かたすみ速報

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    タグ:朝鮮

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    1: 影のたけし軍団ρ ★ 2019/10/09(水) 17:03:29.26 ID:CAP_USER
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    【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はハングルの制定を記念する「ハングルの日」を迎えた9日、 交流サイト(SNS)にメッセージを投稿した。

    日本による植民地支配に抵抗して1919年に朝鮮半島で起きた三・一独立運動と大韓民国臨時政府樹立から100年の年に迎える意義深い「ハングルの日」だとした上で、「573年前にハングルを創生した世宗大王の愛民精神と、日帝強占期(日本による植民地時代)にハングルを守り抜いた独立運動家たちの民族精神を思い起こす。日帝強占期はハングルを守ることがすなわち独立運動だった」とつづった。

    植民地時代にハングルを守った独立運動家の精神に言及することで、 日本の不当な経済報復としての輸出規制措置に打ち勝つという意思をあらためて強調したものと受け止められる。

    朝鮮日報
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/09/2019100980043.html

    【【ハングルは日本が広めたのだが】韓国・文大統領 「日帝強占期(日本による植民地時代)にハングルを守り抜いた独立運動家たちの民族精神を思い起こす」 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/09/15(日) 11:30:23.28 ID:CAP_USER
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    「日帝植民地の最高権力機関である朝鮮総督府と、日本人土木建設業者との間の政経癒着と腐敗スキャンダルは絶えなかった」

     韓国の歴史学者からこういう話を聞いたのであれば、むしろあまり驚かなかったかもしれない。最近、学術書『日本の学者が見た植民地近代化論』(知識産業社)を出版した日本人歴史学者の鳥海豊・韓国歴史研究院常任研究員(57)は「日帝の近代化は韓国の工業発展よりも、日本人土木建設業者(請負業者)の利益のための大規模土木建設事業に偏っていた。この過程で、総督府出身の官吏が業者として直接参入するケースもあった」と語った。鳥海氏が確認した日本の鉄道局、逓信局や朝鮮総督府など官吏出身の日本人土木業者だけでも22人に上る。鳥海研究員は早稲田大学で学士・修士課程を終えた後、ソウル大学国史学科で博士号を取った。

     日帝が1910年に韓国を強制併合した後、重点を置いて推進していた事業が鉄道建設、土木工事といった社会間接資本(SOC)分野だ。1910-39年の朝鮮総督府の年平均予算(1億8571万円)のうち、19.3%(3579万円)を注ぎ込んだと推定される。だが鳥海研究員は「SOC投資額の63%を占める工事を、当時韓国で活動していた日本人土木建設業者の組織である『朝鮮土木建築協会』のメンバーと契約していた」と語った。「仕事の発注」を通して、朝鮮総督府が日本人業者に土木建設事業を配分したというわけだ。逆に朝鮮人建設業者らは、随意契約や鉄道局の技術主任(現場監督)制度のせいで入札から排除された。

     調べてみると、日本人と朝鮮人は資産保有の点でも大きな差が出た。1928年の朝鮮総督府統計年報(グラフィック)によると、日本人の1人当たりの郵便貯金額は56.46円、一方で朝鮮人は0.23円にすぎなかった。実に245倍の差だ。鳥海研究員は「日帝時代の経済発展で朝鮮人に利益がもたらされたという仮定を再検討する必要がある」と語った。

    日本人業者の「入札金水増し」や談合といった腐敗スキャンダルも絶えなかった。談合とは、業者が集まって、十分な利益を確保できる水準で落札業者をあらかじめ決めること。1934年の京城土木談合事件では、検察が起訴した工事の件数だけでも32件、契約総額1295万円に達した。さらには、朝鮮総督府交通局の課長も「朝鮮の業界で最大の問題は談合」と証言した。

     雑誌『開闢』は、1923年の城川江堤防工事の際、朝鮮人土木業者であれば1500万円でできる工事を日本人請負業者と9000万円で契約したと暴露した。実に6倍の「入札金水増し」だったというわけだ。鳥海研究員は「日帝強占期に多くの朝鮮人が土地を失ったり仕事がなくなったりして、間島地方や日本へ生きる道を探しに行ったが、逆に朝鮮の日本人業者は増え続けた」と語った。

     韓国の学会では、日帝の経済的搾取に重点を置いた「収奪論」と、植民地期の経済規模の成長に注目した「植民地近代化論」の間での論争が熱い。鳥海研究員は、「植民地近代化論」で経済成長の根拠となっている朝鮮人労働者の日当に疑問を投げ掛けた。朝鮮総督府統計年報には日当1円と記録されている。だが鳥海氏は、日本人業者の回顧録や法廷での証言、当時の記事などを根拠に「実際に現場で支払われる労賃は30-60銭にすぎなかった」と語った。その差額分だけ日本人土木業者は不当利得を手にするので、腐敗スキャンダルが絶えなかったと主張する。鳥海研究員は「朝鮮総督府の統計における朝鮮人の賃金は、現実よりはるかに高く記録されている」として「この統計に基づいた日帝時代の経済発展の数値も修正する必要がある」と語った。彼は「『日本人がなぜ日本を批判するのか』という質問もよく受けるが、より良い日本をつくるため」と答えた。

    キム・ソンヒョン記者

    朝鮮日報 2019/09/15 06:05
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/09/11/2019091180151.html


    【【韓国】朝鮮総督府の開発事業、「日本人業者を太らせる事業」だった 】の続きを読む

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    1: アンドロメダ ★ 2019/08/14(水) 13:41:34.18 ID:CAP_USER
    日帝時代、朝鮮人を強制的に拉致して日本に連れて行き、働かせたというので、実態を知りたくて昔のニュースを検索してみた。
    日帝時代、朝鮮人の国籍は日本だったが、内地に行くためには渡航証が必要だった。
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    道や市の警察署で発給してもらえたが、旅行目的では発給できず、留学や公務や日本現地の招請がある場合のみ発給が可能で、一般庶民は発給が容易ではなかったという。
    ちなみに日本の敗戦5ヵ月前の1945年3月になってようやく渡航制度が廃止され、朝鮮人の無制限日本訪問が可能となった。
    昔の新聞を読むと、渡航証を取得する能力がないので、金を払って偽物の渡航証を買ったり、賄賂や密航などが盛んに行われていたと見られる。
    当時、朝鮮人たちは密航費を工面するために、草家三間(家)と唯一の財産である牛まで売った。
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    1940年、釜山で挙動不審者1人を警察が捜索したところ、偽造渡航が見つかって逮捕されたという。この青年は、慶尚北道星州出身で、偽造渡航証で日本に行くために釜山市内をさまよっていた。検問を受けたと見られる。
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    密航ブローカーが全羅南道地方の田舎を歩き回り、農村の愚民をそそのかして密航費をもらって、密航させようとしたが、釜山の影島青鶴洞の海岸で100人の密航者が逮捕された。
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    仁川に住むイ・ギョンテという男が日本へ労働しに行きたがっていたが、渡航証が思い通りに発給されず、悲観して自殺した。
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    全羅南道の順天警察署には、厳しい冬の日にも渡航証を得ようと若者老人が男性問わず押し寄せて、警察署が頭を痛めていたという。
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    日本へ労働に行くために、釜山の波止場には人々が二列縦隊で行列を作る。
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    日本本土は景気が良く、労働力が足りず、就職がうまくいくとして、我先にと渡航が増加して当局が頭を痛めていたという。
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    慶尚北道の会議で渡航証明撤廃を希望する議論をする。
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    全羅北道南原の居酒屋で、ブローカーが渡航をさせると言って50ウォンを受け取り、詐欺を働き、巡査に検挙される。
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    釜山の松島の海岸で50人余りの密航者を検挙。
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    釜山の佐川洞で密航者100人余りを乗せた船を捕まえて、そのうち80人余りを逮捕する。
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    ▼韓国人の反応を引用

