インチョン・ミチュホルグ)は「防衛」が入った地名を変えた事例だ。弥鄒忽区の旧名は「南区(ナムグ)」だ。1968年地域が区切られた当時、南側にあるという理由でこのような名前がつけられた。だが、地域の特色がないという指摘を受け、地方自治体が出て地名の変更を推進し、2018年7月から「弥鄒忽区」になった。
    それでも地名の変更を推進していた地方自治体が全部成功したわけではない。住民の反対にぶつかったり、議会で同意を得ることができなかったりしてうやむやになることも多い。仁川東区(トング)も名前の変更を推進したが、区議会の反対にぶつかった。

    地名の変更を推進したある地方自治体関係者も「団体長が出て推進しても『馴染みのある地名をなぜ変えるのか』とし、反対する住民が多ければあきらめざるを得ない」と話した。

    中央日報 2020.02.07 07:41
    https://s.japanese.joins.com/JArticle/262295


    【【韓国】日帝時代に創氏改名を余儀なくされた町名が変わる】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2020/02/04(火) 16:20:24.64 ID:CAP_USER
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    「燃料を死体の上に置いたとき、一人の負傷者が立ち上がろうとしましたが、すぐに銃剣で刺して炎の中で燃やして死なせたそうです」

    1920年10月30日、中国吉林省龍井村から北東に10キロ離れた韓国人の村チャンアムドンに日本軍が押し寄せた。日本軍は、「不逞鮮人(日本帝国の命令に従わない韓国人)を焦土化する」として、良民の首を切って銃で撃ち、家や教会に火をつけて生きたまま燃やして殺した。間島慘變(庚申慘變 、間島大虐殺)だった。その翌日、カナダのキリスト教長老会のFoote宣教師は、マーティン龍井村チェチャン病院長と一緒にこの残酷な現場を調べて記録に残した。

    これまで、部分的に知られていた彼らの証言が含まれた報告書と手紙が、100年ぶりに韓国国内で初めて公開された。キム・ヨンオク陸軍士官学校教授が最近翻訳出版した「間島出兵史」を通じてだ。間島出兵史は、朝鮮軍司令部が1920年の「間島作戦」の全容を込めて、1926年に日本陸軍省に送った秘密文書だ。キム教授は、「間島出兵史には、庚申慘變の残酷な様子についての宣教師たちの生々しい証言はもとより、日本軍が密偵を通じて把握した間島一帯の独立軍の現状と武官学校の所在地などが含まれており、独立運動史の研究に貴重な資料になるだろう」と語った。

    趙鍾燁

    東亞日報 February. 04, 2020 08:21

    【【韓国また捏造する】「間島大虐殺」の全容報告書が100年ぶりに韓国国内初公開】の続きを読む

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    1: 新種のホケモン ★ 2020/02/02(日) 08:15:24.25 ID:CAP_USER
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    韓国を研究する米国の少壮学者、日本統治時代におけるソウルの変化の様相、人々の反応を具体的に記録

    「朝鮮神宮を訪問した植民地住民ら、観光名所を訪れたかのように行動」

    【新刊】トッド・A・ヘンリー著、キム・ベクヨン、チョン・ジュンヨン、イ・ヒョンア、イ・ヨンギョン訳『ソウル、権力の都市』(山のように刊)

     米国カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の歴史学科教授を務める著者トッド・ヘンリー(48)は、韓国を研究する米国人学者だ。彼は序文において韓国学者の間で『西林派(Westwood faction)』の一員だと言えることを誇らしく思う」と表明した。「西林派」とは「士林派」をもじった造語で、西洋の韓国学者を意味する。著者は「西林派」の中でも、1945年以前の韓国を主に研究する学者で、エドワード・ワーグナー、ジェームズ・パレ、マルティナ・ドイヒラーなど第1世代、カーター・エッカート、ドナルド・ベイカー、マーク・ピーターソン、ジョン・ダンカンなど第2世代に続く、第3世代の少壮学者に属する。

     「西林派」の学者は韓国人研究者に見られがちな民族主義的傾向に引っ張られず、日帝時代を眺める際、近代と収奪、親日と反日という二分法を超越する。著者もアプリオリな二分法を超え、日本による植民支配期のソウルの公共空間がどのように変化し、当代の人々がこれにどのように反応したのか具合的様相を観察する。朝鮮王朝500年の首都にして大韓帝国の皇城であった漢陽を植民地首都・京城に変えようとする日帝の企画は、朝鮮人を日本帝国の臣民にする「同化政策」の核心だった。

