かたすみ速報

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    タグ:清

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    1: 仮面ウニダー ★ 2023/02/22(水) 07:55:24.31 ID:2QPvjRtv
    朝鮮半島には「李氏朝鮮」(1392年~1897年)という国がありました。日本が併合する前、500年以上も続いた国ですが、日本からするとヘンな国で、
    韓国が「現在に至るもヘン」なルーツは李氏朝鮮のせいなのではないか、と思われます。

    田中明先生の著作から以下に引用します。

    「李朝五百年」のちょうど真中辺りになる時期に、朝鮮王朝は北方に興った女真族の国・清に攻め込まれて降伏するという屈辱を味わった。

    (中略)

    降伏前、朝鮮朝廷が和を求めて清に送った文書のなかに、「勇者の時代」には考えられないような文言があったからである。

    そこでは「自分たちは武を重んじていない」ということが、昂然と(という印象を受ける)述べられていた。

    ー中略ー

    ⇒参照・引用元:『物語 韓国人』著:田中明,文藝春秋,2001年(平成13年)08月20日 第1刷発行,pp65-68

    朝鮮王は、自分たちが蛮族と侮蔑してきた清に降伏しなければならなかったとき、それが降伏する国の言うことかね――という文書を送っています。

    そもそも最終的な責任者である朝鮮の王様が――「愚かな群臣に誤らされた」などと部下のせいにする――というのはどういうことなのか、と呆れるしかありません。

    また「前非を悔いて、あなたの寛仁なる御庇護を受けようとするのを拒まれないでしょう」と身を低くしている割には、「あまりにも強く怒りすぎると、兄弟の信義にもとる」と書くに至っては、
    これで謝罪しているつもりなのか――と絶句するのではないでしょうか。

    田中先生は「緩やかな処置を注文する言葉をも重ねている」と上品に書いていらっしゃいますが、こういうのは現在の言葉では「上から目線」といいます。

    負けた方が、勝った方に「怒り方」の注文をつけています。

    また注目したいのは「諸国の期待を裏切るならば、貴国の将来にとっても良いことにはならぬであろう」の「諸国の期待を裏切るならば」です。

    これは、現在でも使われる「日本はアジアで孤立するだろう」「世界で日本の評価は下がるだろう」にそっくりです。その「アジア」「世界」はどこの国のことなのでしょうか。

    「現実に負けているのに、精神的に勝利しているので負けたことにはならない」というのも現在の韓国に通じます。
    ことほどさように李氏朝鮮というのは、日本人から見てヘンな国、異質な国でしたし、それは現在の韓国にも通底しています。

    従って、日本は「韓国とは分かり合える」などという幻想を抱くべきではありません。

    古田博司先生が説いていらっしゃるように「箸と漢字しか共通点などないよ」※という態度が正しいのです。

    ※その漢字も韓国では教えなくなっていますので、もはや「箸を使っていること」しか共通点はなくなりつつあります。

    (吉田ハンチング@dcp)
    2023.02.21
    https://money1.jp/archives/100175

    【【Money1】朝鮮は降伏するときも「上から目線」だった】の続きを読む

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    1: 新種のホケモン ★ 2022/10/17(月) 14:11:49.41 ID:CAP_USER
    【略】

    ◆朝鮮民族が中国全土を支配した?

    11世紀頃、黒水靺鞨の女真族は強大化していき、完顔阿骨打という女真族の族長が1115年に金を建国します。金は内満州や外満州のツングース系民族の大半を統一し、モンゴル系の遼を滅ぼします。さらに北宋を滅ぼし、華北(中国の北半分)を征服するに至ります。金王朝は中国を支配した最初のツングース系民族の王朝でした。

    この金王朝の建国者の出自について、韓国の学者たちが独自の説を打ち立てています。10世紀半ばに完顔函普(かんぷ)という女真族の族長がいました。この人物は金を建国した完顔阿骨打の150年前の祖先に当たります。

    『金史』には、「金の始祖である函普は高麗に由来する」という記述があります。高麗は10世紀に王建(ワンゴン)が建国した朝鮮王朝で、新羅に続く2番目の統一王朝です。この高麗が英語のKorea(コリア=韓国)の語源となります。高句麗も高麗も同じもので、「句」の字を入れる「高句麗」という言い方が古い表現であるため、古代の高麗を「高句麗」と表記し、中世の高麗を「高麗」と表記して、一般的に使い分けています。王建は高句麗の後継者を自任し、国号にもこれを使ったのです。

