かたすみ速報

日本及び周辺諸国に関するニュースと2chまとめサイト。ネットの片隅で更新していきます。




    タグ:大日本帝国

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/05/28(火) 23:27:28.57 ID:CAP_USER
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    (アンカー)日本帝国主義の象徴、靖国神社に戦犯でもないのに合祀された韓国人が何と2万人を超えるという事実、知っていますか?「私のお父さんが戦犯だと言っているのか」とし、恥辱と痛恨の歳月を送ってきた遺族たちが「お父さんの名前を抜いて欲しい」という訴訟を提起しましたが、日本の裁判所が今日、敗訴判決を下しました。判決文の朗読にぴったり5秒かかったといいます。報道はユン・ヒョンジョン記者です。

    (レポート)日帝強制支配期に強制的に徴兵されて亡くなった韓国人、2万千181人が靖国神社に無断で戦犯らと合祀されています。遺骨まで埋められたわけではありませんが、A級戦犯と共に合祀者名簿に記録されているものです。強制的に引きずられて行って亡くなったのも無念ですが、戦犯と合祀されて親日派という誤解を受けるのは遺族たちにとって、さらに耐えられない恥辱でした。

    [ナム・ヨウンジュ/強制徴兵犠牲者の妹(2013年)]「私が生きている間に兄さんの名前を必ず抜かなければなりません。それでこそご両親に会える面目があるんじゃないでしょうか。」

    合祀者名簿から名前を抜いて欲しいと要求して何と5年半待った判決。しかし、裁判所はたった5秒後に棄却決定を下し閉廷しました。

    「原告のすべての要求を棄却する。訴訟費用は原告側が負担する。」

    ぴったりこの言葉だけ、どんな説明もありませんでした。遺族たちは言葉を失いました。

    [パク・ナムスン/強制徴兵犠牲者の娘]「日本法はこのようにしますか?人を無視することでもなく。自分たちの思いのままに靖国神社に埋めておいて出すこともせず。」

    日本裁判所は2007年に提起した1次訴訟当時、「合祀は宗教的行為で遺族たちはこれを尊重しなければならない」という詭弁を強要したことがあります。今回も判決文を通じて同様の主張を並べました。

    [イ・ミョング/強制徴兵犠牲者の息子]「私ももういくらも残っていない私の人生を終えるまで、生前にお父さん、その名前を必ず取り出したいです。取り出さなければなりません。」

    遺族たちは控訴を通じて戦いを継続するのはもちろん、国連人権機構など国際社会にもこのような事実を訴える計画です。

    MBCニュース、ユン・ヒョンジョンです。

    MBCニュース(韓国語) 
    http://imnews.imbc.com/replay/2019/nwdesk/article/5334059_24634.html

    【【韓国発狂】「私の父を、兄を戦犯から抜いて欲しい」韓国人遺族の叫び、日本の法廷5秒で棄却】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/05/20(月) 22:43:15.93 ID:CAP_USER
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    ▲忠北沃川のチョン・ジヨン生家前の石橋のそばにたった過去の「皇国臣民誓詞碑」石碑(記者注:石碑は石橋になっており、今回たてられたのは丸い「標識石」)

    【沃川=ニューシス】 中日戦争の始まった1937年、忠北(チュンブク)沃川(オクチョン)の彰明(チャンミョン)普通学校(現・竹香(チュクヒャン)初等学校)の朝礼時間。この学校の校長、ヨシダ・イチロウ(吉田一太)と学生4004人は朝会に先立ち以下の文章を大きく叫んだ。

    「私共ハ、大日本帝国ノ臣民デアリマス。私共ハ、心ヲ合ワセテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス。私共ハ、忍苦鍛錬シテ立派ナ強イ國民トナリマス」

    日帝が内鮮一体、皇国臣民化を叫んで大韓民国の民族性を抹殺し始めた1937年から崩壊した1945年まで、我が国では日帝に忠誠を強要されるこの誓約文が鳴り響いた。学校はもちろん官公庁や会社などで朝会をしながら我が国民は常にこの「皇国臣民誓詞」を朗唱しなければならなかった。

    日帝は皇国臣民誓詞を朗唱させるだけで終わらず、全国のあちこちにこの誓約文が書かれた「皇国臣民誓詞碑」をたて始めた。その中の一つが忠北沃川で最も古い小学校「チュクヒャン初等学校」でも発見された。この石碑は光復後、統一塔と呼ばれて1993年にはじめて日帝強制占領期の残滓であることが知られた。

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    ▲中日戦争の序幕を年1937年忠北沃川の彰明(チャンミョン)普通学校(現・竹香(チュクヒャン)初等学校)の朝礼時間の写真。

    沃川郡はこの石碑を1994年、沃川邑の昔の村にある詩人チョン・ジヨンの生家の前に横にし、生家を行き来する訪問客が踏んで過ぎるように石橋にした。ところが、周辺にこの石橋に関する情報や案内図はまったくなかった。沃川郡は詳しい説明を入れた標識石を最近たてた。

    地域の学生と郡民、訪問客に日帝強制占領期間の辛い歴史を感じて絶対繰り返してはならないと決意させるためだ。

    円形に作られた標識石には「この橋は日帝強制占領期間の1940年代、沃川チュクヒャン初等学校の校庭にたてられた『皇国臣民誓詞碑』である」という文章とともに「光復後、字を消して統一塔として使われたが、1994年、現在の位置に移された。日帝強制占領期間、日本が私たちの学生たちに忠誠の誓いを強要した内容が彫られた碑で大韓民国の辛い歴史を再確認できる資料だ」と記されている。

    沃川郡関係者は「日帝強制占領期間の世相をのぞくことができる文化遺産が地域にたくさんあることが分かる」として「郡民がこの辛い歴史を教訓にして明るい未来を期待するようにこの内容を知らせる標識石の設置を増やす」と述べた。

    ニューシス(韓国語) 
    http://www.newsis.com/view/?id=NISX20190520_0000655574

    【【韓国】 日帝の『皇国臣民誓詞碑』を石橋にして踏んで渡れるようにし、「辛い歴史を再確認できる資料」と説明碑を設置】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/05/06(月) 10:34:17.42 ID:CAP_USER
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    【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代の朝鮮半島の様子が描かれた絵はがきをまとめた「絵葉書に見る近代朝鮮」が先ごろ日本で刊行された。在日コリアンのコ・ソンイル氏が収集してきた資料をもとに刊行したもので、大韓帝国時代の状況、景福宮や昌徳宮など朝鮮王宮の写真、当時のソウルの道や建築物、冠婚葬祭の様子などが分かる184点の資料が収録されている。

