かたすみ速報

日本及び周辺諸国に関するニュースと2chまとめサイト。ネットの片隅で更新していきます。




    タグ:縄文人

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    1: 樽悶 ★ 2025/02/27(木) 23:33:25.90 ID:5oNf/4XN9
     福岡県糸島市は20日、同市の史跡・新町支石墓群で1980年代に出土した人骨の頭部から生前の顔立ちを復元した復顔像を報道陣に公開した。21日から、志摩歴史資料館などで一般公開する。

     復顔は九州大、佐賀大の専門家の協力で実現。復元されたのは約2500年前の縄文時代から弥生時代に移っていく頃の男性の顔。縄文時代の人の特徴を残しながらも、頬骨の張り出しが少なく、眉間から上顎までが長めなどの特徴があり、縄文時代の在来の人と渡来人との混血がある程度進んでいたことを示しているという。市は、縄文時代から弥生時代への移り変わり、日本人の起源などを考える分かりやすい資料として、活用していく方針だ。

    2/20(木) 17:41配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/7620db5b3fc5e46dbaa52586e577208ea36182c2
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     福岡県糸島市は、弥生時代の墓から出土した2500年以上前の人骨から顔を再現した男性の像を公開した。弥生人は「のっぺり顔」が特徴とされるが、復元されたのは目鼻立ちがくっきりした顔で、縄文人からの移り変わりを示すとしている。復顔像は市内の志摩歴史資料館で21日から一般公開されている。

     人骨は、弥生時代の初めに朝鮮からもたらされたとされる「支石墓」が50基以上見つかっている新町支石墓(しんまちしせきぼ)群から1986年に発掘された。市文化課が遺跡の整備や活用を目的に九州大学などとの共同研究で2022年度から人骨を改めて計測するなどし、生前の顔立ちを調べた。(以下ソース)

    2025年2月23日 15時00分
    https://www.asahi.com/articles/AST2P2162T2PTIPE00QM.html
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    【【福岡】縄文人、渡来人の混血進んだ人骨を復顔】の続きを読む

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    1: 樽悶 ★ 2024/04/14(日) 19:19:14.67 ID:bh2s+0PL9
    「えっ?  最初の人類はアウストラロピテクスじゃないの?」。あなたの教養は30年前の常識のままかもしれません。

    (省略)

     ゲノム研究の発展以前は、日本人の起源も発掘された人骨の形態をもとに研究され、日本列島集団には2つの大きな特徴があると考えられてきました。

     1つ目は、縄文時代と弥生時代という時代が異なる人骨の間の明確に認識できる違い。2つ目は、北海道のアイヌ集団と、琉球列島集団、本州・四国・九州を中心とした本土日本人という3つの集団に姿形に区別しうる特徴があることです。

     このような違いを説明する原理として、「二重構造モデル」という学説が定説とされてきました。

     この学説は、旧石器時代に東南アジアなどから日本列島に進出した集団が縄文人となり、やがて列島に入らず北上した新石器時代の北東アジア人が渡来系弥生人となってやってきたという説です。

     しかし、近年のゲノム分析により、二重構造モデルでは説明できない事実が明らかになっています。

    ■「二重構造モデル」の限界

     「二重構造モデル」は、旧石器時代に東南アジアなどから日本列島に進入した集団を基層集団(縄文人)とし、その後、新石器時代に北東アジアから朝鮮半島経由で渡来した集団(弥生人)が入ってきたという単一的な視点が特徴です。

    (省略)

     弥生時代になり、この集団の中から北部九州に稲作をもたらす渡来系弥生人が現れ、稲作が入らなかった北海道や、北部九州から2000年遅れて稲作が始まった琉球列島では縄文人の遺伝的特徴が強く残ることになり、それが両者の見た目の類似性を生んだと考えられています。

     つまり、縄文人と弥生人の違いは、集団の由来が異なることに起因するという単一的な視点で説明しているのです。

     地域ごとに集団形成の過程が異なる! 

