かたすみ速報

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    タグ:高句麗

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    1: @仮面ウニダー ★ 2024/10/29(火) 07:21:29.12 ID:eoBD/ewY
    中国当局が高句麗と渤海を中国の「辺疆政権」とで記述した大学用教材を発行し、関連オンライン講座を開設したことが確認された。
    学界では「少数民族まで一つの中華民族として見る、いわゆる『中華民族共同体』論理で歴史を再構成する動き」としながら
    「東北工程の完結版」という批判が出ている。

    27日、中国国家民族事務委員会と消息筋によると、中国政府が今年3月『中華民族共同体概論』(以下『概論』)を出版して
    少数民族地域内の大学などを中心に関連講義を開設し始めた。

    また、最近では大学生はもちろん一般人にも公開されるオンライン講座も開設した。
    13日、北京の伝媒大学では代表著者である潘岳・国家民族事務委主任(64)が出席した中で講座サイト開設記念式も開かれた。
    中国共産党統一戦線部副部長を兼ねている潘氏は、記念式で「教室から画面へ、キャンパスから社会へ伝播し、読者層と魅力を強化
    しよう」と注文した。

    国家民族事務委員会は中国の少数民族関連の政策を総括する国務院傘下機関で、これまで中国内のすべての民族の同質性を
    前面に出す事業を強化してきた。

    特に中華民族共同体論理は2008年3月チベット・ラサで起きた僧侶騒乱、2009年7月新疆ウルムチで発生した漢族とウイグル族の
    間の流血衝突などを背景に登場した。今回の本発行とオンライン講義の開設も「古代から中国は一つ」という論理で中国内の民族分裂を
    防ぐことを目的に出されたものと評価することができる。

    中央日報が入手して調べた結果、『概論』には「東北方向には前後に高句麗や渤海国など辺疆政権が存在した」という叙述が登場する。
    2004年東北工程段階で高句麗史を「少数民族の地方政権」と叙述したこととは違い、今回は少数民族という表現も削除した。

    これに関連し、韓国の高句麗史専門家でソウル教育大学名誉教授のイム・ギファン氏は「東北工程の領土論を越えて文明論に
    進化したようだ」と指摘した。

    東北工程では西暦427年高句麗が首都を国内城(現在の中国集安)から平壌(ピョンヤン)に遷都したことを基準として中国史と
    韓国史に区分したこととは違い、今回は「単一の文明」としながら高句麗史全体を自国の歴史に編入させようとしているという解釈だ。

    イム氏はまた「高句麗の中国式制度および漢字使用を強調して『中華文明が受容された』という論旨を展開している」と指摘した。
    実際、『概論』では「漢字は高句麗人の通用文字で、現存する『好太王碑(広開土大王碑)』などはすべて漢字で記されている」
    「高麗(高句麗)、百済、新羅、古昌、吐蕃などの各国の酋長が子弟を送って国学に入学を要請した」と記述している。

    これに先立ち中国は2019年中学世界史の教科書審議本で「高麗は当時中国東北辺疆の民族政権だ。もともと高句麗と称した。
    高麗の名称は南北朝時期に始まった」と記述した。
    当時これを事前に把握した韓国の東北アジア歴史財団や韓国外交部などの抗議でこの内容は結局反映されなかった。

    だが、概論は「民族政権」という表現をなくして「辺疆政権」と表記した。
    このような高句麗の叙述は2022年中国国家博物館の韓中日青銅器展示会で高句麗と渤海を削除した韓国史年表を掲載したが、
    中央日報の報道(2022年9月12日付12面)以降に撤去したことと同じ脈絡とみられる。

    概論の普及は中国内「民族団結」を強調する法律の制定などに後押しされて一層加速する見通しだ。
    7月に開かれたた共産党第20期中央委員会第3回全体会議(3中全会)では「民族団結進歩促進法を制定し、中華民族共同体意識を
    確立する制度とメカニズムを完成し、中華民族の凝集力を増強する」とし、関連法制の登場を予告した。
    ー後略ー

    全文はソースから
    10/28(月) 10:03配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/dda6ec83efbe7d653fc60a015fa5b64ab1c42962

    【【中国でも韓国でもないけど】 「高句麗・渤海は中国の辺疆政権」…中国、「東北工程完結版」教材を発行】の続きを読む

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    1: ばーど ★ 2024/08/08(木) 11:57:25.35 ID:vsyQIc0b
    高句麗時代を背景にした動画配信サイトTVING(ティービング)のオリジナルドラマ『于氏王后』が公開前から考証をめぐる議論に包まれた。

    複数のオンラインコミュニティでは29日に公開される『于氏王后』のティーザー動画、スチールカットと関連して考証議論がふくらんだ。劇中の人物の衣装と髪型が中国風という指摘が出ているのだ。

    問題になったのは高句麗の最高官職であり諸加会議の首長である国相の乙巴素(ウルパソ)、高句麗王位継承候補である高発岐(コ・バルギ)、高男武(コ・ナムム)の姿だ。

    ネットユーザーは彼らの髪型やまげ、衣装などがいずれも戦国時代や辰韓時代を背景とした中国史劇を連想させるという意見を出し懸念を示している。

    特に乙巴素は劇中の主要人物であり歴史的にも広く知られた人物だが、この人物の衣装とまげを中国風に設定したことに対し批判が大きくなっている。

    あるネットユーザーは高句麗時代の高位宰相として登場する乙巴素の姿が戦国時代後期を描いた中国ドラマ『大秦帝国4大秦賦』に登場する俳優の姿と似ていると主張した。

    また別のネットユーザーは「高句麗を背景にした史劇なので鳥羽冠、金銅冠が出てくるべきだった。それが中国と明確な差異点だ。100%の考証は大変でも最大限似せなければならなかった」と指摘した。

    鳥羽冠は高句麗の古墳や壁画などさまざまな史料に登場する羽毛製の装飾で、高句麗を代表する冠やまげのスタイルだ。高句麗だけでなく新羅、百済など三国時代の国が使っていたともされる。金銅冠もやはり当時の中国と高句麗の衣装を区分する要素に挙げられる。

