かたすみ速報

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    タグ:第二次世界大戦

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    1: みの ★ 2021/06/05(土) 19:51:43.51 ID:yMOKWDZW9
    gousennkoutei
     太平洋戦争中の1942年、旧日本軍の潜航艇3隻がオーストラリアのシドニー湾を攻撃した。ちょうど79年を迎えた5月31日、現地の歴史家らの案内で、3隻のルートをたどるクルーズがあった。90人余りが参加し、奇襲作戦の様子を追体験した。

     現地の歴史愛好家らでつくる豪州海軍歴史協会が初めて催した。クルーズ船は、シドニー中心部の埠頭(ふとう)を出発。最初に向かったのは、4キロ近く東側に離れた湾の入り口付近だ。

    ■よみがえる当時の記憶

     42年5月31日夜から6月1日未明にかけて、日本海軍の2人乗りの特殊潜航艇3隻が敵艦に魚雷攻撃するため、シドニー湾への侵入を試みた。

     当時、湾の入り口には潜水艦を防ぐ網が張られていた。1隻目が網に引っかかり、身動きが取れなくなって自爆した。

     参加者の一人、ビブ・リトルウッドさん(85)は当時6歳で、湾の近くに住んでいたという。「母が『騒々しい音がする。何かが起きている』と私を起こしたのを思い出した。当時の記憶がよみがえって興奮するよ」

     次に向かったのは、数百メートルほど奥にある小さな入り江。2隻目が、豪海軍に発見されて沈められ、乗員2人は艇内で拳銃自殺した。同協会の案内役、ノエル・フェレンさん(79)が説明した。「2隻目は、何らかの理由で魚雷を発射できなかった。海軍艦が50フィート(約15メートル)離れたところから、爆雷を落としました」

    朝日新聞(動画あり、会員記事)2021年6月1日 12時00分
    https://digital.asahi.com/articles/ASP506TKDP50UHBI01F.html


    【【朝日新聞】日本軍が突如シドニーを攻撃、オーストラリアは大混乱 クルーズで現場を辿る】の続きを読む

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    1: 蚤の市 ★ 2020/09/15(火) 15:45:51.43 ID:ZBAXR54I9

    nomonhan
     第2次世界大戦は、欧州ではなく極東アジア・モンゴルの草原で始まった――。日本と旧ソ連が衝突した1939年の“ノモンハン事件”について、こうした新たな見方が欧米で広がりつつある。歴史家らは、そこにソ連の独裁者、スターリンの思惑を見る。

     「ノモンハン事件は、規模としては主要な戦いとは言えない。しかしその影響は絶大だった」

     こう指摘する英国の著名な歴史作家、アントニー・ビーヴァー氏は、文筆活動の集大成といえる第2次大戦の通史を、ノモンハン事件から書き起こした。「それは、ユーラシア大陸の東と西を初めて結びつけた戦いだった。そして欧州戦線の分岐点となった独ソ戦の行方も左右した」と語る。

     モンゴル東部を流れるハルハ河の一帯には、80年余が過ぎた今も“大戦の発火点”と呼ぶべき跡が生々しく残されている。

     規則正しく並ぶ円形の壕(ごう)は、39年8月20日早朝、ソ連軍が日本の関東軍に総攻撃を仕掛ける際に物資を蓄えた拠点の跡だ。国境に近いこの周辺は現在も航空機の接近が禁じられているが、一帯の戦跡を継続的に調べている「ノモンハン事件日蒙共同調査団」(岡崎久弥団長)に対して2019年、ドローンによる撮影が認められた。

     欧州では当時、ポーランドに領土の割譲を求めるドイツのヒトラーと、対抗する英仏とが、それぞれソ連を味方にしようと激しい外交戦を繰り広げていた。その矢先、関東軍は東京・参謀本部の制止を振り切り、満州国軍警備隊とモンゴル軍騎兵部隊の国境をめぐる小競り合いを、モンゴルに駐留するソ連・機械化部隊との局地戦に広げた。

     スターリンは、欧州の戦乱から自国を当面は局外に置くためドイツと手を結ぶ一方、“背後の敵”日本をたたく決断を下す。それによりドイツは英仏と戦い、ソ連はドイツと日本からの挟み撃ちを回避できるという思惑に基づいていた。

     ソ連・モンゴル連合軍の司令官はゲオルギー・ジューコフ将軍。スターリンの指令を受け、周到な準備のもとで日本軍と満州国軍を圧倒的な物量で包囲し、壊滅的な打撃を加えた。1939年8月20日の総攻撃は2日間で大勢が決する。同23日に独ソは不可侵条約を締結。これには両国でポーランドを分割する密約があった。

     そしてドイツは9月1日、ポーランドへ侵攻。これが一般的な第2次大戦の始まりとされるが、ノモンハン事件はそこに至るまでの“流れ”の中にある。英仏は同3日、ドイツに宣戦布告。一方、ソ連もノモンハンで16日に日本と停戦を成立させると、17日にポーランドへ侵攻した。

