かたすみ速報

日本及び周辺諸国に関するニュースと2chまとめサイト。ネットの片隅で更新していきます。




    タグ:大日本帝国

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: (^ェ^) ★ 2019/05/06(月) 15:10:38.83 ID:Qw4OgCfe9
    F0CE7616-CF64-46D8-BCF6-2C4ED49C02A4
     
    https://snjpn.net/archives/128822
    崔碩栄さんのツイート

    ソウル大学、李栄薫教授の歴史教養講座

    第2弾「嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判」の日本語字幕版が公開されました。

    徴用工裁判に対する李教授の見解は必見。

    https://www.youtube.com/watch?v=EmVzs4yNBtw



    (略)

    ▼ネット上のコメント

    ・とても勇敢な方ですね。ご本人もさることながら、ご家族のことも心配されます。ただ、韓国の国民にとっては、真実やヒストリーなんてどうでもよいのでしょう。自分達に都合の良いストーリーを信じたいとだけ。

    ・すごい、勇気のある方ですね。尊敬します

    ・これは必見ですね。ここまで正確に今の韓国の現象を説明した動画を私は知りません。他の人にもぜひ見てほしいです。

    ・この方お国で大丈夫でしょうか?

    ・この方の名前 記憶にあるのですが、以前 「慰安婦は性奴隷では無かった」と言ってナヌムの家で 土下座させられた人 ですかね?もしそうなら、信念の人ですね、尊敬します。

    ・李教授は、丹念に資料を読み解き、学術的分析からお話されているように見えました。ポピュリズム的な視点だけで語る学者が多い彼の国の中では、彼は異質なんだろうな。

    ・この人の動画は第一弾にも度肝を抜かれた。

    【【徴用工】ソウル大学教授「朝鮮人労働者たちが奴隷として連れて行かれ酷使されたという事実…真っ赤な嘘だと言える」 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 名無しさん@涙目です。(禿) [MX] 2019/04/02(火) 15:45:25.79 ID:3BEypuMJ0 BE:155743237-PLT(12000)
    no title
     
    北朝鮮の鉄道、100年前の設備そのまま 韓国政府公表
    4/2(火) 14:37

    韓国統一省は、ソウルから平壌を経て中朝国境を結ぶ鉄道京義線の開城(ケソン)―新義州(シニジュ)間(約400キロ)や、北朝鮮の東側を走る同東海線の金剛山(クムガンサン)―豆満江(トマンガン)間 (約800キロ)などの現地調査結果を公表した。 日本統治時代に造られた橋をそのまま使うなど、設備の老朽化が浮き彫りになった。

    公表は3月29日だが、調査は昨年実施した。調査報告書によると、 京義線では建設から70~110年、東海線では60~100年経った橋を 現在もそのまま使用しており、亀裂や破損を確認した。

    朝日新聞
    https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190329004923.html

    【北朝鮮さん、100年前に大日本帝国が建設した鉄道設備を今でもそのまま大事に使ってる模様 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2019/03/17(日) 19:41:51.38 ID:CAP_USER
    no title

    ▲『韓国でも日本人は立派だった 証言と史料が示す朝鮮統治の偉業』

     ■知っておきたい先人の貢献

     韓国は、世の一般常識とまったく異なる言動の国である。まず第一に、日韓は国家的条約を結び、日本は巨額の資金を提供した。それをもって両国間は、互いに不満はあっても、それを言わず、新しい友好関係を結び、国家として交流するはずであった。

     しかし、韓国は依然、不満を言い、最後は金銭を求めてくる。こんな品位に欠ける国家・国民性とは思わなかった。そのため大半の日本人は韓国をそういう国と軽蔑している。不幸な話であるが、日本人の大半が韓国を見下げていることを韓国人は知らない。

     一方、日本人も、かつて韓国並びに北朝鮮に対して、どういうことをしたかということについて、よく知らない。

     本書は、そうした日本人に対して、政治的・経済的・文化的に日本がどれほど朝鮮半島に貢献したか、ということを実証的に多方面にわたって論述している。

     第1章-日本の偉業(ハングル入りの新聞は日本人がつくった。創氏改名は強制ではなかった等(など))。第2章-海峡を越えた近代化(水道事業に貢献。世界最高出力の水力発電所。警察官の半数近くが朝鮮人等)に始まり、「日本人の善意」「フェアだった内鮮一体」「日本は加害者ではない」。各章の記述を読むと、朝鮮人は、日本に感謝すべきであることがよく分かった。

     日本人は、まず本書を読んで日本人の先人の献身的寄与を理解することだ。そうすれば、われわれ日本人が正しく、尊敬されるべき在り方であったことがよく分かる。

     従来、日本人の朝鮮人に対する心情は、始めからばかにしているところ、無きにしも非ず。しかし本書を読むと、日本人がどれほど誠意をもって接してきていたか、ということがよく分かった。

     著者は韓国語の達人であり、史料は堅実に使われているので安心感がある。近ごろのただ罵倒し、史料に基づかない怪しげな韓国論とはまったく異なる。あえて希望を言えば、軍事・食糧方面についても論じていただきたかったが、それは次著に期待したい。

     本書は韓国論として正確さや説得力が抜群である。(喜多由浩著、産経新聞出版・1400円+税)

      評・加地伸行(大阪大学名誉教授)

    産経新聞
    https://www.sankei.com/life/news/190317/lif1903170023-n1.html

    【【書評】『韓国でも日本人は立派だった 証言と史料が示す朝鮮統治の偉業』 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: ハニィみるく(17歳) ★ 2019/03/16(土) 13:18:18.93 ID:CAP_USER
    日帝強占期、中国駐在の日本公使を殺害しようとして未遂に終わった、六三亭(ユクサムチョン)義挙を記念する行事が忠北(チュンプク)提川(チェチョン)の朴達峠(パクダルジェ)で行われた。

    no title

    ▲ 李容俊先生の1939年の日本の記録

    民族問題研究所 提川・丹陽(タンヤン)支会は16日午前、堤川市 鳳陽邑(ポンヤンウプ)院朴里(ウォンバクリ)の朴達峠で義挙第86周年記念式を開いた。

    朴達峠には、義挙に加わった提川出身の李容俊(イ・ヨンジュン)先生(1907~1946年)胸像がある。

    イ先生は、建国褒章(1977年)および建国勲章愛国章(1990年)を受章した。

    記念式には愛国志士の子孫や光復団体、堤川市の関係者など200人が参加した。

    記念式は六三亭義挙の紹介、万歳三唱(マンセサムチャン)、祝賀公演、特別講演(キム・サンウン元独立記念館館長)などの順に行われた。

    民族問題研究所 提川・丹陽支会のリ・ハクヒョ支会長は、「今年は三・一万歳抗争と臨時政府100周年であるだけに、六三亭義挙について自治体と市民に多くの関心を持ってもらいたい」と述べた。