    韓国の学者たちは、この高麗の出身である完顔函普は朝鮮民族であり、その子孫の完顔阿骨打がつくった金王朝は朝鮮民族が建国した国家であると主張しているのです。高麗の出身というだけで、なぜ完顔函普が朝鮮民族になるのか、その根拠は明らかではありません。完顔氏ら女真族は朝鮮人と密接に関係し、混血していますが、朝鮮民族という範疇には入りません。

    韓国の学者たちは、朝鮮民族の完顔函普の血を引く完顔阿骨打が中国に進出し、漢民族を蹴散らし、中国を征服したという民族の躍動史をよく認識すべきだと言います。また、完顔函普は新羅の王族だったという根拠不明な主張をする学者もいます。

    さらには、金王朝の後継である清王朝も同様に、朝鮮民族が建国した国家であるので、朝鮮民族が17世紀以降、中国全土を支配したことになるというのです。東洋大学校の金雲会教授は清の皇族姓の愛新覚羅について、「新羅を愛し、記憶する」という意味が込められていると主張しています。

    「愛新覚羅」は「アイシンギョロ」と読みますが、「アイシン」は「金」を意味します。「金」は満州語で「アンチュン」と発音します。「ギョロ」は黒竜江省にある女真族の祖先の土地の名です。かつての国名と土地の名を組み合わせて、「アイシンギョロ」としたものに「愛新覚羅」という漢字を当てたに過ぎません。「新羅を愛し、記憶する」という意味などありません。

    ◆『金史』の記述の謎

    しかし、問題はなぜ『金史』に金王朝建国者の始祖が高麗に由来するということが書かれているのかです。『金史』に記されている「高麗」は中世の高麗を指すものではなく、古代の高句麗を指していると考えられます。6世紀の南北朝時代から隋唐時代の中国史料で、高句麗は「高句麗」とは表記されなくなり、「高麗」と表記されるようになります。『金史』の「高麗」も高句麗のことだと考えられるのです。また、『金史』の中では、完顔函普に言及したところ以外にも「高麗」と記されている箇所が随所に見られますが、これらは高麗ではなく、「高句麗」を指していると思われます。

    満州族にとって、高句麗は満州全域から朝鮮半島北部につくられた栄光の古代国家と記憶されており、始祖が高句麗の出身であるとすることで、彼らの正統性を高めようとする狙いがあったと推察されます。

    さらに述べるならば、完顔函普が高句麗に関係していたということも信頼に値しません。女真族は靺鞨族の後裔です。靺鞨族は外満州にいた粛慎を始祖とします。一方、高句麗は扶余族が作った王朝で、扶余族は内満州にいた濊貊(わいはく)を始祖とします。両者は同じツングース系民族ですが、系譜が異なります。

    完顔函普が高句麗に由来する一族ならば、女真族は濊貊の子孫ということになってしまい、歴史の事実とは一致しません。『金史』に記されている一文をもって、韓国の学者たちが主張する「女真族の起源は朝鮮人だった」「金王朝や清王朝は朝鮮民族が建てた国家であり、朝鮮史の一部である」という理屈は通らないのです。

    また、清王朝の草創期において、朝鮮は女真族を「オランケ」(朝鮮語の「野蛮人」という意味の蔑称)と呼びました。朝鮮は、自らを中華文明の信奉者とする「小中華思想」を掲げ、女真族のような蛮族が漢民族に楯突くのは道理に反していると怒り、女真族と戦うことを宣言します。

    【続く】

    宇山 卓栄
    2022.10.17
    https://gendai.media/articles/-/101006?imp=0

    【「朝鮮民族が17世紀以降の中国を支配」説?韓国側の主張はいつも稚拙なこじつけに終始】の続きを読む

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    1: 昆虫図鑑 ★ 2022/09/11(日) 16:20:57.25 ID:CAP_USER

    倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
    しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。

    (略)

    その後、西郷は江戸城無血開城を実現。大久保は明治新政府の基礎固めに奔走し、版籍奉還、廃藩置県などの改革を断行した。そして大久保は「岩倉使節団」の一員として、人生初の欧米視察に出かけ、その豊かさに衝撃を受けて帰国する。
    ところが、大久保が留守の間、政府は大きく変わっていた。帰国した大久保と西郷は朝鮮への使節派遣をめぐって対立し、西郷は下野。同じく下野した江藤新平は「佐賀の乱」の首謀者となった。大久保は現地に赴き、佐賀の乱を鎮圧する。次に大久保が進めた「台湾出兵」でも粘り強い交渉の末、清から賠償金を得た。