    ・うちのじいさんも日本に密航して苦学して大学にも通ったと言っていたけど、その時は生きるのが大変だったせいか、そういう人が結構いたという。実際に記事を見ると興味深いね

    ・消すな この記事をスクラップしておきなさい

    ・強制徴用しなくても溢れていたねw

    ・韓国の歴史学者のやつらは歴史を捏造と妄想で埋め尽くしている。こいつらは当時の新聞資料や総督府の資料のような一次資料もまともに研究しなかったようだ

    ・終戦後、日本に残っていた朝鮮人は60万人を超えたというが、その人たちは強制的に本土に渡ったのだろうか?
     そんなに行きたくなかったのに強制徴用で連れて行かれたのなら、大部分が解放後にすぐに帰って来るべきではないか?帰れないように防いだわけでもないのに

    ・今まで無条件愛国主義者の捏造歴史にだまされていたことは悔しい

    https://anonymous-post.mobi/archives/12613


    【【韓国ネット民】日帝時代に強制徴用があったのか調べてみた→日本本土への渡航証が発給されず悲観して自殺する者もいた…密航も横行 】の続きを読む

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    1: ■忍【LV19,シャドー,PJ】 第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdb 19/08/07(水)10:06:33 ID:???
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    【ソウル聯合ニュース】日本政府が、官報に朝鮮半島東の東海を「朝鮮海」と表記していた事実が初めて確認された。

     東海研究会理事を務めるイ・サンテ韓国領土学会会長は6日、1894年から1904年までの20年間に発行された日本の官報を調べた結果、東海を「朝鮮海」と表記しているものが7件あったと明らかにした。

     官報は1883年7月1日から太政官文書局(現・国立印刷局)が発行している、憲法、条約、法律、
    政令、条令の公布などを公布する機関紙だ。
     イ氏は、「朝鮮海」との表記がある官報のうち、5616号(1902年3月28日、外国領海水産組合法の公布)、5749号(同年9月1日、外国領海水産組合法による朝鮮海水産組合設立)が注目されると説明した。
     これらの官報は「朝鮮海」を日本海ではなく外国領海と見なして「法律第35号外国領海水産組合法」を公布した。
     官報5616号は「日本は朝鮮海を外国の領海と見なして『外国領海水産組合法』を制定し、日本の漁民を保護する」、官報5749号には「日本は日本海沿岸で漁業する日本の漁民を保護するために努力した。
    これにより外国領海水産組合法が制定され、同法によって日本の漁民を保護するために『朝鮮海水産組合』が設立された」と公布した。
     その後、日本は官報5839号(1902年12月18日)で「朝鮮海水産組合」を認可した。
     イ氏は「1902年まで日本政府は公式な立場として朝鮮海は日本海ではなく、外国領海であると官報
    ではっきり公示している」と述べた。
     これに先立ち、1894年10月18日の官報3393号「朝鮮海漁業協議会概況」では、漁業関係者らが大分県に集まって日本海での漁業活動について議論した結果「朝鮮海漁場連盟」を組織することを決め、9項目の連盟活動を規定したとして、「朝鮮海」について言及した。

     また、1900年7月14日の官報5109号「朝鮮海通漁組合連合会設立」では、韓国で漁をする漁民が増えているとした上で、日本海での漁業発展を促進し、共同の利益を増進するため「朝鮮海通漁組合連合会」を組織したと記されている。

     このほか、官報6268号(1904年5月25日)、官報6386号(同年10月11日)にもそれぞれ「朝鮮海水産組合釜山港所属の巡察船内に郵便受取所を設置」「朝鮮海水産組合木浦港所属の巡察船内に郵便受取所を設置」と記載されている。 

    イ氏は「7件の官報は1904年まで、すなわち1905年に乙巳条約(第2次韓日協約)が締結される前まで日本政府の公式立場は『朝鮮海』であり、日本海ではなく外国領海だったことを証明するものだ」とし、「日露戦争で勝利してから突然『日本海』が強調され始めた」と説明した。

     ユ・ウィサン前国際表記名称大使は「今回の官報の発掘は、日本が19世紀初めから既に日本海が国際的に確立された名称だと主張していることと真っ向から対立する証拠だ」とし、「日本が大韓帝国の外交権を奪うために強制的に結んだ乙巳条約以前には『日本海』はなかったことを官報が証明している」と説明した。  

     この官報資料は、今年7月28~31日(現地時間)に米バージニア州で開かれた国際セミナーでも発表された。

    聯合ニュース 8月6日
    https://m-jp.yna.co.kr/view/AJP20190806003400882

    【【朝鮮海】20世紀初頭までの日本官報に「朝鮮海」表記 韓国研究者が初確認】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2019/05/06(月) 10:34:17.42 ID:CAP_USER
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    【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代の朝鮮半島の様子が描かれた絵はがきをまとめた「絵葉書に見る近代朝鮮」が先ごろ日本で刊行された。在日コリアンのコ・ソンイル氏が収集してきた資料をもとに刊行したもので、大韓帝国時代の状況、景福宮や昌徳宮など朝鮮王宮の写真、当時のソウルの道や建築物、冠婚葬祭の様子などが分かる184点の資料が収録されている。

    コ氏はこのほど、聯合ニュースとの電話インタビューで「日本のはがき業者が朝鮮を訪問した人のためにお土産用として作ったものや、朝鮮総督府や日本の行政機関が植民支配の成果を知らせるために発行したものがほとんど」とし、「日本側の視点で作られたものだが、当時の朝鮮が置かれた状況をうかがうことができる多様な写真を収録した」と説明した。

    また「朝鮮王朝を世界の列強の侵略から保護するという名目で植民地化する過程がはがきからも確認することができる」とも述べた。 

     乙巳条約(第2次日韓協約、1905年)後に南山に置かれた統監府の絵はがきには「ソウルを見下ろすことができる最上の位置」という說明が書かれており、当時の日本の植民地に対する意図が表れている。

     また日本が大韓帝国を併合した1910年の10月1日付で発行された記念はがきには日本を象徴する桜と、朝鮮を象徴する梨の花を背景に両国の子どもたちが手をつないで遊ぶ様子が描かれ、植民地支配の正当性を宣伝する意図がうかがええる。