    続けて、「義挙に直接加担したとされる12名様のうち、忠北出身は提川 李容俊、忠州(チュンジュ)柳子明(リュ・ジャミョン)、鎮川(チンチョン)朴基成(パク・ギソン)先生」と述べた。

    no title

    ▲ 李容俊先生の1939年の日本の記録

    民族問題研究所 提川・丹陽支会によれば、六三正義挙は1933年3月17日、上海(しゃんはい)華韓人青年連盟の行動団体である黒色恐怖団(フクセクゴンポダン)の主導で、上海の虹口(こうこ)で起きた。

    当時、上海駐中日本公使である有吉明を暗殺するためだった。

    しかし、暗殺情報が何者かによって漏れて計画が発覚した。

    結局、黒色恐怖団の団員が日本警察に逮捕され、義挙は失敗に終わった。

    しかし、挙事の失敗後に中国の新聞が暗殺計画を大きく取り上げ、沈滞期だった国内の抗日運動に新風を吹き込んだという点で意味があるとの評価を受けている。

    ?浦灘義挙(1922年3月28日)、虹口義挙(1932年4月29日)とともに、上海で起きた3大義挙に数えられる。

    no title

    ▲ 光復後の臨時政府要員の国内帰国歓迎査閲式と見られる写真。右先頭が李容俊先生

    NAVER/提川=聯合ニュース(韓国語)
    https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0010698557

    【【韓国】日帝強占期の公使暗殺未遂事件、『六三亭義挙』をご存知ですか?】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/03/13(水) 20:53:23.65 ID:CAP_USER
    no title
     
    「日帝強占期当時、島の住民6000人のうち800人が不逞鮮人という烙印を押されたまま監獄に閉じ込められたり監視を受けたりした」。 

      1927年5月10日に強制閉鎖された全羅南道莞島郡所安島(チョルラナムド・ワンドグン・ソアンド)の所安学校の歴史を扱った当時のメディア報道内容だ。日帝は当時、抗日運動の拠点という理由で所安学校を廃校した。住民たちは学校を再開するために署名運動に出たがそのせいで「不逞鮮人」になった。不逞鮮人は日帝に反発する「不穏で不良な朝鮮人」のことをいう。 

      今年、三・一運動100周年を迎えて抗日運動拠点だった小さな島に関心が集まっている。日帝強占期の間、激しく組織的な抗日運動が展開していた莞島所安島だ。 

      莞島から18キロ離れた所安島では、1800年代後半から光復(解放)の時まで抗日運動が続いていた。唐寺島(タンサド)灯台襲撃(1909年)や莞島三・一運動主導(1919年)、所安学校闘争(1927年)などが代表的だ。所安島は一年中島全域に太極旗がはためいている。太極旗は島の入口である所安港をはじめ、道路や通り、集落や商店街一帯に約1500本が掲げられている。所安抗日運動記念館を中心に、島全域に翻る太極旗には100年前の3月の雰囲気が残っている。 

      この島では三・一運動よりも10年前に武装抗日運動が始まった。1909年2月に所安出身の東学軍イ・ジュンハ先生と集落の青年5人が唐寺島灯台を襲撃した事件を通じてだ。日本が建てた唐寺島灯台は朝鮮から収奪した物資を積み出した日本商船の航路を照らす役割を果たしていた。当時、住民たちはこの灯台を守っていた日本人4人を処断することによって抗日意志に火を点けた。唐寺島は直線距離にして3.7キロメートル離れた所安島の付属島だ。 

      10年後に三・一運動が勃発したという便りに住民たちは再び立ち上がった。当時、所安島独立活動家は、1919年3月15日莞島邑の市が立つ日に開かれた万歳運動を主導した。ソウルで三・一運動が起きた後、14日間、太極旗と独立宣言書を謄写するなど緻密に偉業を準備した結果だ。当時1000人余りが参加した三・一五万歳運動は、南海岸一帯の抗日意志を集結させる役割を果たした。莞島郡では今年も100年前の所安島民の抗日意識を称えるために今月15日に万歳運動を開く。所安抗日運動記念事業会長のイ・デウクさん(65)は「太極旗の掲揚とムクゲの木の植樹などを積極的に展開することによって所安島の抗日歴史を全国民に知らせたい」と話した。

    中央日報 2019年03月13日 08時30分
    https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=251179


    【【韓国】年中太極旗を掲げる抗日拠点…所安島住民たちは「不逞鮮人」烙印も 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2019/03/11(月) 13:40:30.65 ID:CAP_USER
    no title


    [アンカー]ユネスコ世界文化遺産の宗廟の塀のあちこちに日本王の年号が彫られている事実がKBSの取材の結果、確認されました。日帝が残した跡なのに、文化財庁はこのような事実を把握しているにもかかわらず、今に至るまで何の措置もしていないと明らかになりました。ユ・ドンヨプ記者が取材しました。

    [レポート]宗廟、朝鮮歴代の王たちの神位を迎えたところです。世界最大規模の木造建物の正殿は王が直接法事を行った場所で宮廷よりさらに神聖な空間でした。宗廟に入る正門のすぐそば、塀の下に漢字で彫られた文章が見えます。

    「昭和8年3月改築」。

    日帝強制支配期の1933年3月に塀を修理したという意味で、「昭和」は日本語で当時のヒロヒト日王の年号です。同じ言葉を塀のあちこちに難なく探すことができます。この事実を確認して私たちの市民団体に知らせた人は最近、韓国を訪れた日本人でした。

    [ペク・スンホ/「私たちの文化息遣い」宮廷道案内:「私が直接探したのではなくて日本の方のお言葉を聞いて知ることになって、灯台下暗しが恥ずかしかったです。」]

    塀に沿って巡回道を回ってこの様な言葉がいくつあるのか調べました。宗廟巡回道2.5キロ区間を見て回わった結果、日本式年号が彫られた基壇石は目で確認されただけで合計9個でした。塀の下の部分が土で覆われたところが多く、実際にはさらに多いと推定されます。

    文化財庁は取材陣が確認した個数より少ない7個を把握していると明らかにしました。朝鮮を侮辱したり日帝を称賛する内容でなく、単純な修理記録なので後続措置をしなかったと釈明しました。しかし、宗廟はユネスコ世界文化遺産であり朝鮮王室を象徴する空間です。日帝残滓を何の措置もなく放っておくのは適切でないとの指摘が出ます。

    [ホン・スンミン明智(ミョンジ)大記録情報大学院教授:「宗廟の塀を日帝強制支配期に日本の人々がどんな意図で管理したかを知らせる、そのような情報を案内板を通してとか...」]

    塀の向こう側に宗廟正殿が見渡せるその場に日本王の年号を刻んだ石が置かれて86年目。文化財庁は、KBS取材以後、実態調査と案内文設置などを検討すると明らかにしました。

    KBSニュース、ユ・ドンヨプでした。

    KBSニュース(韓国語) 
    http://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=4154811

    【【韓国】「世界文化遺産」宗廟の塀に刻まれた日王の年号…86年間放置】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2019/01/30(水) 23:52:22.39 ID:CAP_USER
    「私たちの世代は生まれながらの日本国民だった。それも兵役義務も参政権もない2等国民だった。私たちが戦場に出て行って死ぬ代価で残った同族たちの地位が向上するだろうと信じた。」

    これは日帝強制占領期間に日本軍徴兵1期であったウ・スヨン氏が2010年1月、朝鮮日報に投稿したエッセイの一部を抜粋したものだ。

    no title

    ▲朝鮮日報ホームページキャプチャー.