    ■「琉球」の日本帰属を清に認めさせた

     明治7(1874)年11月26日、清から帰国した大久保は、横浜港に集まった群衆から大きな歓迎を受けた。だが、清との外交で日本が得たものは、賠償金だけではない。どれだけのことを大久保が成し遂げたのか。本当の意味で知る者はほとんどいなかった。

     清との外交による功績の1つが「琉球(沖縄)の日本帰属を事実上、認めさせたこと」である。いったい、どういうことか。

     そもそも、今回の台湾外征がなぜ行われたのか。那覇を出航した2隻の船が暴風によって台湾に漂流。66人のうち54人が現地の高砂族に殺害され、日本が抗議すべく台湾に出兵する。それに対して、台湾を事実上統治する清が日本に抗議してきたので、大久保が乗り出していった。

     清との話し合いで争点となったのは「台湾が清の帰属なのかどうか」。清に帰属するのならば現地人による殺害について清は日本に賠償金を支払う必要があるし、帰属していないのならば日本が台湾に出兵しても清に文句を言われる筋合いはない……ということになる。

     この論法で大久保は交渉を進めたが、実はもう1つの重要なテーマが、この議論には内包されていた。それは殺されたのが、那覇から帰路につく宮古島の島民だったという点だ。

     当時、現在の沖縄県にあたる琉球王国は、日本と清の両方が、その帰属を主張していた。日本側は江戸時代から薩摩藩が支配していたことを理由にして、一方の清側は明朝と琉球国が冊封・朝貢関係にあることを理由にして、それぞれが自国の統治下にあると譲らなかったのだ。

     その点を踏まえて、今回の台湾外征を観てみれば、どうだろうか。まさに琉球の一部である宮古島の人たちが台湾の現地人に殺害されたために、日本が声を上げたことになる。

     抗議したのは、日本が「宮古島の島民は自国民だ」とみなしていたからこそのこと。大久保は初めから「琉球は日本に帰属する」という前提で、清との交渉に挑んでいたのだ。

     清はその前提を自然に受け入れたうえで、大久保と交渉してしまい、しかも台湾出兵を「義兵」(正義のための行動)と認めたことになる。これは琉球に住む人々を日本人だと清が認めたことにほかならない……大久保の外交は、そんな布石をも打っていたのである。

    ■清への旧習をやめさせ、日本に併合

     このことを突破口に、大久保は清と琉球王国の関係を引き離していく。大久保外交が行われた翌年、明治8(1875)年に清で新しい皇帝が即位すると、琉球王国は使節を送ろうとしている。これまでどおりに慣習を守ろうとしたのだ。

     だが、それでは元の木阿弥になってしまう。大久保はこれを阻止するべく、太政大臣の三条実美に「琉球藩処分方ノ儀伺」を提出。配下の松田道之を那覇に送り、清への隔年朝貢や、新帝即位における派遣使節を取り止めさせるなどし、旧習を払拭させようとした。

     そうした積み重ねの結果、明治12(1879)年には琉球王国が廃され、沖縄県として日本国に併合される。併合の理論的な根拠に、大久保の外交の成果が大きな意味を持った。

    ヤフーニュース(東洋経済)
    https://news.yahoo.co.jp/articles/ef874c499f0b0d8818f53236f0b52d5193f7ba8f?page=1

    【大久保利通、琉球併合でしれっと仕掛けた驚きの罠 「琉球は日本に帰属する」と清に認めさせた経緯】の続きを読む

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    1: きつねうどん ★ 2022/01/25(火) 20:37:09.47 ID:CAP_USER
    韓国にある独立門の近くに抗日独立義士の銅像を建てようとするも不許可となり、それを不服とする裁判でも団体側が敗訴した。理由は独立門の持つ「独立」が抗日とは関係ないことだった。

    ソウルにある旧西大門刑務所と独立門との間に、抗日運動で犠牲となったユ・グァンスン(柳寛順)女史の銅像を設置できるようにしてほしいとユ・グァンスン烈士記念事業会が訴訟を起こしていた裁判で、記念事業会側は銅像設置不許可処分を取り消そうとし文化財庁長を相手に行政訴訟を起こしていたが、原告敗訴判決となった。

