かたすみ速報

日本及び周辺諸国に関するニュースと2chまとめサイト。ネットの片隅で更新していきます。




    タグ:太平洋戦争

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    1: 記憶たどり。 ★ 2019/02/06(水) 05:28:43.34 ID:rihqnno69
    比叡
     
    太平洋戦争中に南太平洋のソロモン諸島沖で沈んだ旧日本海軍の戦艦「比叡」をアメリカの調査チームが
    水深およそ1000メートルの海底で発見し、NHKがその映像を入手しました。船体が切断された状態になっていて
    大きな爆発によって沈没した可能性が高いことが今回、初めてわかりました。

    戦艦「比叡」を発見したのは、アメリカのIT企業マイクロソフトの共同創業者でポール・アレン氏が設立した財団の調査チームです。

    アレン氏は去年10月に病気で亡くなりましたが、調査チームはアレン氏の遺志を継いで特殊な装備を備えた調査船を使って
    太平洋戦争で沈没した軍艦を探し続けていました。

    調査チームによりますと、先月31日、ソロモン諸島のサボ島の北西の深さ985mの海底で、戦艦「比叡」を発見しました。

    ソナーが捉えた形状からは、船腹を上にした状態で海底に沈んでいるのがわかります。

    また、潜水艇から撮影した映像には、巨大なスクリュープロペラやかじ、高角砲の砲身などが映っています。

    「比叡」は大正3年にしゅんこうし、たび重なる改装を経て、太平洋戦争の緒戦で真珠湾攻撃にも参加しました。

    その後、ソロモン諸島のガダルカナル島をめぐる戦いに投入され、昭和17年11月の第三次ソロモン海戦で連合国の艦隊の攻撃を受けて
    航行不能となり、最期はみずから船内に水を入れて沈んだとされてきました。

    ところが、NHKが、広島県呉市の大和ミュージアムの館長で、旧日本海軍の歴史に詳しい戸高一成さんに映像を分析してもらったところ、
    船体のおよそ3分の1が切断されているとみられ、大きな爆発によって沈没した可能性が高いことが初めてわかりました。

    戸高さんは、「比叡は太平洋戦争の主要な戦いに真っ先に投入され、歴史的な場面にたくさん登場してきた戦艦で、
    歴史的に謎だった部分が解き明かされることはとても大切だ」と述べて、今回の発見の意義を強調しました。

    調査チームは今後、潜水艇で撮影した船体の写真などを順次、公開し、研究や調査に役立てたいとしています。

    ■戦艦「比叡」とは

    戦艦「比叡」は、明治44年に起工され、大正3年にしゅんこうするとすぐに第1次世界大戦のために東シナ海に派遣されました。

    その後、世界的に軍縮の流れが強まる中、昭和8年に訓練に使われる「練習戦艦」に改装され、訓練のほか、
    昭和天皇が乗艦する「御召艦」としても使われました。

    昭和11年には改めて戦艦に改装され、装備の配置などが後に建造される戦艦「大和」の設計に生かされました。

    太平洋戦争では、真珠湾攻撃で日本の航空母艦部隊の護衛として参加し、その後、激戦となったソロモン諸島の
    ガダルカナル島をめぐる戦いに投入されます。

    昭和17年11月、日本軍と、アメリカを中心とする連合軍の間で激しい戦闘が続く中、比叡は日本軍に補給を行う輸送船を護衛するとともに、
    連合軍の飛行場を砲撃するためにガダルカナル島に向けて出撃しますが、連合軍の艦隊と遭遇し、集中的に攻撃を受けます。

    その結果、かじが効かなくなって航行不能となり、総員退艦の上、みずから船内に水を入れて沈んだとされてきました。

    「比叡」は太平洋戦争で初めて沈んだ日本の戦艦で、この戦闘で死亡した乗組員は188人でした。

    ■比叡が発見されたのは

    比叡が発見されたのはガダルカナル島の北側にあるサボ島の北西です。

    この海域は、太平洋戦争で、日本軍と、アメリカ軍を中心とした連合軍が激しい戦いを繰り広げ、数多くの船が沈んでいることから
    「アイアンボトム・サウンド」=「鉄底の海峡」とも呼ばれています。

    無人の潜水艇が撮影した映像には船の進路を変えるための「かじ」、それに巨大なスクリュープロペラや、エンジン部分とつながるシャフトが見えます。

    また、比叡が備えていた12.7センチ高角砲の砲身や、対空防御用の機関銃の弾丸が入った箱も映っています。

    調査の結果、今回、見つかったのは、全長222mの比叡の船体のうち、およそ150mで、前方の70m余りは発見できなかったということです。

    比叡は沈没するときの様子を目撃した人がいないため、どのように沈んだか謎とされてきましたが、今回の発見は最期の様子を知る
    手がかりとして期待されています。

    NHK
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190206/k10011805201000.html