     1925年に南山に建立された朝鮮神宮は、天皇家に「精神的同化」をするよう設計された施設だった。京城に暮らす日本人のように、朝鮮人も天皇に同質感を抱いて参拝するよう強要された。しかし同化は結局失敗した。植民地住民は朝鮮神宮を訪問はしたが、敬虔(けいけん)な参拝ではなく、観光名所を訪れたかのように行動した。神道を支持していた日本人の小笠原省三は「神宮の前まで行けば、日本人は帽子を取って頭を下げるのに対し、朝鮮人はさっと背を向けて家に帰ってしまう」として「朝鮮人は参拝しなかった。

    彼らはただ参観しているだけだった」と回顧した。
     日中戦争と太平洋戦争で戦時体制に変わった1937年以降、参拝強要は一段と暴力的かつ強圧的になったが、朝鮮人の内面を支配することはできなかった。あるキリスト教の牧師は、神学生らと共に団体で神宮を訪問した。牧師は、外見上必要な儀式を全て行ったが、このように祈った。「神が一日も早く日本の鬼神を追い出し、その場所にキリストの教会を建ててくださいますように。われわれが一日も早く、われわれの独立を取り戻せますように」

     日帝が、朝鮮王室の正殿である景福宮に大理石でできた総督府の建物を新築し、宮殿の多くの殿閣を撤去した跡地で大規模な博覧会を開いたのは、日本の統治が近代的繁栄をもたらしたと宣伝しようとする「物質的同化」のプロセスだった。博覧会では、植民地以前の朝鮮の過去を不毛かつ抑圧的なものとして、日帝の植民統治以降の朝鮮の現在を近代的かつ生産的なものとして見せる図表や写真を展示し、日帝の支配を経済的搾取ではなく恩恵と見なすよう誘導した。しかし、動員された朝鮮人観客の大部分は、展示品を見るよりも遊戯施設や休憩所で多くの時間を過ごした。

     大恐慌時代の1929年、博覧会の費用を捻出するため行われた募金キャンペーンは、逆に植民地産業が抱えている民族的差別を浮き彫りにする結果となった。募金を行った京城協賛会の一部会員は、朝鮮人には寄付する金がないと懸念を表した。強圧的な募金や観覧に動員された朝鮮人らは、朝鮮の経済と文化の伝統が展示されたものを見て、日帝の統治に敵意を示すこともあった。

     総督府は、京城で毎年2度実施する大掃除や衛生博覧会などを通して、朝鮮の生活が清潔になったと主張した。著者は、これを「公衆的同化」と呼ぶ。総督府は、朝鮮人大衆がこの企画にうまく反応するだろうと信じたが、朝鮮人の多数よりも少数の日本人住民の保健の方に恩恵がもたらされる基調は常に維持された-と著者は記す。

     植民地住民を2等国民として差別・排除する体制において、彼らを「忠良な皇国臣民」にするという日帝の同化政策は、決して実現し得ないプロジェクトだった。著者は「植民地近代性というものが悪賢い分割主義的統治システムであることを余すところなく示している」と指摘する。原題は『Assimilating Seoul』(ソウルの同化)。484ページ、2万8000ウォン(約2600円)。

    李漢洙(イ・ハンス)記者

    朝鮮日報 2020/02/02 06:06
    http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2020013180154

    【【朝鮮日報】帝国臣民として飼いならそうとした「京城プロジェクト」は失敗した】の続きを読む

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    1: 新種のホケモン ★ 2020/01/27(月) 14:46:47.99 ID:CAP_USER
     鉄道開通から120年を迎えた韓国で、幹線の大改修が進んでいる。高速化でソウル一極集中を緩和する狙いとともに、日本統治時代の遺産を「自主独立」の象徴に転換しようと文在寅(ムンジェイン)政権は意識している。(安東=武田肇)

