かたすみ速報

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    タグ:慶長の役

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    1: 新種のホケモン ★ 2020/09/18(金) 07:47:18.64 ID:CAP_USER

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    全羅南道順天市が推進している「韓中日平和庭園」鳥瞰図に登場した壬辰倭乱時の日本武将、小西行長の銅像(赤丸の部分)。[写真 順天市]

    韓国南部の全羅南道順天市(チョルラナムド・スンチョンシ)が「韓中日平和庭園」を造成し、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に朝鮮侵攻の先頭に立った日本武将の銅像設置を推進している事実が一歩遅れて伝えられ、17日、論争となっている。

    順天市は海龍面新城里(ヘリョンミョン・ソンソンリ)の順天倭城一帯に13万平方メートル規模の平和広場を2025年までに造成する予定だ。事業費は国費・道費・市費など合計311億ウォン(約28億円)が投じられる。東アジア3国の7年戦争を追慕し、平和共存の場にするという趣旨だ。

    問題はここに丁酉再乱(慶長の役)当時参戦した韓日中将軍5人の銅像設置が推進されているが、日本の代表武将として小西行長の銅像が設置されるという点だ。

    小西は1592年、婿である対馬国領主の宗義智とともに兵力1万8000人を率いて釜山(プサン)を侵攻して日本軍の先頭で活躍し、平壌(ピョンヤン)城まで陥落させた人物だ。市が先月14日までに進めた板石の分譲督励ポスターの公園鳥瞰図にも小西の銅像模型図が鮮明に見える。

    すぐに市民の反発が相次いだ。「血税を使って敵将の銅像を設置するのか」という主張だ。先月、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の国民請願には「順天市庁は朝鮮侵略の先鋒者『小西行長』の銅像を税金で作るな」とする投稿があり、17日現在までのところ6100人余りの同意を受けている。

    請願人は「壬辰年に倭国は朝鮮を侵攻して朝鮮の地を蹂躪(じゅうりん)し、朝鮮の民を無残に殺戮(さつりく)・虐殺した」とし「(順天市が)壬辰倭乱の時に朝鮮侵略の先頭に立って朝鮮の地を燃やし、川を血の川にした倭人将帥の銅像を税金で作ろうとしている」と主張した。あわせて「しかも公園の名前にも『平和』がついているが、こちらに壬辰倭乱『戦犯』の銅像を立てようとしている」と付け加えた。

    また「壬辰倭乱時に数多くの人々が戦乱を避けて順天ナムサン渓谷に集まったが、倭軍はここまで追いかけてきて順天の民を残忍に殺戮・虐殺した」とし「ところが倭国将帥の銅像を設置するというのは、歴史認識が浅いという言葉がもったいないほど」と続けた。

    このような指摘は今年7月に開かれた住民懇談会でも出ていたことが分かった。相次ぐ指摘に、順天市は一歩遅れて今月21日までに銅像設置に関して市民の意見を取りまとめることにした。

    中央日報 2020.09.18 07:09
    https://s.japanese.joins.com/JArticle/270350?servcode=400&sectcode=400


    【【韓国】311億ウォン投じられる韓国の平和庭園に「朝鮮侵略」日本武将の銅像設置?何事だ 壬辰倭乱『戦犯』小西行長の銅像】の続きを読む

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    1: 昆虫図鑑 ★ 2020/08/01(土) 15:44:09.62 ID:CAP_USER
    秀吉
     
    ただ現実に秀吉が選んだ行動は、戦国時代の理論に基づくなら十分理解できるものです。それは、いわば「拡大の原理」です。大名は、戦争で勝って領土を獲得したなら、その一部を配下の武士たちに与えます。だからこそ武士たちは、主君である大名についていくのです。

     秀吉は、とくに気前の良い大名でした。秀吉は貧しい農民の倅なので、もともとの子飼いの大名がいなかったことがその理由として考えられます。秀吉の力が強大化する中で、どんどん増え続ける家臣らに対する求心力を維持するためには、とにかく領地を分け与えたりする必要がありました。そして家臣団がさらに膨らんでいくのなら、新しい領地を獲得しなければなりません。そのために大陸に目を付けた――という理屈には妥当性がありそうです。

    ただし、それだけではなかったようです。これに関連して、歴史学者の平川新氏が最近非常に大胆な説を唱えています(『戦国大名と大航海時代――秀吉・家康・政宗の外交戦略』中公新書、2018年)。

     平川氏は、日本はなぜスペインの植民地にならなかったのかという疑問を投げかけます。

     平川氏は、秀吉の朝鮮出兵によって、スペインは日本の軍事力の強さを知り、日本征服を諦めたというのです。そしてこのとき刻み付けられたら「軍事大国・日本」というイメージは、イエズス会やスペインでその後も強く意識され続け、徳川の時代にまでひきつがれたというのです。

    (中略)

    しかし、この強大な帝国の出現を前にしても、秀吉は彼らに恭順するような考えは持ち合わせていませんでした。スペインが世界の植民地化を目指し、明朝中国を狙っていると見抜くと、「スペインに明を征服されるくらいなら、自分が」と考えた。それが朝鮮出兵の本当の動機でした。さらには朝鮮半島、琉球、台湾、さらにはフィリピンをも服属させようとしていたばかりか、ポルトガル領インドを征服したいという意志さえもっていた――それが、平川氏の考えです。

    https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61534

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    1: 動物園φ ★ 2018/03/27(火) 14:56:05.30 ID:CAP_USER
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    2018年3月27日 10時48分

    日本の市民団体「NO MORE倭乱実行委員会」が26日午前、韓国巨済市(コジェシ)にある玉浦大捷(オクポデチョプ)記念公園 で「壬辰倭乱反省集会」を開催した。

    韓国と日本の和解と共生を追求する同団体は1992年に創設され、2000年からは毎年慶尚南道(キョンサンナムド)や釜山(プサン)など壬辰倭乱(文禄・慶長の役)にまつわる遺跡を訪れて反省・交流行事を行ってきた。

    釜山日報など韓国メディアによると、この日巨済を訪れたメンバーは日本近代史学者、医師、市民団体活動家、高校生、人権運動家、事業家、教師、牧師ら23人で、玉浦大捷記念公園塔の前で基調発表の報告や壬辰倭乱犠牲英霊に対する献花、黙祷などを行った。また、韓国童謡『私たちの願い』などを韓国語で歌った。

    同団体の実行委員長は「日本は過去の侵略事実を認めることを自虐史観だと言って否定するだけでなく、日本の伝統と文化を守るという口実で冷遇している」とし「我々は安保法制定や憲法改正の方向性を知るためには過去の倭乱と日本帝国による侵略の歴史を正しく認識する必要がある。これこそが、日本が再び過ちを繰り返さない道だと肝に銘じたい」と強調したと慶南道民日報が伝えた。

    玉浦大捷は壬辰倭乱当時、朝鮮水軍が初勝利をあげ、倭船約50隻のうち26隻を撃沈させた戦いだ。巨済市は1996年、この玉浦大捷を記念するために記念公園を造成した。

    ライブドアニュース(中央日報)
    http://news.livedoor.com/article/detail/14490778/

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