    このほかにも衣服の前合わせが高句麗と中国では逆になるが、乙巴素は中国式の着こなし登場していることに対して批判が出ている。

    さらに「東北工程など中国の歴史歪曲問題が続いている状況で于氏王后がこれに力を与えるのではないか」という懸念まで提起されている状況だ。

    実際に『于氏王后』のティーザー動画とスチールカットが公開されてから中国の一部ネットユーザーは「韓国は中国文化をコピーするのが好きだ」「辰韓時代の時に韓国は中国の従属国だったのか」などと嘲笑するような反応を見せている。

    TVINGはこうした議論に対し「『于氏王后』は歴史に記録された人物を基盤に再創作された史劇」と明らかにした。

    続けて「確認可能な関連史料文献と記録に基づいて専門家らの諮問を受けており、記録が存在しない時代像はドラマで表現するために想像をベースに創作した。『追撃アクション史劇』という異色のコンテンツとして期待してほしい」との考えを伝えた。

    TVINGオリジナルシリーズ『于氏王后』は突然の王の死で王位を狙う王子らと権力を握ろうとする5つの部族の標的になった于氏王后が24時間以内に新たな王を立てるために孤軍奮闘する追撃アクション史劇だ。俳優チョン・ジュンソ、キム・ムヨル、チョン・ユミ、イ・スヒョク、パク・ジファン、チ・チャンウクらが出演する。チョン・ジュンソは校内暴力をめぐる議論から4カ月ぶりのカムバック作だ。

    中央日報日本語版 2024.08.08 10:54
    https://japanese.joins.com/JArticle/322173
    no title

    【「韓国は中国の従属国だったか」中国ネットユーザー嘲弄…韓国ドラマ『于氏王后』の考証が議論に】の続きを読む

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    1: 新種のホケモン ★ 2022/10/17(月) 14:11:49.41 ID:CAP_USER
    【略】

    ◆朝鮮民族が中国全土を支配した?

    11世紀頃、黒水靺鞨の女真族は強大化していき、完顔阿骨打という女真族の族長が1115年に金を建国します。金は内満州や外満州のツングース系民族の大半を統一し、モンゴル系の遼を滅ぼします。さらに北宋を滅ぼし、華北(中国の北半分)を征服するに至ります。金王朝は中国を支配した最初のツングース系民族の王朝でした。

    この金王朝の建国者の出自について、韓国の学者たちが独自の説を打ち立てています。10世紀半ばに完顔函普(かんぷ)という女真族の族長がいました。この人物は金を建国した完顔阿骨打の150年前の祖先に当たります。

    『金史』には、「金の始祖である函普は高麗に由来する」という記述があります。高麗は10世紀に王建(ワンゴン)が建国した朝鮮王朝で、新羅に続く2番目の統一王朝です。この高麗が英語のKorea(コリア=韓国)の語源となります。高句麗も高麗も同じもので、「句」の字を入れる「高句麗」という言い方が古い表現であるため、古代の高麗を「高句麗」と表記し、中世の高麗を「高麗」と表記して、一般的に使い分けています。王建は高句麗の後継者を自任し、国号にもこれを使ったのです。

    韓国の学者たちは、この高麗の出身である完顔函普は朝鮮民族であり、その子孫の完顔阿骨打がつくった金王朝は朝鮮民族が建国した国家であると主張しているのです。高麗の出身というだけで、なぜ完顔函普が朝鮮民族になるのか、その根拠は明らかではありません。完顔氏ら女真族は朝鮮人と密接に関係し、混血していますが、朝鮮民族という範疇には入りません。

    韓国の学者たちは、朝鮮民族の完顔函普の血を引く完顔阿骨打が中国に進出し、漢民族を蹴散らし、中国を征服したという民族の躍動史をよく認識すべきだと言います。また、完顔函普は新羅の王族だったという根拠不明な主張をする学者もいます。

    さらには、金王朝の後継である清王朝も同様に、朝鮮民族が建国した国家であるので、朝鮮民族が17世紀以降、中国全土を支配したことになるというのです。東洋大学校の金雲会教授は清の皇族姓の愛新覚羅について、「新羅を愛し、記憶する」という意味が込められていると主張しています。

    「愛新覚羅」は「アイシンギョロ」と読みますが、「アイシン」は「金」を意味します。「金」は満州語で「アンチュン」と発音します。「ギョロ」は黒竜江省にある女真族の祖先の土地の名です。かつての国名と土地の名を組み合わせて、「アイシンギョロ」としたものに「愛新覚羅」という漢字を当てたに過ぎません。「新羅を愛し、記憶する」という意味などありません。

    ◆『金史』の記述の謎

    しかし、問題はなぜ『金史』に金王朝建国者の始祖が高麗に由来するということが書かれているのかです。『金史』に記されている「高麗」は中世の高麗を指すものではなく、古代の高句麗を指していると考えられます。6世紀の南北朝時代から隋唐時代の中国史料で、高句麗は「高句麗」とは表記されなくなり、「高麗」と表記されるようになります。『金史』の「高麗」も高句麗のことだと考えられるのです。また、『金史』の中では、完顔函普に言及したところ以外にも「高麗」と記されている箇所が随所に見られますが、これらは高麗ではなく、「高句麗」を指していると思われます。

    満州族にとって、高句麗は満州全域から朝鮮半島北部につくられた栄光の古代国家と記憶されており、始祖が高句麗の出身であるとすることで、彼らの正統性を高めようとする狙いがあったと推察されます。

    さらに述べるならば、完顔函普が高句麗に関係していたということも信頼に値しません。女真族は靺鞨族の後裔です。靺鞨族は外満州にいた粛慎を始祖とします。一方、高句麗は扶余族が作った王朝で、扶余族は内満州にいた濊貊(わいはく)を始祖とします。両者は同じツングース系民族ですが、系譜が異なります。