     済州島出身で1965年に日本に渡ったコ氏はこれまで約5000点のはがきを収集し、写真・広告・手紙などの関連資料も約1000点所有している。

     コ氏は「日本絵葉書会関西支部の協力により刊行したが、機会があれば韓国語版も出したい」とし、「失われた歴史を後世に伝えるために生涯にわたり集めてきた収集物を所蔵し、展示・研究・教育する博物館などを探している」と話した。

    聯合ニュース 2019.05.06 09:00 
    https://m-jp.yna.co.kr/view/AJP20190503003600882?section=society-culture/index


    【【在日コリアンが刊行】併合時代の朝鮮の様子わかる絵はがき集】の続きを読む

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    1: 荒波φ ★ 2019/03/23(土) 09:12:18.11 ID:CAP_USER

    副題は、「フランスの挿し絵が見た中国そしてアジア」。19世紀中盤以降、西欧でカラーのイラストを載せた「挿し絵入り新聞」が登場した。カラー印刷が精巧で早くなり、製作費も下がったためだ。

    新聞は、現場感を高めるために「イラストレーター兼記者」を各地に特派員として派遣した。1840~42年の第一次アヘン戦争後、中国が列強の餌食になり、メディアの中国関連報道も急増した。

    本は、1850~1937年「ル・プティ・ジュルナル」などフランスの挿し絵入り新聞に掲載された中国関連のイラスト400点余りを解説と共に掲載した。清の皇帝と官僚たちの謹厳な姿があり、戦争と反乱で血を流す兵士と民衆がいる。

    本の冒頭の中国人たちの推薦のことばで見るように、この挿し絵は「芸術の域に達した」。「西太后、光緒帝などのイメージは、中国に残っている資料とかなり異なる。フランス人が持つ審美眼の独特さとスタイルを感じることができる」。

    帝国主義の生贄となった一世紀前の隣国は単なる「他者」とは言えない。韓国の地を背景に繰り広げられた日清戦争と日露戦争の挿し絵も多数掲載された。

    「ル・プティ・ジュルナル」1894年8月13日付の1面に、南大門(ナムデムン)のように見える城門とわら葺きの家を背景に中国人と西洋人、日本人が話している挿し絵が載せられた。日清戦争が勃発して19日後だった。朝鮮人の姿はない。この地で起こった戦争で実際に私たちは部外者だったことを表しているように感じられる。


    March. 23, 2019 08:44/東亞日報
    http://japanese.donga.com/List/3/03/27/1678602/1

    【【韓国悲報】フランスの挿し絵入り新聞で見た19世紀の東洋の戦争 中国人と西洋人、日本人が話している挿し絵 朝鮮人の姿はない 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/03/17(日) 19:41:51.38 ID:CAP_USER
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    ▲『韓国でも日本人は立派だった 証言と史料が示す朝鮮統治の偉業』

     ■知っておきたい先人の貢献

     韓国は、世の一般常識とまったく異なる言動の国である。まず第一に、日韓は国家的条約を結び、日本は巨額の資金を提供した。それをもって両国間は、互いに不満はあっても、それを言わず、新しい友好関係を結び、国家として交流するはずであった。

     しかし、韓国は依然、不満を言い、最後は金銭を求めてくる。こんな品位に欠ける国家・国民性とは思わなかった。そのため大半の日本人は韓国をそういう国と軽蔑している。不幸な話であるが、日本人の大半が韓国を見下げていることを韓国人は知らない。

     一方、日本人も、かつて韓国並びに北朝鮮に対して、どういうことをしたかということについて、よく知らない。

     本書は、そうした日本人に対して、政治的・経済的・文化的に日本がどれほど朝鮮半島に貢献したか、ということを実証的に多方面にわたって論述している。

     第1章-日本の偉業(ハングル入りの新聞は日本人がつくった。創氏改名は強制ではなかった等(など))。第2章-海峡を越えた近代化(水道事業に貢献。世界最高出力の水力発電所。警察官の半数近くが朝鮮人等)に始まり、「日本人の善意」「フェアだった内鮮一体」「日本は加害者ではない」。各章の記述を読むと、朝鮮人は、日本に感謝すべきであることがよく分かった。

     日本人は、まず本書を読んで日本人の先人の献身的寄与を理解することだ。そうすれば、われわれ日本人が正しく、尊敬されるべき在り方であったことがよく分かる。

     従来、日本人の朝鮮人に対する心情は、始めからばかにしているところ、無きにしも非ず。しかし本書を読むと、日本人がどれほど誠意をもって接してきていたか、ということがよく分かった。

     著者は韓国語の達人であり、史料は堅実に使われているので安心感がある。近ごろのただ罵倒し、史料に基づかない怪しげな韓国論とはまったく異なる。あえて希望を言えば、軍事・食糧方面についても論じていただきたかったが、それは次著に期待したい。

     本書は韓国論として正確さや説得力が抜群である。(喜多由浩著、産経新聞出版・1400円+税)

      評・加地伸行(大阪大学名誉教授)

    産経新聞
    https://www.sankei.com/life/news/190317/lif1903170023-n1.html

    【【書評】『韓国でも日本人は立派だった 証言と史料が示す朝鮮統治の偉業』 】の続きを読む

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    1: (^ェ^) ★ 2019/03/04(月) 07:04:36.44 ID:c7CosvSX9
    https://snjpn.net/archives/101123

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    take4さんのツイート

    東京書籍の教科書は54%のシェアを持っていますが、日本が併合時代に朝鮮人の土地を奪ったと記述。

    真実は全く違います。

    ソウル大学経済学部教授が10年前に否定していますし、日本は所有者不明の土地は貧しい農民に分け与えました。

    ましてや、七奪などはあり得ません。

    ▼ネット上のコメント

    ・東京書籍の本は買うべきでない。日本は何度も韓国に手を差しのべてきたが、何も変わらなかった。もう止めよう。ごめんなさい サヨウナラ

    ・その理屈はとても簡単です。日本の歴史の教科書の一部は「10年以上前から」変わっていないということです。どの教科も情報の刷新は腰が重いですが世界史と日本史は特に。もちろんフットワークの軽い教科書もありますが、老舗(笑)化して腰が重い教科書は大体シェア率の高い教科書です。

    ・学生時代、勉強しなくてよかったw

    ・巻末には編集委員や執筆者の名前があるはずなのだが…誰が書いたのか知りたいですね。

    ・事実をちゃんと伝えていくことが大事ですよね。

    ・海外の日本人学校で使用している教科書はこれですよね。

    ・本当に困った問題です💢

    【東京書籍の教科書に『日本が併合時代に朝鮮人の土地を奪った』と記載。真実は全く違う… ネット「東京書籍の本は買うべきでない」 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2019/01/30(水) 23:52:22.39 ID:CAP_USER
    「私たちの世代は生まれながらの日本国民だった。それも兵役義務も参政権もない2等国民だった。私たちが戦場に出て行って死ぬ代価で残った同族たちの地位が向上するだろうと信じた。」

    これは日帝強制占領期間に日本軍徴兵1期であったウ・スヨン氏が2010年1月、朝鮮日報に投稿したエッセイの一部を抜粋したものだ。

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    ▲朝鮮日報ホームページキャプチャー.