     地域別に現代日本人のゲノムを比べると、北海道のアイヌ集団、沖縄集団、本州・四国・九州のいわゆる本土日本人の間で違いが見られます。それは、地域ごとに異なる歴史があり、集団成立にも異なるプロセスがあることを示しています。

     「地域」という視点の重要性

     下の図は、都道府県別の核ゲノムSNP解析を表したもので、近畿・四国などの本土日本の「へそ」の部分と、九州や東北の間に違いが見えます(※外部配信先ではイラストを閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)。

     畿内(きだい)を中心とした地域では、渡来系集団の遺伝的な影響が強く、周辺域では縄文人の遺伝的な影響が強く残っており、それを敷衍(ふえん)して、北海道と琉球列島では縄文系の比率が高いはずだと考えるのが二重構造モデル。

     しかし、「縄文人」や「弥生人」といった枠が先にあり、地域ごとの歴史や集団の成立過程を考える発想がありません。

    (省略)

     日本列島にホモ・サピエンスがやってきたのは約4万年前。

     二重構造モデルでは、彼らが均一な形質の縄文人となって列島内に広がったと仮定されていますが、ゲノム解析によって、縄文人はさまざまな地域から入ってきた集団であり、地域によって遺伝的特徴が異なる集団が居住していたことがわかってきました。

    (省略)

    ■縄文人の地域差が意味するものとは?

     形態的には比較的均一だったと考えられている縄文人ですが、ミトコンドリアDNAの系統では、明瞭な東西の地域差が認められています。旧石器時代の日本列島には、進入ルートが異なるさまざまな集団が入ってきたと考えられます。

     さまざまな地域から入ってきた集団

     縄文人のミトコンドリアDNAの代表的なハプログループは、M7aとN9bです。西日本から琉球列島に多くなるM7aは、おそらく中国大陸の南部沿岸地域から西日本に進入したとされています。

     一方、東日本から北海道の地域で多数を占めるN9bは、九州にも特殊なN9b系統が存在。そのため、N9b系統の祖先は朝鮮半島から沿海州の広い地域に散在し、それぞれ北海道経由のルートと、朝鮮半島経由のルートで日本列島に到達したと考えられます。

     現代日本人に占めるそれぞれの割合は、M7aが約7.7%でN9bが約2.1%。この割合は、その後の弥生人との混合の状況に関連があると考えられます。

    4/14(日) 14:02配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/e08285b31df5ca391400ce8efa766bce03db99e9
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    【【篠田謙一氏】縄文人と弥生人で分けられない「日本人のルーツ」 祖先はいつ、どうやって日本列島へやってきた?】の続きを読む

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    1: 樽悶 ★ 2023/11/26(日) 18:13:07.19 ID:Lzr3ukB09
     縄文時代後期に焼いた人骨を埋葬した土坑(穴)が、発掘された人骨と共に11月26日、新潟市北区の新潟医療福祉大学で一般公開される。土坑は新潟県村上市の上野(かみの)遺跡で見つかったもので、地面ごと切り取り、医療福祉大に移設して研究した結果、骨を規則的に並べた全国的にも珍しい墓と判明。新潟県埋蔵文化財調査事業団や医療福祉大は「縄文時代の葬送や生活を知る重要な成果」として、来場を呼びかけている。

    (略)

    2023/11/24 14:00
    https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/317697
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     新潟県村上市にある約4000年前の縄文時代後期の集落跡「上野(かみの)遺跡」で、焼けた人骨を意図的に並べて埋葬していたことが、新潟医療福祉大の調査で明らかになった。縄文人が骨を別の場所で焼き、規則正しく埋葬した事例は全国的にも珍しいという。26日に新潟市北区の同大で、人骨が集積した土坑(どこう)を一般公開する。【内田帆ノ佳】

     この土坑は、県埋蔵文化財調査事業団が2021年に行った発掘調査で見つかった。土坑は長径1・5メートル、短径幅1メートル、深さ30センチの楕円(だえん)形の穴。現地でひと冬保存した後、地面ごと切り取り、昨年10月に同大へ移して研究してきた。

     土坑からは下顎(したあご)の骨の個数から子供を含む少なくとも6体の骨が出土した。同事業団によると、土坑は3層に分かれ、今回公開する最下層には腕や足などの長い骨が東西方向に並列している。そのほか、上腕骨を2本1組に並べたり、おわんを重ねるように頭蓋骨(ずがいこつ)を配置したりするなど「人間の骨格を理解し、埋葬していた」という。

     縄文時代は手足を折り曲げた姿勢で埋葬する「屈葬」が多くみられたが、長野県などを中心に人骨を焼いて埋葬する習慣があったとされる。同大自然人類学研究所の奈良貴史教授は「従来知られていなかった縄文時代における新潟県の葬制がわかり、地域ごとに文化が違っていた」と分析。今後は個体数や性別、被葬者間の関係性を明らかにする。

     同事業団の加藤学専門調査員(考古学)は「非常にきれいに並んでいるのでわかりやすい。(研究のため)骨を取り上げるので、縄文人の骨が配列した状態で見られるのはこれが最後」と話した。(以下ソース)