    コ氏はこのほど、聯合ニュースとの電話インタビューで「日本のはがき業者が朝鮮を訪問した人のためにお土産用として作ったものや、朝鮮総督府や日本の行政機関が植民支配の成果を知らせるために発行したものがほとんど」とし、「日本側の視点で作られたものだが、当時の朝鮮が置かれた状況をうかがうことができる多様な写真を収録した」と説明した。

    また「朝鮮王朝を世界の列強の侵略から保護するという名目で植民地化する過程がはがきからも確認することができる」とも述べた。 

     乙巳条約(第2次日韓協約、1905年)後に南山に置かれた統監府の絵はがきには「ソウルを見下ろすことができる最上の位置」という說明が書かれており、当時の日本の植民地に対する意図が表れている。

     また日本が大韓帝国を併合した1910年の10月1日付で発行された記念はがきには日本を象徴する桜と、朝鮮を象徴する梨の花を背景に両国の子どもたちが手をつないで遊ぶ様子が描かれ、植民地支配の正当性を宣伝する意図がうかがええる。

     済州島出身で1965年に日本に渡ったコ氏はこれまで約5000点のはがきを収集し、写真・広告・手紙などの関連資料も約1000点所有している。

     コ氏は「日本絵葉書会関西支部の協力により刊行したが、機会があれば韓国語版も出したい」とし、「失われた歴史を後世に伝えるために生涯にわたり集めてきた収集物を所蔵し、展示・研究・教育する博物館などを探している」と話した。

    聯合ニュース 2019.05.06 09:00 
    https://m-jp.yna.co.kr/view/AJP20190503003600882?section=society-culture/index


    【【在日コリアンが刊行】併合時代の朝鮮の様子わかる絵はがき集】の続きを読む

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    1: すらいむ ★ 2019/05/08(水) 15:25:36.51 ID:wQijAH/I9
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    日露戦争で収容「捕虜でなく人間」 ロシア兵の手紙、母国の新聞に

     日露戦争(1904~05年)の捕虜として姫路市に収容されていたロシア兵が母国に送った手紙の全文が当時の地元新聞に掲載されていたことが分かった。
     手紙には捕虜たちの日々の暮らしや、市民との交流の様子などが詳細につづられている。
     姫路のロシア人捕虜の手紙が見つかるのは初めてで、専門家は「識字率が低かった下級兵士が収容された姫路では、手紙の発見は大変貴重」と評価する。(地道優樹)

     捕虜に関係する歴史の掘り起こしを進める同市のNPO法人「姫路タウンマネージメント協会」が、1906年2月発行の「ニジニーノブゴロド・ゼムストヴォ新聞」に、捕虜の手紙が掲載されているのを見つけた。

     ニジニーノブゴロドは、モスクワの400キロ東に位置する県(現在は州)で、ゼムストヴォは旧ロシア帝国の地方自治機関。
     同紙は週刊の機関誌で、手紙は「日本からの手紙」の見出しで全文掲載されていた。
     筆者は同県チェルヌハ村出身のF・Iフィラレトフ軍曹。
     手紙は05年10月15日付で、米国ポーツマスで日本とロシアが講和条約を結んで間もない時期に当たる。

     姫路市の捕虜に同紙が送られていたらしく、同軍曹は書き出しで、編集者に感謝を述べている。
     自身らの本国送還については何も知らされていないことに触れ、「無為の10カ月は、軍務の意味でも人間的な意味でも、人々を大いに堕落させてしまいました」「規律もなければ、教練もなく、何もすることがない」と苦悩をつづっている。

     一方で、日本人について「今ではあらゆる面で私たちを捕虜でなく、同等の人間に対するような態度で接してくれます。収容所でのたまにある作業の際には、(日本人の)下級労働者たちは門に入るとすぐに帽子をとります」「ものすごく腰の低い人たちです」などと記している。

    (以下略)

    ヤフーニュース(神戸新聞NEXT) 5/8(水) 7:30
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190508-00000001-kobenext-l28

    【【話題】日露戦争で収容「捕虜でなく人間」 ロシア兵の手紙、母国の新聞に  】の続きを読む

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    1: (^ェ^) ★ 2019/05/06(月) 15:10:38.83 ID:Qw4OgCfe9
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    https://snjpn.net/archives/128822
    崔碩栄さんのツイート

    ソウル大学、李栄薫教授の歴史教養講座

    第2弾「嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判」の日本語字幕版が公開されました。

    徴用工裁判に対する李教授の見解は必見。

    https://www.youtube.com/watch?v=EmVzs4yNBtw



    (略)

    ▼ネット上のコメント

    ・とても勇敢な方ですね。ご本人もさることながら、ご家族のことも心配されます。ただ、韓国の国民にとっては、真実やヒストリーなんてどうでもよいのでしょう。自分達に都合の良いストーリーを信じたいとだけ。

    ・すごい、勇気のある方ですね。尊敬します

    ・これは必見ですね。ここまで正確に今の韓国の現象を説明した動画を私は知りません。他の人にもぜひ見てほしいです。

    ・この方お国で大丈夫でしょうか?

    ・この方の名前 記憶にあるのですが、以前 「慰安婦は性奴隷では無かった」と言ってナヌムの家で 土下座させられた人 ですかね?もしそうなら、信念の人ですね、尊敬します。

    ・李教授は、丹念に資料を読み解き、学術的分析からお話されているように見えました。ポピュリズム的な視点だけで語る学者が多い彼の国の中では、彼は異質なんだろうな。

    ・この人の動画は第一弾にも度肝を抜かれた。

    【【徴用工】ソウル大学教授「朝鮮人労働者たちが奴隷として連れて行かれ酷使されたという事実…真っ赤な嘘だと言える」 】の続きを読む

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    1: 名無しさん@涙目です。(禿) [MX] 2019/04/02(火) 15:45:25.79 ID:3BEypuMJ0 BE:155743237-PLT(12000)
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    北朝鮮の鉄道、100年前の設備そのまま 韓国政府公表
    4/2(火) 14:37

    韓国統一省は、ソウルから平壌を経て中朝国境を結ぶ鉄道京義線の開城(ケソン)―新義州(シニジュ)間(約400キロ)や、北朝鮮の東側を走る同東海線の金剛山(クムガンサン)―豆満江(トマンガン)間 (約800キロ)などの現地調査結果を公表した。 日本統治時代に造られた橋をそのまま使うなど、設備の老朽化が浮き彫りになった。

    公表は3月29日だが、調査は昨年実施した。調査報告書によると、 京義線では建設から70~110年、東海線では60~100年経った橋を 現在もそのまま使用しており、亀裂や破損を確認した。

    朝日新聞
    https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190329004923.html

    【北朝鮮さん、100年前に大日本帝国が建設した鉄道設備を今でもそのまま大事に使ってる模様 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/03/17(日) 19:41:51.38 ID:CAP_USER
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    ▲『韓国でも日本人は立派だった 証言と史料が示す朝鮮統治の偉業』