    完顔函普が高句麗に由来する一族ならば、女真族は濊貊の子孫ということになってしまい、歴史の事実とは一致しません。『金史』に記されている一文をもって、韓国の学者たちが主張する「女真族の起源は朝鮮人だった」「金王朝や清王朝は朝鮮民族が建てた国家であり、朝鮮史の一部である」という理屈は通らないのです。

    また、清王朝の草創期において、朝鮮は女真族を「オランケ」(朝鮮語の「野蛮人」という意味の蔑称)と呼びました。朝鮮は、自らを中華文明の信奉者とする「小中華思想」を掲げ、女真族のような蛮族が漢民族に楯突くのは道理に反していると怒り、女真族と戦うことを宣言します。

    【続く】

    宇山 卓栄
    2022.10.17
    https://gendai.media/articles/-/101006?imp=0

    【「朝鮮民族が17世紀以降の中国を支配」説?韓国側の主張はいつも稚拙なこじつけに終始】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/09/25(日) 21:45:28.83 ID:CAP_USER
    【コラム】「東北工程は学術問題」という中国のうそ
    ・政治の論理で高句麗史を歪曲しておいて「学問の領域」だと強弁する中国
    ・今度は古朝鮮の歴史すら否定…韓国史全体を横取りしようというのか

    中国の高句麗史歪曲(わいきょく)で韓国全体が騒然としていた2004年9月、ソウルで高句麗史の国際学術大会が開かれた。中国からやって来た東北工程の主役学者らの中で、ある老学者が暗い表情をしていた。延辺大学渤海史研究所長を務めた朝鮮族の方学鳳氏だった。

    中国の学者らが「高句麗は中国史の一部だ」「高句麗は中国の歴史が多民族の大家庭を築く過程の一つだった」と声高に強弁しているとき、彼はおおむね沈黙を守っていた。生涯にわたり高句麗と渤海の歴史を研究してきた彼もまた同じ考えなのだろうか? 最後に壇上に立ち、質問を受けると、方所長はうっすらほほ笑みを浮かべつつ控え目に語った。

    「私の論文で高句麗の城を都城と書いたのは、一国の首都という意味です」

    どういう意味なのかすぐに理解できた。「高句麗は中国の地方政権ではない」と婉曲(えんきょく)的に言及したものだったが、それ以上の言葉はなかった。こういうことすら政治的問題のせいで遠回しに言うしかない彼の存在が、まるで、かつて中国の地に残った高句麗の遺民のような境遇に思えた。

    最近、中国・北京の国家博物館における韓中日青銅器遺物展で、韓国の歴史年表から中国側が勝手に「高句麗」と「渤海」を削除し、物議を醸した。これについて中国外交部(省に相当)は「学術問題は学術の領域で専門的な討論とコミュニケーションを行うことができ、政治的操作をする必要はない」とコメントした。

    果たしてそうなのか? 中国の東北工程は、学者らの「学術的議論」ではなく、当初から徹底して政治的な工作だった。1963年に周恩来首相が「鴨緑江の西側が有史以来中国の地だったというのはでたらめな論理」と言ったように、中国は1970年代まで、高句麗は韓国史の国だということを否定しなかった。

    しかし1980年代、自国内の諸民族の歴史も中国史だという「統一的多民族国家論」が本格化したことで変わり始めた。現在の中国の地にかつて存在していた高句麗は中国の歴史だ-というわけだ。この論理の通りなら、今のトルコ領タルススで生まれた使徒パウロはトルコ人で、今のロシア領カリーニングラード出身のイマヌエル・カントはロシアの哲学者ということになる。

    2002年から5年にわたって公式に進められた東北工程の主体である「辺境史地研究中心」は、中国国務院の傘下にある社会科学院の一機関だった。明らかに国策研究だった。2004年に韓中政府は、高句麗史問題に政治的に介入しないという口頭合意を交わしたが、吉林省社会科学院の「東北史志」は2017年まで発行されて歴史侵奪を継続し、百度百科などは高句麗が中国史だとする「固め」作業に入った。

    さらに大きな問題は、中国の歴史侵奪は高句麗・渤海にとどまらないということだ。「中国社会科学院が研究書『古代中国高句麗歴史総論』で“百済と新羅も中国史の一部”と主張した」という記事を書いたのは2007年のことだった。その時点では「まさかそこまでやるとは」と半信半疑な人が多かったが、10年後の2017年、米国のドナルド・トランプ大統領(当時)は、「韓国は歴史的に中国の一部」だという習近平国家主席の言葉を伝えた。

    今回の年表歪曲問題で、ほとんど注目されなかった部分がある。年表の原資料を提供した韓国国立中央博物館は、古朝鮮の建国年代を紀元前2333年としていたが、中国側はこれを「古朝鮮 年代:?~紀元前108年」と書き換えた。古朝鮮の歴史全体を否定し、中国側が地方政権と見なしている末期の衛満朝鮮のみ認めるという下心が透けて見える。

    中国は最後までこの年表を修正することなく、撤去した。トランプが聞いたという習近平の言葉のように、中国が韓国史全体を「属邦」の歴史として横取りしようとしていると見るべき、相当な理由があるのだ。

    兪碩在(ユ・ソクチェ)記者

    朝鮮日報日本語版
    https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/09/22/2022092281164.html


    【【朝鮮日報】 「東北工程は学術問題」という中国のうそ…韓国史全体を横取りしようというのか】の続きを読む

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    1: Ikh ★ 2022/09/18(日) 07:46:08.74 ID:CAP_USER
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    【ソウル聯合ニュース】韓中日の博物館が中国・北京の中国国家博物館で共催中の特別展で韓国史の年表から高句麗と渤海の建国年が削除されていた問題で、韓国の国立中央博物館は16日、中国国家博物館がこの韓国史年表に加え、会場にあった中国史と日本史の年表も撤去したと伝えた。

     この特別展は韓中国交正常化30周年と中日国交正常化50周年に合わせ、古代の青銅器をテーマに7月から開催されている。だが会場では、韓国国立中央博物館が提供した韓国史の年表がその通り表示されず、高句麗と渤海の建国年が削除されていた。