     後に独ソ戦を勝利に導いて英雄となるジューコフが、最初に指揮した大規模な戦闘がノモンハン事件だった。8月20日の関東軍総攻撃の作戦図は、スターリングラード攻防戦で彼がドイツ軍を包囲・殲滅(せんめつ)した“天王星作戦”と酷似する。

     米国の歴史研究者で「ノモンハン 1939」の著者、スチュアート・ゴールドマン氏は「『第2次大戦の起源』という複雑なジグソーパズルで、ノモンハン事件は小さくはあるが、大切なピース。そのピースをはめると、全体の図柄が非常にわかりやすく見えてくる」と評した。


     関東軍はそうと知らずに第2次大戦のスイッチを押してしまったのか――。この問いにゴールドマン氏は「その通り」と答えた。「彼らは、4千マイルも離れた欧州の外交と自分たちがモンゴル国境でやっていることに関連があるとは思いもしなかったでしょう。しかし結果は重大でした」(天野みすず、編集委員・永井靖二)

    朝日新聞 2020年9月15日 15時00分
    https://www.asahi.com/articles/ASN9H2DZ2N99PLZU001.html

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    1: クロ ★ 2020/04/25(土) 15:43:28.99 ID:u/msM05+9
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    ロシアのプーチン大統領は、第2次世界大戦が終結した日について、当時のソビエトが対日戦勝記念日として祝っていた9月3日に変更することを盛り込んだ法案に署名しました。

    戦争で日本に勝利したことが強調され、北方領土の引き渡しに反対する世論が一層高まる可能性もあります。
    ロシアでは、第2次世界大戦が終結した日について、日本が降伏文書に署名した日にちなんで9月2日と定め、毎年、極東や北方領土などで記念行事が行われています。

    しかし、軍やサハリン州出身の下院議員などは、ソビエト時代に対日戦勝記念日として祝日にもなっていた9月3日に変更することを盛り込んだ法案を議会に提出し、今月17日までに上下両院で可決されました。

    提案理由は、「愛国的な伝統を強化し、歴史の記憶を保持するため」などとされ、プーチン大統領は24日、法案に署名しました。

    終戦から75年となる中、戦勝国としての立場を一層誇示し、国民の愛国心を高めるねらいがあるとみられます。

    9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と定める中国と歩調を合わせる形となり、戦争で日本に勝利したことが強調され、北方領土の引き渡しに反対する世論が一層高まる可能性もあります。

    一方、ロシア政府内からは、「あくまでも戦争終結を記念する日であり、法律の関連文書には、平和的な共存と協力の道を模索することも盛り込まれている点に注目すべきだ」という声も出ています。

    NHK
    2020年4月25日 7時29分
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200425/k10012405261000.html

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    1: しじみ ★ 2018/02/03(土) 17:46:26.13 ID:CAP_USER
    【2月3日 AFP】ロシアは2日、第2次世界大戦(World War II)のスターリングラードの戦い(Battle of Stalingrad、1942~1943)の勝利から75年を迎えた。現地で行われた記念行事には4期目の大統領の座を目指すウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領も出席した。

     プーチン大統領は空路でボルゴグラード(Volgograd、旧スターリングラード)入りした。
    同地では兵士約1500人、装甲車、ジェット機が参加する軍事パレードが行われ、氷点下の寒さの中、厚着をした見物客たちが集まった。

     ボルガ川(Volga River)が流れるスターリングラードで繰り広げられたこの戦いは史上最も凄惨(せいさん)な戦いの一つとされる。この戦いでソ連はナチス・ドイツ(Nazi)に圧勝。
    ロシアではこの勝利がアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)から欧州を救ったとたたえられている。

     プーチン氏はボルゴグラード交響楽団による記念コンサートに集まった退役軍人らを前に「スターリングラードの守護者たちはわれわれにすばらしい遺産を残した。祖国への愛、祖国の国益と独立を守り、いかなる試練に対しても断固として立ち向かっていく覚悟だ」と語り、先人たちの例に倣うよう呼び掛けた。

     ロシアの政治アナリスト、コンスタンティン・カラチェフ(Konstantin Kalachev)氏は、近年ロシア政府は愛国心をかき立てるため第2次世界大戦でのソ連の勝利と犠牲をことさら強調する傾向を強め、愛国心が国家のイデオロギーのようになっていると指摘し、欧米との関係が冷戦(Cold War)後で最も冷え込んでいるなかロシア政府は肯定的なシンボルを必要としており、戦勝記念日は「自国は結果を出す能力があり、どんな敵でも倒せるというイメージの宣伝」に使われていると述べた。

    スターリングラードの戦い戦勝75周年の記念式典が行われたロシア・ボルゴグラードで、ママエフ・クルガン(ママイの丘)にあるスターリングラードの戦いを記念する複合施設の「永遠の炎」の前で献花式を行うウラジーミル・プーチン大統領(左、2018年2月2日撮影)。
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    AFP
    http://www.afpbb.com/articles/-/3161051

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