    鉄路は「植民地支配の傷痕」
    no title

    韓国の鉄道と安東駅周辺

     「ようやく民族の誇りを回復できる。喜ばしい」

     韓国でも儒教文化が色濃く残るとされる慶尚北道・安東。朝鮮王朝時代の上流階級、両班(ヤンバン)の邸宅だった臨清閣で「安東文化を守る会」代表の元高校教員、金鎬兌さんは顔をほころばせた。

     目の前には、日本統治時代の1941年に敷設された中央線が通り、列車が通過するたび家が大きく揺れる。それが、今年末には数キロ離れた新線に移り、約80年ぶりに静けさが戻る。

     臨清閣は日本統治時代、旧満州…

    《続きは有料記事になります》

    朝日新聞  2020/1/27 9:00
    https://www.asahi.com/sp/articles/ASN1R4V2VN15UHBI007.html?ref=amp_login

    【【朝日新聞】鉄道は「日帝の残滓」 韓国で進む大改修、文氏に異論も】の続きを読む

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    1: Felis silvestris catus ★ 2020/01/20(月) 18:13:39.02 ID:71EizG9s9
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    https://anonymous-post.mobi/archives/18262
    私は95歳の高齢者です。
    死ぬ前に、日帝時代について証言したいと思います。
    イルベのことは孫が教えてくれました。

    私は1924年、京城府で生まれました。
    日帝時代と言えば、暗黒に包まれた地獄という認識が広まっていますが、これは事実ではありません。

    日常は平穏でした。
    違いと言えば、政治家が日本人で、官庁の看板が日本語、この程度でした。
    今の韓国社会を埋め尽くしている反日感情のようなものは、日帝時代当時、朝鮮人たちにはありませんでした。

    学校に行けば、天皇の肖像が掲げられた祭壇にお辞儀したり、多少の日本式教育はありましたが、我々は日本人の先生の下で一生懸命勉強しました。
    日本人の先生たちも、全力で我々に教えました。
    本当に立派な人たちでした。

    過去の朝鮮時代を懐かしむ朝鮮人は誰一人といませんでした。
    我々は日本の統治に順応し、協力して日常を送りました。

    日本が南方で勝利すれば、みんなが日の丸を掲げて街を行進しました。
    信じられないかもしれませんが事実を話しています。
    それを管制の親日団体が主管したとは言え、我々は日本軍が戦いに勝利し、戦功を上げたことに味方の勝利だと感じました。

    日本軍に志願した朝鮮人の友人も多かったです。
    官庁や警察に進出した友達も多かったです。

    治安は安定していました。
    日本軍が朝鮮人の少女を路上で強制的に拉致・誘拐したとか、生き証人の言葉として出てきたりしていますが、もし京城でそのようなことが起これば、日本の警察がすぐに対応したり、あるいは朝鮮人が3.1のように立ち上がり、抗争に突入していたでしょう。

    私は人生がいくばくもない老人です。属国朝鮮人として生まれ、光復、6.25戦争、軍事革命、高度経済成長をすべて見てきました。

    私が言いたいことは、まったくでたらめな話に乗り、親北反日主義で国益を損ねてはならないということです。
    我々の世代はすでに死んで消えていっています。

    その時代は地獄でも天国でもない、巨大な歴史の流れの中に一片として、我々は日本人への恨みと憎しみよりも、自国の発展と復興を願うだけです。

    共産主義者の手法を我々はよく知っています。
    彼らは民族を前面に掲げ、理念を注入して赤化し、財産を強奪していきます。

    今、その手法が反日の仮面をかぶって再び襲いかかっています。
    どうかみなさんは、それに流されず、強くて美しい、堂々とした大韓民国を作ってください。

    重要な要約
    日帝時代は現在の視点と基準で裁断することはできません。
    当時を生きた人たちは、近代化したという点を肯定的に評価しています。

    翻訳元:http://www.ilbe.com/view/11227603729

    (略)

    【【韓国】「私は95歳の老人です。死ぬ前に日帝時代の真実を語ります」が韓国ネット掲示板で話題に…】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2020/01/01(水) 15:09:49.24 ID:CAP_USER
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    ▲全北群山市「旧朝鮮食糧営団群山出張所」建物に造成される群山ホログラム コンテンツ体験ゾーン空間構成鳥瞰図/提供=全羅北道文化コンテンツ産業振興院.

