かたすみ速報

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    タグ:弥生人

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    1: LingLing ★ 2022/07/26(火) 23:11:14.61 ID:CAP_USER
    「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説
    橘玲、人類学者・篠田謙一対談(後編)

    化石となった人骨のゲノム(遺伝情報)を解析できるようになり、数十万年に及ぶ人類の歩みが次々と明らかになってきた。自然科学に詳しい作家・橘玲(たちばな・あきら)氏が、国立科学博物館の館長でもある遺伝人類学者・篠田謙一氏に、人類の歴史にまつわる疑問をぶつける特別対談。後編では、日本人の歴史に焦点を当てる。現在の日本人に連なるいにしえの人々は、いったいどこからやって来たのだろうか――。(構成/土井大輔)

     >>橘玲×篠田謙一対談(前編)『ホモ・サピエンスが繁栄し、ネアンデルタール人が絶滅した「意外な理由」』

    ● 日本人のルーツは? 縄文人のDNAから考える

    橘玲氏(以下、橘) 日本人の話題に入りたいと思います。6万年ほど前に出アフリカを敢行した数千人のホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人と各地で出会い、交わりながらユーラシア大陸を東に進んでいきます。その東端にある日本列島に到達した人たちが縄文人になるわけですが、主要なルートは朝鮮半島経由とシベリア経由と考えていいんでしょうか。

    篠田謙一氏(以下、篠田) ほぼその通りですね。5万年くらい前、人類は東南アジアから海岸伝いに北に上がってくるんです。そのころは中国大陸の海岸線が今より広がっていて、朝鮮半島も台湾も大陸の一部でした。日本列島は孤立していますけれど、今より大陸との距離は近かったんですね。

    大陸で数万年間かけて分化していった集団が、北方からであったり朝鮮半島経由であったり、複数のルートで日本列島に入ってきた。それがゆるやかに結合することで出来上がったのが縄文人だと考えています。

    私たちは北海道の縄文人のDNAを多く解析したんですけども、そこには(ロシア南東部の)バイカル湖周辺にあった遺伝子も多少入っているんです。もしかすると、ユーラシア大陸を北回りで東にやって来た人たちの遺伝子も、東南アジアから来た人たちと混血して、日本に入ってきたのではないかと考えています。

    橘 中国も唐の時代(618年~907年)の長安には、西からさまざまな人たちが集まっていたようですね。

    篠田 大陸は古い時代からヨーロッパの人たちと遺伝的な交流があったと思いますよ。例えばモンゴルは、調べてみるととても不思議なところで、古代からヨーロッパ人の遺伝子が入っています。陸続きで、しかも馬がいる場所ですから、すぐに遺伝子が伝わっていくんです。

    橘 ということは、長安の都を金髪碧眼(へきがん)の人たちが歩いていたとしても、おかしくはない。

    篠田 おかしくはないですね。ただ、それが現代の中国人に遺伝子を残しているかというと、それはないようですけれども。

    ● 弥生人の定説が 書き換えられつつある

    橘 日本の古代史では、弥生時代がいつ始まったのか、弥生人はどこから来たのかの定説が遺伝人類学によって書き換えられつつあり、一番ホットな分野だと思うのですが。

    篠田 そう思います。

    橘 篠田さんの『人類の起源』によれば、5000年くらい前、西遼河(内モンゴル自治区から東に流れる大河)の流域、朝鮮半島の北のほうに雑穀農耕民がいて、その人たちの言葉が日本語や韓国語の起源になったというのがとても興味深かったんですが、そういう理解で合っていますか?

    篠田 私たちはそう考えています。1万年前よりも新しい時代については、中国大陸でかなりの数の人骨のDNAが調べられているので、集団形成のシナリオがある程度描けるんです。その中で、いわゆる渡来系といわれる弥生人に一番近いのは、西遼河流域の人たちで、黄河流域の農耕民とは遺伝的に少し異なることがわかっています。

    橘 黄河流域というと、今でいう万里の長城の内側ですね。そこでは小麦を作っていて、西遼河の辺りはいわゆる雑穀だった。

    篠田 まあ、中国でも小麦を作り始めたのはそんなに昔ではないらしいんですが、違う種類の雑穀を作っていたんでしょうね。ただ陸続きで、西遼河も黄河も同じ農耕民ですから、全く違ったというわけではなくて、それなりに混血して、それが朝鮮半島に入ったというのが今の説なんです。

    (つづく…)

    橘玲/篠田謙一

    https://diamond.jp/articles/-/306767

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    1: LingLing ★ 2022/05/29(日) 21:46:05.58 ID:CAP_USER
    韓半島渡来の子孫? ヤヨイジン 顔復元、「そっくりの人」見つけた

    日本鳥取県が青谷上地遺跡から出土した弥生人の頭蓋骨を根拠に復元した弥生人の顔(左側)と28日に開かれた弥生人とそっくりの人選抜大会で優勝したヨシダマサヒロ(35)さん。鳥取県ホームページキャプチャ
    no title