     ■知っておきたい先人の貢献

     韓国は、世の一般常識とまったく異なる言動の国である。まず第一に、日韓は国家的条約を結び、日本は巨額の資金を提供した。それをもって両国間は、互いに不満はあっても、それを言わず、新しい友好関係を結び、国家として交流するはずであった。

     しかし、韓国は依然、不満を言い、最後は金銭を求めてくる。こんな品位に欠ける国家・国民性とは思わなかった。そのため大半の日本人は韓国をそういう国と軽蔑している。不幸な話であるが、日本人の大半が韓国を見下げていることを韓国人は知らない。

     一方、日本人も、かつて韓国並びに北朝鮮に対して、どういうことをしたかということについて、よく知らない。

     本書は、そうした日本人に対して、政治的・経済的・文化的に日本がどれほど朝鮮半島に貢献したか、ということを実証的に多方面にわたって論述している。

     第1章-日本の偉業(ハングル入りの新聞は日本人がつくった。創氏改名は強制ではなかった等(など))。第2章-海峡を越えた近代化(水道事業に貢献。世界最高出力の水力発電所。警察官の半数近くが朝鮮人等)に始まり、「日本人の善意」「フェアだった内鮮一体」「日本は加害者ではない」。各章の記述を読むと、朝鮮人は、日本に感謝すべきであることがよく分かった。

     日本人は、まず本書を読んで日本人の先人の献身的寄与を理解することだ。そうすれば、われわれ日本人が正しく、尊敬されるべき在り方であったことがよく分かる。

     従来、日本人の朝鮮人に対する心情は、始めからばかにしているところ、無きにしも非ず。しかし本書を読むと、日本人がどれほど誠意をもって接してきていたか、ということがよく分かった。

     著者は韓国語の達人であり、史料は堅実に使われているので安心感がある。近ごろのただ罵倒し、史料に基づかない怪しげな韓国論とはまったく異なる。あえて希望を言えば、軍事・食糧方面についても論じていただきたかったが、それは次著に期待したい。

     本書は韓国論として正確さや説得力が抜群である。(喜多由浩著、産経新聞出版・1400円+税)

      評・加地伸行(大阪大学名誉教授)

    産経新聞
    https://www.sankei.com/life/news/190317/lif1903170023-n1.html

    【【書評】『韓国でも日本人は立派だった 証言と史料が示す朝鮮統治の偉業』 】の続きを読む

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    1: ハニィみるく(17歳) ★ 2019/03/16(土) 13:18:18.93 ID:CAP_USER
    日帝強占期、中国駐在の日本公使を殺害しようとして未遂に終わった、六三亭(ユクサムチョン)義挙を記念する行事が忠北(チュンプク)提川(チェチョン)の朴達峠(パクダルジェ)で行われた。

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    ▲ 李容俊先生の1939年の日本の記録

    民族問題研究所 提川・丹陽(タンヤン)支会は16日午前、堤川市 鳳陽邑(ポンヤンウプ)院朴里(ウォンバクリ)の朴達峠で義挙第86周年記念式を開いた。

    朴達峠には、義挙に加わった提川出身の李容俊(イ・ヨンジュン)先生(1907~1946年)胸像がある。

    イ先生は、建国褒章(1977年)および建国勲章愛国章(1990年)を受章した。

    記念式には愛国志士の子孫や光復団体、堤川市の関係者など200人が参加した。

    記念式は六三亭義挙の紹介、万歳三唱(マンセサムチャン)、祝賀公演、特別講演(キム・サンウン元独立記念館館長)などの順に行われた。

    民族問題研究所 提川・丹陽支会のリ・ハクヒョ支会長は、「今年は三・一万歳抗争と臨時政府100周年であるだけに、六三亭義挙について自治体と市民に多くの関心を持ってもらいたい」と述べた。

    続けて、「義挙に直接加担したとされる12名様のうち、忠北出身は提川 李容俊、忠州(チュンジュ)柳子明(リュ・ジャミョン)、鎮川(チンチョン)朴基成(パク・ギソン)先生」と述べた。

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    ▲ 李容俊先生の1939年の日本の記録

    民族問題研究所 提川・丹陽支会によれば、六三正義挙は1933年3月17日、上海(しゃんはい)華韓人青年連盟の行動団体である黒色恐怖団(フクセクゴンポダン)の主導で、上海の虹口(こうこ)で起きた。

    当時、上海駐中日本公使である有吉明を暗殺するためだった。

    しかし、暗殺情報が何者かによって漏れて計画が発覚した。

    結局、黒色恐怖団の団員が日本警察に逮捕され、義挙は失敗に終わった。

    しかし、挙事の失敗後に中国の新聞が暗殺計画を大きく取り上げ、沈滞期だった国内の抗日運動に新風を吹き込んだという点で意味があるとの評価を受けている。

    ?浦灘義挙(1922年3月28日)、虹口義挙(1932年4月29日)とともに、上海で起きた3大義挙に数えられる。

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    ▲ 光復後の臨時政府要員の国内帰国歓迎査閲式と見られる写真。右先頭が李容俊先生

    NAVER/提川=聯合ニュース(韓国語)
    https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0010698557

    【【韓国】日帝強占期の公使暗殺未遂事件、『六三亭義挙』をご存知ですか?】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/03/13(水) 20:53:23.65 ID:CAP_USER
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    「日帝強占期当時、島の住民6000人のうち800人が不逞鮮人という烙印を押されたまま監獄に閉じ込められたり監視を受けたりした」。 

      1927年5月10日に強制閉鎖された全羅南道莞島郡所安島(チョルラナムド・ワンドグン・ソアンド)の所安学校の歴史を扱った当時のメディア報道内容だ。日帝は当時、抗日運動の拠点という理由で所安学校を廃校した。住民たちは学校を再開するために署名運動に出たがそのせいで「不逞鮮人」になった。不逞鮮人は日帝に反発する「不穏で不良な朝鮮人」のことをいう。 

      今年、三・一運動100周年を迎えて抗日運動拠点だった小さな島に関心が集まっている。日帝強占期の間、激しく組織的な抗日運動が展開していた莞島所安島だ。 

      莞島から18キロ離れた所安島では、1800年代後半から光復(解放)の時まで抗日運動が続いていた。唐寺島(タンサド)灯台襲撃(1909年)や莞島三・一運動主導(1919年)、所安学校闘争(1927年)などが代表的だ。所安島は一年中島全域に太極旗がはためいている。太極旗は島の入口である所安港をはじめ、道路や通り、集落や商店街一帯に約1500本が掲げられている。所安抗日運動記念館を中心に、島全域に翻る太極旗には100年前の3月の雰囲気が残っている。 