    11/26(日) 12:30配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/0b6d69ebad4e17a1b5bcac2021f7bffc01842922
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    1: LingLing ★ 2022/06/24(金) 20:47:25.83 ID:CAP_USER
    古代朝鮮の伽耶(かや)には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明!
    ライター:川勝康弘

    縄文人が朝鮮半島に移住していたかもしれません。

    オーストリアのウィーン大学(Universitat Wien)で行われた研究によって、古代朝鮮の南部に存在した「伽耶(かや)」の古墳において、日本人に特徴的な縄文人のDNAを多く持つ人々が埋葬されていたことが判明しました。

    伽耶は古代の日本と朝鮮の交流が盛んな地域として知られています。

    研究者たちは考えられる仮説の1つとして、古代において日本列島から半島南部に進出した人々がいた可能性があると述べています。

    日本と韓国、両国の歴史学者たちは古くから伽耶の起源や政治的な立ち位置について議論してきましたが、遺伝学による分析結果は新たな視点を与えてくれるでしょう。

    研究内容の詳細は2022年6月21日に『Current Biology』にて掲載されています。

    【古代朝鮮の伽耶には日本人の遺伝子を持った人々がいたと判明!】
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    伽耶は加羅とも言われており厳密には任那とは区別されることもある / Credit:wikipedia

    日本では古墳時代にあたる3世紀~6世紀にかけて、朝鮮半島の南部には伽耶と呼ばれた複数の小国が緩やかに連合した地域が存在していました。

    これらの地域は古代日本との交流が盛んであり、複数の史書において古代日本との関係が記載されています。

    しかしこれまで韓国における歴史的調査のほとんどが伝統的な考古学に基づくものであり、古代人の遺伝的な性質について(伽耶を含めて)調べられることは非常にまれでした。

    そこで今回、ウィーン大学の研究者たちは古代の伽耶(4~5世紀)の古墳から採取された8人の人骨からDNAを抽出し、伽耶の人々がどんな遺伝的特徴を持っていたのかを調べることにしました。

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    古代朝鮮の伽耶には日本人の遺伝子を持った人々がいたと判明! / Credit:Pere Gelabert et al . Northeastern Asian and Jomon-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea (2022) . Current Biology

    結果、8人中6人のDNAが現代の韓国人に類似する要素を持った遺伝子だった一方で、残りの2人のDNAは日本の縄文人に近い遺伝子を多く持っていることが判明しました。

    現在の韓国人の遺伝子は非常に均質性が高く遺伝的に孤立しており、縄文人に特徴的な遺伝子を持った人々はほとんど存在しません。

    そのため研究者たちは、古代の朝鮮半島に住む人々は、現代に比べて遺伝的多様性が大きかったと結論しました。

    しかし、かつては存在したはずの縄文人の遺伝子は、なぜ現代の韓国人にはみられなくなってしまったのでしょうか?

    この疑問について研究者たちは、現在の韓国人の祖先を構成する、中国北部出身の集団が原因であると述べています。

    この集団は朝鮮半島の海岸線に沿って勢力域を拡大したと考えられており、伽耶などの地域に住んでいた縄文人の遺伝子を持つ人々は最終的に排除・吸収された可能性があるようです。

    なお今回の研究では、発掘された人々の顔の復元も試みられました。

    古代朝鮮に住んでいた縄文人の遺伝子を持つ人々は、いったいどんな風貌をしていたのでしょうか?

    【伽耶にいた人々の顔をDNA情報から復元してみた】
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    古代の伽耶に住んでいた人々の顔をDNA情報のみに基づいて復元した / Credit:Pere Gelabert et al . Northeastern Asian and Jomon-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea (2022) . Current Biology

    (つづく)

    ナゾロジー
    https://nazology.net/archives/110991


    【【DNA分析】 古代朝鮮の伽耶には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明!縄文人が朝鮮半島に移住していた可能性】の続きを読む

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    1: すらいむ ★ 2021/11/13(土) 16:01:52.12 ID:CAP_USER
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    宮古島先史の人々「北側の沖縄諸島から」 「南から」説を覆す 人骨DNA分析で100%縄文人

     宮古島市にある「南嶺の長墓遺跡」の先史時代の人骨をDNA分析したところ「100%縄文人」だったことが、マックス・プランク人類史科学研究所(ドイツ)や県内研究者などの学際的チームの研究で分かった。
     従来、先史時代の先島の人々は台湾やフィリピンなどの南方に由来するとされてきた(南方説)が、北側の沖縄諸島から来たことを示す研究成果。先史時代の先島は奄美・沖縄諸島と接点がないとされてきた説も覆す。英科学誌ネイチャーに掲載され、日本時間11日に発表された。