     国立中央博物館はこれを13日に知り、抗議の書簡を2回送ったうえで、中国側が是正要求を受け入れないなら展示品の撤収も辞さないと強硬姿勢を示した。これに対し、中国側は韓国史年表の撤去を表明していた。

     中国側が年表の内容を正さず撤去を選んだことを巡っては、その場しのぎにすぎないとの指摘もある。

     国立中央博物館の関係者は「内部で検討が行われたようだ。両国間の文化交流、今後の協力などを考えた決定とみられる」と説明している。

     特別展は来月9日までで残り3週間ほどしかなく、年表を作り直して内容を確認するには時間が足りない。また、韓国側の担当者が北京に赴いたとしても、中国の新型コロナウイルス対策による入国時の隔離期間などを踏まえるとすぐには会場で展示内容を確認するのは難しいとされる。

     中国は高句麗と渤海を古代中国の地方政権だったと主張し、韓国との間で問題になっている。

    Yahoo!Japan/聯合ニュース 9/16(金) 11:28
    https://news.yahoo.co.jp/articles/5ef1238bbc301d9fcbace9e02f0a696b33802de7

    【【東北工程】中国博物館が高句麗削除の韓国史年表撤去 日中の年表も外す】の続きを読む

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    1: きつねうどん ★ 2022/09/13(火) 19:05:24.62 ID:CAP_USER
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    中国・北京の天安門広場東側に位置する国家博物館全景。シン・キョンジン記者

    韓国国立中央博物館は13日、中国国家博物館で高句麗を削除した韓国史の年代表が展示され議論が起きていることと関連し、「中国側が中央博物館から提供した韓国史年表を任意に編集したもの」と釈明した。

    国立中央博物館はこの日報道資料を通じ、「今回の特別展は第12回韓中日国立博物館長会議の付属行事で、7月26日から10月9日まで会議開催機関である中国国家博物館で行われている。展示に先立ち6月30日に韓国史年表を提供したが中国側が任意に編集して作成していた事実を記事を通じて認知することになった」と明らかにした。

    続けて「通常展示に使われる資料は提供した側の資料を誠実に反映することが国際的慣例。今回の中国側の態度は信頼関係を損ねるものでとても憂慮している」とした。

    その上で「これに対し韓国国立中央博物館は中国側に即時修正と謝罪を強く要求した」と明らかにした。国立中央博物館は「今後も韓国の歴史と文化を外国に正しく伝えられるように最善を尽くしたい」と付け加えた。

    この日中央日報が報じた『韓国史年表から高句麗をまるごと削除…中国博物館東北工程の姑息な手法』によると、中国国家博物館は7月26日から韓中修交30周年と日中国交正常化50周年を契機に「東方吉金:中韓日古代青銅器展」という特別展を開催した。

    展示の中で問題になったのは「韓国古代歴史年表」だ。約70万年前から1910年までを石器時代・青銅器時代・鉄器時代に分類した韓国史年表では鉄器時代をさらに古朝鮮末期から新羅、百済、伽耶、統一新羅、高麗、朝鮮の順で区分しているが、高句麗と渤海が抜けたまま表記された。特に紀元前37年に建国した高句麗は最初から紹介されていなかった。

    一方、今回の特別展は第12回韓中日国立博物館長会議の付属行事で、国立中央博物館は2006年から日本の東京国立博物館、中国国家博物館とともに会議を2年ごとに開催しており、付属行事として特別展を開催している。

    中央日報
    https://s.japanese.joins.com/Jarticle/295468

    【「韓国史年表から高句麗削除した中国」…韓国国立中央博物館「中国が任意に編集…謝罪を要求」】の続きを読む

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    1: 樽悶 ★ 2021/05/16(日) 18:56:26.08 ID:mjfgVUMG9
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     朝鮮半島最高峰で中朝国境をまたぐ白頭山(ペクトゥサン)=中国名・長白山(Changbaishan)=に関連し、韓国側で「中国側が“自国の山”という認識を定着させようとしている」との懸念が浮き沈みしている。国際社会で強硬姿勢を取り続ける中国が、白頭山についても「その一帯はずっと中国王朝の行政管轄下にあった」などと畳み掛ける可能性があり、韓国側は神経を尖らせている。

    ◇神秘的な装い

     この山は、北朝鮮両江道(リャンガンド)三池淵(サムジヨン)と中国吉林(Jilin)省延辺(Yanbian)朝鮮族自治州にまたがる。標高約2750mで、山頂にあるカルデラ湖「天池」が神秘的な装いを見せることから、中朝国境をまたぐ朝鮮民族の信仰の対象となっている。

     白頭山信仰は北朝鮮で際立っている。抗日パルチザン闘争を繰り広げた建国の父、金日成(キム・イルソン)氏らが秘密拠点を構えた「革命の聖地」とし、その息子・金正日(キム・ジョンイル)氏もここで誕生したと宣伝している。北朝鮮では最高指導者の直系を「白頭血統」と呼び、山自体が金王朝の正統性を象徴する政治用語と化している。

     一方、中国側、特に同自治州には、朝鮮民族でありながら中国人として生きる「朝鮮族」が数多く住み、幼いころから「中国・延辺の名山=長白山」と親しんでいる。中国当局もこの山を、泰山(山東省)、黄山(安徽省)、華山(陜西省)などとともに、自国の「十大名山」としている。

     朝鮮民族を魅了してやまないこの「天池」は、中朝で分割され、面積の割合は北朝鮮54.5%、中国45.5%になっている。5対5ではなく中国側が譲歩した形になっているのは、境界が決まった1960年代、ソ連(当時)と激しく争っていた中国が、親中路線を取っていた北朝鮮に配慮したためといわれる。

     韓国側でも「この山は聖地であり霊山である」という思いが強い。

     文在寅(ムン・ジェイン)大統領が2018年9月、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長(肩書は当時)と訪れた際には、韓国世論は興奮し、メディアは大々的に報じた。