    記念事業会側は、2020年7月16日に、西大門刑務所が位置する西大門独立公園に5m70cmの高さのユ・グァンスン烈士像を設置すると申請していた。これについて文化財委員会は会議を開き、像設置の適正性を審議したが否決した。

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    ユ・グァンスン

    当時、文化財委員会は3・1運動記念塔が西大門独立公園内にすでに建立されていることを否決の理由とした。また、また、数多くの独立運動家が収監された西大門刑務所周辺に特定の銅像を設置することは、代表性と必要性が不足し、歴史文化環境を阻害する可能性があると見た。
    これに対し記念事業会は、2020年10月30日に訴訟を起こした。記念事業会は「ユ・グァンスン烈士は唯一の女性独立運動家であり、北朝鮮の教科書にも抗日独立運動をした人物として掲載されるなど、独立運動家のうちでも代表性と必要性を備えている」と主張した。

    しかし裁判所側は、銅像を設置しようとする位置が西大門刑務所と独立門の中間地点であるが、両文化財の歴史的意味が異なるという点などを踏まえ、記念事業会の主張を受け入れなかった。

    そもそも、独立門は日本からの独立ではなく中国からの独立を祝ったモニュメントだ。1897年に完成した独立門は、李氏朝鮮時代に清の支配から解放され自主独立国家となったことを記念し、清への服属を象徴していた迎恩門を壊して建てたものだ。日本からの独立を主張したユ・グァンスン女史の独立思想を鼓舞するために銅像が設置されるには場所的特性が一致しないことになる。韓国では独立門を「日本からの独立」を記念するものと誤解している向きがまだ存在するといわれる。

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    19世紀末に清からの独立を記念して建てられた独立門

    西大門区側は「独立公園の《独立》が持つ意味と日本植民地期から主権を回復しようとする《独立》の意味が歴史的に異なるのに、過度に隣接して存在すれば、歴史的教訓と価値に混乱が生じている」とし「ユ・グァンスン烈士像が独立公園領域に追加された場合、《独立》の歴史的意味がさらに混乱を招く可能性がある」という意見を出した。
    裁判所側はこのような意見を反映して「歴史文化環境が毀損される恐れがあると判断される」とし「不許可処分が違法だとは言えない」と明らかにした。


    この判決を知った韓国のネットユーザーからは、

    「判事は親日派ではないか」

    「国民が求めるのだ。建てるべきだ…」

    「別の場所に建てれば」

    「西大門刑務所の中に建てれば」

    「独立門を日本から独立するために建てたという歴史認識の浅い奴らがいる」

    「清からの独立を祝って建てたのになぜユ・グァンスンを絡ませる」

    「場所の意味が違っても建てろ…」

    などのコメントがネット掲示板に投稿されている。

    https://korea-economics.jp/posts/22012505/

    【韓国市民団体「独立門に抗日義士の銅像を」 裁判所「独立門は日本関係ない…歴史的意味が混乱する」】の続きを読む

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    1: 昆虫図鑑 ★ 2021/12/05(日) 17:46:45.78 ID:CAP_USER
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    韓国革新系の執権与党「共に民主党」イ・ジェミョン(李在明)大統領候補は5日、「東学党の乱」(東学革命)が失敗に終わった理由に「国力」を挙げ、「世界的な主導国家となり先祖が経験したことを繰り返さない」と約束した。

    李候補はこの日、チョンブク(全北)チョンウプ(井邑)セムゴウル市場を訪れ、「井邑は東学革命の発祥の地であり、横暴な権力者を抑え、弱き者を助け、皆が共に生きる大同の世を作ろうと民衆が命を懸けて立ち上がった原点となる場所」と説明した。

    彼は「東学革命軍が竹槍を手に、より良い生活のために命を捧げた。しかし残念なことに、ウグムチ(牛禁峙)峠で3万人に近い革命軍がたった2,700人の日本軍により全滅した。武器が不足していたらからだ」と話した。

    そして「これからの大転換の時期に国力を科学技術に投資し、先端技術を支援し、経済を生かして世界の先を行く先進国となり、再び牛禁峙峠の出来事を繰り返さない」とし「常に皆さんと手をつなぎ、より良い未来に向けて偉大なる大韓民国を共に作り上げていく」と約束した。