    ソウル大経済研究所チョン・アンギ客員研究員(元高麗大経済学科研究教授)は去る20日、[「イ・スンマンTV」危機韓国のルーツ:反日種族主義シリーズ17-誰のための徴兵なのか]でウ氏のエッセイを紹介し「1944年~1945年、日本が施行した朝鮮人徴兵制が暴圧・強制的だったと言うのは反日強迫観念に過ぎない」と強調した。

    朝鮮人志願兵制、朝鮮の人々が先に日本に要求

    この日チョン研究員は「朝鮮人徴兵制は果たして誰のための徴兵であったのか」と質問を投げた。彼は「1920年以来、朝鮮人政治勢力は朝鮮人の国民的権利を主張する参政権請願運動を展開した」として「しかし、日本は朝鮮人の低い民度と教育水準を取り上げて時期尚早とだけを繰り返した」と説明した。彼は「それでも朝鮮人政治勢力は屈せず再度、優秀な資質の朝鮮人に限定した志願兵制施行を主張した。このような経緯を経て1938年4月、朝鮮人陸軍特別志願兵制が施行された」と明らかにした。

    チョン研究員は「陸軍特別志願兵制を施行する当時まで、日本は朝鮮人の軍事的な資質と力量を過小評価していた。ところが(朝鮮人を)実際に参戦させてみると(朝鮮人は)抜群の軍事的力量を発揮した」と強調した。特に「(中日戦争中)天王陛下万歳を叫んで戦死した、というイ・イムソク上等兵の登場は韓国人も「やればできる」という民族的自尊心を刺激した」として「日本政府は朝鮮人の陸軍特別志願兵制に対する高い支援率、中日戦争参戦での優れた軍事的力量をめぐり朝鮮人社会の愛国心と見なした」と明らかにした。

    日本議会が朝鮮人徴兵制施行を決めて、感激した朝鮮社会

    チョン・アンギ研究員は「結局、1942年5月、日本帝国議会は朝鮮人徴兵制の施行準備を決め、朝鮮人社会は両手を挙げて歓迎した。朝鮮の人々は自分たちの主張がいよいよ日本政府を説得したことに感激した」と話した。それと共に「徴兵制施行を契機に朝鮮人社会は兵役義務という日本国民の資格を獲得した。参政権の獲得と国民義務としての徴兵という義務と権利を確保することになった点で国民資格を得たと見られる」と解釈した。

    朝鮮人、日本語文盲者含む22万人が徴兵制支援
    (中略)

    朝鮮人兵士11万6000人参戦...朝鮮人のためと信じて
    (中略:>>2-5のあたり)

    チョン研究員は最後にウ・スヨン氏のエッセイを紹介しながら「朝鮮人徴兵者などは日本と天皇に忠誠をつくすことが結局朝鮮人のためであると見なし、そのため、彼らは喜んで徴兵に応じたのだろう。1944年から1945年、日本が施行した朝鮮人徴兵制は表面的な法制的強制性と異なり国民義務の履行という自発的動員を特徴とした」と付け加えた。

    オ・ムニョン記者

    メディアウォッチ(韓国語) 
    http://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=253834

    【【韓国】 朝鮮人の徴兵、朝鮮社会が先に日本に要請して施行された~彼らは戦場で死ねば同族の地位が向上すると信じた】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 次郎丸 ★ 2019/01/28(月) 16:39:02.05 ID:++zQKJB+9
    7C8A5CFF-01E9-4F17-89D2-DB5D9D9486A5

    創氏改名は朝日新聞が主張するほど強制性が甚だしかったのか 

     最近の日本と韓国の外交関係は、最悪といってもよいだろう。1910年の韓国併合から始まる大日本帝国統治時代の実態は、本当に韓国側が主張するようなものだったのだろうか? 評論家の呉智英氏が、日本の韓国統治の実態について考察した。

     * * *
     韓国の暴走が止まらない。半世紀前に決着がついているはずの徴用工問題を再燃させるわ、自衛隊機に照準用レーダーを照射するわ、挑撥という段階を超えて宣戦布告直前という感じだ。これも韓国に「反日」という絶対的正義が深く浸透しているからである。

     その反日の論拠の一つ「慰安婦強制連行説」は、二〇一四年、これを積極的に報道してきた朝日新聞が虚報であったと認め、検証・謝罪記事を大きく掲載した。しかし、まだこれに類する虚報がマスコミに出回っている。

     一月十一日付朝日新聞「社説余滴」は「引き揚げの苦悩は消えぬ」と題して、九十七歳の老婦人の釜山港からの引き揚げ話を紹介している。
    そこに、国民学校(小学校)の「新入生の胸に創氏改名した日本名の名札をつけ、朝鮮語を禁じ」とある。確かに創氏改名はあった。
    しかし、この記事全体に流れるような強制性の甚しいものだったのだろうか。我々は何となくそう思っている。朝鮮人が朝鮮名のままだと警察に逮捕され刑務所にぶち込まれるというように。だが、実態はかなり違う。

     この記事のちょうど一年前、昨年一月二十一日付産経新聞連載「海峡を越えて」第二回では「創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう」としている。
    朝鮮名から日本名に変えた人は約八割、残りは「金や朴など従来の『姓』をそのまま『氏』として使うことができた」。
    実例として、検事・閔丙晟(びんへいせい)、陸軍中将・洪思翊(こうしよく)、女性舞踏家・崔承喜(さいしょうき)を挙げている。三人のうち最も有名なのは美貌と芸術性で日本人も朝鮮人も魅了した崔承喜で、デパートなどの広告にもしばしば起用された。

     創氏改名が強制性の甚しいものなら、検事や将校が朝鮮名のままで許されるはずがなく、朝鮮名の舞踏家が国民的スターとしてポスターに登場するはずもない。

     創氏改名の実態について私が疑問を抱いたのは、そんなに昔のことではない。一九九〇年刊行の『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社)によってである。私もこの事典に何項目か執筆しており、送られて来た同書を読んで気づいた。

     それは朴春琴(ぼくしゅんきん)という戦前の衆議院(帝国議会)議員の存在であった。国会議員でさえ朝鮮名のままであるという事実は、創氏改名の強制性に疑いを抱かせた。

     また、戦前にこそ朝鮮人に選挙権も被選挙権もあったと確認した。日本は韓国を「併合」したのだから、国民の権利である参政権は同じように保障されるだろう。
    詳しく言うと、まず内地(日本列島内)と京城(現ソウル)に居住する朝鮮人に参政権を与え、それ以外は順次ということだったが、敗戦によって実現を見なかった。

     慰安婦強制連行説への疑問もこの時に湧いた。国会議員を出している人たちの娘を警察や軍隊が強制連行して慰安婦にすることが考えられるだろうか。国会議員以外に地方議員も何人か出ている。