    ◇「国際社会から『白頭山』の名が消える懸念」

     その韓国で最近、この「聖地」をめぐり、不安の声が持ち上がっている。

    「中国は自国内で『白頭山』の商号を使用禁止にしている。地図からも『白頭山』の名前が消えている」

    「『白頭山』の単語が使われていた学校はすべて改名させられている」

     こうした懸念を背景に、国立・韓京(ハンギョン)大は「白頭山を守るための方法を模索する」として、2020年12月、「白頭山研究センター」を設立した。

     先月28日開かれた設立記念の学術大会で、同センター所長を務める尹輝鐸(ユン・フィタク)韓京大教授は「中国が山を“自分たちのもの”であるとする主張を強化している」と警戒心をあらわにした。

     具体的には「中国はこの山の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界ジオパークへの単独登録を目指している。登録されれば、国際社会から『白頭山』の名が消滅する懸念がある」「中国が北京冬季五輪(2022年)の聖火を天池で点火すれば、世界中の人々が『あそこは中国の山』と認識してしまう」との見方を明らかにした。

     背景にあるのが、中国東北部(旧満州)の歴史研究を目的として1997年に始まった中国の国家プロジェクト「東北工程」。この中で中国側は高句麗や渤海などを「中国史における地方政権」として扱ったことから、韓国で「韓国古代史のわい曲」と批判が巻き起こり、2006年には外交問題に発展した経緯がある。

     白頭山問題も、これと同一線上にある。

     この年には中国側が▽冬季アジア大会の聖火を天池で点火▽中国社会科学院の学者が研究論文で「周や秦の時代からあと、長白山一帯はずっと中国王朝の行政管轄下にあった」と主張▽中国人民解放軍が長白山で軍事訓練を実施――などに打って出て、韓国側を不安に陥れていた。

     白頭山にかかわる当事者・北朝鮮にとっても、中国側の措置は言語道断だ。北朝鮮は現在、山麓に位置する三池淵での開発を進めるとともに、中国に対抗するかのように2020年5月、白頭山地域の世界ジオパーク登録に向けた取り組みを進めていると、公式報道を通じて明らかにしたこともある。

    5/13(木) 15:42
    https://news.yahoo.co.jp/byline/nishiokashoji/20210513-00237700/


    【【韓国vs中国】高句麗や渤海「中国史における地方政権」 中国が朝鮮の聖地「白頭山」で仕掛ける“強気の上書き”に韓国が戦々恐々】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2021/04/19(月) 15:02:44.90 ID:CAP_USER
    no title

    京仁日報は放置されている高句麗の城郭や国立高句麗博物館がない現実を探った。/京仁日報DB
    no title


    今の大韓民国に至るまで私たちの歴史の中には多様な過去がありました。全て私たちの立派な養分ですが、その中でも気概にあふれて豪放な歴史を誇り、私たちが胸を張れる国は「高句麗」です。

    半島に閉じ込められた今の姿とは異なり、大陸に向かって馬首を向け満州原野に号令した高句麗の歴史を習う時、私たちは胸中に熱い何かがわく気持ちを感じました。

    そんな高句麗の精気をうけつぐ私たちの現在はどうでしょう。去る5日、京仁(キョンイン)日報1面には高句麗の古城がちゃんと保存されず軍事陣地として壊れた姿が報道されて衝撃を与えました。

    漣川郡(ヨンチョングン)嵋山面(ミサンミョン)に位置する高句麗堂浦城遺跡は「国家文化財」に指定された高句麗と新羅の境界で軍事的要衝地であった場所です。臨津江(イムジンガン)本流と支流の川が接する地点に位置し、自然に形成された13メートルの高さの天然奏上節理城郭が特徴です。

    城郭内には橙色の日除け幕と色あせた緑色の出入り口があって丘付近には地下壕と推定される陣地があります。城郭に向かう坂道には廃タイヤを積んで作った塹壕と陣地も設置されました。

    ここだけでしょうか。去る14日、京仁日報には取材陣が訪れた京畿北部のあちこちにある高句麗遺跡を見て回ったが、長時間放置されてそこが高句麗遺跡なのか分かりません。

    京畿道は全国で高句麗遺跡が最も多いところです。現在知られた京畿道内高句麗遺跡だけで63ヶ所に達します。特に京畿北部に62ヶ所が集まっていますが、これは京畿北部地域が三国時代の戦略的要衝地で高句麗・新羅・百済が激しく争った場所だからです。

    しかし、高句麗を扱った国立博物館は目を洗って探しても有りません。高句麗遺跡が最も多い京畿道はもちろん、全国のどこにもありません。

    新羅遺跡が多い慶州には「国立慶州博物館」が、百済遺跡が多い公州には「国立漢城百済博物館」があり、さらに伽耶遺跡が多い金海(キムヘ)にも「国立金海博物館」が設立されているのとは対照的です。その上、京畿道と九里市が予算を入れて作った九里峨嵯山高句麗鍛冶屋村展示館が国内唯一の高句麗専門展示館です。

    残念なのは地方自治体も、歴史学界も国立高句麗博物館の必要性を何度も強調しながら政府に予算などの支援を切実に要請してきたのに黙殺されていることです。

    最近、私たち固有のキムチ、韓服など生活の奥深い文化まで歪曲されて論議が大きくなっています。高句麗はずっと以前から中国東北工程の常連メニューでした。「過去を忘れた民族に未来はない」という命題を知っているでしょう。私たちがしなければならないことは何でしょうか。

    /コン・ジヨン記者

    京仁日報(韓国語)
    http://www.kyeongin.com/main/view.php?key=20210418010003333


    【【遺跡は北朝鮮や満州】 中国東北工程の常連「高句麗」、でも韓国には国立博物館さえ無い】の続きを読む

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    1: 昆虫図鑑 ★ 2021/03/07(日) 08:18:35.47 ID:CAP_USER
    kr250
    徐吉洙・元西江大学教授
    「東北工程の後、歴史侵奪が続いている…中国は今や『固め作業』に入った」