    同研究所のマーク・ハドソン氏が長墓遺跡で発掘した先史時代(先島では約4千~千年前)と近世(17~19世紀)の人骨を分析した。近世の人骨は現代沖縄人とほぼ同じ約20%の縄文DNAを持つが、先史時代は100%だった。先史時代の宮古島では縄文文化を示す土器などは確認されていないが、縄文ゲノムが存在したことは大きな発見だとしている。

     今回の学際的研究では日本語や韓国語、モンゴル語などの「トランスユーラシア言語」の起源は新石器時代の中国・西遼河地域の農耕民までさかのぼり、農耕民の移動により言語と農耕が拡散したことを示した。

     また、言語学や考古学の観点を合わせると、中世(グスク時代、11~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住してきたことが推定できるという。

     共同研究者の高宮広土鹿児島大教授は「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と解説した。

     研究に協力した宮古島市教育委員会の久貝弥嗣氏は「DNAを使って人の移動を分析したのは貴重。通説は南との関係性が考えられていたので、インパクトがある。DNAと遺跡から出ている資料をリンクさせて研究する必要がある」と話した。

     研究チームは先史時代の八重山の人々がどこから来たのかは今後の分析が必要だとしている。久貝氏は「宮古、八重山、沖縄の人骨などの資料を総合的に調べていけば、琉球列島全体の人の移動が見えてくるのではないか」と話した。

    沖縄タイムス 2021年11月12日 09:30
    https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/862140

    【【人類学】宮古島先史の人々「北側の沖縄諸島から」来た“100%縄文人”だった 人骨DNA分析で「南から」説を覆す(Nature)】の続きを読む

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    1: 少考さん ★ 2021/10/31(日) 12:48:51.88 ID:skm+zaRZ9
    これが「弥生人」の顔…彫り深く低い鼻・髪は太く黒々、DNA分析で復元

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    鳥取市 青谷町 の「青谷 上寺地遺跡」で見つかった人骨と、骨から採取したDNAの分析から、弥生人の顔を復元した胸像を鳥取県が作成した=写真=。国立科学博物館の監修のもと復元したもので、遺伝子情報を基にした弥生人の復顔は全国で初めてという。

    青谷上寺地遺跡では2000年、弥生時代後期(約1800年前)の男性の頭蓋骨と脳が、ほぼ完全な状態で発見された。復元には頭蓋骨と、そこから採取できたDNAを用い、個体の約4割のゲノム(全遺伝情報)解析に成功した。

    その結果、父系は日本古来の縄文人、母系は渡来系で、頭髪は黒々とした太い毛だったことが判明。頭蓋骨の形状に合わせて表情を作る筋肉を粘土で型どりし、髪の毛は人工毛で製作した。

    (略)

    読売新聞 2021/10/31 12:16
    https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211031-OYT1T50036/


    【【鳥取県】これが「弥生人」の顔…彫り深く低い鼻・髪は太く黒々、DNA分析で復元】の続きを読む

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    1: すらいむ ★ 2021/10/15(金) 18:13:58.98 ID:CAP_USER
    「ネイティブアメリカンの祖先は日本人」という説が否定される

     アメリカで出土した石器と縄文人の石器の類似性に着目した過去の研究により、「ネイティブ・アメリカンの祖先は日本人ではないか?」という説が提唱されました。
     しかし、ネイティブ・アメリカンと縄文人の化石を比較した新たな研究により、この説が覆されるような証拠が示されました。

    (略)

    Gigazine 2021年10月15日 14時00分
    https://gigazine.net/news/20211015-native-american-origin-debunked/

    【【考古学】「ネイティブアメリカンの祖先は日本人」という説が否定される】の続きを読む

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    1: 水星虫 ★ 2021/09/18(土) 13:40:20.16 ID:hfojirnf9
    日本人に第3のルーツか 金沢大学などの研究チーム

    ※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

    縄文系と弥生系、大陸から日本列島にわたってきた日本人には2つのルーツがあるとこれまで考えられてきました。
    しかし、金沢大学などの研究チームが石川県などの遺跡から出土した人骨のDNAを解析した結果、
    さらに古墳時代に大陸からやってきた集団も、現在の日本人のルーツになっているとみられることがわかりました。

    金沢大学などの国際研究チームは、富山市の「小竹貝塚」や金沢市の岩出横穴墓など、縄文時代から古墳時代にかけての遺跡で出土した12体の人骨のDNAを解析しました。
    それらを北海道や九州などで見つかっていた縄文や弥生時代の人骨、中国などの大陸で出土した古い人骨のDNAと比較した結果、大陸の集団の遺伝的な影響が時代が進むにつれ強くなる傾向が明らかになりました。