    李候補は来年の大統領選挙については「過去に戻るのか、より良い未来に進むのか」とし、「私たちは軍事政権を憎む。軍事政権は軍人の利益のために国家権力を利用した。全員が陸軍士官学校出身だ」とし「しかし今、検事出身で構成された勢力が、来年選挙で勝ち、検察国家を作ろうと挑戦している。これを容認できるのか」と反論した。

    また検察出身のユン・ソンニョル(尹錫悦)「国民の力」大統領候補を指して「誰かの私的な復讐のため、誰かの審判のため、誰かの利益のために政治が存在してはならない」とし「皆さんは復讐する大統領を望みますか、それとも経済を救う大統領が望みますか」と主張した。

    そして「軍事政権が許されないように、検察政権も決して許されない」とし「権力は誰か個人のためではなく、私たち国民のためのものでなければならない」と述べた。

    ヤフーニュース(WOW!Korea)
    https://news.yahoo.co.jp/articles/5cfecaaa8d7cb025fb0e1dc40adf1798c5e2f838

    【【韓国報道】李在明大統領候補「東学軍が日本軍に全滅…主導国家となり同じことは繰り返さない」】の続きを読む

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    1: Ikh ★ 2021/04/04(日) 14:48:54.56 ID:CAP_USER
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     1885年、英国海軍が突然、巨文島を占領した。教科書で教えない、朝鮮王朝敗亡の発端となった事件だ。当時、中国と日本は共に強力なロシアの南進を大きな脅威と見て、戦々恐々としていた時期だった。清は黄遵憲の「朝鮮策略」で見るように、ロシアの南進を防ぐため属邦の朝鮮が日本・米国と関係を強化するようにし、ドイツ人メレンドルフを朝鮮に送って外交の全権を掌握した。ところがメレンドルフは、自分を雇った清を裏切り、祖国ドイツの利益を追求した。宿敵ロシアが欧州よりもアジアに力を注ぐようにしようと企んだ。

     メレンドルフは高宗と王后閔(びん)氏に、中国と日本が恐れるロシアと手を組むのが朝鮮の生きる道だと知らせ、釣られた高宗は朝鮮をロシアが保護してくれる条件としてロシアのあれほど望んでいた不凍港を提供するという、朝ロ密約を受け入れた。この密約を知った英国は、ロシア艦隊が欲しがっている巨文島を先制占領した。当時、覇権国の英国は、海を目指す新興大国ロシアの南下を徹底して封鎖し、ロシアと100年にわたる覇権競争を繰り広げていた。英国に毎回封鎖されてきたロシアは、バルカン半島、アフガニスタン、インドを経た東進の果てに行き着いた韓半島で英国と衝突した。英国の力に驚いたロシアは、朝鮮から退いた。しかし10年後、驚くべきことが起きた。朝鮮国王自ら、自国の地でロシア公館へ亡命するという、前代未聞の事件が起きた。「俄館播遷(はせん)」だ。ロシアにとっては、韓半島が「棚ぼた」のように転がり込んできたというわけだ。

     朝鮮は覇権国である英国の逆鱗(げきりん)に触れた。朝鮮は大国に振り回され、地政学的大勢も読み取れず、脅威の本質を忘却した。わずか10年前の巨文島事件の経験から、いかなる教訓も得ることができなかった。域内諸国がロシアの脅威に対処しようとしていたが、朝鮮は正反対の方向へと動いた。巨文島事件当時、英国はロシアの南下を防ぐことに朝鮮が協力するのであれば積極的に支援できることを公式に伝えていたが、朝鮮は宗主国が清であることを挙げ、交渉する権限がないと言った。ロシアの脅威に対応する連帯に賛同していたら、少なくとも日本の植民地に転落することはなかったのではないだろうか? 逆に日本は、国際力学関係と地政学的大勢を見つつロシアの脅威を把握し、徹底して英国側に付いた。英日の同盟は、日本にとって日露戦争の勝利と朝鮮を植民地として得る絶好の機会となった。

     歴史は繰り返す。中国がロシアに代わる大陸の新興大国として登場し、覇権の挑戦状を突き付けている。中国は米国の包囲網を破り、太平洋に進出しようと考えている。中国は入念に、韓国を中国の一部にする作業を進めている。高句麗を筆頭に韓半島諸国を中国の地方政権と見なし、韓国史を中国の歴史にすり替え、韓服からキムチに至るまで中国文化としている。外交の儀典においても、韓国を香港やマカオと同じような待遇にしている。かつての伝統的な宗主国と属邦の関係を復元しようとしているのではないか、という思いを抱くほどだ。中国が地域の覇権を持つようになる日、韓国の立場はどうなるのだろうか?