     日本の韓国統治の実態について、我々は知らないことが多すぎる。

    ●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

    ※週刊ポスト2019年2月8日号

    2019.01.28 16:00 newsポストセブン
    https://www.news-postseven.com/archives/20190128_856846.html?PAGE=1#container 
    【【朝日の捏造】創氏改名は朝日新聞が主張するほど強制性が甚だしかったのか 日本の韓国統治の実態考察 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2019/01/27(日) 18:10:48.13 ID:CAP_USER
    kr250
     
    昨年、ヒトラー・ナチス政権のオーストリア併合80年を迎えた折、同国のバン・デア・ベレン大統領は、新年の演説でこう述べている。「今年はヒトラー・ナチス政権のわが国併合80年目を迎える年だ。わが国はヒトラーの犠牲国であるとともに、加害国だったという事実を単に記憶するだけではなく、心の中でしっかりと留めておかなければならない」と述べ、「人種主義、反ユダヤ主義、そして破壊的な民族主義を再びよみがえらせてはならない」と強調した。

     オーストリア人は「ベートーベンはオーストリア出身で、ヒトラーはドイツ人」とかたくなに信じようとしてきたが、事実は逆だ。アドルフ・ヒトラー率いるナチス政権は、1938年3月13日、母国オーストリアに戻り、首都ウィ―ンの英雄広場で凱旋演説をした。同広場には約20万人の市民が集まり、ヒトラーの凱旋を大歓迎した。その後の展開は歴史が物語っているので割愛する。

     オーストリアはドイツに併合され、ウィーン市はドイツ第3帝国の第2首都となり、ナチス・ドイツの戦争犯罪に深く関与し、欧州を次々と支配していった。同時に、欧州に住むユダヤ人600万人を強制収容所に送り、そこで殺害している。その後、カール・レンナーを首班とした臨時政権が発足し、第2共和国の建国が宣言された。

     「オーストリアは戦後、『モスクワ宣言』を拠り所として、久しくヒトラーの戦争犯罪の被害者と主張してきたのですが、クルト・ワルトハイム元国連事務総長の大統領選頃に『世界ユダヤ人協会』から激しい批判を浴びたのです。ちなみに、1943年の『モスクワ宣言』には、『ナチス・ドイツ軍の蛮行は戦争犯罪であり、その責任はドイツ軍の指導者にある』と明記されていました。オーストリアがヒトラーの戦争犯罪の共犯者だったことを正式に認めたのは、フラニツキ―政権が誕生してからのことです」(国際ジャーナリスト)

     フフランツ・フラニツキー首相(任期1986年6月~96年3月)はイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と初めて認めたことから、同国で歴史の見直しが始まった。対イスラエルとの関係正常化に至るまでの月日は半世紀を要した。

    オーストリアを韓国、ドイツを日本に置き換える(ナチスのユダヤ人虐殺は事実だが、日本の南京事件は虚構である)と、相似形であることが分かるが、その対処法はまるで違う。韓国が加害者側であったことは一度も100%認めていない。

     韓国は1910年に当時の大韓帝国議会の賛成多数で日本への併合が決まった。当時の韓国最大の政治勢力「一進会」は当初から日韓併合を主張していたが、ソ連の南下を何としても阻止したい日本からの一定の圧力がなかったとは言わない。

     だが当時の韓国はロシアに吸収されるか、日本と併合するかの二者択一しかなかった。こうした経緯から韓国は大日本帝国として第2次世界大戦を戦ったのだ。

     韓国もオーストリアを少しは見習った方が、世界から尊敬される国になれると思うが、そのあたりがよく分かっていないのも、また韓国らしい。

    週刊実話 2019年01月26日 07時00分
    https://wjn.jp/sp/article/detail/4809110/

    【【週刊実話】『ナチス・ドイツ』に併合されたオーストリアと『大日本帝国』に併合された韓国の大きな違い】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: ■忍法帖【Lv=14,ぶとうか,tdu】 第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdb 2019/01/26(土)15:10:16 ID:???

    (*速報ではないですが、重要な事なので立てました。)


    1939.03.28、東亜日報
    50人余りの娘が朝鮮人人身売買団に騙され、満州に娼妓として売られた。日本の警察が救ってくれる。
    no title


    1933.06.30東亜日報
    路上で少女を拉致、 醜業中(売春花屋)に売却。 犯人は韓国人、日本警察が救ってくれる。
    no title


    1936年05月14日毎日新報
    農村婦人誘引悪漢を検挙。女を満州に娼妓として売却しようとしていたのを日本の警察が検挙して女性を救出する。
    四人の女性が魔手を脱する。
    no title


    1939.8.31、東亜日報
    悪徳紹介業者が跋扈、 彼らが誘拐した農村、婦女子の数が100人以上。すべて日本警察が救出した。
    no title


    1936-07-09、毎新報
    娘を誘引して売春を強制した行商魔女の罪状。
    犯人はファンクムチョン、パククムヒ、イドクスンという朝鮮人3人。 純真な家庭婦人を誘惑して中国人に売春を強要した。
    日本の警察が検挙して被害女性らを救出。
    no title


    (以下略)

    http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/46524048.html   


    【【慰安婦問題】「朝鮮人が女性を拉致して売っていた」公式的に最も古い韓国の遠征売春婦の正体】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2018/12/16(日) 21:07:33.00 ID:CAP_USER
    黄海道谷山で生まれた李興燮さん(1928-2014)は、父を助けて畑仕事をしていたが1944年5月に徴用されて日本に連れてこられ、光復(日本の植民地支配からの解放)後も遂に韓国へ戻ることができなかった。当時数え年で16歳だった李さんは徴用対象ではなかったが、太平洋戦争で窮地に陥った日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した。父は、白い木綿の洋服を別れの贈り物として与えた。本書は、佐賀県の炭鉱に連れていかれた李さんが翌年1月1日に脱出・逃亡して解放を迎えるまでの、およそ1年3カ月間の記録を収めている

     少年は2週間の軍事訓練を受け、ふんどし姿で切り羽に送り込まれた。豆かすが半分以上という飯にたくあん2切れだけの食事はあまりに粗末で、ひどく腹が減った。故郷を離れるときに父がくれた荷物の検査で指輪が出てくると、状況は一層悪くなった。「戦争中にこんな物を隠して供出しなかった」という理由で「非国民」のレッテルを貼られ、外出禁止などの罰が加えられた。李さんは脱出を夢見るようになり始めた。逃げ出したものの捕まった朝鮮人が生ゴムの棒で殴られ、半殺しの目に遭うのを見たが、これ以上そこにいられなかった。

     正月、初めて外出した。その日に脱出した。復帰の時間が迫ると、炭鉱の反対側にある北の海岸へ向かうバスに乗った。漆黒の闇に身を隠しながらも、李さんは空襲で廃虚と化した光景に口をつぐんではいられなかった。「これが、われわれをこんな目に遭わせた日本の姿なのか!」