    研究チームは、縄文人が日本列島に到達したあと、弥生時代に北東アジアから、古墳時代に東アジアから別の人類集団が渡ってきて、遺伝情報が現在に受け継がれているとしています。
    日本人のルーツは、これまで縄文系と弥生系の2つがあると考えられてきましたが、研究チームは、少なくとも3つの異なるルーツを持つことが明らかになったとしています。

    研究チームの金沢大学の覚張隆史助教は「考古学の研究者とも連携しながら、さまざまな通説の再検証に挑みたい」と話しています。

    09/18 13:02 NHK
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/20210918/3020009269.html

    【【説】縄文人が日本列島に到達したあと、弥生時代に北東アジアから、古墳時代に東アジアから別の人類集団が渡ってきて → 日本人に】の続きを読む

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    1: 樽悶 ★ 2020/12/11(金) 22:51:32.35 ID:rS5RJjyz9
    ホモ・サピエンスのアジア東部への拡散ルート
    no title


     愛知県田原市の遺跡で見つかった「縄文人」とされる人骨から抽出したDNAの塩基配列を詳しく解析したところ、アフリカからアジア東部に到達したホモ・サピエンスの集団の中でも最古級の系統に属することがわかったと、金沢大や東京大のグループが報告した。日本列島人の成り立ちを探るための新たな手がかりとして注目される。

     DNAを調べたのは、伊川津(いかわづ)貝塚遺跡から出た人骨(約2500年前)。年代的には、約3千年前から始まるとされる弥生時代にあたるが、縄文晩期の土器が発掘されており、グループは「縄文人」とみなしている。

     アフリカで約20万年前に誕生したホモ・サピエンスは、4万~5万年前にアジア東部へ到達し、日本列島には3万5千年前ごろにやってきた。この時期の人類の遺物はヒマラヤ山脈の北側でも南側でも見つかっており、どのルートを通って日本列島に達したかははっきりしていない。

     グループは、伊川津人骨のDNA情報をアジア東部のさまざまな人類集団や古人骨と比較し、その関係を示す系統樹を描いた。すると、現代の東アジア人などよりも、ヒマラヤの南側を通った集団の指標となるラオスの遺跡の人骨(約8千年前)に近く、ホモ・サピエンスがアジア東部や日本列島に到達した時期に近い4万~2万6千年前に分岐したと考えられた。国立科学博物館などが昨年DNA配列を公表した、北海道礼文島の船泊遺跡の縄文人骨(約3800年前)とも近い関係にあった。

     一方、北側を通った集団の指標となるロシア・シベリアのマルタ人骨(約2万5千年前)は、伊川津人骨や現代の東アジア人などとは遠い関係だった。ロシア極東地方の北東アジア人やベーリング海峡を渡ったアメリカ先住民にはマルタ人骨からの遺伝的な影響が認められたが、伊川津人骨では認められなかった。

     グループの覚張(がくはり)隆史・金沢大助教は「伊川津の縄文人は、非常に古い時代に南側ルートでアジア東部へ入ってきた人類集団の直接の子孫にあたる。その形成には、北側ルートを通った集団の影響を受けなかった可能性が高い」と話す。

     伊川津人骨の祖先となった人々が、初めて日本列島へやって来たのがいつだったかは、まだよく分からない。また今回の1個体の検討結果だけで、北側ルートの遺伝的影響を完全に否定できるものではない。

     このためグループは、伊川津貝塚遺跡から出た他の人骨や、千葉県の遺跡から出た人骨などのゲノム解読に着手している。科博のグループも、北海道や東北などで見つかった古人骨の分析を別途進めている。

     日本列島に初めて定着した人類集団の姿を明らかにすることは、日本人の形成過程を探る上で欠かせない。太田博樹・東大教授は「伊川津人骨の分析から、アジア東部で他の人類集団と交ざることなく、1万5千~1万2千年間くらい孤立していた縄文人のイメージが浮かんできた。これが妥当かどうかは、より多くの縄文人のゲノムを調べ、その違いを見ることで分かってくる」と研究の進展に期待を込める。

     この成果は科学誌コミュニケーションズ・バイオロジー(https://www.nature.com/articles/s42003-020-01162-2別ウインドウで開きます)に報告された。(米山正寛)

    朝日新聞 2020年12月10日 11時00分
    https://www.asahi.com/articles/ASND963DZNBZULBJ012.html
    2020/12/10 23:49
    https://note.com/xanqo_10post_jgo/n/n2bc427adacfd