      この島では三・一運動よりも10年前に武装抗日運動が始まった。1909年2月に所安出身の東学軍イ・ジュンハ先生と集落の青年5人が唐寺島灯台を襲撃した事件を通じてだ。日本が建てた唐寺島灯台は朝鮮から収奪した物資を積み出した日本商船の航路を照らす役割を果たしていた。当時、住民たちはこの灯台を守っていた日本人4人を処断することによって抗日意志に火を点けた。唐寺島は直線距離にして3.7キロメートル離れた所安島の付属島だ。 

      10年後に三・一運動が勃発したという便りに住民たちは再び立ち上がった。当時、所安島独立活動家は、1919年3月15日莞島邑の市が立つ日に開かれた万歳運動を主導した。ソウルで三・一運動が起きた後、14日間、太極旗と独立宣言書を謄写するなど緻密に偉業を準備した結果だ。当時1000人余りが参加した三・一五万歳運動は、南海岸一帯の抗日意志を集結させる役割を果たした。莞島郡では今年も100年前の所安島民の抗日意識を称えるために今月15日に万歳運動を開く。所安抗日運動記念事業会長のイ・デウクさん(65)は「太極旗の掲揚とムクゲの木の植樹などを積極的に展開することによって所安島の抗日歴史を全国民に知らせたい」と話した。

    中央日報 2019年03月13日 08時30分
    https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=251179


    【【韓国】年中太極旗を掲げる抗日拠点…所安島住民たちは「不逞鮮人」烙印も 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/03/11(月) 13:40:30.65 ID:CAP_USER
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    [アンカー]ユネスコ世界文化遺産の宗廟の塀のあちこちに日本王の年号が彫られている事実がKBSの取材の結果、確認されました。日帝が残した跡なのに、文化財庁はこのような事実を把握しているにもかかわらず、今に至るまで何の措置もしていないと明らかになりました。ユ・ドンヨプ記者が取材しました。

    [レポート]宗廟、朝鮮歴代の王たちの神位を迎えたところです。世界最大規模の木造建物の正殿は王が直接法事を行った場所で宮廷よりさらに神聖な空間でした。宗廟に入る正門のすぐそば、塀の下に漢字で彫られた文章が見えます。

    「昭和8年3月改築」。

    日帝強制支配期の1933年3月に塀を修理したという意味で、「昭和」は日本語で当時のヒロヒト日王の年号です。同じ言葉を塀のあちこちに難なく探すことができます。この事実を確認して私たちの市民団体に知らせた人は最近、韓国を訪れた日本人でした。

    [ペク・スンホ/「私たちの文化息遣い」宮廷道案内:「私が直接探したのではなくて日本の方のお言葉を聞いて知ることになって、灯台下暗しが恥ずかしかったです。」]

    塀に沿って巡回道を回ってこの様な言葉がいくつあるのか調べました。宗廟巡回道2.5キロ区間を見て回わった結果、日本式年号が彫られた基壇石は目で確認されただけで合計9個でした。塀の下の部分が土で覆われたところが多く、実際にはさらに多いと推定されます。

    文化財庁は取材陣が確認した個数より少ない7個を把握していると明らかにしました。朝鮮を侮辱したり日帝を称賛する内容でなく、単純な修理記録なので後続措置をしなかったと釈明しました。しかし、宗廟はユネスコ世界文化遺産であり朝鮮王室を象徴する空間です。日帝残滓を何の措置もなく放っておくのは適切でないとの指摘が出ます。

    [ホン・スンミン明智(ミョンジ)大記録情報大学院教授:「宗廟の塀を日帝強制支配期に日本の人々がどんな意図で管理したかを知らせる、そのような情報を案内板を通してとか...」]

    塀の向こう側に宗廟正殿が見渡せるその場に日本王の年号を刻んだ石が置かれて86年目。文化財庁は、KBS取材以後、実態調査と案内文設置などを検討すると明らかにしました。

    KBSニュース、ユ・ドンヨプでした。

    KBSニュース(韓国語) 
    http://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=4154811

    【【韓国】「世界文化遺産」宗廟の塀に刻まれた日王の年号…86年間放置】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/01/30(水) 23:52:22.39 ID:CAP_USER
    「私たちの世代は生まれながらの日本国民だった。それも兵役義務も参政権もない2等国民だった。私たちが戦場に出て行って死ぬ代価で残った同族たちの地位が向上するだろうと信じた。」

    これは日帝強制占領期間に日本軍徴兵1期であったウ・スヨン氏が2010年1月、朝鮮日報に投稿したエッセイの一部を抜粋したものだ。

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    ▲朝鮮日報ホームページキャプチャー.

    ソウル大経済研究所チョン・アンギ客員研究員(元高麗大経済学科研究教授)は去る20日、[「イ・スンマンTV」危機韓国のルーツ:反日種族主義シリーズ17-誰のための徴兵なのか]でウ氏のエッセイを紹介し「1944年~1945年、日本が施行した朝鮮人徴兵制が暴圧・強制的だったと言うのは反日強迫観念に過ぎない」と強調した。

    朝鮮人志願兵制、朝鮮の人々が先に日本に要求

    この日チョン研究員は「朝鮮人徴兵制は果たして誰のための徴兵であったのか」と質問を投げた。彼は「1920年以来、朝鮮人政治勢力は朝鮮人の国民的権利を主張する参政権請願運動を展開した」として「しかし、日本は朝鮮人の低い民度と教育水準を取り上げて時期尚早とだけを繰り返した」と説明した。彼は「それでも朝鮮人政治勢力は屈せず再度、優秀な資質の朝鮮人に限定した志願兵制施行を主張した。このような経緯を経て1938年4月、朝鮮人陸軍特別志願兵制が施行された」と明らかにした。

    チョン研究員は「陸軍特別志願兵制を施行する当時まで、日本は朝鮮人の軍事的な資質と力量を過小評価していた。ところが(朝鮮人を)実際に参戦させてみると(朝鮮人は)抜群の軍事的力量を発揮した」と強調した。特に「(中日戦争中)天王陛下万歳を叫んで戦死した、というイ・イムソク上等兵の登場は韓国人も「やればできる」という民族的自尊心を刺激した」として「日本政府は朝鮮人の陸軍特別志願兵制に対する高い支援率、中日戦争参戦での優れた軍事的力量をめぐり朝鮮人社会の愛国心と見なした」と明らかにした。

    日本議会が朝鮮人徴兵制施行を決めて、感激した朝鮮社会

    チョン・アンギ研究員は「結局、1942年5月、日本帝国議会は朝鮮人徴兵制の施行準備を決め、朝鮮人社会は両手を挙げて歓迎した。朝鮮の人々は自分たちの主張がいよいよ日本政府を説得したことに感激した」と話した。それと共に「徴兵制施行を契機に朝鮮人社会は兵役義務という日本国民の資格を獲得した。参政権の獲得と国民義務としての徴兵という義務と権利を確保することになった点で国民資格を得たと見られる」と解釈した。