    しかし、李さんの手記には敵意は薄かった。「正義などみじんもない戦争に巻き込んだ日本人」と厳しく叱責(しっせき)しつつも、戦争に苦しむ日本人に向けた憐憫(れんびん)と普遍的な人間愛を共に強調した。炭鉱で彼が属していた組を指揮していた男性は、「佐賀県の地図が欲しい」という少年の言葉がどういう意味なのか知りつつも、知らないふりをした。むしろその翌日、地図を渡しながら「北に行けば軍港がある」と、それとなく教えた。厨房(ちゅうぼう)のとある少年は、いつも腹をすかせていた李さんの手にこっそりとおこげを握らせてくれた。逃げ出した李さんが隠れていた朝鮮人の飯場には、敗戦の3カ月前から日本の軍人たちが現れ、物乞いをした。李さんに食事をさせてくれた朝鮮人のおばさんは、「軍服を着た若者」にすぎない日本の青年たちの弁当箱にも、コメのご飯をぎっしり詰めて返してやった。

     日本が降伏した翌日、少年は帰国の船に乗るため福岡県北部にある博多港へ行った。ところが、故郷に向かうことはできなかった。押し寄せた朝鮮人は数十万人にもなるのに、釜山行きの船は毎日300人ずつしか乗せていかなかった。帰国を待っていては飢え死にしそうだった。李さんは「無理やり連れてきたのなら、なんとかして送り返してやるべきではないか」と心の中の怒りを漏らしたが、結局、当面の生活苦から解決しなければならなかった。その後、肉体労働をしながら九州を流れ歩き、1970年から大阪で金属回収業を営んだ。

    本書は、歴史の傷を克服するための加害者と被害者の共同努力が作り出した貴重な成果だ。77年に李さんの娘・ドンスンさんが通っていた中学校の担任、室田卓雄さんが家庭訪問にやって来た。李さんの徴用体験談を聞いた室田さんは、当時中3だった教え子に「お父さんの歴史を書いてみないか」と勧めた。その年の夏休みにドンスンさんが父親と向き合い、聞き書きしたものが本書の出発点だった。室田さんは「こんなことがあったのかと驚きだった」と文章をまとめ、翌年10月26日に小冊子を出した。その後、10年かけて李さんが自ら日本語の辞書を繰りつつ執筆した分を加え、『アボジがこえた海』というタイトルであらためて出版した。李さんのつたない日本語の文章を数人の教師がボランティアで校正した。その本を読んだ九州や大阪の中学生が、李さんの物語をステージ上で演劇にした。その間に大学の教員になった室田さんは、2006年から自分が在職する流通科学大学に李さんを招き、毎年2回、講演を頼んだ。高齢を押しての李さんの講演は、亡くなる2年前の12年まで続いた。強制徴用判決を巡って未来がないかのような不和を示す韓日両国の現実が、本書を読んでいて終始、残念な思いと共に重なって見えた。280ページ、1万5000ウォン(約1520円)

    金泰勲(キム・テフン)出版専門記者 

    朝鮮日報  2018/12/16 05:01 
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/12/14/2018121480062.html


    753432D6-B66D-4552-BDD4-704874477F71

    ▲(1)(2)切り羽で採炭作業を行う朝鮮人(注釈:これは日本人の鉱夫の写真です)。狭い坑道で体を斜めに横たえてつるはしを振るうという重労働に従事した。(3)16歳のとき日本へ連れていかれ、九州の炭鉱で強制労働させられた李興燮さんの生前の姿。/写真=国立日帝強制動員歴史館所蔵
    【【また嘘を】16歳で日本に徴用された父の人生 日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2018/12/10(月) 19:14:49.52 ID:CAP_USER
    C12B6903-A0E1-42C2-90BF-0ED17D3C91B4
     
    日帝強制支配期、日本の朝鮮人強制動員と関連して私たちの裁判所で損害賠償判決が相次いでいるが、日本政府および被告企業は判決結果を履行しないでいる。10月、私たちの大法院の強制徴用賠償判決以後、被害者側の弁護人が今月4日の判決履行を促そうと東京にある「戦犯企業」新日本製鉄(現新日鉄住金)本社で二回目の訪問をしたが直接面談はまたできなかった。

    日本政府は元徴用工(強制徴用被害者)の個人請求権問題が1965年韓日請求権協定で解決されたという立場だ。さらに国際法は国家間合意遵守が原則で司法・立法・行政を超越すると主張する。

    先月16日、保守指向の日本メディア産経新聞が運営するオピニオンサイト「iRONNA」に「請求権協定は1965年国交正常化のための韓日基本条約と共に結ばれた両国関係の基盤」とし、「民間企業の問題ではない」という内容の文ものせられた。その上「太平洋戦争で日本は韓国と戦ったわけではないから、韓国は日本の戦争について法的に評価できる立場でもない」というごり押し論理まで繰り広げられた。

    私たちの大法院は2012年「請求権協定交渉過程で日本政府が強制動員被害の法的賠償を元々認めていない」として「植民支配と直結した不法行為による損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれていると見るのは難しい」と判断した。原告らの個人請求権は消滅していないといいうことだ。

    2015年7月6日、日本政府報道官の菅義偉、官房長官は「1944年9月から1945年8月まで国民徴用令に基づいて韓半島出身者の徴用がなされた」としてこの様な動員が「いわゆる「強制労働」を意味するものではない、というのが日本政府の従来の見解」と明らかにした。

    侵略と植民支配が合法だったので、それにともなう朝鮮人徴用は強制労働ではないという論理だ。日本の韓半島支配は不法な強制占領であり強制動員自体が不法という私たちの憲法の核心価値を否定したわけだ。

    日帝は1939年国家総動員法に基づいて「国民徴用令」を制定した。その後、日帝強制支配期韓半島から強制徴用された朝鮮の人々は劣悪な労働環境の下、相当数が賃金さえ受けとることができずに過重な強制労働に苦しめられ結局、帰ってこられず戦犯として犠牲になったものもいる。

    日本は私たちの裁判所の判決で日帝強制支配期と関連したことなら何でも自国に法的責任を問うことにならないか憂慮している。そうになれば訴訟はすべての種類の「強制労働被害者」に拡散する可能性が高い。日本企業だけでなく政府も「不法行為」を犯したとして訴訟対象になる可能性がある。

    こうした中、韓日両国企業とわが政府が共に財団を設立して被害者賠償に出るべきだという主張が私たちの内部から出ている。日本企業の賠償判決履行の可能性が希薄だからドイツの「記憶・未来・責任財団」のような財団を作って被害者救済に出ようということだ。

    しかし、日本政府および企業から日帝強制支配期蛮行と関連して正しくなされた謝罪さえ受けられない状況でこれは私たち自らをしばる格好になるだろう。歴史を正しく立て直すことが単なる「韓国版紅衛兵のサルプリ舞」(訳注:従北勢力の暗躍のことか。サルプリ舞は恨を解くための巫女の舞い)という認識が日本国内にある限り和解と治癒は不可能だ。