    「最近持ち上がった『韓服工程』や『キムチ工程』は、中国の韓国歴史侵奪を既成事実化する過程で生じたものだ。韓国人が黙っていればいるほど、歴史侵奪は強固になり、覇権主義の逆襲を受けることになるだろう」

     中国が、韓国古代史を自国史の一部として歪曲(わいきょく)した東北工程(2002-08)の後も歴史侵奪を続け、現在は韓国史全体を侵奪する状況に至った-という研究結果が出た。徐吉洙(ソ・ギルス)高句麗・高麗研究所理事長(元西江大学教授)は1日、オンライン発表予定の「東北工程侵奪報告」の原稿でこのように明かした。

     中国の東北工程は、2004年8月に「政治問題化することを防止したい」などからなる韓中両国の5項目口頭了解が行われた後、水面下に隠れた。しかし中国共産党吉林省委員会宣伝部などを中心に東北工程の作業は継続され、07年1月まで5年間の計画だった東北工程を2年延長して08年末まで強行したという。

     こうして歴史侵奪を終えた中国は「固め作業」に入り、吉林省社会科学院が発行した学術誌『東北史志』を通して2016年まで歴史歪曲を続けた。その結果、古朝鮮・高句麗・夫余・渤海は「中国史の一部」にすり替わり、新羅・高麗・朝鮮王朝の歴史は「中国の半属国」に格下げされた、と徐教授は指摘した。

    その結果、世界の中国語ユーザーの80%が使うポータルサイト「百度」の百度百科に、この歪曲内容がそのまま反映されたという。百度百科の「古朝鮮」の項目には「文化はもちろん血縁の属性のような全てが、こんにちの大韓民国や朝鮮の歴史に属さない中国古代の地方政権」と記され、「高句麗」の項目では「中国の中央王朝の地方行政組織の特性を有した」「主権を持った独立国家ではなかった」として、中国史の一部だという東北工程の論理をそのまま反映した。2017年4月に米国のドナルド・トランプ大統領が伝えた「韓国は歴史的に中国の一部」という習近平国家主席の発言は、こうした背景から出てきたものだと徐教授は主張した。

     徐教授は「『最後のとりで』と考えられていた中国の歴史教科書すら、最近では歪曲の動きが見えている」と語った。かつて『初級中学課本 中国歴史』では「隋の煬帝は絶えず隣国(高句麗)を攻撃した」と書いていた。しかし2016年の『中国歴史』教科書では、高句麗という国名すら示さず「隋の煬帝が遼東を3回討った」と書き、隋と高句麗の戦争が中国と外国の戦争ではなくまるで中国の内戦であるかのように記述したという。徐教授は「こうした中国の覇権主義歴史侵奪はアジアと世界の平和に逆行するもの」と語った。

    朝鮮日報
    http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/03/05/2021030580005.html

    【【韓国教授】「隋の高句麗侵略…中国の教科書は内戦と記述」「韓国は歴史的に中国の一部」】の続きを読む

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    1: 荒波φ ★ 2021/02/08(月) 10:36:59.71 ID:CAP_USER

    koukuri
    中国メディアの騰訊網は7日、吉林省・集安市にある高句麗時代の墓から盗掘されて韓国国内に持ち込まれた壁画の話題を紹介した。

    記事は冒頭部分で、「韓国は歴史上、長期にわたって中国中央王朝の属国だった」などと強調した。

    盗掘の被害にあったのは、ユネスコの世界遺産に2004年に登録された「古代高句麗王国の首都と古墳群」の構成要素の一つである同古墳群第1号古墳第3墓室にあった壁画だ。

    韓国古美術協会の高級幹部の依頼を受けて、中国人が盗掘したとされている。盗掘の実行は1997年で、複数の中国人盗掘者に対して2003年に死刑の判決が言い渡された。

    記事によると、死刑が言い渡された被告の中には、集安市朝鮮文化館長だった者もいたという。

    騰訊網の記事は冒頭部分で、「韓国は歴史上、長期にわたって中国中原王朝(中国中央王朝)の属国だった。明・清の時期には、韓国の前身である朝鮮王朝(李氏朝鮮)はやはり、中国に対して自らを臣と称し、中国を宗主国とみなした」と紹介。

    さらに、「明代万暦年間(1573-1620年)には、日本に攻め寄せられて敗北した朝鮮を救うために明朝が出兵した際には、朝鮮国王の宣祖が感涙にむせびながら『中国は父母なり。我が国と日本は子のような外国なり。父母の子としての言葉をもってすればすなわち、わが国は孝子なり。日本は賊子なり』と述べた(宣祖実録)」と紹介した。

    記事はまた、朝鮮王朝について「全面的に漢化した王朝と言える。朝廷制度や君臣の礼儀、服飾衣冠、文字詩詞は、すべて中国と同じにした。儒教文化は朝鮮人の生活のすみずみに浸透した」と、歴史上の朝鮮が中国化していたと主張した。

    記事は、現代の韓国については「そのようなイメージから脱却しようとしつ続けてきた。彼らは脱中国化をする一方で、中国の伝統文化を盗み、韓国人の伝統文化と言いだす。その目的を達成するために、韓国人は手段を択ばず我が国の文化財を直接盗むようなていたらくにまでなった」と評した。

    集安市の古墳盗掘事件については、「罪の元凶は韓国人」と論じた上で、「集安市は夏・商の時代から我が国に属していた」と論じ、高句麗時代(紀元前1世紀-668年)には現在の集安市が「国内城」と呼ばれる首都に定められたこともあると紹介した。

    なお、「夏」は文献上で中国最古とされる王朝だが、実在まだ証明されていない。「商」は考古学により実在が確認された最も古い中国の王朝。日本では「殷」と呼ばれることが多い。

    記事はさらに、漢朝を短期間中絶させて「新」という中国中央王朝を樹立した王莽は、高句麗に対して不満を持ったため、「高句麗」を侮辱するために国名を「下句麗」と変えさせたと紹介。