    日本の鳥取県が約1800年前、弥生時代の遺跡から発掘した頭蓋骨を基に復元した顔とそっくりな人を公開募集して、人気を集めた。

    28日、毎日新聞など日本メディアの報道によると、この日、鳥取市では弥生人とそっくりの人選抜大会の最終イベントが開かれた。全国の応募者の中から選ばれた10名の候補が現場に招待されて、審査員及びインターネット投票を通じて、大阪に居住する会社員ヨシダマサヒロ(35)さんが優勝した。医療関連で営業職のヨシダさんは、弥生人と似せて見せるために、髪の毛とひげを伸ばして、体重も6キログラム減量したという。鳥取県は今後、弥生遺跡行事で広報大使としてヨシダさんを招待する計画だ。

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    日本鳥取県が青谷上地遺跡から出土した弥生人の頭蓋骨を根拠に復元した弥生人の顔の形に似た男性を見つけるイベントを開いた。写真は28日に開かれた最終イベントポスター。鳥取県ホームページキャプチャ

    鳥取県は、日本の青銅器・鉄器時代に該当する弥生時代の遺跡研究と保存に努めている。国家の史跡である青谷上地遺跡では、弥生人の頭蓋骨などが出土した。県はこの頭蓋骨をもとに顔の形を復元して、昨年1月に公開した。「現代のどこかにもいそうな顔」とインターネット上で大きな話題になると、県は「青谷弥生人大捜索作戦」という名称で、そっくりの人を募集した。昨年11~12月に全国から応募した215人のうち、人工知能審査委員が最終候補10人を選定して、インターネット投票などを経て、28日に決選が行われた。

    復元された弥生人は、父は縄文人、母は渡来系(古代韓半島など外部から日本列島に渡った人々)の血筋だとみられて、鼻が低い弥生人の特徴を持ったと県は明らかにした。弥生人たちは、縄文時代に韓半島から日本に渡ったと知られている。紀元前10世紀頃から九州など西日本地域を中心に集落を形成して、大陸から文化を伝来して弥生文化が生まれた。

    東京=チェ・ジンジュ特派員

    韓国日報(韓国語)
    https://n.news.naver.com/mnews/article/469/0000677674

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    1: 少考さん ★ 2021/10/31(日) 12:48:51.88 ID:skm+zaRZ9
    これが「弥生人」の顔…彫り深く低い鼻・髪は太く黒々、DNA分析で復元

    no title

    鳥取市 青谷町 の「青谷 上寺地遺跡」で見つかった人骨と、骨から採取したDNAの分析から、弥生人の顔を復元した胸像を鳥取県が作成した=写真=。国立科学博物館の監修のもと復元したもので、遺伝子情報を基にした弥生人の復顔は全国で初めてという。

    青谷上寺地遺跡では2000年、弥生時代後期(約1800年前)の男性の頭蓋骨と脳が、ほぼ完全な状態で発見された。復元には頭蓋骨と、そこから採取できたDNAを用い、個体の約4割のゲノム(全遺伝情報)解析に成功した。

    その結果、父系は日本古来の縄文人、母系は渡来系で、頭髪は黒々とした太い毛だったことが判明。頭蓋骨の形状に合わせて表情を作る筋肉を粘土で型どりし、髪の毛は人工毛で製作した。

    (略)

    読売新聞 2021/10/31 12:16
    https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211031-OYT1T50036/


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    1: 水星虫 ★ 2021/09/18(土) 13:40:20.16 ID:hfojirnf9
    日本人に第3のルーツか 金沢大学などの研究チーム

    ※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

    縄文系と弥生系、大陸から日本列島にわたってきた日本人には2つのルーツがあるとこれまで考えられてきました。
    しかし、金沢大学などの研究チームが石川県などの遺跡から出土した人骨のDNAを解析した結果、
    さらに古墳時代に大陸からやってきた集団も、現在の日本人のルーツになっているとみられることがわかりました。

    金沢大学などの国際研究チームは、富山市の「小竹貝塚」や金沢市の岩出横穴墓など、縄文時代から古墳時代にかけての遺跡で出土した12体の人骨のDNAを解析しました。
    それらを北海道や九州などで見つかっていた縄文や弥生時代の人骨、中国などの大陸で出土した古い人骨のDNAと比較した結果、大陸の集団の遺伝的な影響が時代が進むにつれ強くなる傾向が明らかになりました。

    研究チームは、縄文人が日本列島に到達したあと、弥生時代に北東アジアから、古墳時代に東アジアから別の人類集団が渡ってきて、遺伝情報が現在に受け継がれているとしています。
    日本人のルーツは、これまで縄文系と弥生系の2つがあると考えられてきましたが、研究チームは、少なくとも3つの異なるルーツを持つことが明らかになったとしています。

    研究チームの金沢大学の覚張隆史助教は「考古学の研究者とも連携しながら、さまざまな通説の再検証に挑みたい」と話しています。

    09/18 13:02 NHK
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/20210918/3020009269.html