    わが政府は日本の韓半島支配が不法強制占領であり、強制動員自体が不法であったことを数年かかっても日本にずっと周知させて圧迫しなければならない。

    イ・ジンス選任記者

    アジア経済(韓国語) 
    http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2018121009190028381

    【【先進国に喧嘩売っている】 韓国政府は韓半島支配が不法強制占領であり、強制動員自体が不法であった、と日本に圧力をかけ続けよ 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2018/11/03(土) 17:02:54.27 ID:CAP_USER
    no title

    「韓国の3・1運動(日本植民地からの独立運動)は、中国人が民族独立を追求し、国家形成(nation-building)を探索する過程で、参照する対象として徐々に中国民族革命談話に組み込まれた」 

    大統領直属の3・1運動及び大韓民国臨時政府樹立100周年記念事業推進委員会(委員長=韓完相)と韓国社会史学会(会長=チョン・イルジュン)は2日と3日、ソウル城北区(ソンブクグ)にある高麗(コリョ)大学百周年記念館で「3・1運動100年、韓国社会転換の時空間地平」をテーマに学術大会を開く。今回の学術大会は、3・1運動が近現代の韓半島と東アジア社会の文明史的転換に及ぼした影響を探求することに主眼を置いた。 

    基調講演を務めた李恭忠中国南京大学教授は、「3・1運動は中国の鏡になった」とし、「独立国家の概念形成に重要な触媒であり、継続的に中国人に励ましを与えた」と述べた。李教授はあらかじめ公開した演説文「鏡としての隣国:現代中国民族主義の談論に現れた3・1運動」で、当時の中国の新聞記事や時評、民族・階級革命の談論に現れた3・1運動の様子を検討した。氏は、「3・1運動は、中国の5・4運動(1919年に学生デモに触発されて日本に対抗した民族運動)のお手本と前奏曲の役割をしており、20世紀前半にまで影響を与えた」と評した。 

    ソウル大学統一平和研究院のキム・ハクジェ教授は発表文で、3・1運動の重要性を「社会主義と自由主義が対立していた冷戦前の近代民族主義の独立運動」と評した。氏は、「2019年の3・1運動100周年を韓半島分断前の記憶をよみがえらせる一方、アジアレベルで韓半島問題の共感を広げるきっかけにしよう」と提案した。 

    日本上智大学の長田彰文教授は基調講演文の「3・1運動と国際関係」で、「3・1運動は直接的には『武断統治に対する不満の具体化』が原因だったが、パリ講和会議などの国際的要因の上で起こった」と主張した。 

    このほか、聖公会大学のユ・ソンヨン教授は、「3・1運動後の轉回:植民地の民の普遍な人類になるための露呈」をテーマに基調講演をする。 「3・1運動前後の東アジア地域の変動の中の朝鮮植民地の特殊性」(ぺク・スンウク中央大学教授)と「3・1運動の記憶と韓国民主化運動」(オ・ジェヨン成均館大学教授)などの発表も行われる。 

    チョン・イルジュン会長(高麗大学社会学科教授)は、「空間的には韓半島を越えて北東アジア全体、時間的には以後100年を対象に3・1運動の意味を眺望する学術大会になるだろう」と述べた。韓完相委員長は祝辞で、「3・1運動の歴史的意味合いを再確認することを超えて、21世紀の韓国社会の行方と展望を明らかにする手がかりになることを希望する」と述べた。 

    趙鍾燁 jjj@donga.com

    東亜日報
    http://japanese.donga.com/List/3/all/27/1526785/1

    【【過大評価】「3・1運動は中国民族主義に大きな影響、日本帝国に対抗したお手本だった」~3・1運動に関する学術大会 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: ◆ciadbU3kq9FF 2018/11/01(木)20:00:33 ID:TUg
    (基隆 1日 中央社)
    北部・基隆市で10月31日、日本統治時代の士官宿舎「基隆要塞司令部校官眷舎」の修復工事が始まった。総工費は2120万台湾元(約7750万円)で、竣工予定は2020年2月。
    林右昌市長は、完了後は民間に運営を委託する予定だと述べ、歴史と文化の魅力あふれる同市の新名所になることに期待を示した。

    基隆港東岸の大沙湾地区に位置する宿舎は日本統治下の台湾でよく見られた木造家屋。出幅が約60センチのひさしや15センチある玄関の段差など、雨の都と呼ばれた同市の気候に合わせた工夫が施されているのが特徴。

    (略)

    修復工事が始まる旧日本軍の士官宿舎=基隆市政府提供
    no title

    フォーカス台湾 2018/11/01 17:36
    http://japan.cna.com.tw/news/atra/201811010007.aspx

    【【国際】旧日本軍の士官宿舎 修復・再利用へ/台湾】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2018/10/22(月) 22:25:26.99 ID:CAP_USER
    no title

    ▲国家総動員法決裁文。職印の上にヒロヒト(裕仁)という日王名が見える。[キム・ギョンナム教授提供]
    no title

    ▲勅令第316号。決裁権者がヒロヒト(裕仁)日王であることを知ることが出来る。[キム・ギョンナム教授提供] 

    (ソウル=聯合ニュース) 1937年中日戦争後、日帝が推進した戦時強制動員公文書の最終決裁者はヒロヒト(裕仁、在位1926~1989)日王であり、それにともなう法的責任も明確だ、という主張が提起された。 

    韓国近代史研究者のキム・ギョンナム慶北(キョンブク)大教授は今月20日、韓日民族問題学会と慶北大史学科が慶北大で開催した学術会議で日帝強制動員の世界性と歴史的責任について発表した。 

    キム教授は日帝が武力戦争を遂行するために植民地朝鮮と台湾、満州、樺太で物資と人的資源を動員する法律を制定し、これを通じて植民地体制を統合して治めようとしたと説明した。 

    彼は日本国立公文書館、署名原本文書群にある法律第55号「国家総動員法」原本に注目した。 

    キム教授は「国家総動員法を牽引して賛同した協力者は外務大臣、広田弘毅をはじめとする各省の代表であり、上申した人は近衛文麿内閣総理大臣」とし、「日王は1938年3月31日、最終決裁した」と強調した。 

    彼は引き続き「国家総動員法を朝鮮、台湾、樺太に施行したのは勅令第316号で、近衛と拓務大臣、大谷尊由主導の下、日王が1938年5月3日決裁した」と付け加えた。 

    キム教授は国家総動員法と関連勅令その他にも1938~1942年に作られた職業紹介所官制、賃金統制令、国民徴用令、総動員業務事業主計画令、賃金臨時措置令、朝鮮総督と台湾総督監督などに関する件を最終決裁した人物も日王だと力説した。 

    彼は「国家総動員法と勅令は日本勢力圏内にいるすべての民衆が自分たちの希望や自由意志とは関係なく戦争に動員されるようにした」として「その過程で植民地は軍需兵站基地に変化した」と批判した。 

    しかし、ヒロヒト日王は戦争が終わった後の1946年、自身が神でなく人間だと宣言し、戦後処理が国際政治的になされながら戦争責任を負わなかったとキム教授は指摘した。 

    キム教授は「戦時に日本当局が公務を執行して強制動員を推進し、これに関する文書を最後に決裁した人物が日王という事実は記録学的にさらに明確になった」として「強制動員記録がすべて公開されていない状況で文書アーカイブを構築する必要がある」と主張した。 