    朝鮮人、日本語文盲者含む22万人が徴兵制支援
    (中略)

    朝鮮人兵士11万6000人参戦...朝鮮人のためと信じて
    (中略:>>2-5のあたり)

    チョン研究員は最後にウ・スヨン氏のエッセイを紹介しながら「朝鮮人徴兵者などは日本と天皇に忠誠をつくすことが結局朝鮮人のためであると見なし、そのため、彼らは喜んで徴兵に応じたのだろう。1944年から1945年、日本が施行した朝鮮人徴兵制は表面的な法制的強制性と異なり国民義務の履行という自発的動員を特徴とした」と付け加えた。

    オ・ムニョン記者

    メディアウォッチ(韓国語) 
    http://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=253834

    【【韓国】 朝鮮人の徴兵、朝鮮社会が先に日本に要請して施行された~彼らは戦場で死ねば同族の地位が向上すると信じた】の続きを読む

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    1: 次郎丸 ★ 2019/01/28(月) 16:39:02.05 ID:++zQKJB+9
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    創氏改名は朝日新聞が主張するほど強制性が甚だしかったのか 

     最近の日本と韓国の外交関係は、最悪といってもよいだろう。1910年の韓国併合から始まる大日本帝国統治時代の実態は、本当に韓国側が主張するようなものだったのだろうか? 評論家の呉智英氏が、日本の韓国統治の実態について考察した。

     * * *
     韓国の暴走が止まらない。半世紀前に決着がついているはずの徴用工問題を再燃させるわ、自衛隊機に照準用レーダーを照射するわ、挑撥という段階を超えて宣戦布告直前という感じだ。これも韓国に「反日」という絶対的正義が深く浸透しているからである。

     その反日の論拠の一つ「慰安婦強制連行説」は、二〇一四年、これを積極的に報道してきた朝日新聞が虚報であったと認め、検証・謝罪記事を大きく掲載した。しかし、まだこれに類する虚報がマスコミに出回っている。

     一月十一日付朝日新聞「社説余滴」は「引き揚げの苦悩は消えぬ」と題して、九十七歳の老婦人の釜山港からの引き揚げ話を紹介している。
    そこに、国民学校(小学校)の「新入生の胸に創氏改名した日本名の名札をつけ、朝鮮語を禁じ」とある。確かに創氏改名はあった。
    しかし、この記事全体に流れるような強制性の甚しいものだったのだろうか。我々は何となくそう思っている。朝鮮人が朝鮮名のままだと警察に逮捕され刑務所にぶち込まれるというように。だが、実態はかなり違う。

     この記事のちょうど一年前、昨年一月二十一日付産経新聞連載「海峡を越えて」第二回では「創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう」としている。
    朝鮮名から日本名に変えた人は約八割、残りは「金や朴など従来の『姓』をそのまま『氏』として使うことができた」。
    実例として、検事・閔丙晟(びんへいせい)、陸軍中将・洪思翊(こうしよく)、女性舞踏家・崔承喜(さいしょうき)を挙げている。三人のうち最も有名なのは美貌と芸術性で日本人も朝鮮人も魅了した崔承喜で、デパートなどの広告にもしばしば起用された。

     創氏改名が強制性の甚しいものなら、検事や将校が朝鮮名のままで許されるはずがなく、朝鮮名の舞踏家が国民的スターとしてポスターに登場するはずもない。

     創氏改名の実態について私が疑問を抱いたのは、そんなに昔のことではない。一九九〇年刊行の『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社)によってである。私もこの事典に何項目か執筆しており、送られて来た同書を読んで気づいた。

     それは朴春琴(ぼくしゅんきん)という戦前の衆議院(帝国議会)議員の存在であった。国会議員でさえ朝鮮名のままであるという事実は、創氏改名の強制性に疑いを抱かせた。

     また、戦前にこそ朝鮮人に選挙権も被選挙権もあったと確認した。日本は韓国を「併合」したのだから、国民の権利である参政権は同じように保障されるだろう。
    詳しく言うと、まず内地(日本列島内)と京城(現ソウル)に居住する朝鮮人に参政権を与え、それ以外は順次ということだったが、敗戦によって実現を見なかった。

     慰安婦強制連行説への疑問もこの時に湧いた。国会議員を出している人たちの娘を警察や軍隊が強制連行して慰安婦にすることが考えられるだろうか。国会議員以外に地方議員も何人か出ている。

     日本の韓国統治の実態について、我々は知らないことが多すぎる。

    ●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

    ※週刊ポスト2019年2月8日号

    2019.01.28 16:00 newsポストセブン
    https://www.news-postseven.com/archives/20190128_856846.html?PAGE=1#container 
    【【朝日の捏造】創氏改名は朝日新聞が主張するほど強制性が甚だしかったのか 日本の韓国統治の実態考察 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2019/01/27(日) 18:10:48.13 ID:CAP_USER
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    昨年、ヒトラー・ナチス政権のオーストリア併合80年を迎えた折、同国のバン・デア・ベレン大統領は、新年の演説でこう述べている。「今年はヒトラー・ナチス政権のわが国併合80年目を迎える年だ。わが国はヒトラーの犠牲国であるとともに、加害国だったという事実を単に記憶するだけではなく、心の中でしっかりと留めておかなければならない」と述べ、「人種主義、反ユダヤ主義、そして破壊的な民族主義を再びよみがえらせてはならない」と強調した。

     オーストリア人は「ベートーベンはオーストリア出身で、ヒトラーはドイツ人」とかたくなに信じようとしてきたが、事実は逆だ。アドルフ・ヒトラー率いるナチス政権は、1938年3月13日、母国オーストリアに戻り、首都ウィ―ンの英雄広場で凱旋演説をした。同広場には約20万人の市民が集まり、ヒトラーの凱旋を大歓迎した。その後の展開は歴史が物語っているので割愛する。

     オーストリアはドイツに併合され、ウィーン市はドイツ第3帝国の第2首都となり、ナチス・ドイツの戦争犯罪に深く関与し、欧州を次々と支配していった。同時に、欧州に住むユダヤ人600万人を強制収容所に送り、そこで殺害している。その後、カール・レンナーを首班とした臨時政権が発足し、第2共和国の建国が宣言された。

     「オーストリアは戦後、『モスクワ宣言』を拠り所として、久しくヒトラーの戦争犯罪の被害者と主張してきたのですが、クルト・ワルトハイム元国連事務総長の大統領選頃に『世界ユダヤ人協会』から激しい批判を浴びたのです。ちなみに、1943年の『モスクワ宣言』には、『ナチス・ドイツ軍の蛮行は戦争犯罪であり、その責任はドイツ軍の指導者にある』と明記されていました。オーストリアがヒトラーの戦争犯罪の共犯者だったことを正式に認めたのは、フラニツキ―政権が誕生してからのことです」(国際ジャーナリスト)