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    1: 樽悶 ★ 2020/04/25(土) 22:40:38.38 ID:RIRCHAm79
    縄文人や弥生人のゲノム(全遺伝情報)の解読を通じて「日本人」の成り立ちを探る研究が進んでいる。国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤成也教授を代表に、2018年度に始まったプロジェクト「ヤポネシアゲノム」はその一つだ。

    遺伝学者、人類学者に加え、考古学者や言語学者も参加している。「沖縄で見つかっている旧石器時代の人々と縄文早期以降の縄文人は、DNA的には1万1千年前で途切れていると分かったのはほんの数年前。そのミッシングリンク(進化の欠落部分)には考古学者としても興味がある」。考古学的解析班を率いる国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎教授は話す。

    古代人のゲノム分析は細胞の小器官ミトコンドリア内のDNA解析から始まった。この手法では母方の遺伝情報しか分からないが、10年代以降、細胞に1つしかない核のDNA分析が可能となった。

    「縄文人は遺伝的には現代の世界ではどこにもいない特異な集団」と語るのは国立科学博物館(東京・台東)の篠田謙一副館長。ヤポネシアゲノムでは古代人ゲノム解析班を率いており、鳥取市の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から出土した弥生後期(1~2世紀)の人骨のDNA分析を考古班とともに進めた。「縄文系、朝鮮半島・中国大陸からの渡来系と、様々なタイプが埋葬されていた」という。

    長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡から出土した弥生後期(1世紀ごろ)の人骨も分析。長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は縄文人直系と考えられていたが、渡来系弥生人との間で混血がかなり進んでいた人たちもいることも明らかにした。「日本列島全体では、混血は弥生時代(紀元前10世紀~3世紀)で終わったのではなく、古墳時代(3~7世紀)まで1500年ほど続いたと考えられる」と篠田氏。

    プロジェクトの季刊誌「ヤポネシアン」の2020年3月号には、国立科学博物館の神沢秀明研究員による「クラウドファンディングによる古代出雲人DNAの解析」という文章が載った。出雲市の猪目(いのめ)洞窟遺跡の古墳時代とみられる層から出土した人骨を、18年12月から斎藤氏と解析した経緯を紹介するものだ。

    調査は出雲出身者で構成する「東京いずもふるさと会」が研究費を負担する形式で進められた。解析の結果、人骨は「現代本土日本人よりも僅かであるが統計的に有意に縄文的であることが明らかになった」と記す。

    「日本人」の成り立ちは「二重構造モデル」が定説とされる。最初に日本列島に住みついた人々が採集狩猟中心の縄文人を形成した。弥生時代に渡来した人々が九州に水田稲作を伝え、それが「列島中央部」に広がり、この間に縄文人の子孫と混血を繰り返す。一方、列島の南と北には縄文人の遺伝子を色濃く残す人々がいるとの見方だ。

    この説を踏まえ、斎藤氏が打ち出したのは「うちなる二重構造」という仮説。「列島中央部」をいま東海道・山陽新幹線が走る地域とそれ以外に分け、「日本人」の源流を探るものだ。「朝鮮半島に近い出雲に住む人々が、東北などと同様、縄文人の遺伝子を色濃く受け継いでいるとしたら、いわゆる『弥生人』に2種類あったのではないか」と斎藤氏は話す。

    「DNAでみると現代日本人と渡来系弥生人は遺伝的によく似ている。DNA分析では親族関係の特定もできるので、縄文・弥生社会の解明につなげたい」と藤尾氏は学際研究に期待を寄せる。

    村上由樹、中野稔、竹内義治が担当しました。

    2020/04/23 19:46
    https://note.com/xanqo_10post_jgo/n/ncab79b2a8356

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    1: しじみ ◆fbtBqopam767 しじみ ★ 2020/01/16(木) 23:55:58.98 ID:FQlNMQgY9
    AC3EED0A-24CB-401B-8652-6CF457B75E54
     
    ◆弥生人との混血 進んでいない可能性◆

     古墳時代の出雲人は、同時代に関東で見つかった人骨や現代の日本人よりも、縄文人に近い遺伝子を持っている――。出雲市で発見された古代人骨のDNA解析から分かった。古代出雲では、大陸から来た弥生人との混血が進んでいない可能性がある。

     出雲市の出雲弥生の森博物館で昨年12月、同市の猪目洞窟遺跡で1948年に発見された古墳時代(3~7世紀)のものとみられる人骨のDNA解析結果の報告会があった。

     調査したのは遺伝子研究の専門家である国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)の神沢秀明研究員。神沢研究員によると、猪目洞窟遺跡から出た人骨7体の歯や側頭骨から骨粉を採取し、石灰やたんぱく質を溶かすなどしてDNAを抽出した。

     そのうち6体から、母系統から受け継がれるミトコンドリア内のDNA情報を解析。6体のうち3体が日本列島に元々住む縄文系、3体が大陸から渡ってきた渡来系だと判明したという。

     さらに6体のうち残存状態が良かった縄文系と渡来系の各1体について、父母両系統からの情報を受け継ぐ、細胞核内のDNA情報を調べた。

    朝日新聞
    https://www.asahi.com/articles/CMTW2001153300001.html


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