    ソウル大経済研究所チョン・アンギ客員研究員(元高麗大経済学科研究教授)は去る20日、[「イ・スンマンTV」危機韓国のルーツ:反日種族主義シリーズ17-誰のための徴兵なのか]でウ氏のエッセイを紹介し「1944年~1945年、日本が施行した朝鮮人徴兵制が暴圧・強制的だったと言うのは反日強迫観念に過ぎない」と強調した。

    朝鮮人志願兵制、朝鮮の人々が先に日本に要求

    この日チョン研究員は「朝鮮人徴兵制は果たして誰のための徴兵であったのか」と質問を投げた。彼は「1920年以来、朝鮮人政治勢力は朝鮮人の国民的権利を主張する参政権請願運動を展開した」として「しかし、日本は朝鮮人の低い民度と教育水準を取り上げて時期尚早とだけを繰り返した」と説明した。彼は「それでも朝鮮人政治勢力は屈せず再度、優秀な資質の朝鮮人に限定した志願兵制施行を主張した。このような経緯を経て1938年4月、朝鮮人陸軍特別志願兵制が施行された」と明らかにした。

    チョン研究員は「陸軍特別志願兵制を施行する当時まで、日本は朝鮮人の軍事的な資質と力量を過小評価していた。ところが(朝鮮人を)実際に参戦させてみると(朝鮮人は)抜群の軍事的力量を発揮した」と強調した。特に「(中日戦争中)天王陛下万歳を叫んで戦死した、というイ・イムソク上等兵の登場は韓国人も「やればできる」という民族的自尊心を刺激した」として「日本政府は朝鮮人の陸軍特別志願兵制に対する高い支援率、中日戦争参戦での優れた軍事的力量をめぐり朝鮮人社会の愛国心と見なした」と明らかにした。

    日本議会が朝鮮人徴兵制施行を決めて、感激した朝鮮社会

    チョン・アンギ研究員は「結局、1942年5月、日本帝国議会は朝鮮人徴兵制の施行準備を決め、朝鮮人社会は両手を挙げて歓迎した。朝鮮の人々は自分たちの主張がいよいよ日本政府を説得したことに感激した」と話した。それと共に「徴兵制施行を契機に朝鮮人社会は兵役義務という日本国民の資格を獲得した。参政権の獲得と国民義務としての徴兵という義務と権利を確保することになった点で国民資格を得たと見られる」と解釈した。

    朝鮮人、日本語文盲者含む22万人が徴兵制支援
    (中略)

    朝鮮人兵士11万6000人参戦...朝鮮人のためと信じて
    (中略:>>2-5のあたり)

    チョン研究員は最後にウ・スヨン氏のエッセイを紹介しながら「朝鮮人徴兵者などは日本と天皇に忠誠をつくすことが結局朝鮮人のためであると見なし、そのため、彼らは喜んで徴兵に応じたのだろう。1944年から1945年、日本が施行した朝鮮人徴兵制は表面的な法制的強制性と異なり国民義務の履行という自発的動員を特徴とした」と付け加えた。

    オ・ムニョン記者

    メディアウォッチ(韓国語) 
    http://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=253834

    【【韓国】 朝鮮人の徴兵、朝鮮社会が先に日本に要請して施行された~彼らは戦場で死ねば同族の地位が向上すると信じた】の続きを読む

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    1: 次郎丸 ★ 2019/01/28(月) 16:39:02.05 ID:++zQKJB+9
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    創氏改名は朝日新聞が主張するほど強制性が甚だしかったのか 

     最近の日本と韓国の外交関係は、最悪といってもよいだろう。1910年の韓国併合から始まる大日本帝国統治時代の実態は、本当に韓国側が主張するようなものだったのだろうか? 評論家の呉智英氏が、日本の韓国統治の実態について考察した。

     * * *
     韓国の暴走が止まらない。半世紀前に決着がついているはずの徴用工問題を再燃させるわ、自衛隊機に照準用レーダーを照射するわ、挑撥という段階を超えて宣戦布告直前という感じだ。これも韓国に「反日」という絶対的正義が深く浸透しているからである。

     その反日の論拠の一つ「慰安婦強制連行説」は、二〇一四年、これを積極的に報道してきた朝日新聞が虚報であったと認め、検証・謝罪記事を大きく掲載した。しかし、まだこれに類する虚報がマスコミに出回っている。

     一月十一日付朝日新聞「社説余滴」は「引き揚げの苦悩は消えぬ」と題して、九十七歳の老婦人の釜山港からの引き揚げ話を紹介している。
    そこに、国民学校(小学校)の「新入生の胸に創氏改名した日本名の名札をつけ、朝鮮語を禁じ」とある。確かに創氏改名はあった。
    しかし、この記事全体に流れるような強制性の甚しいものだったのだろうか。我々は何となくそう思っている。朝鮮人が朝鮮名のままだと警察に逮捕され刑務所にぶち込まれるというように。だが、実態はかなり違う。

     この記事のちょうど一年前、昨年一月二十一日付産経新聞連載「海峡を越えて」第二回では「創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう」としている。
    朝鮮名から日本名に変えた人は約八割、残りは「金や朴など従来の『姓』をそのまま『氏』として使うことができた」。
    実例として、検事・閔丙晟(びんへいせい)、陸軍中将・洪思翊(こうしよく)、女性舞踏家・崔承喜(さいしょうき)を挙げている。三人のうち最も有名なのは美貌と芸術性で日本人も朝鮮人も魅了した崔承喜で、デパートなどの広告にもしばしば起用された。

     創氏改名が強制性の甚しいものなら、検事や将校が朝鮮名のままで許されるはずがなく、朝鮮名の舞踏家が国民的スターとしてポスターに登場するはずもない。

     創氏改名の実態について私が疑問を抱いたのは、そんなに昔のことではない。一九九〇年刊行の『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社)によってである。私もこの事典に何項目か執筆しており、送られて来た同書を読んで気づいた。

     それは朴春琴(ぼくしゅんきん)という戦前の衆議院(帝国議会)議員の存在であった。国会議員でさえ朝鮮名のままであるという事実は、創氏改名の強制性に疑いを抱かせた。

     また、戦前にこそ朝鮮人に選挙権も被選挙権もあったと確認した。日本は韓国を「併合」したのだから、国民の権利である参政権は同じように保障されるだろう。
    詳しく言うと、まず内地(日本列島内)と京城(現ソウル)に居住する朝鮮人に参政権を与え、それ以外は順次ということだったが、敗戦によって実現を見なかった。

     慰安婦強制連行説への疑問もこの時に湧いた。国会議員を出している人たちの娘を警察や軍隊が強制連行して慰安婦にすることが考えられるだろうか。国会議員以外に地方議員も何人か出ている。