    「このことは、高句麗が中原王朝の属地だったことを確実に説明している」と主張した。

    中国政府は、韓国国内の博物館の展覧会で披露された壁画が、集安市の古墳から盗まれたものと確認すると、中国側に対して徹底的な操作と壁画の返還を求めた。

    韓国側は対外的には捜査チームを発足させ、徹底捜査をすると宣伝したが、長年が立っても結論は一向に出ず、返還が実現していないことは「言うまでもない」という。


    2021年2月8日(月) 10時20分 Record China
    https://www.recordchina.co.jp/b871804-s25-c30-d0198.html

    【【中国メディア】古墳の壁画盗掘事件「罪の元凶は韓国人」、「かつてはわが属国だった」とも 】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2020/09/12(土) 19:46:09.20 ID:CAP_USER
    no title

    ▲ホン・スンジュ歴史コラムニスト.(c)ブレーキニュース

    百済は温祚(オンソ)が建ててその血統が万世一系に続いたわけではなく、一つの王暦の中に二つの王権勢力だった温祚系と沸流(ピリュ)系の王たちが混在して現れる。

    日本でも同じように日本書紀に出てくる天皇派閥は百済系一つの万世一系と見られるが、実は新羅系(天武天皇)と高句麗系(顕宗)の王統が混ざっている。一方、日本で新羅系が現れる代表的な事件は大化改新および壬申の乱に続く天武天皇の登場が挙げられる。ここでこれに対する歴史的背景を一度見てみることにしよう。

    まず645年に倭列島で起きた政変を大化改新という。これは百済系蘇我氏の勢力が大きくなるとすぐに中大兄皇子がこれを排除するために藤原鎌足と共に倭列島奈良飛鳥地域に新羅勢力を引き込む。

    この時、新羅からは大海人として出てくる新羅貴族キム・タチュク将軍が率いる新羅支援軍を派遣して奈良飛鳥軍を制圧し、蘇我入鹿大臣を除去する。この事件で百済系、皇極女王(義慈王(百済最後の王)の妹)が退いて孝徳天皇が新しく即位する。

    その後、金春秋(キム・チュンチュ)が倭列島に入って唐の高向玄理(たかむこ の くろまろ)を国博士にたて唐留学生と僧侶が主導して新羅式政治改革を推進したことを意味する。

    一方、羅唐連合軍によって百済が660年に滅亡した後、鬼室福信と黒歯常之将軍によって多勿戦争が3年間行われる。この時、倭列島から百済王として来た扶余豊王(義慈王の息子)を軍事支援した中大兄皇子(義慈王の別の息子、扶余勇)が最終的に663年、白村江戦闘で大敗して百済復国が失敗に終わる。

    これで中大兄皇子が668年に第38代天智天皇(日本書紀式の名前)として即位する。その2年後、670年ごろ日本(ヒノモト)国を建てるが、これは<日が昇る地>という意味で百済人が自らを呼んだ国名だった。すなわち日本は天から落ちた別個の国ではなく百済貴族と流民が倭列島に逃避して建てた<もう一つの百済国>の別称だった。

    その後、先に日本を建てた百済系天智天皇が672年に急死するとすぐに王権をめぐり新羅系大海人(日本書紀では天智の弟)と天智の息子、大友王子(後に弘文天皇で追認)の間に権力闘争が起きた。これを壬申の乱という。新羅の将帥、大海人が大友王子をはね除けて第40代天武天皇(673~686)に即位するとそれは百済系政権から新羅系政権に変わったことになる。

    一方、天武天皇当時、日本書紀を作成し始めたが百済勢力が日本に来たことを隠すため、前部に神代記を隠喩的に記録した。また、このような側面から見る時、日本万葉集(759年ごろ作成)のルーツが新羅郷歌からきたという主張にも一理あるように見える。

    (訳注:固有名詞が日本語読みではなく、漢字の韓国語読みハングルで書かれている。例えば大友王子はテウワンジャ、大海人はテヘインなど。さらに一般的な歴史認識と異なるので誤訳している可能性がある。)

    *筆者/ホン・スンジュ歴史コラムニスト.失われた韓国古代史研究会長.

    ノーカットニュース(韓国語)
    http://breaknews.com/sub_read.html?uid=754947

    【【韓国の妄想炸裂】 天皇家は百済系の万世一系と見られているが、実は新羅系-高句麗系が混ざっている】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2020/05/05(火) 01:22:53.74 ID:CAP_USER
    ユン・ミョンチョルの韓国、韓国人の話(4)韓国人の本性と変成

    no title

    ▲中国遼東地方建安城近くの古朝鮮支石墓(ドルメン)。墳墓で天に法事を行う古朝鮮の文化を示す。長さ9メートル近い規模で韓民族の度量が大きく豪放な気勢を感じることができる。ソクハ写真文化研究所提供

    私は還暦を越えた年齢でも気がかりなことは我慢できない。そのために苦悶するほどだ。いったい私はどんな性格を持ったのだろうか?私が好きな単語でもある「韓民族」はどんな性格を持っているのだろうか?国内外が騒がしいこの頃はさらに深く掘り下げるほかはないテーマだ。

    韓民族は兇暴だったり事大的という外国人の視線

    中国人は<三国志>東夷伝などで「高句麗人は性質が凶暴、短気で、略奪を好む、さらに語り口がいやしい」と伝えた。日本人たちは私たちの意識をかく乱させ、飼い慣らすために韓民族の本性を作為的に規定して洗脳した。植民史観によれば私たちはいつも事大的であったし、党派性が強く、周辺的な存在であった。

    自らは「情があふれてこぼれる恨を持った民族」であり「パンソリや歌・踊り・東洋画などは民族文化に内在する恨を昇華させた芸術」と自賛する。朝鮮美学の師匠のように祭られる関野貞と柳宗悦が言った「哀想」「悲哀の美」「怨恨」の影響のせいだ。呆れ返る様な不正確な事実に基づくが、私たちの頭の中を占領した。

    たとえ正しくとも、それは朝鮮時代の「異常現象」であって、全時代に一貫した文化や情緒ではない。
    (中略:高句麗人の説明)