    【【鉄底海峡】戦艦「比叡」を発見。ポール・アレン氏の調査チーム。太平洋戦争中に沈没、謎の解明も・・・ 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/12/10(月) 00:29:02.10 ID:CAP_USER
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    太平洋戦争当時、日本によって強制徴用されて亡くなった犠牲者らの御霊を慰労するための太平洋戦争犠牲者合同慰霊祭が8日、西帰浦市(ソギポシ)薬泉寺(ヤッチョンサ)太平洋戦争犠牲者慰霊塔祭壇で開催された。

    太平洋戦争犠牲者遺族会済州(チェジュ)特別自治道支部(支部長カン・トンニム)主催で開かれたこの日の慰霊祭には遺族会会員や遺族など100人余りが参加して犠牲者の魂を慰めた。

    日本が真珠湾空襲を開始した12月8日(韓国時間)に合わせて準備されたこの日の行事は招魂文朗読、経過報告、主祭祀、道内機関長の追悼辞の順に進行された。

    カン・トンニム太平洋戦争犠牲者合同慰霊祭奉行委員長は主祭祀で「日帝の野心で始まった太平洋戦争による被害者が大韓民国の土地で300万人を越え、済州にも多数の犠牲者と遺族たちがいる」として「再び悲劇的な歴史を繰り返してはならない」と強調した。

    キム・テソク済州道議会議長は「凄惨だった過去を繰り返さないために、私たちは歴史を学び、犠牲者の御霊を慰労するための法事を行う」として「合同慰霊祭を通じて遺族たちの恨と痛み、過去の教訓が道民の胸中に刻まれることを期待する」と話した。

    一方、1941年、日本の真珠湾奇襲攻撃で始まった太平洋戦争は済州道民だけでなく済州の土地のあちこちにも深い傷を残し、現在まで確認された済州地域の太平洋戦争犠牲者は軍人と軍務員は1804名であり、強制動員されて生きて返った生存者は37人と把握されている。

    キム・ジソク記者

    済民日報(韓国語) 
    http://www.jemin.com/news/articleView.html?idxno=555790

    【【朝鮮戦争の犠牲者を入れるな】 太平洋戦争の大韓民国犠牲者300万人の合同慰霊祭、日本の真珠湾攻撃に合わせて開催 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2018/11/01(木) 17:09:13.05 ID:CAP_USER
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    2018年11月1日、新日鉄住金に韓国人元徴用工への賠償を命じた韓国最高裁の判決が日韓関係の新たな火種として浮上する中、韓国・KBSは「最近発見された韓国人強制徴用者の遺骨が身元確認もされないまま焼失する可能性がある」と伝えた。

    記事は「太平洋戦争中の1943年に起きたタラワの戦いで韓国人約1200人が日本軍に強制徴用され、その多くが『盾』として投入され死亡した」と説明している。また、米国防総省の捕虜・行方不明者調査局(DPAA)が最近、遺骨の発掘作業を行った結果、相当数のアジア人の遺骨が発見された。DPAA関係者は「キムとの名前が書かれた韓国人の遺品がある」と明らかにし、「陣地構築に動員され、戦闘中に死亡した韓国人徴用者の遺骨である可能性が高い」と説明したという。

    これについて、記事は「米国が発掘したアジア人の遺骨が日本政府に引き渡されるということが問題」と指摘し、「タラワの戦いで死亡した強制徴用者たちの遺骨は、身元確認や祖国に帰る機会すら与えられないまま日本に渡り、焼失する危機に置かれている」と伝えている。

    これに、韓国のネットユーザーからは「悲しい。むなしく死んだ後にまた日本に行くなんて」「韓国人の遺骨は韓国に返して。米国と日本は、引き渡しを求める友邦の気持ちを尊重してほしい」「日本との戦いはいつ終わるのだろう?」などと嘆く声が寄せられている。

    また「こんなことがあっていいのか?せめて亡くなった方の遺骨だけでも故郷に帰るべきだ。政府はすぐに対策を講じてほしい」「政府が日本に返還を強く求め、海外メディアを通じて全世界にこの事態を知らせるべき」など、韓国政府に積極的な対応を求める声も上がっている。(翻訳・編集/堂本)

    Record China 2018年11月1日 16時20分
    https://www.recordchina.co.jp/b658358-s0-c30-d0058.html