     日本の韓国統治の実態について、我々は知らないことが多すぎる。

    ●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

    ※週刊ポスト2019年2月8日号

    2019.01.28 16:00 newsポストセブン
    https://www.news-postseven.com/archives/20190128_856846.html?PAGE=1#container 
    【【朝日の捏造】創氏改名は朝日新聞が主張するほど強制性が甚だしかったのか 日本の韓国統治の実態考察 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2019/01/27(日) 18:10:48.13 ID:CAP_USER
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    昨年、ヒトラー・ナチス政権のオーストリア併合80年を迎えた折、同国のバン・デア・ベレン大統領は、新年の演説でこう述べている。「今年はヒトラー・ナチス政権のわが国併合80年目を迎える年だ。わが国はヒトラーの犠牲国であるとともに、加害国だったという事実を単に記憶するだけではなく、心の中でしっかりと留めておかなければならない」と述べ、「人種主義、反ユダヤ主義、そして破壊的な民族主義を再びよみがえらせてはならない」と強調した。

     オーストリア人は「ベートーベンはオーストリア出身で、ヒトラーはドイツ人」とかたくなに信じようとしてきたが、事実は逆だ。アドルフ・ヒトラー率いるナチス政権は、1938年3月13日、母国オーストリアに戻り、首都ウィ―ンの英雄広場で凱旋演説をした。同広場には約20万人の市民が集まり、ヒトラーの凱旋を大歓迎した。その後の展開は歴史が物語っているので割愛する。

     オーストリアはドイツに併合され、ウィーン市はドイツ第3帝国の第2首都となり、ナチス・ドイツの戦争犯罪に深く関与し、欧州を次々と支配していった。同時に、欧州に住むユダヤ人600万人を強制収容所に送り、そこで殺害している。その後、カール・レンナーを首班とした臨時政権が発足し、第2共和国の建国が宣言された。

     「オーストリアは戦後、『モスクワ宣言』を拠り所として、久しくヒトラーの戦争犯罪の被害者と主張してきたのですが、クルト・ワルトハイム元国連事務総長の大統領選頃に『世界ユダヤ人協会』から激しい批判を浴びたのです。ちなみに、1943年の『モスクワ宣言』には、『ナチス・ドイツ軍の蛮行は戦争犯罪であり、その責任はドイツ軍の指導者にある』と明記されていました。オーストリアがヒトラーの戦争犯罪の共犯者だったことを正式に認めたのは、フラニツキ―政権が誕生してからのことです」(国際ジャーナリスト)

     フフランツ・フラニツキー首相(任期1986年6月~96年3月)はイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と初めて認めたことから、同国で歴史の見直しが始まった。対イスラエルとの関係正常化に至るまでの月日は半世紀を要した。

    オーストリアを韓国、ドイツを日本に置き換える(ナチスのユダヤ人虐殺は事実だが、日本の南京事件は虚構である)と、相似形であることが分かるが、その対処法はまるで違う。韓国が加害者側であったことは一度も100%認めていない。

     韓国は1910年に当時の大韓帝国議会の賛成多数で日本への併合が決まった。当時の韓国最大の政治勢力「一進会」は当初から日韓併合を主張していたが、ソ連の南下を何としても阻止したい日本からの一定の圧力がなかったとは言わない。

     だが当時の韓国はロシアに吸収されるか、日本と併合するかの二者択一しかなかった。こうした経緯から韓国は大日本帝国として第2次世界大戦を戦ったのだ。

     韓国もオーストリアを少しは見習った方が、世界から尊敬される国になれると思うが、そのあたりがよく分かっていないのも、また韓国らしい。

    週刊実話 2019年01月26日 07時00分
    https://wjn.jp/sp/article/detail/4809110/

    【【週刊実話】『ナチス・ドイツ』に併合されたオーストリアと『大日本帝国』に併合された韓国の大きな違い】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2018/12/16(日) 21:07:33.00 ID:CAP_USER
    黄海道谷山で生まれた李興燮さん(1928-2014)は、父を助けて畑仕事をしていたが1944年5月に徴用されて日本に連れてこられ、光復(日本の植民地支配からの解放)後も遂に韓国へ戻ることができなかった。当時数え年で16歳だった李さんは徴用対象ではなかったが、太平洋戦争で窮地に陥った日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した。父は、白い木綿の洋服を別れの贈り物として与えた。本書は、佐賀県の炭鉱に連れていかれた李さんが翌年1月1日に脱出・逃亡して解放を迎えるまでの、およそ1年3カ月間の記録を収めている

     少年は2週間の軍事訓練を受け、ふんどし姿で切り羽に送り込まれた。豆かすが半分以上という飯にたくあん2切れだけの食事はあまりに粗末で、ひどく腹が減った。故郷を離れるときに父がくれた荷物の検査で指輪が出てくると、状況は一層悪くなった。「戦争中にこんな物を隠して供出しなかった」という理由で「非国民」のレッテルを貼られ、外出禁止などの罰が加えられた。李さんは脱出を夢見るようになり始めた。逃げ出したものの捕まった朝鮮人が生ゴムの棒で殴られ、半殺しの目に遭うのを見たが、これ以上そこにいられなかった。

     正月、初めて外出した。その日に脱出した。復帰の時間が迫ると、炭鉱の反対側にある北の海岸へ向かうバスに乗った。漆黒の闇に身を隠しながらも、李さんは空襲で廃虚と化した光景に口をつぐんではいられなかった。「これが、われわれをこんな目に遭わせた日本の姿なのか!」

    しかし、李さんの手記には敵意は薄かった。「正義などみじんもない戦争に巻き込んだ日本人」と厳しく叱責(しっせき)しつつも、戦争に苦しむ日本人に向けた憐憫(れんびん)と普遍的な人間愛を共に強調した。炭鉱で彼が属していた組を指揮していた男性は、「佐賀県の地図が欲しい」という少年の言葉がどういう意味なのか知りつつも、知らないふりをした。むしろその翌日、地図を渡しながら「北に行けば軍港がある」と、それとなく教えた。厨房(ちゅうぼう)のとある少年は、いつも腹をすかせていた李さんの手にこっそりとおこげを握らせてくれた。逃げ出した李さんが隠れていた朝鮮人の飯場には、敗戦の3カ月前から日本の軍人たちが現れ、物乞いをした。李さんに食事をさせてくれた朝鮮人のおばさんは、「軍服を着た若者」にすぎない日本の青年たちの弁当箱にも、コメのご飯をぎっしり詰めて返してやった。

     日本が降伏した翌日、少年は帰国の船に乗るため福岡県北部にある博多港へ行った。ところが、故郷に向かうことはできなかった。押し寄せた朝鮮人は数十万人にもなるのに、釜山行きの船は毎日300人ずつしか乗せていかなかった。帰国を待っていては飢え死にしそうだった。李さんは「無理やり連れてきたのなら、なんとかして送り返してやるべきではないか」と心の中の怒りを漏らしたが、結局、当面の生活苦から解決しなければならなかった。その後、肉体労働をしながら九州を流れ歩き、1970年から大阪で金属回収業を営んだ。

