1: ニライカナイφ ★ 2018/07/14(土) 08:53:10.63 ID:CAP_USER
◆なぜ金正恩は中国を"千年の宿敵"と呼ぶか
 ~ルーツは"秀吉の朝鮮出兵"にあった

アメリカと中国の間で上手に立ち回りながら、北朝鮮の現体制の存続をはかる金正恩・朝鮮労働党書記長。
中国の習近平・国家主席に「偉大なる指導者」とリップサービスをしながら、中国の支配下に入ろうとはしない。
そのふるまいの陰には、あの「秀吉出兵」時に朝鮮王朝が味わった、当時の宗主国・明による血も涙もない「属国扱い」の記憶がある――。

秀吉の朝鮮出兵の際、明から朝鮮に派遣された応援の軍隊(古い中国の絵巻物の一部)
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■「依存」と「不信」の交錯した感情 
金正恩・朝鮮労働党委員長はもともと、中国を憎み、「千年の宿敵」と呼んでいました。 
しかし、トランプ政権が誕生し、アメリカの圧力が強まるなか、北朝鮮は中国に接近。 
米朝首脳会談の前に2度、会談のすぐ後にさらにもう一度、金委員長は訪中し、習近平国家主席と会談しています。 

3度目の訪中の際、金委員長は習主席との会談で、習主席を「偉大なる指導者」と呼び、持ち上げたようです。 
米朝会談の会場となったシンガポールに行くための飛行機を中国に借り、会談後早々に習主席に状況報告をするとは、過去69年の中朝交流の歴史でも類のない蜜月ぶりです。 

とはいえ、「千年の宿敵」と「偉大なる指導者」という、金委員長の相反する2つの言葉には、北朝鮮が中国に対して抱く、「依存」と「不信」の交錯した感情がよく表れています。 
国際社会から経済制裁や武力行使の脅しをかけられている現状は、北朝鮮から主観的に見れば「国難」的状況といえます。 

その国難の中で北朝鮮は、長い半島史のなかで彼らの父祖が抱いた中国への複雑な思いを再体験しているかもしれません。 
その歴史的記憶の一つが他ならぬ、北朝鮮でいう「壬申祖国戦争」、つまり日本の豊臣秀吉による文禄・慶長の役での、中国(当時は明)の対応です。 

■李舜臣を抜擢した男 

秀吉の軍勢が朝鮮に侵攻した際、絶妙なバランス感覚で国難を救った朝鮮王朝の宰相がいました。 
この宰相の名を柳成龍(リュ・ソンニョン)と言います。 
藤堂高虎たちが率いた日本側の水軍に打撃を与えたことでよく知られている、李舜臣(イ・スンシン)を将軍に抜擢したのは柳成龍です。 

秀吉の命を受けた小西行長や加藤清正は、朝鮮半島に上陸後、破竹の勢いで進軍。開戦からたったの21日で都の漢城(ソウル)を落とし、さらに北上して平壌(ピョンヤン)も落とします。 
第14代朝鮮王の宣祖(ソンジョ)は民を捨てて、漢城から平壌へ逃げ、さらに平壌から中朝国境の義州へ逃げました。 

その義州も安全ではないことがわかると、宣祖は中国の明(みん)へ亡命しようとします。 
しかし、ここで宰相の柳成龍は、「今、朝鮮を一歩離れれば、朝鮮を失ってしまいます」と反対しました。 

柳成龍は明に援軍を要請する一方、王が明に逃げてしまえば、明の傀儡(かいらい)に堕すると警戒したのです。 
明の属国であった朝鮮は、秀吉軍の襲来という大きな国難を前に、宗主国の明に頼らざるを得ませでした。 

しかし、「王が中国に身を預けるようなことをすれば、朝鮮王朝は終わってしまう」と柳成龍は考えたのです。 
属国なりの矜持といえるでしょう。 

■「支援」とは名ばかりの明の援軍 

朝鮮半島に侵攻した秀吉軍は16万でした。 
柳成龍らの要請に応え、宗主国であった明は援軍を派遣しましたが、その数はたったの5万でした。 
しかも、派遣軍の兵糧の負担は朝鮮側持ちというケチぶりです。 

明軍はケチな上に悪辣でした。 
朝鮮は飢えに苦しんでおり、明の莫大な兵糧の要請に応えられませんでした。 

そのため、明軍は兵糧調達と称して、現地で手当たり次第の略奪に出ます。 
さらに明の将軍の李如松(り・じょしょう)は、朝鮮側が兵糧提供の義務を果たさないことを「約束が違う」と激怒し、柳成龍ら朝鮮の大臣を呼び出し、ひざまずかせ、怒鳴り上げました。 

柳成龍たちは泣きながら、李如松に許しを請ったといいます。これが明の「支援」の実態でした。 


PRESIDENT Online 2018.7.13
http://president.jp/articles/-/25610


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