     フフランツ・フラニツキー首相(任期1986年6月~96年3月)はイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と初めて認めたことから、同国で歴史の見直しが始まった。対イスラエルとの関係正常化に至るまでの月日は半世紀を要した。

    オーストリアを韓国、ドイツを日本に置き換える(ナチスのユダヤ人虐殺は事実だが、日本の南京事件は虚構である)と、相似形であることが分かるが、その対処法はまるで違う。韓国が加害者側であったことは一度も100%認めていない。

     韓国は1910年に当時の大韓帝国議会の賛成多数で日本への併合が決まった。当時の韓国最大の政治勢力「一進会」は当初から日韓併合を主張していたが、ソ連の南下を何としても阻止したい日本からの一定の圧力がなかったとは言わない。

     だが当時の韓国はロシアに吸収されるか、日本と併合するかの二者択一しかなかった。こうした経緯から韓国は大日本帝国として第2次世界大戦を戦ったのだ。

     韓国もオーストリアを少しは見習った方が、世界から尊敬される国になれると思うが、そのあたりがよく分かっていないのも、また韓国らしい。

    週刊実話 2019年01月26日 07時00分
    https://wjn.jp/sp/article/detail/4809110/

    【【週刊実話】『ナチス・ドイツ』に併合されたオーストリアと『大日本帝国』に併合された韓国の大きな違い】の続きを読む

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    1: ■忍法帖【Lv=14,ぶとうか,tdu】 第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdb 2019/01/26(土)15:10:16 ID:???

    (*速報ではないですが、重要な事なので立てました。)


    1939.03.28、東亜日報
    50人余りの娘が朝鮮人人身売買団に騙され、満州に娼妓として売られた。日本の警察が救ってくれる。
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    1933.06.30東亜日報
    路上で少女を拉致、 醜業中(売春花屋)に売却。 犯人は韓国人、日本警察が救ってくれる。
    no title


    1936年05月14日毎日新報
    農村婦人誘引悪漢を検挙。女を満州に娼妓として売却しようとしていたのを日本の警察が検挙して女性を救出する。
    四人の女性が魔手を脱する。
    no title


    1939.8.31、東亜日報
    悪徳紹介業者が跋扈、 彼らが誘拐した農村、婦女子の数が100人以上。すべて日本警察が救出した。
    no title


    1936-07-09、毎新報
    娘を誘引して売春を強制した行商魔女の罪状。
    犯人はファンクムチョン、パククムヒ、イドクスンという朝鮮人3人。 純真な家庭婦人を誘惑して中国人に売春を強要した。
    日本の警察が検挙して被害女性らを救出。
    no title


    (以下略)

    http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/46524048.html   


    【【慰安婦問題】「朝鮮人が女性を拉致して売っていた」公式的に最も古い韓国の遠征売春婦の正体】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2018/12/16(日) 21:07:33.00 ID:CAP_USER
    黄海道谷山で生まれた李興燮さん(1928-2014)は、父を助けて畑仕事をしていたが1944年5月に徴用されて日本に連れてこられ、光復(日本の植民地支配からの解放)後も遂に韓国へ戻ることができなかった。当時数え年で16歳だった李さんは徴用対象ではなかったが、太平洋戦争で窮地に陥った日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した。父は、白い木綿の洋服を別れの贈り物として与えた。本書は、佐賀県の炭鉱に連れていかれた李さんが翌年1月1日に脱出・逃亡して解放を迎えるまでの、およそ1年3カ月間の記録を収めている

     少年は2週間の軍事訓練を受け、ふんどし姿で切り羽に送り込まれた。豆かすが半分以上という飯にたくあん2切れだけの食事はあまりに粗末で、ひどく腹が減った。故郷を離れるときに父がくれた荷物の検査で指輪が出てくると、状況は一層悪くなった。「戦争中にこんな物を隠して供出しなかった」という理由で「非国民」のレッテルを貼られ、外出禁止などの罰が加えられた。李さんは脱出を夢見るようになり始めた。逃げ出したものの捕まった朝鮮人が生ゴムの棒で殴られ、半殺しの目に遭うのを見たが、これ以上そこにいられなかった。

     正月、初めて外出した。その日に脱出した。復帰の時間が迫ると、炭鉱の反対側にある北の海岸へ向かうバスに乗った。漆黒の闇に身を隠しながらも、李さんは空襲で廃虚と化した光景に口をつぐんではいられなかった。「これが、われわれをこんな目に遭わせた日本の姿なのか!」

    しかし、李さんの手記には敵意は薄かった。「正義などみじんもない戦争に巻き込んだ日本人」と厳しく叱責(しっせき)しつつも、戦争に苦しむ日本人に向けた憐憫(れんびん)と普遍的な人間愛を共に強調した。炭鉱で彼が属していた組を指揮していた男性は、「佐賀県の地図が欲しい」という少年の言葉がどういう意味なのか知りつつも、知らないふりをした。むしろその翌日、地図を渡しながら「北に行けば軍港がある」と、それとなく教えた。厨房(ちゅうぼう)のとある少年は、いつも腹をすかせていた李さんの手にこっそりとおこげを握らせてくれた。逃げ出した李さんが隠れていた朝鮮人の飯場には、敗戦の3カ月前から日本の軍人たちが現れ、物乞いをした。李さんに食事をさせてくれた朝鮮人のおばさんは、「軍服を着た若者」にすぎない日本の青年たちの弁当箱にも、コメのご飯をぎっしり詰めて返してやった。

     日本が降伏した翌日、少年は帰国の船に乗るため福岡県北部にある博多港へ行った。ところが、故郷に向かうことはできなかった。押し寄せた朝鮮人は数十万人にもなるのに、釜山行きの船は毎日300人ずつしか乗せていかなかった。帰国を待っていては飢え死にしそうだった。李さんは「無理やり連れてきたのなら、なんとかして送り返してやるべきではないか」と心の中の怒りを漏らしたが、結局、当面の生活苦から解決しなければならなかった。その後、肉体労働をしながら九州を流れ歩き、1970年から大阪で金属回収業を営んだ。