    【【コリエイト】発掘された韓国人の遺骨が日本で焼失?韓国ネットで返還求める声相次ぐ 】の続きを読む

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    1: サイカイへのショートカット ★ 2018/08/16(木) 19:16:21.24 ID:CAP_USER9
    戦没者遺骨 “日本人の遺骨なし” 鑑定結果を公表せず 厚労省

    太平洋戦争で戦死した日本兵の遺骨としてフィリピンで収集され、現地に保管されていた遺骨について、厚生労働省から7年前にDNA鑑定を委託された2人の専門家が「日本人と見られる遺骨は1つもなかった」とする鑑定結果をまとめていたことがNHKの取材でわかりました。 
    この鑑定をした専門家の1人は「多くのフィリピン人の遺骨が日本兵のものとして帰還した可能性がある」と指摘していますが、厚生労働省はこの鑑定結果を現在まで公表していません。 

    フィリピンで戦死した日本兵の遺骨収集事業について、厚生労働省は平成21年度以降、日本のNPO法人に委託して進めていましたが、遺骨の中にフィリピン人のものが混入している疑いが指摘され、平成22年に中断されました。 

    厚生労働省は現地で保管されていた合わせて311の遺骨を3つに分けて、3人の専門家にDNA鑑定を委託し、平成23年10月、このうち1人が行った鑑定結果を基に「フィリピン人と見られる遺骨が半数近く混入していたが、日本人と見られる遺骨も含まれていた」などとする検証報告書を公表しました。 

    しかし、報告書の公表後、残りの2人の専門家が「判別できた遺骨のほとんどがフィリピン人と見られ、日本人と見られるものは1つもなかった」とする鑑定結果をまとめていたことがNHKの取材でわかりました。 

    NHKが入手した鑑定結果によりますと、専門家の1人は、鑑定した71の遺骨のうちタイプが判別できた遺骨のほとんどがフィリピン人と見られ、日本人と見られるものは1つもなかったとしているほか、もう1人の専門家も110の遺骨のうち日本人と見られるものは1つもなかったとしています。 

    厚生労働省は、ことし5月にフィリピンでの遺骨収集事業を8年ぶりに再開すると発表しましたが、2人の鑑定結果は現在まで公表せず、同じNPOが収集しすでに日本に帰還している遺骨については、現地の証明書が発行されていることなどを理由に、「フィリピン人のものが混入している事実は認められない」と説明していました。 

    鑑定を行った1人の山梨大学の安達登教授は「厚生労働省は一部の鑑定結果しか公表せず、意図的な情報操作と受け取られてもしかたがない。鑑定結果からはね多くのフィリピン人の遺骨が日本兵として帰還した可能性があると言わざるをえず、厚生労働省は説明する必要がある」と指摘しています。 

    厚生労働省は「検証報告書を公表した時点で、ほかの2人の鑑定結果はまとまっていなかった。日本人と見られる遺骨があったという事実に変わりはなく、隠していたわけではない」としています。
    2018年8月16日 19時11分 NHK
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180816/k10011579741000.html


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    1: 孤高の旅人 ★ 2018/03/25(日) 02:39:06.45 ID:CAP_USER9
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    硫黄島で日米合同慰霊式、約230人が参列


     太平洋戦争末期の激戦地、硫黄島で、19回目となる日本とアメリカ合同の慰霊式が開かれ、参列した遺族や政府関係者らは、戦争の記憶を風化させてはいけないと、誓いを新たにしました。
     「ここ硫黄島での戦史に稀な壮烈な戦いの記憶も近年では世代も変わり、徐々に風化しつつあることを憂いますが、私たちにはあのような悲惨な戦いを二度と再び繰り返さぬよう、長く後生に語り継いで行く責任と義務があります」(寺本鐵朗 硫黄島協会会長)

     日本とアメリカ合同の慰霊式には、双方の遺族や硫黄島の戦いからの生還者のほか、小野寺防衛大臣など閣僚らおよそ230人が参列し、戦没者を追悼しました。参列した人たちは、戦争の記憶を風化させず、次の世代に引き継いで行くことの重要性を訴えました。

     政府は日本兵の遺骨の収集を進めていますが、硫黄島では戦死したおよそ2万1900人のうち1万1500人あまりの遺骨がまだ収容されていないということです。

    TBS news
    http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3325475.htm 