    全北(チョンブク)群山市(クンサンシ)で「日帝収奪の歴史」がバーチャルリアリティで再現される。

    全北道と群山市、(財)全羅北道文化コンテンツ産業振興院が30日午後2時、全北群山地域の近代歴史文化コンテンツを開発し、文化・観光産業活性化に寄与する「群山ホログラム コンテンツ体験ゾーン」を開く。

    ホログラム コンテンツ体験ゾーンは日帝時代、湖南(ホナム)平野米収奪の歴史をそのまま見せる「旧朝鮮食糧営団群山出張所」の建物を活用して作り、国費と地方費合わせて合計70億ウォンの事業費が投入された。

    体験ゾーンは大きく1階に歴史展示室、復元展示室、バーチャルリアリティ(VR)体験室と2階ホログラム上映館等で構成される。文化コンテンツと情報通信技術(ICT)を接続して日帝食糧収奪の歴史を体験的要素で再現した。

    歴史展示室は日帝強制占領時代の資料をベースに当時の群山の姿と収奪の痛みをグラフィックで再現・展示する予定だ。

    復元展示室は当時の写真資料などに基づいて応接間を復元し、コンセプトに合わせてプロジェクション マッピングと基盤インタラクション体験が可能になり、建物の歴史と群山市の発展過程をホログラム マッピングで見ることができるようにした。

    バーチャルリアリティ(VR)体験室は日帝強制占領期間、収奪の歴史ストーリーに基づくVRゲーム体験が可能だ。

    2階にあるホログラム上映館は湖南で最初の3・1運動万歳運動の歴史的事実をシナリオ化したホログラム映画と日帝強制占領期間の群山の生活像を見ることができるホログラム ドキュメンタリーを鑑賞できる。

    ホログラムコンテンツ体験ゾーンは文化財の建物の外形復元過程を見ながらコンテンツまで体験するサービスを提供する予定だ。

    試演会を通じてホログラムコンテンツ体験ゾーンに対する多様な意見を収斂し補完して実証試験期間を経て来春から本格的な運営に入る。

    ファン・チョルホ道文化体育観光局長は「湖南初の3.1万歳運動が起きた群山の独立抗争、沃溝(オック)農民抗争など近代史をホログラム、情報通信技術を活用した公演および体験型歴史教育でコンテンツ化した。地域競争力が強化されるよう最善を尽くす」と話した。

    ナ・ヒョンボム記者

    アジアトゥデイ(韓国語)
    http://www.asiatoday.co.kr/view.php?key=20191229010016723

    【【韓国】 「日帝収奪の歴史」をバーチャルリアリティで再現...「群山ホログラム コンテンツ体験ゾーン」竣工】の続きを読む

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    1: 影のたけし軍団ρ ★ 2019/10/09(水) 17:03:29.26 ID:CAP_USER
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    【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はハングルの制定を記念する「ハングルの日」を迎えた9日、 交流サイト(SNS)にメッセージを投稿した。

    日本による植民地支配に抵抗して1919年に朝鮮半島で起きた三・一独立運動と大韓民国臨時政府樹立から100年の年に迎える意義深い「ハングルの日」だとした上で、「573年前にハングルを創生した世宗大王の愛民精神と、日帝強占期(日本による植民地時代)にハングルを守り抜いた独立運動家たちの民族精神を思い起こす。日帝強占期はハングルを守ることがすなわち独立運動だった」とつづった。

    植民地時代にハングルを守った独立運動家の精神に言及することで、 日本の不当な経済報復としての輸出規制措置に打ち勝つという意思をあらためて強調したものと受け止められる。

    朝鮮日報
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/09/2019100980043.html

    【【ハングルは日本が広めたのだが】韓国・文大統領 「日帝強占期(日本による植民地時代)にハングルを守り抜いた独立運動家たちの民族精神を思い起こす」 】の続きを読む

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    1: 鴉 ★ 2019/09/30(月) 19:28:13.00 ID:CAP_USER
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    日本憲兵に腕を切られても抵抗した“朝鮮の血女”尹亨淑
    9/29(日) 20:06配信

    麗水市・麗水地域独立運動家遺族会が27日、麗水で開催 「義血之士 尹亨淑を記憶する」をテーマに追悼祭を開く 故人の殉国69周年にあたりその生涯と闘争についての初の学術大会