    本書は、歴史の傷を克服するための加害者と被害者の共同努力が作り出した貴重な成果だ。77年に李さんの娘・ドンスンさんが通っていた中学校の担任、室田卓雄さんが家庭訪問にやって来た。李さんの徴用体験談を聞いた室田さんは、当時中3だった教え子に「お父さんの歴史を書いてみないか」と勧めた。その年の夏休みにドンスンさんが父親と向き合い、聞き書きしたものが本書の出発点だった。室田さんは「こんなことがあったのかと驚きだった」と文章をまとめ、翌年10月26日に小冊子を出した。その後、10年かけて李さんが自ら日本語の辞書を繰りつつ執筆した分を加え、『アボジがこえた海』というタイトルであらためて出版した。李さんのつたない日本語の文章を数人の教師がボランティアで校正した。その本を読んだ九州や大阪の中学生が、李さんの物語をステージ上で演劇にした。その間に大学の教員になった室田さんは、2006年から自分が在職する流通科学大学に李さんを招き、毎年2回、講演を頼んだ。高齢を押しての李さんの講演は、亡くなる2年前の12年まで続いた。強制徴用判決を巡って未来がないかのような不和を示す韓日両国の現実が、本書を読んでいて終始、残念な思いと共に重なって見えた。280ページ、1万5000ウォン(約1520円)

    金泰勲(キム・テフン)出版専門記者 

    朝鮮日報  2018/12/16 05:01 
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/12/14/2018121480062.html


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    ▲(1)(2)切り羽で採炭作業を行う朝鮮人(注釈:これは日本人の鉱夫の写真です)。狭い坑道で体を斜めに横たえてつるはしを振るうという重労働に従事した。(3)16歳のとき日本へ連れていかれ、九州の炭鉱で強制労働させられた李興燮さんの生前の姿。/写真=国立日帝強制動員歴史館所蔵
    【【また嘘を】16歳で日本に徴用された父の人生 日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/12/10(月) 19:14:49.52 ID:CAP_USER
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    日帝強制支配期、日本の朝鮮人強制動員と関連して私たちの裁判所で損害賠償判決が相次いでいるが、日本政府および被告企業は判決結果を履行しないでいる。10月、私たちの大法院の強制徴用賠償判決以後、被害者側の弁護人が今月4日の判決履行を促そうと東京にある「戦犯企業」新日本製鉄(現新日鉄住金)本社で二回目の訪問をしたが直接面談はまたできなかった。

    日本政府は元徴用工(強制徴用被害者)の個人請求権問題が1965年韓日請求権協定で解決されたという立場だ。さらに国際法は国家間合意遵守が原則で司法・立法・行政を超越すると主張する。

    先月16日、保守指向の日本メディア産経新聞が運営するオピニオンサイト「iRONNA」に「請求権協定は1965年国交正常化のための韓日基本条約と共に結ばれた両国関係の基盤」とし、「民間企業の問題ではない」という内容の文ものせられた。その上「太平洋戦争で日本は韓国と戦ったわけではないから、韓国は日本の戦争について法的に評価できる立場でもない」というごり押し論理まで繰り広げられた。

    私たちの大法院は2012年「請求権協定交渉過程で日本政府が強制動員被害の法的賠償を元々認めていない」として「植民支配と直結した不法行為による損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていると見るのは難しい」と判断した。原告らの個人請求権は消滅していないといいうことだ。

    2015年7月6日、日本政府報道官の菅義偉、官房長官は「1944年9月から1945年8月まで国民徴用令に基づいて韓半島出身者の徴用がなされた」としてこの様な動員が「いわゆる「強制労働」を意味するものではない、というのが日本政府の従来の見解」と明らかにした。

    侵略と植民支配が合法だったので、それにともなう朝鮮人徴用は強制労働ではないという論理だ。日本の韓半島支配は不法な強制占領であり強制動員自体が不法という私たちの憲法の核心価値を否定したわけだ。

    日帝は1939年国家総動員法に基づいて「国民徴用令」を制定した。その後、日帝強制支配期韓半島から強制徴用された朝鮮の人々は劣悪な労働環境の下、相当数が賃金さえ受けとることができずに過重な強制労働に苦しめられ結局、帰ってこられず戦犯として犠牲になったものもいる。

    日本は私たちの裁判所の判決で日帝強制支配期と関連したことなら何でも自国に法的責任を問うことにならないか憂慮している。そうになれば訴訟はすべての種類の「強制労働被害者」に拡散する可能性が高い。日本企業だけでなく政府も「不法行為」を犯したとして訴訟対象になる可能性がある。

    こうした中、韓日両国企業とわが政府が共に財団を設立して被害者賠償に出るべきだという主張が私たちの内部から出ている。日本企業の賠償判決履行の可能性が希薄だからドイツの「記憶・未来・責任財団」のような財団を作って被害者救済に出ようということだ。

    しかし、日本政府および企業から日帝強制支配期蛮行と関連して正しくなされた謝罪さえ受けられない状況でこれは私たち自らをしばる格好になるだろう。歴史を正しく立て直すことが単なる「韓国版紅衛兵のサルプリ舞」(訳注:従北勢力の暗躍のことか。サルプリ舞は恨を解くための巫女の舞い)という認識が日本国内にある限り和解と治癒は不可能だ。

    わが政府は日本の韓半島支配が不法強制占領であり、強制動員自体が不法であったことを数年かかっても日本にずっと周知させて圧迫しなければならない。

    イ・ジンス選任記者

    アジア経済(韓国語) 
    http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2018121009190028381

    【【先進国に喧嘩売っている】 韓国政府は韓半島支配が不法強制占領であり、強制動員自体が不法であった、と日本に圧力をかけ続けよ 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/11/03(土) 17:02:54.27 ID:CAP_USER
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    「韓国の3・1運動(日本植民地からの独立運動)は、中国人が民族独立を追求し、国家形成(nation-building)を探索する過程で、参照する対象として徐々に中国民族革命談話に組み込まれた」 

    大統領直属の3・1運動及び大韓民国臨時政府樹立100周年記念事業推進委員会(委員長=韓完相)と韓国社会史学会(会長=チョン・イルジュン)は2日と3日、ソウル城北区(ソンブクグ)にある高麗(コリョ)大学百周年記念館で「3・1運動100年、韓国社会転換の時空間地平」をテーマに学術大会を開く。今回の学術大会は、3・1運動が近現代の韓半島と東アジア社会の文明史的転換に及ぼした影響を探求することに主眼を置いた。 

    基調講演を務めた李恭忠中国南京大学教授は、「3・1運動は中国の鏡になった」とし、「独立国家の概念形成に重要な触媒であり、継続的に中国人に励ましを与えた」と述べた。李教授はあらかじめ公開した演説文「鏡としての隣国:現代中国民族主義の談論に現れた3・1運動」で、当時の中国の新聞記事や時評、民族・階級革命の談論に現れた3・1運動の様子を検討した。氏は、「3・1運動は、中国の5・4運動(1919年に学生デモに触発されて日本に対抗した民族運動)のお手本と前奏曲の役割をしており、20世紀前半にまで影響を与えた」と評した。 

    ソウル大学統一平和研究院のキム・ハクジェ教授は発表文で、3・1運動の重要性を「社会主義と自由主義が対立していた冷戦前の近代民族主義の独立運動」と評した。氏は、「2019年の3・1運動100周年を韓半島分断前の記憶をよみがえらせる一方、アジアレベルで韓半島問題の共感を広げるきっかけにしよう」と提案した。 

