かたすみ速報

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    タグ:魏

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    1: 昆虫図鑑 ★ 2022/04/08(金) 13:14:29.58 ID:CAP_USER
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    2022年4月7日、中国メディア・観察者網は、日本で放送開始された三国志に関するアニメ番組に登場した歴史地図で、朝鮮半島全土が魏の領土として描かれていたことに対し、韓国のネットユーザーからクレームが寄せられたと報じた。

    記事は、「日本でまた新しい三国志関連のアニメが作られた」として、同名のマンガを原作とするアニメ「パリピ孔明」が5日に放送開始されたと紹介。作品では五丈原の戦いで散った諸葛孔明が若かりし頃の姿で現代の東京・渋谷に復活し、歌手を目指す少女の夢の実現をお手伝いする内容であると伝えた。

    そして、孔明を扱ったアニメということ、作品の設定がユニークであることから中国のネットユーザーの間でも「設定があまりにもおかしすぎる」「いやいやアニメなのだからいいじゃないか」といった議論が起こったとした。

    その上で、作品中に登場した三国時代の勢力図が韓国のネットユーザーをざわつかせたとし、「三国時代、朝鮮半島の楽浪郡、玄菟郡などは確かに魏に属していたが、アニメの地図では朝鮮半島全土が魏の領地として描かれていた」と紹介。ツイッター上でアニメ制作者に対するクレームや誹りが続々と寄せられたことを伝えた。

    記事は、韓国ネットユーザーからのクレームに対して「パリピ孔明」製作委員会が5日、「三国時代の『魏』の範囲についての地図に誤りがありました。急ぎ映像の修正を行っております」と誤りを認めた上で、「制作上重大な誤りをいたしましたこと、皆さまにご心配とご迷惑をおかけしますことを、心よりおわび申し上げます」と謝罪する声明を発表したと紹介している。(翻訳・編集/川尻)

    Record China
    https://www.recordchina.co.jp/b892252-s39-c30-d0193.html

    【【北部は魏で南部は倭】日本のアニメが三国時代の地図で朝鮮半島を「魏」に、韓国ネット民から不満殺到で謝罪】の続きを読む

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    1: 樽悶 ★ 2021/08/02(月) 22:34:00.47 ID:kJ7ttiNV9
    富を蓄えた北部九州に対抗するために、三世紀初頭の奈良盆地に人びとが集結し、ヤマト勢力が出現した。邪馬台国の卑弥呼は、勃興する強敵・ヤマト勢力に対抗するために、策を講じる――。邪馬台国こそ日本列島を代表する「ヤマト」である――卑弥呼は魏に対して嘘の報告をしたのだ。

    ■倭人の王の外交デビュー

    『漢書』地理志(一世紀ごろ成立)に、弥生時代の日本の様子が記されている。

    ※省略

    このころ、朝鮮半島南部の鉄を取りに、穢(わい)・倭・馬韓の人びとが群がっていたとあり、奴国の海人たちも、こぞって進出していたのだろう。そして、富を蓄えた上での、朝貢ということになる。

    ※省略

    改めて確認しておくが、ヤマトの纒向(まきむく)に人びとが集まりはじめたのは3世紀初頭のことで、ヤマトが国の中心となったのは、3世紀半ばから4世紀にかけてのことだ(絶対年代は確定していない。幅がある)。また、邪馬台国がヤマトと同一かどうかは、ハッキリわかっていない。

    邪馬台国は2世紀後半から3世紀にかけて日本のどこかに存在した倭国の首都だ。邪馬台国は倭国の王が住む国で、卑弥呼と台与(とよ=壱与〔いよ〕)の2人の女王が立てられたが、この間にも中国では、動乱が続き、勢力図はめまぐるしく変化していった。

    西暦265年に、魏は晋(西晋)に変わり、280年に南方の呉が滅び、晋が国土を統一すると、翌年11月、倭人が来朝し、方物を献上している。王の名は記されていないが、卑弥呼の宗女・台与と思われる。

    邪馬台国の2人の女王は、『日本書紀』に登場せず、中国側の史料に現れるだけだ。しかも台与は、このあと歴史からフェイドアウトしてしまう。行方がわからないのだ。ここにも大きな謎が隠されている。

    倭国は北部九州と考えた方が理にかなっている。拙著『ヤマト王権と古代史十大事件』(PHP文庫)の中で述べたように、邪馬台国は北部九州の山門県(やまとのあがた:福岡県みやま市)にあったと思う。

    奈良盆地にヤマトが出現したのは、富を蓄えた北部九州に対抗するためで、多くの人びとがヤマトに集結した。逆に窮地に立たされた北部九州は、朝鮮半島に進出してきた魏に、すばやく使者を送り、「われわれが日本列島を代表する邪馬台国(ヤマト)」と偽りの報告をして、卑弥呼は「親魏倭王」の称号を獲得してしまったのだろう。

    江戸時代に本居宣長が唱えた「邪馬台国偽僭(ぎせん)説」の考えに近い。本居宣長は、「天皇が中国にへりくだるはずがない」という発想から偽僭説を思い浮かべたが、そうではなく、虎の威を借りることで、ヤマトを牽制する目的があったのだろう。親魏倭王のヒミコを倒せば、ヤマトは魏の敵になる。

    また、この時北部九州は一枚岩ではなく、沿岸部の奴国と西隣の伊都国(いとこく・福岡県糸島市と福岡市西区の旧怡土郡)は、それぞれがヤマトと邪馬台国、別々の勢力と通じていたと思われる。

    奴国はヤマトと手を組み、伊都国は邪馬台国と魏の間をとりもったのだろう。考古学は三世紀初頭にヤマトや山陰勢力が奴国周辺に押しかけていたことを突きとめているが、奴国はヤマトを北部九州に誘い入れた人たちだ。

    ※省略

    北部九州は朝鮮半島の鉄を大量に入手することで栄えた。もちろん、鉄の代償となる何かを輸出していただろう。

    つまり、この記事にある行程は、邪馬台国と朝鮮半島をつなぐ最大のルートだったはずで、それにもかかわらず、交易の道が「本当に歩けるのか」と訝しむほどであるはずがない。ここに大きな意味が隠されている。

    伊都国と奴国は、「海の道」の終着点となる天然の良港を備えていたから栄えたのだ。とすれば、末盧国から伊都国まで魏の使者を歩かさなければならない特別な理由があったと考えねばならない。

    答えは簡単だと思う。邪馬台国と伊都国は、ヤマトに通じていた奴国に、魏の使者の到来を悟られてはならなかったのだろう。奴国は海人の国でもあり、奴国の海人たちは伊都国や末盧国の近辺を普段から船に乗って往来していただろう。だから、魏の使者を船に乗せて末盧国から伊都国に連れて来れば、見つかってしまう恐れもあったのだ。

    ならばこのあと、ヤマトと邪馬台国の関係はどうなったのだろう。

    ※省略

    ただ、勝利を収めたのはヤマトだったこと、邪馬台国にしろヤマト建国にしろ、九州を中心とした海人たちが暗躍し、鍵を握っていたということは間違いない。(続きはソース)

    関裕二(歴史作家)

    7/31(土) 11:52配信 ヤフーニュース
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210731-00010000-php_s-bus_all


    【【歴史】邪馬台国は“嘘”をついた? 「親魏倭王」の称号を手にした卑弥呼の狙い 奴国の海人が暗躍】の続きを読む

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