     1919年3月、光州スピア女学校2年生の尹亨淑(ユン・ヒョンスク)は、教師のパク・エスンたちと独立宣誓を事前に印刷するなどデモの準備を終えた。そして3月10日午後3時30分、街頭に出た。尹烈士たちは数百人のデモ参加者とともに、光州川辺に沿って市場に向かった。日本憲兵は、太極旗を持ちデモ隊の先頭に立っていた尹烈士の左腕を軍刀で切り落とした。尹烈士は血を流しながらも立ち上がり、太極旗を拾い上げ大韓独立万歳を叫んだ。

     尹烈士の超人的な抗拒を見守った市民らは、悲憤慷慨してさらに激しくデモを続けた。尹烈士は、軍刀で左腕を切られ右目に重症を負った状態で逮捕された。保安法違反で懲役4カ月の刑を宣告された尹烈士は、数年間、軍病院と推定される所に幽閉された。尹烈士はこのデモ以後、“朝鮮の血女”という別名を得た。

     “南道の柳寛順(ユ・グァンスン)”と呼ばれる尹亨淑烈士(1900~1950)の闘争と生涯にスポットを当てる学術大会が初めて開かれる。全羅南道麗水(ヨス)出身の尹烈士の墓所移転などの追悼行事は開かれたことはあるが、故人の抗日闘争を称えるための学術大会が開かれるのは今回が初めてだ。

     「義血之士 尹亨淑を記憶する」というテーマの学術大会が27日午後2時、全羅南道麗水市役所の麗水文化ホールで開かれる。今回のイベントは、麗水市が主催し、「麗水地域独立運動家遺族会」が主管する。ハン・ギュム光州大学教授が「抗日愛国烈士 尹亨淑の関連資料検討および生涯と活動についての再照明」をテーマに発表する。キム・ホウク光神大学教授は、「日帝強制占領期の湖南キリスト教の宣教と尹亨淑の抗日運動」について話す。3・1運動100周年を迎えて開かれる学術大会では、クォン・オボン麗水市長が開会の辞を述べ、ソ・ワンソク麗水市議会議長が祝辞を送る。尹烈士の母校である光州スピア女子高校のコ・セヨン校長とキム・ユジョン総同窓会長が詩の朗唱を行う。「義血之士 尹亨淑の生涯」を扱った映像も上映される。

     今年で殉国69周年を迎える故人の生涯と闘争を称える追悼祭も開かれる。追悼祭はこの日午後5時、麗水市華陽面(ファヤンミョン)昌武里(チャンムリ)にある尹烈士の墓所にて、ユン・ビョンヨン牧師の執礼で進行される。昌武里が故郷である尹烈士は、順天(スンチョン)梅山(メサン)の聖書学院を修了した後、1918年光州スピア女学校に入学した。獄中生活の苦しみを体験し障害者となった体で抗日闘争と識字運動を続けた尹烈士は、伝道師として宣教活動を行い、1950年9月28日に人民軍に捕まり虐殺された。政府は2004年、尹烈士に建国褒章を追叙した。

    チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

    ハンギョレ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190929-00034501-hankyoreh-kr

    【【韓国の捏造】日本憲兵に軍刀で腕を切られても抵抗し、大韓独立万歳を叫んだ“朝鮮の血女”ユン・ヒョンスク 】の続きを読む

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    1: アンドロメダ ★ 2019/09/16(月) 15:52:24.17 ID:CAP_USER
    ミン・ヒシク教授
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    聞き手「ミンさんの記憶で日本当時時代に一番良かったことはなんですか」
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    ミン教授「年をとった人やインテリは」
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    ミン教授「日本が韓国を占領したのを幸いに思ってるんです」
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    ミン教授「なぜかというと日露戦争でロシアが勝っていたら」
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    ミン教授「韓国はロシアの属国になっていました」
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    ミン教授「ロシア人がもしも韓国に入ってきたらどうなるかというと」
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    ミン教授「みんな捕まってシベリア送りになっていました」
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    ミン教授「ロシア人が韓国を盗るわけですね」
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    ミン教授「そうなると韓国人はものすごく惨めです」
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    ミン教授「日本人が統治した場合とは比べものにならないほど惨めな状況になる」
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    ミン教授「それをインテリ(知識人)は感じますね」
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    ミン教授「日本統治寺代に反日なんて全くありませんでした」
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    ミン教授「差別なんかなかったですね」
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    ミン教授「米ができたら、ちゃんと皆と同じく分けてくれました」
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    ミン教授「韓国人とか、そういった区別がなかったんですよ」
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    ミン教授「そういう区別がなかったので、生活にはあまり困らなかったですね」
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    ▽続きは下記のソースでご覧ください
    https://anonymous-post.mobi/archives/13603