    (略)

    Yahoo!Japanニュース/朝鮮日報日本語版  4/4(日) 8:01配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/ad01088d731a9317b147080b9d21086c8061746a

    【【朝鮮日報】高宗播遷の道を再びたどるのか】の続きを読む

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    1: 昆虫図鑑 ★ 2021/02/28(日) 08:25:48.77 ID:CAP_USER
    日光東照宮
    朝鮮の王たちは正月の初日に中国の皇帝に礼をささげる望闕礼(ぼうけつれい)を行った。宮殿に中国皇帝を象徴する闕牌(はい)を設置し、文武百官を従え君臣の礼を尽くすというものだ。1898年に廃止されるまで1回も欠かさず行われた。金薫(キム・フン)氏の小説「南漢山城」には城内に追いやられた仁祖が明の皇帝に望闕礼をささげる場面が出てくる。清の軍隊が城を包囲し見守る中、仁祖は王子と共に袞竜の御衣(こんりょうのぎょい、天子の礼服)を着て踊り歌を歌った。朝鮮という国の恥辱と無力感が最高潮に達する場面だ。

     先日のソル(旧正月)に丁世均(チョン・セギュン)首相、朴炳錫(パク・ピョンソク)国会議長、李在明(イ・ジェミョン)京畿道知事など政府・与党関係者らが中国共産党の宣伝メディアに出演し、「感動の歴史」「友情」などの言葉を使いながら新年のあいさつを行ったが、この動画を見ながらふと望闕礼が思い浮かんだ。朴槿恵(パク・クンヘ)前大統領は2015年にインターネットを通じて中国のネットユーザーに近況を伝え、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は18年に中国国営のCCTVを通じて新年のあいさつを行った。しかし政府・与党の幹部らが総動員されたのはこれが初めてだ。都鍾煥(ト・ジョンファン)議員は「中韓修好29周年の年」と述べ、韓国よりも中国を先に立てた。もし誰かが韓日関係を「日韓関係」と言えばどれほど強烈な批判にさらされるだろうか。

    これは実は文大統領が口火を切っていた。2017年に中国を訪問した際「韓国と中国は運命共同体」「韓国は小さい国、中国は大きな山の峰」と述べた。露骨な親中宣言だった。「三不の約束」は安全保障問題を中国が決めた通りに従うという自発的な屈辱だった。ペンニョン島のすぐ近くを中国の警備艇が行き来しても、一度たりとも抗議ができない。大統領からしてこれでは執権勢力全体が中国に屈従するのも当然だろう。

    このような崇中事大の妄想から目を覚まさせる本がつい先日発刊され話題になっている。「Disunited Nations(各自図生の世界と地政学、韓国語訳)」という書籍で、著者のピーター・ゼイハン氏は世界的な地政学戦略家だ。彼の分析によると、バイデン大統領が就任した米国はトランプ前大統領当時以上に世界の秩序から手を引くという前提で「中国は10年以内に失敗し、成功神話の終焉(しゅうえん)を告げる」と予想している。「中国は過大評価された。アジアのトップは日本になるだろう。米国は日本をアジア地域の盟主として選んだ」とも主張している。

     日本の海軍力と空軍力は中国を圧倒するため、中国は一対一の戦いでも勝つのは難しいと分析している。著者は「韓国は再び浮上する日本と経済的に融合する道が最も賢明な選択だ」と主張する。戸惑う提言だが、日本の再浮上に伴う国際的な力学の変化に備えよと注文しているのだ。

     仁祖が南漢山城で望闕礼を行っていたまさにその当時、ちょうど日本に滞在していた朝鮮通信使一行は思わぬ屈辱を受けた。当初の使臣派遣の目的とは異なり、徳川家康をまつる日光東照宮を参拝するよう求める江戸幕府の要求に従わざるを得なくなったのだ。吹雪と厳しい寒さの中を、通信使一行214人は江戸から日光まで往復1週間かけて行き来した。ある意味譲歩だった。「清との関係が厳しくなった状況で、日本との関係まで悪化させるわけにはいかなかったため」と日本には記録が残っている。通信使一行は1643年と1655年の2回にわたり日光東照宮を参拝した。