    本書は、歴史の傷を克服するための加害者と被害者の共同努力が作り出した貴重な成果だ。77年に李さんの娘・ドンスンさんが通っていた中学校の担任、室田卓雄さんが家庭訪問にやって来た。李さんの徴用体験談を聞いた室田さんは、当時中3だった教え子に「お父さんの歴史を書いてみないか」と勧めた。その年の夏休みにドンスンさんが父親と向き合い、聞き書きしたものが本書の出発点だった。室田さんは「こんなことがあったのかと驚きだった」と文章をまとめ、翌年10月26日に小冊子を出した。その後、10年かけて李さんが自ら日本語の辞書を繰りつつ執筆した分を加え、『アボジがこえた海』というタイトルであらためて出版した。李さんのつたない日本語の文章を数人の教師がボランティアで校正した。その本を読んだ九州や大阪の中学生が、李さんの物語をステージ上で演劇にした。その間に大学の教員になった室田さんは、2006年から自分が在職する流通科学大学に李さんを招き、毎年2回、講演を頼んだ。高齢を押しての李さんの講演は、亡くなる2年前の12年まで続いた。強制徴用判決を巡って未来がないかのような不和を示す韓日両国の現実が、本書を読んでいて終始、残念な思いと共に重なって見えた。280ページ、1万5000ウォン(約1520円)

    金泰勲(キム・テフン)出版専門記者 

    朝鮮日報  2018/12/16 05:01 
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/12/14/2018121480062.html


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    ▲(1)(2)切り羽で採炭作業を行う朝鮮人(注釈:これは日本人の鉱夫の写真です)。狭い坑道で体を斜めに横たえてつるはしを振るうという重労働に従事した。(3)16歳のとき日本へ連れていかれ、九州の炭鉱で強制労働させられた李興燮さんの生前の姿。/写真=国立日帝強制動員歴史館所蔵
    【【また嘘を】16歳で日本に徴用された父の人生 日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/12/10(月) 00:29:02.10 ID:CAP_USER
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    太平洋戦争当時、日本によって強制徴用されて亡くなった犠牲者らの御霊を慰労するための太平洋戦争犠牲者合同慰霊祭が8日、西帰浦市(ソギポシ)薬泉寺(ヤッチョンサ)太平洋戦争犠牲者慰霊塔祭壇で開催された。

    太平洋戦争犠牲者遺族会済州(チェジュ)特別自治道支部(支部長カン・トンニム)主催で開かれたこの日の慰霊祭には遺族会会員や遺族など100人余りが参加して犠牲者の魂を慰めた。

    日本が真珠湾空襲を開始した12月8日(韓国時間)に合わせて準備されたこの日の行事は招魂文朗読、経過報告、主祭祀、道内機関長の追悼辞の順に進行された。

    カン・トンニム太平洋戦争犠牲者合同慰霊祭奉行委員長は主祭祀で「日帝の野心で始まった太平洋戦争による被害者が大韓民国の土地で300万人を越え、済州にも多数の犠牲者と遺族たちがいる」として「再び悲劇的な歴史を繰り返してはならない」と強調した。

    キム・テソク済州道議会議長は「凄惨だった過去を繰り返さないために、私たちは歴史を学び、犠牲者の御霊を慰労するための法事を行う」として「合同慰霊祭を通じて遺族たちの恨と痛み、過去の教訓が道民の胸中に刻まれることを期待する」と話した。

    一方、1941年、日本の真珠湾奇襲攻撃で始まった太平洋戦争は済州道民だけでなく済州の土地のあちこちにも深い傷を残し、現在まで確認された済州地域の太平洋戦争犠牲者は軍人と軍務員は1804名であり、強制動員されて生きて返った生存者は37人と把握されている。

    キム・ジソク記者

    済民日報(韓国語) 
    http://www.jemin.com/news/articleView.html?idxno=555790

    【【朝鮮戦争の犠牲者を入れるな】 太平洋戦争の大韓民国犠牲者300万人の合同慰霊祭、日本の真珠湾攻撃に合わせて開催 】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2018/11/06(火) 13:09:58.61 ID:CAP_USER
      「私が死ぬ前に望みがあるとすれば、この窯を復元して朝鮮の茶碗を作ることだ。実現すれば500年間余り途切れた朝鮮茶碗の真の再現となるだろう」。 

      3日、慶尚南道昌原市鎮海(チンヘ)の熊川(ウンチョン)陶甕址展示館で会った崔熊鐸(チェ・ウンテク)沙器匠(64)は2002年に発掘された6つの窯跡を眺めながらこのように語った。この日午後、後輩の学者と共に、忘れられた朝鮮陶工125人の第19回追悼祭をした直後だった。 

      熊川宝賠山井谷にある熊川陶甕址の窯跡は1500年代初めから低品質の茶碗を焼いていたところだ。生活に使う茶碗で、高麗青磁から朝鮮時代の白磁、または粉青沙器として作られた。 

      しかし1598年、100年を満たすことなくここは閉窯となった。丁酉再乱(慶長の役)が終わる頃、熊川陶甕址の陶工とその家族125人が退却する日本軍に強制的に連行され、窯跡の火が消えて命脈が途絶えたのだ。 

      朝鮮茶碗は壬辰倭乱(文禄の役)前後の16世紀後半から日本で注目された。当時壬辰倭乱を起こした豊臣秀吉が朝鮮から持ち帰った茶碗を「井戸茶碗」と呼んで茶会を開き、その時に使った茶碗が日本国宝26号に指定された「喜左衛門井戸茶碗」だ。当時から朝鮮の茶碗は井戸茶碗と呼ばれ、その後、連行された朝鮮陶工らが長崎平戸島など各地で作った。井戸茶碗は今でも日本で最高の茶碗として評価されている。 

      この茶碗をおよそ500年ぶりに朝鮮陶磁器の由来地の一つ、熊川で再現し、朝鮮沙器匠の脈を受け継いでいるのが崔熊鐸氏だ。豊臣秀吉が絶賛した井戸茶碗も熊川で作られたものと崔氏らは推定している。 

      崔氏は鎮海宝賠山の近くで生まれた。幼い頃から山のふもとのあちこちに落ちている陶片に接して育った。そして30余年前から宝賠山のふもとに「熊川窯」を作って朝鮮陶磁器の脈を継いでいる。崔氏は「山に埋まっている陶片が師であり、私の学習の場だった」とし「日本に渡った先祖とその子孫が作った作品を見ながら再現している」と話した。 

      崔氏はほとんど毎日、宝賠山に登る。茶碗に使われる最も重要な材料の三白土(白色・黄色・赤色)を手に入れるためだ。崔氏は「ほかの地域の土で作れば熊川陶磁器ではない」と語った。 

      三白土を松の枝にのせ、その上に雨水を注いで濾過した後に熟成させれば粘性を持つ粘土となる。この粘土を轆轤に乗せて茶碗を制作した後、牡蠣の殻で作った釉薬を塗る。朝鮮陶工の方法を同じだ。 

      客を迎える崔氏の応接室には宝賠山で発掘した陶片が並んでいる。陶芸を学んだことがない崔氏にとってその陶片は唯一の師だった。崔氏は「この陶片を見ながら土、釉薬、成形、火の強さなど茶碗を作る方法を習った。言葉のない師匠」と話した。 