    【【韓国】大学教授が証言する日帝強占期の真実がネット掲示板で話題に 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/09/15(日) 11:30:23.28 ID:CAP_USER
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    「日帝植民地の最高権力機関である朝鮮総督府と、日本人土木建設業者との間の政経癒着と腐敗スキャンダルは絶えなかった」

     韓国の歴史学者からこういう話を聞いたのであれば、むしろあまり驚かなかったかもしれない。最近、学術書『日本の学者が見た植民地近代化論』(知識産業社)を出版した日本人歴史学者の鳥海豊・韓国歴史研究院常任研究員(57)は「日帝の近代化は韓国の工業発展よりも、日本人土木建設業者(請負業者)の利益のための大規模土木建設事業に偏っていた。この過程で、総督府出身の官吏が業者として直接参入するケースもあった」と語った。鳥海氏が確認した日本の鉄道局、逓信局や朝鮮総督府など官吏出身の日本人土木業者だけでも22人に上る。鳥海研究員は早稲田大学で学士・修士課程を終えた後、ソウル大学国史学科で博士号を取った。

     日帝が1910年に韓国を強制併合した後、重点を置いて推進していた事業が鉄道建設、土木工事といった社会間接資本(SOC)分野だ。1910-39年の朝鮮総督府の年平均予算(1億8571万円)のうち、19.3%(3579万円)を注ぎ込んだと推定される。だが鳥海研究員は「SOC投資額の63%を占める工事を、当時韓国で活動していた日本人土木建設業者の組織である『朝鮮土木建築協会』のメンバーと契約していた」と語った。「仕事の発注」を通して、朝鮮総督府が日本人業者に土木建設事業を配分したというわけだ。逆に朝鮮人建設業者らは、随意契約や鉄道局の技術主任(現場監督)制度のせいで入札から排除された。

     調べてみると、日本人と朝鮮人は資産保有の点でも大きな差が出た。1928年の朝鮮総督府統計年報(グラフィック)によると、日本人の1人当たりの郵便貯金額は56.46円、一方で朝鮮人は0.23円にすぎなかった。実に245倍の差だ。鳥海研究員は「日帝時代の経済発展で朝鮮人に利益がもたらされたという仮定を再検討する必要がある」と語った。

    日本人業者の「入札金水増し」や談合といった腐敗スキャンダルも絶えなかった。談合とは、業者が集まって、十分な利益を確保できる水準で落札業者をあらかじめ決めること。1934年の京城土木談合事件では、検察が起訴した工事の件数だけでも32件、契約総額1295万円に達した。さらには、朝鮮総督府交通局の課長も「朝鮮の業界で最大の問題は談合」と証言した。

     雑誌『開闢』は、1923年の城川江堤防工事の際、朝鮮人土木業者であれば1500万円でできる工事を日本人請負業者と9000万円で契約したと暴露した。実に6倍の「入札金水増し」だったというわけだ。鳥海研究員は「日帝強占期に多くの朝鮮人が土地を失ったり仕事がなくなったりして、間島地方や日本へ生きる道を探しに行ったが、逆に朝鮮の日本人業者は増え続けた」と語った。

     韓国の学会では、日帝の経済的搾取に重点を置いた「収奪論」と、植民地期の経済規模の成長に注目した「植民地近代化論」の間での論争が熱い。鳥海研究員は、「植民地近代化論」で経済成長の根拠となっている朝鮮人労働者の日当に疑問を投げ掛けた。朝鮮総督府統計年報には日当1円と記録されている。だが鳥海氏は、日本人業者の回顧録や法廷での証言、当時の記事などを根拠に「実際に現場で支払われる労賃は30-60銭にすぎなかった」と語った。その差額分だけ日本人土木業者は不当利得を手にするので、腐敗スキャンダルが絶えなかったと主張する。鳥海研究員は「朝鮮総督府の統計における朝鮮人の賃金は、現実よりはるかに高く記録されている」として「この統計に基づいた日帝時代の経済発展の数値も修正する必要がある」と語った。彼は「『日本人がなぜ日本を批判するのか』という質問もよく受けるが、より良い日本をつくるため」と答えた。