    パク・サンヒョン記者 

    聯合ニュース(韓国語) 
    http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2018/10/21/0200000000AKR20181021046400005.HTML

    【【韓国】「強制動員公文書の最終決裁者は日王…責任は明確」~韓国の大学教授が分析 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/22(土) 14:02:24.19 ID:CAP_USER
    363417A1-2BFA-4C43-8AD9-20EF95AAE320


    地元産稲が消えた理由は私たち民族の痛恨の歴史のためであることが明らかになった。

    21日夜放送されたSBS「格好よく食べよう」では私たちも知らない歴史の中に消えた地元産稲が紹介された。

    消えいく食材料を探すために京畿道(キョンギド)高陽市(コヤンシ)を訪れた4MCとゲスト、トニー・アンは三回目の旅行の主人公が「米」ということに驚いた。

    引き続き、地元産稲の多様な名前と150種類余りの種類を習った彼らは現在の地元産稲を開発している農夫イ・グニ氏に会った。

    イ・グニ氏は「100年余り前まで、私たちの野原は色とりどりできらびやかな色を誇った」と伝えた。それと共に韓半島全域を染めた稲の品種を紹介した。

    民族の米がどうしてこのように消えていったのであろうか。イ・グニ氏は胸が痛い私たち民族の歴史の話をあげた。

    過去の日帝時代、日帝が朝鮮を侵略して一番最初に稲の品種検査を実施し1450余りの地元産品種を抹殺し日本改良種を植え始めた。そうして地元産稲が消えていき、現在の大韓民国で栽培された稲の品種の大部分が日本改良種にならざるをえなくなった。

    チョ・ヨンヒ、エディター

    SBS芸能ニュース(韓国語) 
    http://sbsfune.sbs.co.kr/news/news_content.jsp?article_id=E10009217907

    【【韓国】 日帝が抹殺した「韓国産稲」の秘話~韓国のTV番組「格好よく食べよう」 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/15(土) 15:52:51.25 ID:CAP_USER
    no title

    「植民地近代化論」は我が国だけでなく西欧列強の植民統治を受けて第二次大戦後に独立したアジアとアフリカの様々な国の人々にとって大きな怒りを起こす単語だ。 

    列強の植民統治で永遠に産業化されない状態に置かれた非西欧圏地域の産業化、近代化が始まったし、彼らの「進出」がなければ、これら地域は相変らず無知蒙昧な前近代社会に留まっただろうという植民地近代化論はとても傲慢で植民統治を美化する侵略者の論理だからだ。 

    しかし、この学説は民族主義が順次弱まっている状況でますます力を増している。各種記録とデータ、特に統計で武装した植民地近代化論はこれ以上言及さえできない「妄言」でない正式学説と認められている。 

    西欧圏では帝国主義植民地政策が本国に特に経済的役に立たなかったし、植民主義が初めて始まった16世紀の大航海時代の時さえ大西洋を間に置いたアメリカとヨーロッパ、アフリカ間の三角貿易より地中海と北海内でヨーロッパ国家どうし行った海上貿易がより大きな富を持ってきたと主張している。 

    さらに植民統治時期のほとんどすべての物的土台が6.25戦争(朝鮮戦争)で消え、根拠一つさえない日本まで日帝強制占領期間の朝鮮植民地に作った道路と鉄道、工場が韓国近代化の土台になったという「恩恵授与論」という主張を日常的に行っている。 

    国内でも既存の「収奪論」から脱して植民地時代に統計上高度経済成長が起きてこれが解放後の韓国産業化に相当な影響を及ぼしたという植民地近代化論が出現することになった。 

    これらの主張の主要根拠は「統計」だ。 

    日帝強制占領期間以後、年平均経済成長率は4パーセント台、1人当りの消費増加率は3パーセント台後半を記録し、産業構造も農業比重が1910年代の85パーセントから1940年代50パーセント台に減り、工場も40カ所余りから4000カ所程度に増えたことが植民地近代化論の主要論拠だ。 

    日本の植民地化と収奪以前から旧韓末の社会的危機が重なって前近代的な生産様式は限界に達していたし、日帝強制占領期間の滞貨した資本主義的社会構造が1960年代以後、産業化の基礎になったというのが主要論旨だ。 

    ちょっと聞けばかなり論理的な数値だが、問題は1910年代から1940年代まで日帝強制占領期間には正しい統計資料が一つもなかったということにある。統計学という学問が登場してからいくばくもなかったし、今と同じ統計方式や技術的な発展も不備だったため、当時の統計はとうてい信られないものだらけだ。 

    しかも第二次世界大戦以前までメディアは徹底的に当局の検閲と統制を受けた。旧韓末朝鮮朝廷が作った経済統計でも、日帝強制占領期間、朝鮮総督府が作った経済統計でも信じられる数値と見るには限界がある。その上、1938年、日帝が国家総動員令を下して戦時経済に突入して以降は日本国内に残っている統計資料もきわめて珍しい。 

    また、解放直後、工業地域が殆どなかった韓国地域は日帝が残した物的土台も殆どなかったうえ、これさえも6.25戦争でほとんどみな破壊された。1960年代以後、韓国の近代化と日帝強制占領期間の連結の輪は探してみようとしても探せない状況だ。 

    植民地近代化論者などの主張のように、日帝が朝鮮に資本主義方式を移植し、これが韓国近代化と連結したとすれば朝鮮人の相当数が日帝によって教育を受けなければならないが、日帝末期まで専門学校を出た朝鮮人の数字は全体の0.1パーセントレベルに過ぎない。 


    イ・ヒョヌ記者

    アジア経済(韓国語) 
    http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2018091414384026455

    【【韓国】 日帝の植民統治のおかげで近代化?~収奪に名分与えた「統計」、信用できない 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/15(土) 13:34:01.46 ID:CAP_USER
    no title


    ▲『朝鮮サッカーを守れ!』チョ・ギョンスク文・ユンボンソン絵||208ページ|11,000ウォン

    テドゥは駅でご両親とはぐれるが、また会えるだろうと期待で平壌(ピョンヤン)駅で両親を待つ。そうするうちに偶然に優しいヘジョン食堂のおばさんの助けを受けて学校に通うことになる。

    故郷のヨンジョンでサッカー選手だったテドゥは新しい学校でもサッカー部に入ってサッカーの実力を誇る。

    おりしも京城チームと平壌チームが正面から対立するソウル・ピョンヤン戦が開かれ、雰囲気が高まるなか、ついに日本はサッカー統制令を下し…日本のサッカー統制令から朝鮮サッカーを守るための息づまる努力が展開する。

    暗鬱だった日帝強制支配期、民族の団結力を見せることができる唯一の機会であったサッカーの話が興味を引く。

    ソ・ミドゥム記者

    読書新聞(韓国語) [新刊]「日帝強制占領期間」唯一の希望『朝鮮サッカーを守れ!』
    http://www.readersnews.com/news/articleView.html?idxno=82000