      熊川茶碗といえば自然の美しさと素朴さだ。崔氏が作る茶碗にもその特長がそのまま表れている。轆轤にのせられた粘土を成形する時に素朴さを残し、一年に3、4回ほど窯焚きをする。1000点ほどの茶碗が窯に入るが、生き残るのはわずか10点ほどだ。残りはすべて割れて土に埋められる。 

      これまで崔氏の弟子は10人ほどいる。一部は崔氏と共に、一部は独立して熊川陶窯の脈を受け継いでいる。 

      崔氏には最後の夢がある。発見された窯跡のうち原形が残っているところで朝鮮陶磁器をを再現することだ。「土から茶碗を作る人に欲などない。最後の望みがあるとすれば、先祖の窯跡で昔のやり方で朝鮮茶碗を焼くことだ」。

    https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=246814&servcode=400&sectcode=400
    中央日報2018年11月06日 08時52分

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    壬辰倭乱当時に日本に連れて行かれた熊川の陶工125人の追悼祭をする崔熊鐸氏。写真下は井戸茶碗(中央フォト)
    【【再現できないと思う】豊臣秀吉の目に留まった朝鮮茶碗、日本に渡って国宝に】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/11/03(土) 17:02:54.27 ID:CAP_USER
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    「韓国の3・1運動(日本植民地からの独立運動)は、中国人が民族独立を追求し、国家形成(nation-building)を探索する過程で、参照する対象として徐々に中国民族革命談話に組み込まれた」 

    大統領直属の3・1運動及び大韓民国臨時政府樹立100周年記念事業推進委員会(委員長=韓完相)と韓国社会史学会(会長=チョン・イルジュン)は2日と3日、ソウル城北区(ソンブクグ)にある高麗(コリョ)大学百周年記念館で「3・1運動100年、韓国社会転換の時空間地平」をテーマに学術大会を開く。今回の学術大会は、3・1運動が近現代の韓半島と東アジア社会の文明史的転換に及ぼした影響を探求することに主眼を置いた。 

    基調講演を務めた李恭忠中国南京大学教授は、「3・1運動は中国の鏡になった」とし、「独立国家の概念形成に重要な触媒であり、継続的に中国人に励ましを与えた」と述べた。李教授はあらかじめ公開した演説文「鏡としての隣国:現代中国民族主義の談論に現れた3・1運動」で、当時の中国の新聞記事や時評、民族・階級革命の談論に現れた3・1運動の様子を検討した。氏は、「3・1運動は、中国の5・4運動(1919年に学生デモに触発されて日本に対抗した民族運動)のお手本と前奏曲の役割をしており、20世紀前半にまで影響を与えた」と評した。 

    ソウル大学統一平和研究院のキム・ハクジェ教授は発表文で、3・1運動の重要性を「社会主義と自由主義が対立していた冷戦前の近代民族主義の独立運動」と評した。氏は、「2019年の3・1運動100周年を韓半島分断前の記憶をよみがえらせる一方、アジアレベルで韓半島問題の共感を広げるきっかけにしよう」と提案した。 

    日本上智大学の長田彰文教授は基調講演文の「3・1運動と国際関係」で、「3・1運動は直接的には『武断統治に対する不満の具体化』が原因だったが、パリ講和会議などの国際的要因の上で起こった」と主張した。 

    このほか、聖公会大学のユ・ソンヨン教授は、「3・1運動後の轉回:植民地の民の普遍な人類になるための露呈」をテーマに基調講演をする。 「3・1運動前後の東アジア地域の変動の中の朝鮮植民地の特殊性」(ぺク・スンウク中央大学教授)と「3・1運動の記憶と韓国民主化運動」(オ・ジェヨン成均館大学教授)などの発表も行われる。 

    チョン・イルジュン会長(高麗大学社会学科教授)は、「空間的には韓半島を越えて北東アジア全体、時間的には以後100年を対象に3・1運動の意味を眺望する学術大会になるだろう」と述べた。韓完相委員長は祝辞で、「3・1運動の歴史的意味合いを再確認することを超えて、21世紀の韓国社会の行方と展望を明らかにする手がかりになることを希望する」と述べた。 

    趙鍾燁 jjj@donga.com

    東亜日報
    http://japanese.donga.com/List/3/all/27/1526785/1

    【【過大評価】「3・1運動は中国民族主義に大きな影響、日本帝国に対抗したお手本だった」~3・1運動に関する学術大会 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/15(土) 15:52:51.25 ID:CAP_USER
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    「植民地近代化論」は我が国だけでなく西欧列強の植民統治を受けて第二次大戦後に独立したアジアとアフリカの様々な国の人々にとって大きな怒りを起こす単語だ。 

    列強の植民統治で永遠に産業化されない状態に置かれた非西欧圏地域の産業化、近代化が始まったし、彼らの「進出」がなければ、これら地域は相変らず無知蒙昧な前近代社会に留まっただろうという植民地近代化論はとても傲慢で植民統治を美化する侵略者の論理だからだ。 

    しかし、この学説は民族主義が順次弱まっている状況でますます力を増している。各種記録とデータ、特に統計で武装した植民地近代化論はこれ以上言及さえできない「妄言」でない正式学説と認められている。 

    西欧圏では帝国主義植民地政策が本国に特に経済的役に立たなかったし、植民主義が初めて始まった16世紀の大航海時代の時さえ大西洋を間に置いたアメリカとヨーロッパ、アフリカ間の三角貿易より地中海と北海内でヨーロッパ国家どうし行った海上貿易がより大きな富を持ってきたと主張している。 

    さらに植民統治時期のほとんどすべての物的土台が6.25戦争(朝鮮戦争)で消え、根拠一つさえない日本まで日帝強制占領期間の朝鮮植民地に作った道路と鉄道、工場が韓国近代化の土台になったという「恩恵授与論」という主張を日常的に行っている。 

    国内でも既存の「収奪論」から脱して植民地時代に統計上高度経済成長が起きてこれが解放後の韓国産業化に相当な影響を及ぼしたという植民地近代化論が出現することになった。 

    これらの主張の主要根拠は「統計」だ。 

    日帝強制占領期間以後、年平均経済成長率は4パーセント台、1人当りの消費増加率は3パーセント台後半を記録し、産業構造も農業比重が1910年代の85パーセントから1940年代50パーセント台に減り、工場も40カ所余りから4000カ所程度に増えたことが植民地近代化論の主要論拠だ。 

    日本の植民地化と収奪以前から旧韓末の社会的危機が重なって前近代的な生産様式は限界に達していたし、日帝強制占領期間の滞貨した資本主義的社会構造が1960年代以後、産業化の基礎になったというのが主要論旨だ。 

    ちょっと聞けばかなり論理的な数値だが、問題は1910年代から1940年代まで日帝強制占領期間には正しい統計資料が一つもなかったということにある。統計学という学問が登場してからいくばくもなかったし、今と同じ統計方式や技術的な発展も不備だったため、当時の統計はとうてい信られないものだらけだ。 