    【【朝日新聞】縄文人、東アジアの最古級人類? 金沢大・東大などDNA解析 「北側ルートを通った集団の影響を受けなかった可能性が高い」】の続きを読む

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    1: 樽悶 ★ 2020/12/01(火) 16:01:11.56 ID:2cq7tapH9
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     最近ネットで、朝鮮半島には「縄文人」がいた、というような主張を見かけます。確かに、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっているので(関連記事)、「縄文人」が朝鮮半島に渡ったとしても不思議ではありません。こうした主張那主要な元ネタの一つとして、韓国釜山市の加徳島で発見された6000年前頃の人類のDNA研究があるようです。日本語記事によると、その研究に関わった一人である篠田謙一氏は公開シンポジウムで、この6000年前頃となる加徳島人集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代(本土)日本人になる、と述べたそうです。

     検索してみると、この研究は朝鮮語の学術誌である『文物』第9号に掲載された論文のようですが、ネットでは書誌情報しか見つけられませんでした。そこで、Wikipediaを利用して加徳島の朝鮮語表記を確認し、DNAとあわせて検索してみると、論文は見つかりませんでしたが、この論文内容を紹介した朝鮮語のブログが見つかりました(内容紹介1および内容紹介2)。このブログ記事から推測すると、本論文は印刷版でしか公表されていないようです。私は朝鮮語を全く解さないので、機械翻訳に頼って内容を確認しましたが、著者は専門家である可能性が高く、少なくとも集団遺伝学に関してかなりの知見があるので、その内容紹介は信用できる、と判断しました。以下、このブログ記事に依拠して、この研究の内容を見ていきますが、機械翻訳なので私の誤認がかなり入っているかもしれません。

     この研究は、釜山市の加徳島の獐遺跡で発見された6300年前頃の人類遺骸のDNAを解析しました。獐遺跡では、朝鮮半島南岸地域の初期新石器時代で典型的な土器が発見されているようです。獐遺跡で発見された48個体のうち埋葬方法が識別可能なのは31個体で、そのうち23個体で屈葬が採用されていたそうです。屈葬は縄文時代の日本列島で一般的ですが、朝鮮半島の新石器時代では基本的に見られないそうで、黒曜石や土器などで交流が確認されている、縄文時代の九州とのつながりが示唆されます。

     獐遺跡の個体のうち、標本2はミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)がD4b1で、標本8はmtHg-D4aです。現代韓国人では、mtHg- D4b1の割合は6.36%、mtHg-D4aの割合は7.7%とのことです。mtHg-D4はアジア東部現代人では高頻度です。韓国の慶尚南道の青銅器時代の遺跡では、21個体のうち11個体がmtHg-D4で、そのうち2個体がmtHg-D4bでした。mtHg-D4は新石器時代には朝鮮半島に定着し、現代まで主流母系の一つだった可能性が高そうです。縄文人では、mtHg-D4a・D4b1はまだ確認されていないようですが、D4b2は確認されています。標本2と標本8は女性と推定されています。

     核ゲノム分析では、獐遺跡の標本2と標本8で違いが見られ、f3統計では、標本2は現代「(本州・四国・九州を中心とする)本土」日本人と、標本8は北海道の礼文島の船泊遺跡で発見された縄文人(関連記事)、次いで現代本土日本人と最も高い類似性を示します。f4統計でも、標本8が標本2よりも縄文人と近い、と示され、標本2と標本8は遺伝的にかなり離れていることが明らかになります。主成分分析でも、標本8が標本2よりも縄文人に近い、と示されます。また、標本2も標本8も、現代韓国人より現代本土日本人に近い、と示されます。標本2も標本8も、現代本土日本人と同程度以上の縄文人系統を有している、と推測されます。

     以上、この研究の内容を、上記の朝鮮語ブログ記事に依拠してざっと見てきました。現代本土日本人は、縄文人とアジア東部大陸部から弥生時代以降に到来した集団との混合により形成され、船泊遺跡縄文人の研究で推定されているように、縄文人の遺伝的影響は9~15%と少ない、と指摘されています。しかし、この研究は、日本列島で弥生時代が始まる3000年以上前に、朝鮮半島において現代日本人と比較的近い遺伝的構成の集団が存在した可能性を指摘します。つまり、朝鮮半島に縄文人が渡り、そこでアジア東部大陸部集団と混合して形成された祖型本土日本人集団が弥生時代以降に到来し、日本列島では先住の縄文人とあまり混合しなかった可能性も想定されるわけです。(続きはソース)