    ゼイハン氏の予想通り「米国が手を引き、海上で強大な力を持つ日本が今後数十年にわたり空と海で東北アジアの全てを仲裁するようになった場合」にはどのようなことが起こるだろうか。朝鮮通信使一行が日光東照宮の参拝を強要されたように、太平洋戦争の戦犯たちが神として祭られている靖国神社への参拝が求められる事態が起こるのではないだろうか。最近になって現政権関係者による問答無用の行動を見ていると、このようなとんでもない悪夢まで思い浮かんでしまう。

    鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)先任記者

    朝鮮日報
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/02/26/2021022680124.html

    【【望闕礼】朝鮮通信使が日光東照宮の参拝を強要されたように、靖国神社への参拝が求められる事態が起こるのではないだろうか】の続きを読む

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    1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★  2021/01/13(水) 07:45:40.45 ID:CAP_USER
    no title

    朝鮮時代に科挙に及第して文官として生きていくとしても「文武兼備」は基本だった。野戦で戦闘をする能力はないにしても兵法書を読み、軍を指揮し、動員・兵站などの軍事行政を処理することは知らなければならなかった。

    南原(ナムウォン)の士人だった趙慶男(チョ・ギョンナム)は壬辰倭乱、丁卯、丙子胡乱をすべて経験した。壬辰倭乱のときは、義兵長として戦闘に参戦した。文武兼備に実戦経験まで備えていた彼は、三大戦乱を記録した乱中雑録と続雑録という戦史を残した。戦史の記録物がもどかしいほど不足している韓国歴史において、著者の経歴から見ても内容から見ても、珍しく大切な記録だ。


    趙慶男の著書は、他の記録に比べると説明も具体的で豊富な方だ。しかし、戦史としては依然として小略で具体性に欠けている。本人の過ちでもないのが、彼が参照した基本資料と文書が簡単な報告書だったからだ。これは理解できるが、「フェイクニュース」、感情的で単純な戦況分析は誰のせいだろうか。

    朝鮮はいかなる社会より識字率が高く、識字層も多い国だったが、哲学的思弁と文学的作文に重点を置きすぎて、実利的思考、六何の原則による科学的説明と実用的作文の訓練はあまりにも乏しかった。このような作文文化は、逆に思考にも影響を及ぼす。戦争を直接経験して事件を目撃しても、目と頭脳が現場の状況を分析するよりも、評論が先に進む。「将軍が怖がって兵士たちが崩れた」「将軍が大声で怒鳴りつけて、逃げる兵士の首を切ると、兵士たちが勇気百倍になって戦った」といった具合だ。

    戦場ではそのようなことがあっても、それはほんの一部でしかない。自軍と敵の武装状態がどうで、どんな地形で何メートル突撃したのか、このような問題には関心もない。幾多の変数が支配する戦場を一つや二つの要素で裁断してしまうから、世の中を単純に見るようになり、分析よりは感情的批判が先に立つ。これだから、「フェイクニュース」にも簡単にだまされる。

    朝鮮は500年間、この枠組みから脱することができなかった。それも残念だが、21世紀になった昨今、教育や知的風土がかえって過去に退行しつつある。

    東亞日報 January. 12, 2021 08:27
    https://www.donga.com/jp/home/article/all/20210112/2364607/1

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    1: Toy Soldiers ★ 2019/09/03(火) 15:35:41.65 ID:5oqcWKZl9
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    米国人ら、清王朝が残した債務の返済を中国に要求=米誌
    2019年09月02日 21時31分

    中国の清王朝が発行した債券を保有する米国人債権者は、トランプ政権に対して、中国当局に債務を返済させるよう求めている。
    債務規模は現在の価値では、1兆ドル(約106兆円)以上だという。米誌「ブルームバーグ・ビジネスウィーク」が8月29日伝えた。

    報道によると、テネシー州で牧場を営むジョナ・ビアンコ(Jonna Bianco)氏は債権者団体の代表を務めている。同氏は昨年8月、トランプ米大統領、ムニューシン財務長官と面会した。

    ビアンコ氏は、インフレや利子、賠償のコストなどを考量すれば、中国当局の返済金額は1兆ドルを上回ると指摘した。同氏はトランプ政権に対して、清王朝が残した債券を米中通商協議の一つの議題として中国側に提示してほしいと要求した。