    しかも第二次世界大戦以前までメディアは徹底的に当局の検閲と統制を受けた。旧韓末朝鮮朝廷が作った経済統計でも、日帝強制占領期間、朝鮮総督府が作った経済統計でも信じられる数値と見るには限界がある。その上、1938年、日帝が国家総動員令を下して戦時経済に突入して以降は日本国内に残っている統計資料もきわめて珍しい。 

    また、解放直後、工業地域が殆どなかった韓国地域は日帝が残した物的土台も殆どなかったうえ、これさえも6.25戦争でほとんどみな破壊された。1960年代以後、韓国の近代化と日帝強制占領期間の連結の輪は探してみようとしても探せない状況だ。 

    植民地近代化論者などの主張のように、日帝が朝鮮に資本主義方式を移植し、これが韓国近代化と連結したとすれば朝鮮人の相当数が日帝によって教育を受けなければならないが、日帝末期まで専門学校を出た朝鮮人の数字は全体の0.1パーセントレベルに過ぎない。 


    イ・ヒョヌ記者

    アジア経済(韓国語) 
    http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2018091414384026455

    【【韓国】 日帝の植民統治のおかげで近代化?~収奪に名分与えた「統計」、信用できない 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/15(土) 13:34:01.46 ID:CAP_USER
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    ▲『朝鮮サッカーを守れ!』チョ・ギョンスク文・ユンボンソン絵||208ページ|11,000ウォン

    テドゥは駅でご両親とはぐれるが、また会えるだろうと期待で平壌(ピョンヤン)駅で両親を待つ。そうするうちに偶然に優しいヘジョン食堂のおばさんの助けを受けて学校に通うことになる。

    故郷のヨンジョンでサッカー選手だったテドゥは新しい学校でもサッカー部に入ってサッカーの実力を誇る。

    おりしも京城チームと平壌チームが正面から対立するソウル・ピョンヤン戦が開かれ、雰囲気が高まるなか、ついに日本はサッカー統制令を下し…日本のサッカー統制令から朝鮮サッカーを守るための息づまる努力が展開する。

    暗鬱だった日帝強制支配期、民族の団結力を見せることができる唯一の機会であったサッカーの話が興味を引く。

    ソ・ミドゥム記者

    読書新聞(韓国語) [新刊]「日帝強制占領期間」唯一の希望『朝鮮サッカーを守れ!』
    http://www.readersnews.com/news/articleView.html?idxno=82000

    【【また嘘を】 暗鬱だった日帝強制占領期で唯一の希望だったサッカーに日本は統制令を下す~新刊『朝鮮サッカーを守れ!』 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/09/02(日) 21:06:39.25 ID:CAP_USER
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    日帝強制占領期の朝鮮総督に爆弾を投げて民族の自主独立意志を万国に示した姜宇奎(カン・ウギュ)義士義挙99周年記念式が2日、ソウル駅広場で開かれた。

    国家報勲処によればカン・ウギュ義士記念事業会主管で開かれたこの日の行事には記念事業会会員と市民など200人余りが参加した。

    1855年、平南(ピョンナム)徳川(トクチョン)で生まれたカン義士は教育事業で民族意識を鼓吹することに努め、1919年9月2日、当時「南大門(ナムデムン)停留所」だったソウル駅広場で第3代朝鮮総督として赴任した斎藤実、一行に向かって爆弾を投げた。

    斎藤総督の爆殺には失敗したが彼の義挙で日帝警察官1人が亡くなり37人がケガをした。

    カン義士は1920年11月29日、死刑執行場で「感想はどうか」という日帝検事の質問に「断頭台上猶在春風有身無国豈無感想(断頭台に一人で立つと春風が漂うんだな、からだはあっても国がないからどうして感想があろうか))と詠じて気概を曲げなかった。

    政府はカン義士の功績を賛えて1962年、建国勲章大韓民国章を追叙した。

    SBSニュース(韓国語) 
    https://news.sbs.co.kr/news/endPage.do?news_id=N1004917005

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    1: 蚯蚓φ ★ 2018/08/25(土) 15:25:15.80 ID:CAP_USER
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    24日は日帝崩壊後、強制徴用朝鮮人らが日本から故郷に帰えるために乗った4千トン級「浮島丸」が京都府舞鶴港の入口で爆沈されて73年になる日だ。

    <労働新聞>は24日、「その日の魂たちは血の復讐を呼ぶ」というタイトルの情勢解説記事で事件発生当時、日本政府が主張した「機雷爆沈説」は科学性と現実性が全くないねつ造に過ぎないとし、「一人の朝鮮人でも多く殺すことで崩壊の報復をしようとした」とし「朝鮮人水葬事件を演出」と指摘した。

    同紙は当時の聨合軍の命令で日本領海に100トン級以上の船舶の航行は禁止されていたが、海軍省が浮島丸の運航を許可し、釜山(プサン)に行くことになっていた航路が初めから舞鶴港へ向かったことを問題にし、爆沈がすでに計画されていたと主張した。

    日本軍憲兵を勤めた朝鮮人ペク某が火薬爆発と船の沈没の事実を暴露し、甲板から水中に飛びこんだことと、生存者の様々な証言を根拠に日本の「機雷爆沈説」を一蹴した。

    同紙は「日本が戦犯国として歴史の峻厳な審判を受ける時期にこのような組織的かつ計画的な集団殺りく蛮行を敢行したことは、たとえ崩壊はしても民族排他主義政策は変えないということを露骨に明らかにしたことに他ならない」とし、今でも大東亜共栄圏の過去の夢を捨てられない日本を糾弾した。

    一方、当時数千名と推定される朝鮮人死亡者の遺族らは1992年、日本の裁判所に国家賠償請求訴訟を起こしたが原告敗訴の判決が下された状態で今に至る。

    去る9日ソウルで16の過去の歴史団体が力を合わせてスタートした「強制動員問題解決と対日過去清算のための共同行動」はムン・ジェイン政権が日本の植民地犯罪に対する国家責任を問うて植民地過去の問題に対する全面的再協議をすることを促す活動を行っている。

    イ・スンヨン記者

    統一ニュース(韓国語) 北新聞、「浮島丸」爆沈事件73年...「血の復讐を呼ぶ」
    http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=125973


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    1: Ψ( ̄∇ ̄)Ψ ★ 2018/08/18(土) 17:16:57.90 ID:CAP_USER9
    ソ連旗
     
    ◆終戦 性暴力 語り始めた女性たち
    2018年8月15日 13時00分 NHK

    終戦直後、旧満州や朝鮮半島から祖国を目指し、引き揚げてきた女性たち。その中には、性的暴行を受けて妊娠したまま日本にたどり着き、当時違法だった中絶手術をひそかに受けた人も数多くいました。

    ソ連兵や現地の男性は、祖国に引き揚げようとする日本人女性に対し、性的暴行を繰り返しました。

    九州大学のほかに、今のソウルにあった京城大学から引き揚げた医師たちも、人道的な観点から女性を助けたいと福岡県筑紫野市にあった施設で、中絶手術を行っていました。
    ある医師の調査では、手術を受けた女性は、合わせて少なくとも800人に上ると推定されています。当時のカルテなどはほとんど残されず、わずかな手がかりは医師たちの証言。

    (略)

    NHK
    https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0815.html


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