    2020年11月27日
    https://sicambre.at.webry.info/202011/article_34.html


    【【古代】朝鮮半島に縄文人? 韓国・釜山の6000年前頃の人類のDNA解析】の続きを読む

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    1: 樽悶 ★ 2020/04/25(土) 22:40:38.38 ID:RIRCHAm79
    縄文人や弥生人のゲノム(全遺伝情報)の解読を通じて「日本人」の成り立ちを探る研究が進んでいる。国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤成也教授を代表に、2018年度に始まったプロジェクト「ヤポネシアゲノム」はその一つだ。

    遺伝学者、人類学者に加え、考古学者や言語学者も参加している。「沖縄で見つかっている旧石器時代の人々と縄文早期以降の縄文人は、DNA的には1万1千年前で途切れていると分かったのはほんの数年前。そのミッシングリンク(進化の欠落部分)には考古学者としても興味がある」。考古学的解析班を率いる国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎教授は話す。

    古代人のゲノム分析は細胞の小器官ミトコンドリア内のDNA解析から始まった。この手法では母方の遺伝情報しか分からないが、10年代以降、細胞に1つしかない核のDNA分析が可能となった。

    「縄文人は遺伝的には現代の世界ではどこにもいない特異な集団」と語るのは国立科学博物館(東京・台東)の篠田謙一副館長。ヤポネシアゲノムでは古代人ゲノム解析班を率いており、鳥取市の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から出土した弥生後期(1~2世紀)の人骨のDNA分析を考古班とともに進めた。「縄文系、朝鮮半島・中国大陸からの渡来系と、様々なタイプが埋葬されていた」という。

    長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡から出土した弥生後期(1世紀ごろ)の人骨も分析。長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は縄文人直系と考えられていたが、渡来系弥生人との間で混血がかなり進んでいた人たちもいることも明らかにした。「日本列島全体では、混血は弥生時代(紀元前10世紀~3世紀)で終わったのではなく、古墳時代(3~7世紀)まで1500年ほど続いたと考えられる」と篠田氏。

    プロジェクトの季刊誌「ヤポネシアン」の2020年3月号には、国立科学博物館の神沢秀明研究員による「クラウドファンディングによる古代出雲人DNAの解析」という文章が載った。出雲市の猪目(いのめ)洞窟遺跡の古墳時代とみられる層から出土した人骨を、18年12月から斎藤氏と解析した経緯を紹介するものだ。

    調査は出雲出身者で構成する「東京いずもふるさと会」が研究費を負担する形式で進められた。解析の結果、人骨は「現代本土日本人よりも僅かであるが統計的に有意に縄文的であることが明らかになった」と記す。

    「日本人」の成り立ちは「二重構造モデル」が定説とされる。最初に日本列島に住みついた人々が採集狩猟中心の縄文人を形成した。弥生時代に渡来した人々が九州に水田稲作を伝え、それが「列島中央部」に広がり、この間に縄文人の子孫と混血を繰り返す。一方、列島の南と北には縄文人の遺伝子を色濃く残す人々がいるとの見方だ。

    この説を踏まえ、斎藤氏が打ち出したのは「うちなる二重構造」という仮説。「列島中央部」をいま東海道・山陽新幹線が走る地域とそれ以外に分け、「日本人」の源流を探るものだ。「朝鮮半島に近い出雲に住む人々が、東北などと同様、縄文人の遺伝子を色濃く受け継いでいるとしたら、いわゆる『弥生人』に2種類あったのではないか」と斎藤氏は話す。

    「DNAでみると現代日本人と渡来系弥生人は遺伝的によく似ている。DNA分析では親族関係の特定もできるので、縄文・弥生社会の解明につなげたい」と藤尾氏は学際研究に期待を寄せる。

    村上由樹、中野稔、竹内義治が担当しました。

    2020/04/23 19:46
    https://note.com/xanqo_10post_jgo/n/ncab79b2a8356

    【【古代】「日本人の起源」探るゲノム 縄文・弥生の「二重構造」に新説 「現代日本人と渡来系弥生人は遺伝的によく似ている」】の続きを読む

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    1: しじみ ◆fbtBqopam767 しじみ ★ 2020/01/16(木) 23:55:58.98 ID:FQlNMQgY9
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    ◆弥生人との混血 進んでいない可能性◆

     古墳時代の出雲人は、同時代に関東で見つかった人骨や現代の日本人よりも、縄文人に近い遺伝子を持っている――。出雲市で発見された古代人骨のDNA解析から分かった。古代出雲では、大陸から来た弥生人との混血が進んでいない可能性がある。

     出雲市の出雲弥生の森博物館で昨年12月、同市の猪目洞窟遺跡で1948年に発見された古墳時代(3~7世紀)のものとみられる人骨のDNA解析結果の報告会があった。

     調査したのは遺伝子研究の専門家である国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)の神沢秀明研究員。神沢研究員によると、猪目洞窟遺跡から出た人骨7体の歯や側頭骨から骨粉を採取し、石灰やたんぱく質を溶かすなどしてDNAを抽出した。