    キム・ソンヒョン記者

    朝鮮日報 2019/09/15 06:05
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/09/11/2019091180151.html


    【【韓国】朝鮮総督府の開発事業、「日本人業者を太らせる事業」だった 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2019/09/04(水) 23:01:01.28 ID:CAP_USER
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    【ウラジオストク=小野田雄一】1939年にモンゴル国境付近で旧ソ連軍と日本の関東軍が衝突したノモンハン事件から80年となったのに合わせ、ロシアのプーチン大統領は3日、モンゴルの首都ウランバートルを訪問し、同国のバトトルガ大統領と会談した。プーチン氏は会談後の記者会見で「ソ連軍とモンゴル軍は80年前、肩を並べて戦い、侵略者に手痛い反撃を与えた」と指摘。事件を日本による侵略とした上で、ロシアとモンゴルの共闘と友好関係を誇示した。

     近年のプーチン政権は、第二次大戦での対ドイツ戦と日ソ中立条約を破っての対日参戦を「ナチズムとの戦い」と一くくりにし、北方領土占拠の正当化を図る傾向を強めている。

     5日に露極東ウラジオストクで安倍晋三首相との日露首脳会談を控え、プーチン氏には、ノモンハン事件を日本による一方的な侵略と位置付けることで日本を牽制(けんせい)する狙いがありそうだ。

     露メディアによると、両首脳はウランバートルの宮殿内に設けられたモンゴルの伝統的な天幕家屋で会談した。

    モンゴルではノモンハン事件について「(モンゴルは)日ソ両国の犠牲になった」との解釈もあるが、プーチン氏は「ハルハ河会戦(事件の露側呼称)がソ連とモンゴルを結びつけた」と力説した。バトトルガ氏も「両国の友情の下でモンゴルの独立と主権を守った勝利は神聖なものだ。80年の節目にプーチン氏と会えたことは非常に喜ばしい」と述べた。

     両首脳は3日、恒久的な友好協力関係をうたった新たな基本条約に署名した。



    ■ノモンハン事件

     1939年5月、モンゴル国境付近で、旧ソ連の影響下にあったモンゴルと、日本の傀儡(かいらい)だった旧満州国の国境をめぐって起きた大規模戦闘。日本の関東軍は大本営の戦闘不拡大方針に反して攻勢をかけたが、モンゴルを支援したソ連軍の総攻撃を前に大敗を喫した。9月15日の停戦成立までに計4万人を超す死者が出たとされる。事件を機に日本では対ソ開戦論が後退し「南進論」が優勢になった。

    産経ニュース 2019.9.3 22:51
    https://www.sankei.com/world/news/190903/wor1909030025-n1.html


    【【プーチン大統領】モンゴルと対日共闘を誇示 ノモンハン事件80年】の続きを読む

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    1: アンドロメダ ★ 2019/08/14(水) 13:41:34.18 ID:CAP_USER
    日帝時代、朝鮮人を強制的に拉致して日本に連れて行き、働かせたというので、実態を知りたくて昔のニュースを検索してみた。
    日帝時代、朝鮮人の国籍は日本だったが、内地に行くためには渡航証が必要だった。
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    道や市の警察署で発給してもらえたが、旅行目的では発給できず、留学や公務や日本現地の招請がある場合のみ発給が可能で、一般庶民は発給が容易ではなかったという。
    ちなみに日本の敗戦5ヵ月前の1945年3月になってようやく渡航制度が廃止され、朝鮮人の無制限日本訪問が可能となった。
    昔の新聞を読むと、渡航証を取得する能力がないので、金を払って偽物の渡航証を買ったり、賄賂や密航などが盛んに行われていたと見られる。
    当時、朝鮮人たちは密航費を工面するために、草家三間(家)と唯一の財産である牛まで売った。
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    1940年、釜山で挙動不審者1人を警察が捜索したところ、偽造渡航が見つかって逮捕されたという。この青年は、慶尚北道星州出身で、偽造渡航証で日本に行くために釜山市内をさまよっていた。検問を受けたと見られる。
    no title