    日本上智大学の長田彰文教授は基調講演文の「3・1運動と国際関係」で、「3・1運動は直接的には『武断統治に対する不満の具体化』が原因だったが、パリ講和会議などの国際的要因の上で起こった」と主張した。 

    このほか、聖公会大学のユ・ソンヨン教授は、「3・1運動後の轉回:植民地の民の普遍な人類になるための露呈」をテーマに基調講演をする。 「3・1運動前後の東アジア地域の変動の中の朝鮮植民地の特殊性」(ぺク・スンウク中央大学教授)と「3・1運動の記憶と韓国民主化運動」(オ・ジェヨン成均館大学教授)などの発表も行われる。 

    チョン・イルジュン会長(高麗大学社会学科教授)は、「空間的には韓半島を越えて北東アジア全体、時間的には以後100年を対象に3・1運動の意味を眺望する学術大会になるだろう」と述べた。韓完相委員長は祝辞で、「3・1運動の歴史的意味合いを再確認することを超えて、21世紀の韓国社会の行方と展望を明らかにする手がかりになることを希望する」と述べた。 

    趙鍾燁 jjj@donga.com

    東亜日報
    http://japanese.donga.com/List/3/all/27/1526785/1

    【【過大評価】「3・1運動は中国民族主義に大きな影響、日本帝国に対抗したお手本だった」~3・1運動に関する学術大会 】の続きを読む

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    1: ◆ciadbU3kq9FF 2018/11/01(木)20:00:33 ID:TUg
    (基隆 1日 中央社)
    北部・基隆市で10月31日、日本統治時代の士官宿舎「基隆要塞司令部校官眷舎」の修復工事が始まった。総工費は2120万台湾元(約7750万円)で、竣工予定は2020年2月。
    林右昌市長は、完了後は民間に運営を委託する予定だと述べ、歴史と文化の魅力あふれる同市の新名所になることに期待を示した。

    基隆港東岸の大沙湾地区に位置する宿舎は日本統治下の台湾でよく見られた木造家屋。出幅が約60センチのひさしや15センチある玄関の段差など、雨の都と呼ばれた同市の気候に合わせた工夫が施されているのが特徴。

    (略)

    修復工事が始まる旧日本軍の士官宿舎=基隆市政府提供
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    フォーカス台湾 2018/11/01 17:36
    http://japan.cna.com.tw/news/atra/201811010007.aspx

    【【国際】旧日本軍の士官宿舎 修復・再利用へ/台湾】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/10/22(月) 22:25:26.99 ID:CAP_USER
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    ▲国家総動員法決裁文。職印の上にヒロヒト(裕仁)という日王名が見える。[キム・ギョンナム教授提供]
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    ▲勅令第316号。決裁権者がヒロヒト(裕仁)日王であることを知ることが出来る。[キム・ギョンナム教授提供] 

    (ソウル=聯合ニュース) 1937年中日戦争後、日帝が推進した戦時強制動員公文書の最終決裁者はヒロヒト(裕仁、在位1926~1989)日王であり、それにともなう法的責任も明確だ、という主張が提起された。 

    韓国近代史研究者のキム・ギョンナム慶北(キョンブク)大教授は今月20日、韓日民族問題学会と慶北大史学科が慶北大で開催した学術会議で日帝強制動員の世界性と歴史的責任について発表した。 

    キム教授は日帝が武力戦争を遂行するために植民地朝鮮と台湾、満州、樺太で物資と人的資源を動員する法律を制定し、これを通じて植民地体制を統合して治めようとしたと説明した。 

    彼は日本国立公文書館、署名原本文書群にある法律第55号「国家総動員法」原本に注目した。 

    キム教授は「国家総動員法を牽引して賛同した協力者は外務大臣、広田弘毅をはじめとする各省の代表であり、上申した人は近衛文麿内閣総理大臣」とし、「日王は1938年3月31日、最終決裁した」と強調した。 

    彼は引き続き「国家総動員法を朝鮮、台湾、樺太に施行したのは勅令第316号で、近衛と拓務大臣、大谷尊由主導の下、日王が1938年5月3日決裁した」と付け加えた。 

    キム教授は国家総動員法と関連勅令その他にも1938~1942年に作られた職業紹介所官制、賃金統制令、国民徴用令、総動員業務事業主計画令、賃金臨時措置令、朝鮮総督と台湾総督監督などに関する件を最終決裁した人物も日王だと力説した。 

    彼は「国家総動員法と勅令は日本勢力圏内にいるすべての民衆が自分たちの希望や自由意志とは関係なく戦争に動員されるようにした」として「その過程で植民地は軍需兵站基地に変化した」と批判した。 

    しかし、ヒロヒト日王は戦争が終わった後の1946年、自身が神でなく人間だと宣言し、戦後処理が国際政治的になされながら戦争責任を負わなかったとキム教授は指摘した。 

    キム教授は「戦時に日本当局が公務を執行して強制動員を推進し、これに関する文書を最後に決裁した人物が日王という事実は記録学的にさらに明確になった」として「強制動員記録がすべて公開されていない状況で文書アーカイブを構築する必要がある」と主張した。 

    パク・サンヒョン記者 

    聯合ニュース(韓国語) 
    http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2018/10/21/0200000000AKR20181021046400005.HTML

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/22(土) 14:02:24.19 ID:CAP_USER
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    地元産稲が消えた理由は私たち民族の痛恨の歴史のためであることが明らかになった。

    21日夜放送されたSBS「格好よく食べよう」では私たちも知らない歴史の中に消えた地元産稲が紹介された。

    消えいく食材料を探すために京畿道(キョンギド)高陽市(コヤンシ)を訪れた4MCとゲスト、トニー・アンは三回目の旅行の主人公が「米」ということに驚いた。

    引き続き、地元産稲の多様な名前と150種類余りの種類を習った彼らは現在の地元産稲を開発している農夫イ・グニ氏に会った。

    イ・グニ氏は「100年余り前まで、私たちの野原は色とりどりできらびやかな色を誇った」と伝えた。それと共に韓半島全域を染めた稲の品種を紹介した。

    民族の米がどうしてこのように消えていったのであろうか。イ・グニ氏は胸が痛い私たち民族の歴史の話をあげた。

    過去の日帝時代、日帝が朝鮮を侵略して一番最初に稲の品種検査を実施し1450余りの地元産品種を抹殺し日本改良種を植え始めた。そうして地元産稲が消えていき、現在の大韓民国で栽培された稲の品種の大部分が日本改良種にならざるをえなくなった。

    チョ・ヨンヒ、エディター

    SBS芸能ニュース(韓国語) 
    http://sbsfune.sbs.co.kr/news/news_content.jsp?article_id=E10009217907

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