     そのうち6体から、母系統から受け継がれるミトコンドリア内のDNA情報を解析。6体のうち3体が日本列島に元々住む縄文系、3体が大陸から渡ってきた渡来系だと判明したという。

     さらに6体のうち残存状態が良かった縄文系と渡来系の各1体について、父母両系統からの情報を受け継ぐ、細胞核内のDNA情報を調べた。

    朝日新聞
    https://www.asahi.com/articles/CMTW2001153300001.html


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    1: 樽悶 ★ 2018/07/12(木) 01:38:33.59 ID:CAP_USER9
    想定される日本人の祖先の移動ルート
    no title


     約2500年前の縄文人の人骨に含まれる全ゲノム(遺伝情報)を解析した結果、約8千年前の東南アジアの遺跡で出土した古人骨から得られたゲノム配列と似ていることが、金沢大学の覚張(がくはり)隆史特任助教(生命科学)らの研究グループの調査でわかった。縄文人の全ゲノム配列の解読に成功したのは世界で初めて。日本人の祖先が、どこから来たのかを考えるうえで注目されている。

     研究成果は11日、横浜市で開催中の国際分子生物進化学会で報告されたほか、6日付の米科学誌サイエンス電子版に発表された。

     覚張さんらの研究グループは、コペンハーゲン大学を中心とした国際研究チームと共同で調査。愛知県田原市の伊川津(いかわづ)貝塚で出土した縄文時代晩期の成人女性の人骨1体について全ゲノム解析を行った。日本のような温暖湿潤気候の地域では、人骨のDNAは劣化しやすく調査は難しいとされてきたが、最新の研究手法で縄文人の全ゲノム配列を初めて解読した。

     この結果を東南アジア各国の遺跡で出土した人骨25体や現代人のデータと比較すると、東南アジアの先史時代の人々は六つのグループに分類できることが判明。そのうちの約8千年前のラオスと、約4千年前のマレーシアの遺跡でみつかった人骨のグループのゲノム配列の一部が、伊川津貝塚の人骨と類似していた。

     日本人の祖先は、約4万年前以…

    残り:274文字/全文:831文字

    朝日新聞デジタル 2018年7月11日19時37分
    https://www.asahi.com/articles/ASL7B5V8QL7BPTFC018.html

    金沢大学プレスリリース:
    最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明
    https://www.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/07/180709.pdf

    【【科学】縄文人、ラオス・マレーシアにルーツ? 金沢大の研究グループがゲノム配列解読 】の続きを読む

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    1: 記憶たどり。 ★ 2018/03/12(月) 18:33:11.58 ID:CAP_USER9

    ◇ゲノム情報で復元は初

    国立科学博物館(林良博館長)は12日、縄文時代の遺跡から出土した人の歯からゲノム情報を解析して復元した女性の顔を公開した。ゲノム情報を利用した縄文人の顔の復元は初めてで、これまではっきりしなかった肌の色などを正確に表現している。

    復元されたのは1989年に北海道・礼文島の船泊(ふなどまり)遺跡から出土した、約3800年前の40代と推定される縄文人の女性。同館や国立遺伝学研究所などのチームが臼歯約0.2グラムから抽出したDNAを分析し、全ゲノムを解析した。

    肌や瞳の色など顔の特徴は、ゲノムに含まれる遺伝子9個から得られた。その結果、肌の色は濃く、シミができやすい▽毛髪は細くちぢれている
    ▽瞳の色は明るい茶色--であることが判明。その情報を従来の骨の形などを利用した
    復元方法に加え、より正確に女性の顔を復元した。ほかにも全ゲノムからは、この縄文人女性は血液型がA型であることや、アルコール分解酵素を持っていることも分かったという。

    チームを主導した同館の篠田謙一副館長は「ほんの数グラムというわずかな骨からでも、DNAさえあれば古代人の顔の復元が可能となった。標本を見て、現在のゲノム研究のレベルを実感してほしい」と話している。復元された顔は、13日から始まる同館特別展「人体-神秘への挑戦-」で公開される。


    ゲノム情報を使って復元された縄文人女性の顔(右)とその基となった頭骨
    no title

    ヤフーニュース(毎日新聞)
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180312-00000064-mai-sctch 

    【【歴史】これが縄文人の顔。瞳は明るい茶色。国立科学博物館が全ゲノムを解析し肌の色などを正確に表現 】の続きを読む

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