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    1: みつを ★ 2018/03/22(木) 03:04:50.95 ID:CAP_USER9
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    2018.03.21 Wed posted at 10:53 JST
    ワシントン(CNN) 米マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏は21日までに、南太平洋ソロモン諸島沖の海底で、第2次世界大戦時の米巡洋艦「ジュノー」の残骸を発見したと発表した。ジュノーは旧日本軍の魚雷により撃沈されていた。

    ジュノーが撃沈されたのは1942年11月13日。ガダルカナル島の戦いで攻撃を受け、「サリバン兄弟」として知られる5人兄弟を含む687人が死亡した。

    残骸はアレン氏率いる調査チームが17日にまずソナーで確認した。海面下およそ4.2キロの場所に横たわっていた。


    アレン氏のチームの水中探査責任者は声明で、「聖パトリックの祝日にジュノーを発見するとは想定していなかった」と明かした。

    海軍はサリバン兄弟に敬意を表して駆逐艦2隻に「サリバンズ」の名を付けてきた。

    海軍のリッチ・ブラウン中将は声明で、「アレン氏らのチームがジュノーの所在を突き止めたと聞き、サリバンズ(DDG68)の第5代艦長として興奮している」と言及。「ジュノーの乗組員やサリバン兄弟の物語は、米国で最も偉大な世代による献身と犠牲を象徴するものだ」と述べた。

    アレン氏率いるチームはこの数週間前、オーストラリア沖およそ800キロの海域で、旧日本軍により撃沈された米空母「レキシントン」の残骸を発見していた。

    CNN
    https://www.cnn.co.jp/m/fringe/35116466.html 

    【【歴史】米巡洋艦ジュノーの残骸、南太平洋で発見 旧日本軍が撃沈 】の続きを読む

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    1: 記憶たどり。 ★ 2018/03/10(土) 17:19:05.23 ID:CAP_USER9
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    およそ10万人が犠牲となった東京大空襲から73年となる10日、犠牲者を追悼する式典が都庁で開かれました。

    太平洋戦争末期の昭和20年3月10日未明、アメリカのB29爆撃機による空襲で東京の下町は壊滅的な被害を受け、およそ10万人が犠牲となりました。

    空襲から73年となる10日、東京都主催の犠牲者を追悼する式典が都庁で開かれ、空襲を経験した人や家族などおよそ500人が犠牲者に黙とうをささげました。

    東京都の小池知事は「戦争を知らない世代が社会の大半を占めるようになった今、空襲の記憶を風化させることがあってはならない」と述べ、次の世代に平和の尊さを伝えていくことを誓いました。

    また、当時11歳だった新井純子さん(84)は、空襲の夜、両親が、新井さんを戦争孤児にしないために別々に逃げ、父親が犠牲になったことを紹介しました。
    新井さんは、毎年、この時期に、父親からの手紙を読み返しているということです。

    新井さんは、式典のあと「私だけでなく、多くの家族がそうであったように、戦争でその人の人生が
    変わってしまう。絶対、戦争はないのがいいと思います」と話していました。
     
    NHK
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180310/k10011359581000.html 

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    1: ひろし ★ 2018/02/07(水) 23:58:05.87 ID:CAP_USER9
    2月7日 23時38分
    磯風

    太平洋戦争末期、戦艦「大和」とともに沖縄に向かいアメリカ軍の攻撃によって沈んだ旧日本海軍の駆逐艦「磯風」と見られる艦船が鹿児島県沖の海底で見つかっていたことがわかりました。専門家は、大和以外の艦船の調査は行われておらず、貴重な発見だと評価しています。

    駆逐艦「磯風」は昭和15年に就役して真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などに参加しましたが、戦艦大和とともに特攻作戦で沖縄に向かっていた昭和20年4月7日、鹿児島県の枕崎沖でアメリカ軍の攻撃によって沈みました。

    大和について広島県呉市とともに潜水調査を行った大阪市の海洋調査会社によりますと、おととし5月の調査の中で、大和が沈んだ場所から北東に9.5キロ、深さおよそ450メートルの海底で、艦船1隻が沈んでいるのが見つかったということです。
    これについて専門家は、撮影された映像や戦闘の記録などから「磯風」の可能性が高いとしています。

    映像には4つの砲身をもつ魚雷発射管のほか、爆発でめくれ上がった艦尾や横倒しになった主砲も映し出されていて、当時の戦闘の激しさがうかがえます。

    旧日本海軍の歴史に詳しい広島県呉市の大和ミュージアムの戸高一成館長は、「記録に残る被害状況や沈没場所をつきあわせると磯風でほぼ間違いない。大和以外の艦船の調査は行われておらず貴重な発見だ」と話しています。

    NHK
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180207/k10011319951000.html

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