かたすみ速報

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    タグ:文禄の役

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    1: 昆虫図鑑 ★ 2020/08/01(土) 15:44:09.62 ID:CAP_USER
    秀吉
     
    ただ現実に秀吉が選んだ行動は、戦国時代の理論に基づくなら十分理解できるものです。それは、いわば「拡大の原理」です。大名は、戦争で勝って領土を獲得したなら、その一部を配下の武士たちに与えます。だからこそ武士たちは、主君である大名についていくのです。

     秀吉は、とくに気前の良い大名でした。秀吉は貧しい農民の倅なので、もともとの子飼いの大名がいなかったことがその理由として考えられます。秀吉の力が強大化する中で、どんどん増え続ける家臣らに対する求心力を維持するためには、とにかく領地を分け与えたりする必要がありました。そして家臣団がさらに膨らんでいくのなら、新しい領地を獲得しなければなりません。そのために大陸に目を付けた――という理屈には妥当性がありそうです。

    ただし、それだけではなかったようです。これに関連して、歴史学者の平川新氏が最近非常に大胆な説を唱えています(『戦国大名と大航海時代――秀吉・家康・政宗の外交戦略』中公新書、2018年)。

     平川氏は、日本はなぜスペインの植民地にならなかったのかという疑問を投げかけます。

     平川氏は、秀吉の朝鮮出兵によって、スペインは日本の軍事力の強さを知り、日本征服を諦めたというのです。そしてこのとき刻み付けられたら「軍事大国・日本」というイメージは、イエズス会やスペインでその後も強く意識され続け、徳川の時代にまでひきつがれたというのです。

    (中略)

    しかし、この強大な帝国の出現を前にしても、秀吉は彼らに恭順するような考えは持ち合わせていませんでした。スペインが世界の植民地化を目指し、明朝中国を狙っていると見抜くと、「スペインに明を征服されるくらいなら、自分が」と考えた。それが朝鮮出兵の本当の動機でした。さらには朝鮮半島、琉球、台湾、さらにはフィリピンをも服属させようとしていたばかりか、ポルトガル領インドを征服したいという意志さえもっていた――それが、平川氏の考えです。

    https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61534

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    1: 動物園φ ★ 2018/03/27(火) 14:56:05.30 ID:CAP_USER
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    2018年3月27日 10時48分

    日本の市民団体「NO MORE倭乱実行委員会」が26日午前、韓国巨済市(コジェシ)にある玉浦大捷(オクポデチョプ)記念公園 で「壬辰倭乱反省集会」を開催した。

    韓国と日本の和解と共生を追求する同団体は1992年に創設され、2000年からは毎年慶尚南道(キョンサンナムド)や釜山(プサン)など壬辰倭乱(文禄・慶長の役)にまつわる遺跡を訪れて反省・交流行事を行ってきた。

    釜山日報など韓国メディアによると、この日巨済を訪れたメンバーは日本近代史学者、医師、市民団体活動家、高校生、人権運動家、事業家、教師、牧師ら23人で、玉浦大捷記念公園塔の前で基調発表の報告や壬辰倭乱犠牲英霊に対する献花、黙祷などを行った。また、韓国童謡『私たちの願い』などを韓国語で歌った。

    同団体の実行委員長は「日本は過去の侵略事実を認めることを自虐史観だと言って否定するだけでなく、日本の伝統と文化を守るという口実で冷遇している」とし「我々は安保法制定や憲法改正の方向性を知るためには過去の倭乱と日本帝国による侵略の歴史を正しく認識する必要がある。これこそが、日本が再び過ちを繰り返さない道だと肝に銘じたい」と強調したと慶南道民日報が伝えた。

    玉浦大捷は壬辰倭乱当時、朝鮮水軍が初勝利をあげ、倭船約50隻のうち26隻を撃沈させた戦いだ。巨済市は1996年、この玉浦大捷を記念するために記念公園を造成した。

    ライブドアニュース(中央日報)
    http://news.livedoor.com/article/detail/14490778/

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