    密航ブローカーが全羅南道地方の田舎を歩き回り、農村の愚民をそそのかして密航費をもらって、密航させようとしたが、釜山の影島青鶴洞の海岸で100人の密航者が逮捕された。
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    仁川に住むイ・ギョンテという男が日本へ労働しに行きたがっていたが、渡航証が思い通りに発給されず、悲観して自殺した。
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    全羅南道の順天警察署には、厳しい冬の日にも渡航証を得ようと若者老人が男性問わず押し寄せて、警察署が頭を痛めていたという。
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    日本へ労働に行くために、釜山の波止場には人々が二列縦隊で行列を作る。
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    日本本土は景気が良く、労働力が足りず、就職がうまくいくとして、我先にと渡航が増加して当局が頭を痛めていたという。
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    慶尚北道の会議で渡航証明撤廃を希望する議論をする。
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    全羅北道南原の居酒屋で、ブローカーが渡航をさせると言って50ウォンを受け取り、詐欺を働き、巡査に検挙される。
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    釜山の松島の海岸で50人余りの密航者を検挙。
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    釜山の佐川洞で密航者100人余りを乗せた船を捕まえて、そのうち80人余りを逮捕する。
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    ▼韓国人の反応を引用

    ・うちのじいさんも日本に密航して苦学して大学にも通ったと言っていたけど、その時は生きるのが大変だったせいか、そういう人が結構いたという。実際に記事を見ると興味深いね

    ・消すな この記事をスクラップしておきなさい

    ・強制徴用しなくても溢れていたねw

    ・韓国の歴史学者のやつらは歴史を捏造と妄想で埋め尽くしている。こいつらは当時の新聞資料や総督府の資料のような一次資料もまともに研究しなかったようだ

    ・終戦後、日本に残っていた朝鮮人は60万人を超えたというが、その人たちは強制的に本土に渡ったのだろうか?
     そんなに行きたくなかったのに強制徴用で連れて行かれたのなら、大部分が解放後にすぐに帰って来るべきではないか?帰れないように防いだわけでもないのに

    ・今まで無条件愛国主義者の捏造歴史にだまされていたことは悔しい

    https://anonymous-post.mobi/archives/12613


    【【韓国ネット民】日帝時代に強制徴用があったのか調べてみた→日本本土への渡航証が発給されず悲観して自殺する者もいた…密航も横行 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/06/28(金) 21:56:03.96 ID:CAP_USER
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    ▲「B C級戦犯」出身者の集まりである同進会会長イ・ハクレ翁[聯合ニュース資料写真]

    (東京=聯合ニュース)日帝が起こした太平洋戦争終戦後、B・C級戦犯に分類された韓国人が日本で早急な補償関連法案の準備を促したと毎日新聞が27日伝えた。

    報道によれば日帝の捕虜監視員として動員され戦後いわゆるB・C級戦犯という頸木をおった李鶴来(イ・ハクレ, 94)翁は当事者団体の同進会会長名で去る26日、法制定を促す声明を出した。声明は「日本の立法措置によって長い間の人権問題を解決しようとする法案」であって、「(韓日)両国社会で苦痛の戦後を送った当事者と遺族の名誉を回復させる意味でも制定は必ず当事者生存中に実現されなければならない」と強調した。

    同進会はイ翁を含む少数の状態と毎日は伝えた。彼は他の朝鮮人戦犯の同僚らと共に1955年にこの会議を作って64年間、日本政府を相手に補償を要求している。彼は日本国籍者ではないとの理由で日本政府の補償対象から除外された。去る26日、閉会した日本定期国会ではこれらに特別支援金を支給する内容の法案は提出されなかった。

    太平洋戦争の時、捕虜監視員などで投入された朝鮮人のうち、日帝敗戦後に開かれた連合軍主導裁判で148人が戦犯になり23人が処刑された。A級戦犯は侵略戦争を企画・開始・遂行した人々が該当し、B級戦犯は殺人・捕虜虐待・略奪などを犯した人々を意味し、C級戦犯は上級者の命令によって拷問や殺人を直接行った人々をいう。

    聯合ニュース
    https://www.yna.co.kr/view/AKR20190627113800073

    【【嘘つき韓国人】引きずられて行ったのに「戦犯」にされた韓国人、日本で補償法案要求 】の続きを読む

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