    【【また嘘を】 暗鬱だった日帝強制占領期で唯一の希望だったサッカーに日本は統制令を下す~新刊『朝鮮サッカーを守れ!』 】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/11(火) 21:43:18.27 ID:CAP_USER
    no title

    ▲鉄原独立運動記念事業会は7日、郡議会を訪問、近代文化道路造成事業の再調整が必要だという意見を提起した。

    鉄原郡(チョルウォングン)の近代文化道路造成事業が場合によっては日帝強制占領期間を美化する可能性があり、全体的な方向を再調整しなければならないという主張が提起された。

    鉄原独立運動記念事業会(会長イ・ソジン)は最近「独立運動の聖地、鉄原に倭色通りを作ってはならない」と憂慮を表明したのに続き、7日には郡議会を訪問、懇談会を持って該当事業の根本的な方向転換が必要だという意見を提示した。

    記念事業会は「歴史的判断を度外視して観光資源を作るという美名の下、日帝強制占領期間当時、繁華街だった鉄原駅近隣の通りを再現する近代文化道路造成は倭色通り造成という根本的な限界を持つほかない」として「不透明な動機で過去の政府公募事業に選ばれたという理由だけで莫大な予算を入れて事業を推進することは慎重に再考する必要がある」と指摘した。

    鉄原郡関係者は「鉄原労働党舎をはじめ周辺に残っている日帝時代に建てられた文化遺跡と連係して地域を代表する観光資源を作るために推進している事業を記念事業会が倭色通り造成だと一方的に貶めるのは残念」とし、「まだ実施設計前だから住民たちの意見を十分に取りまとめて鉄原地域の独立運動の成果を入れて事業が進める」と答えた。

    ムン・ギョンフン郡議長をはじめとする議員らは「記念事業会が憂慮する様な状況が起きないように執行部で住民たちと関係者の意見を十分に取りまとめて事業が推進されるように努力する」と話した。

    一方、近代文化道路造成事業は鉄原労働党舎近隣の7万1252平方メートルの敷地に185億ウォンかけて20世紀を象徴する歴史的な平和文化空間を作る事業で2015年から2019年まで5カ年事業で推進している。

    アン・ウイホ

    江原(カンウォン)道民日報(韓国語) 「倭色論議鉄原(チョルウォン)近代文化の通り方向転換しなければ」
    http://www.kado.net/?mod=news&act=articleView&idxno=929514
    【【韓国】 「観光資源の名の下、倭色通り造成は日帝美化につながる」~鉄原独立運動記念事業会が主張】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 動物園φ ★ 2018/09/09(日) 09:27:19.51 ID:CAP_USER
    0820B01E-A69A-4330-97C2-6B458DD0FE0C
     
    日本、北京、果ては欧州ともつながっていた国際交通都市・京城
    「日帝による鉄道敷設は開発にして収奪」
    「当時は釜山発京城行きが下り線だった」

    日本、北京、果ては欧州ともつながっていた国際交通都市・京城 

     「20世紀前半、ソウル(京城)は東アジア鉄道ネットワークのハブ(中心地)だった。日本列島-韓半島(朝鮮半島)-満州-ユーラシア大陸を最短距離で連結するための鉄道が韓半島を貫通した。近代のソウルは鉄道が作った都市にほかならなかったが、鉄道の歴史はすなわち収奪された韓国人の血史でもあった」 

     東北アジア歴史財団の理事長も務めた歴史学者の鄭在貞(チョン・ジェジョン)ソウル市立大学名誉教授(67)が、新たな歴史書『鉄道と近代ソウル』(国学資料院刊)を出版した。5年にわたり韓国と日本の資料およそ1000点を集めて研究した成果で、600ページにもなる。 

     1979年に鄭教授が日本留学へ出掛けた際、日本の歴史学界では植民地支配を美化し、「日本が韓国に鉄道を敷いてやったではないか」 
    という見方が広く存在していた。「実にとんでもないことだった。鉄道敷設の過程で韓国がどれほど多くの労働力と土地を収奪されたか…」。その後、近現代史全般を幅広く研究した鄭教授は、単行本『日帝侵略と韓国鉄道 1894-1945』(1999)など鉄道史研究にも関心を持ち続けた。 

     今回の著書で鄭教授は、ソウルを中心に近代鉄道の歴史を振り返っている。ソウルは京仁線、京釜線、京義線、京元線、京春線、京慶線(中央線)など、「京」の字が付く韓国の幹線鉄道網の始発点にして終着点だった。さらに、北東アジアの直通国際列車が奉天(現在の瀋陽)を経て北京へ、ハルビンとシベリア鉄道を経て欧州につながる、四方八方とつながった国際交通都市でもあった。「日本の下関からユーラシア大陸の反対側にあるエストニアのタリンまで行く、1940年に発行された乗車券の写真がある。その路線は当然、ソウルを経由しなければならなかった。ソウルで、パリやモスクワまで行く列車の時刻表を買うことができた」 

     鄭教授は「鉄道は、一言でいえば利器であると同時に凶器だった」と語った。1899年から1945年までの間、日本は総延長6400キロに及ぶ鉄道を韓半島に敷設し、その鉄道網を通して支配力を強化・拡大し、物資を持ち去った。「徹底して日本帝国主義の利益のために作られた鉄道路線は、『侵略』と『開発』、『収奪』と『近代』という両方の属性を併せ持っていた」という。 

     鉄道は、ソウル市民が近代文物を受け入れるルートでもあった。「1日を12の単位に分けていた時間概念は、汽車に乗り遅れることのないよう分・秒単位に変わらなければならず、また汽車は老若男女が同じ空間に混在する、社会的に開放された場所だった」。独立運動でも大きな役割を果たしたのが鉄道だった。三・一運動は、鉄道路線を介して朝鮮全土に広がっていった。一方、同じ料金を払っても日本人より一等級下の扱いを受けるという、差別と抑圧の空間でもあった。植民地時代にあっては、釜山から京城(現在のソウル)に向かう路線が「下り」だったが、これは「帝国の首都たる東京から植民地の京城に下っていくルート」という意味だった。 

     あまり知られていない話も多い。大日本帝国は、鉄道を敷きやすい地形を選んで京釜線のルートを決めたため、ソウル-大田間では慶尚道・全羅道に向かう交通量が合わさり、ボトルネック現象が起きた。この問題は現在まで続いている。鄭教授は「南北の鉄道連結、そして1940年代に既にシステムを備えていた東アジア鉄道網の回復は、政治的利害関係とは関係なく将来必ず行われるべきこと」と語った。鉄道によって連結されたとき、ソウルは東アジアの拠点都市として真価を発揮したが、その鉄路に血のにじむ歴史があったという事実も忘れてはならないと言う。 

    朝鮮日報
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/09/07/2018090701782_1.html

    【【日帝残滓で破壊したら?】日本による鉄道敷設の過程で韓国は多くの労働力と土地を収奪された 】の続きを読む

    このページのトップヘ

    無料レンタル