    同氏によれば、中国当局はこれらの債務について、1949年より前の中華民国政府が責任を負うと主張する。ビアンコ氏は「この言い分は、当局が中国の主権の唯一の継承者だとの主張と矛盾する」と批判した。

    デューク大学の法学者は「法的にみれば、清王朝が残した債務は完全に合法だ」との認識を示した

    米財務省と商務省は報道についてコメントを差し控えた。

    8月31日時点まで、中国当局からの返答はなかったという。

    清王朝は1911年に、湖北省から広東省を結ぶ湖広鉄道を建設するために、米、英、仏、独の西側諸国に対して国債を発行し、「600万金英鎊(600万ポンド)」の資金を集めた。同債券の発行は、後の保路運動、さらに清王朝の崩壊を招いた辛亥革命の発端となった。

    米国債権者は過去数十年、債務返済を求めてきた。1979年、債権者は中国当局に返済するよう訴訟を起こした。米裁判所は、当時の中国外相だった黄華氏に対して証人として召喚した。しかし、当時の米政府は中国当局との関係を回復しようとしていたため、司法省が和解を図った。1987年、裁判所は原告側の訴えを退けた。

    大紀元
    https://www.epochtimes.jp/p/2019/09/46696.html

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    1: 樽悶 ★ 2019/03/19(火) 22:56:12.05 ID:9rArBBu59
    最上徳内がヤエンコロアイヌに宛てて、文書を大切に保管するよう伝えた文書。冒頭に「御用」と書かれ、末尾に「最上徳内」の署名もみえる(北大付属図書館蔵)
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     北海道大学付属図書館が所蔵する「カラフトナヨロ惣乙名(そうおとな)文書」が国の重要文化財に、札幌市の旧三菱鉱業寮が登録有形文化財にそれぞれ指定・登録されることになった。国の文化審議会が18日、文部科学相に答申した。アイヌの家に伝わっていた文書が重文に指定されるのは初めて。

     同文書は、サハリン(樺太)南西部のナヨロ村にいたアイヌの惣乙名(複数の村の統括者)ヤエンコロアイヌの家が代々伝えてきた18~19世紀の資料で、中国(清)側の文書4通(満州語2通、中国語2通)と日本側の文書9通の計13通で構成されている。明治末期に軸装され、1954年に北大が個人から購入した。

     13通のうち満州語の1通は、清の地方役人から樺太アイヌの氏族長トゥソクルデンギに宛てた公文書(1775年)。当時の樺太アイヌは清に朝貢して、見返りに妻を得ていたが、冬に都へ来ると天然痘にかかるので、7~9月に到着するよう諭す内容になっている。中国語の1通は、清への朝貢が途絶えていたアイヌの氏族に来貢を促すよう、他の氏族に依頼したもの(1818年)。

     幕府の蝦夷地調査で、これらの文書を日本人として初めて確認した最上徳内(1755~1836年)は、ヤエンコロアイヌにこれらの文書を大切に保管しておくよう伝えたが、その旨を記した書き付け(1792年)も今回の指定文書の中に含まれている。

     和文の文書はこのほか、松前・会津藩士らの書き付けや、箱館奉行所が幕末期の惣乙名シトクレランとその子息カンチヨマンテに与えた辞令などがある。

     日本近世史が専門の谷本晃久・北大教授は「幕府の役人だった徳内は、樺太アイヌが中国に朝貢していることを知って危機感を持ったはず。一つの家に三つの言語が書かれた文書が残っていたこと自体珍しく、当時のアイヌと中国、日本の関係を示す学術的にも貴重な史料だ」と指摘している。

     指定文書は4月16日~5月6日に東京国立博物館で開かれる「平成31年新指定国宝・重要文化財展」で一般公開される。

     旧三菱鉱業寮は、道有形文化財の旧永山武四郎邸(明治10年代建築)に付設する形で、当時の三菱鉱業が1937年(昭和12年)頃に福利厚生施設として増設した建物。木造2階建て、切り妻造りの洋館で、大正・昭和初期のモダンなデザインを伝える貴重な建築だ。

     現在は無料で観覧でき、館内でカフェレストランも営業している。

    03月19日 07時23分
    NHK
    https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20190319/0008797.html
    朝日新聞デジタル 2019年3月19日03時00分
    https://www.asahi.com/articles/ASM3L55DSM3LIIPE01N.html
    読売新聞 2019/03/18
    https://www.yomiuri.co.jp/local/hokkaido/news/20190318-OYTNT50144/

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