    私たちが習い、いまだに感じる私たちの文化と民族性はどういうわけか否定的なイメージで満たされている。自然環境論さえも不正確な事実に基づいて否定的な側面だけ強調した。朝鮮の性理学者などは土地が狭くて人口が少ない小国であるから大国に仕えるほかない(以小事大)と自己合理化までした。

    日本人たちは「半島的性格論」を持ち出して古代から中国の、南側では日本の植民地になったと教えた(任那日本府説)。柳宗悦は大陸の恐ろしい北風のため、朝鮮は苦難の歴史になったと残念な主張で私たちを規定した。

    この主張の問題点は多い。事実でない場合も多いが、分析の対象としたのも歴史全体ではなく、比較的肯定的な面の少ない朝鮮時代と暗い日帝強制占領期間だけから民族性を作り出し強要した。実際の歴史を具体的に調べれば、いわゆる民族性に該当する良い性格をいくつか持っていたことを発見できる。

    遊牧・海洋・農耕文化融合した探険精神が私たちの民族性

    まず民族性の最も大きな特性として「探険精神」を挙げる。探険は類人猿を人類に変換させた動力だ。また、歴史の原動力であることは西洋の発展が証明する。しかし、近代以前には東アジアも躍動的な遊牧文化と海洋文化、森文化、農耕文化があわさり探険精神がみなぎる場所だった。そのまん中に私たちの民族がいた。

    新石器時代から私たちの土地を目標に広大なユーラシア世界の8つ以上の地域から多数の人々が出発した。人々は新しいものが好きかと思えば(ネオフィリア)、同時に恐れる属性もある(ネオフォビア)。ところで個人でない集団が、運命を天に任せて不確実性でいっぱいの新天地を訪ねて行くことは探険を考える余裕もなければ不可能だ。

    険しい大長征の途中、一部は病気や苦痛、戦争と死、挫折感で失敗し、大多数は途中にとどまった。それでも最後まで旅程を成功させ、この場所に定着した探検家は韓民族の根元を成し遂げた。その後えいは安住せずに大陸と海洋に再び進出した。

    ユン・ミョンチョル<東国(トングク)大名誉教授・ウズベキスタン国立サマルカンド大教授>

    韓国経済(韓国語)
    https://www.hankyung.com/news/article/2020042942051

    【【韓国】 全ユーラシアとつながった開放性が「韓民族のDNA」…探険精神あふれ大陸と海洋に進出】の続きを読む

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    1: 蚯蚓φ ★ 2020/02/06(木) 00:06:44.35 ID:CAP_USER
    no title

    ▲広開土大王水軍対馬上陸を主張したナム・チャンヒ仁荷(インハ)大政治外交学科教授

    仁荷(インハ)大は韓日葛藤をそそのかす日本右翼勢力の歪曲された歴史観を無力化する重大学説を政治外交学科ナム・チャンヒ教授が提示したと発表した。広開土大王の水軍が対馬に上陸した可能性が70%以上という政治-軍事シミュレーションゲーム(PolMil game)の結果を公開した。

    研究結果は『韓日関係2千年-和解の糸口』という本を通じてすでに学界に報告されている。高句麗水軍渡海作戦の歴史的事実が明らかになれば、韓日関係で癌になっている様な要素も同時に除けるとナム教授は主張する。

    壬辰倭乱から1910年韓国強勢占領まで日本の韓半島侵奪の思想的根拠は古代歴史書『日本書紀』の任那日本府説だったという。伝説の神功皇后が新羅を征伐して古代4世紀末から200年間設置したという任那日本府は韓半島侵略の名分になった。古代に日本の影響圏下にあったので1910年強制併合は本来の状態に戻ったに過ぎないというのが朝鮮総督府植民史観の核心論理であった。

    満州集安市の好太王碑渡海遠征の文面も日本軍参謀本部が恣意的に解釈したという容疑が絶えなかった。400年前後に高句麗水軍が対馬の倭軍前進基地を攻撃したとすれば論理的に慶尚道(キョンサンド)に任那日本府は立つ場所がなくなる。軍事強国高句麗がかまえる韓半島に日本勢力が割り込む余地がないからだ。

    このように任那日本府説と広開土大王水軍の対馬上陸説は両立できない競合学説という。

    ナム教授が提示した高句麗水軍渡海説の根拠は三つだ。最初に、好太王碑に400年新羅を困らせ、背を向けて後退する倭軍を高句麗軍が任那加羅まで追撃したという内容が出てくる。『日本書紀』崇神天皇65年条に任那加羅の位置を示す明確な記録が出てくる。福岡から北側の海2千里に任那があるという。

    中国史書『三国志』魏志東夷伝に福岡から海路2千里に対馬があるとある。中国と日本の資料を総合すれば任那加羅は対馬を意味する。

    また『日本書紀』に任那の北側は海で阻まれているという記録もある。任那は韓半島の地名ではなく大韓海峡の島という事だ。さらに任那は慶州から航路で西南方向であるが、古代に対馬に行く港である巨済島(コジェド)は慶州と見る時、西南方向が合う。
    (2番目と3番目は>>2-5あたり)

    今回の研究結果が日本学界に紹介されれば悪化の一途の韓日関係を復元する契機になるだろうと学界は展望する。徴用工賠償問題で輸出規制という無理を強いた安倍政権の背後に右翼団体日本会議があることは良く知られている。同団体の韓半島に対する時代錯誤的な優越意識の根元には『日本書紀』の任那日本府説がかくれている。

    古代韓国が卑屈に朝貢を捧げる諸侯国という歪曲された歴史認識は日本政界の誤った韓国観と不可分の関係という。歴史歪曲の出発点を訂正することが退行的な日本の右翼勢力復活を遮断する特効薬になるという診断だ。

    ナム教授は任那日本府説だけ除去されれば韓日両国は本当に和解できる基礎ができると話す。さらに進んで北朝鮮核問題を含めて両国が協力しながら東北アジア平和繁栄の主役になることができる潜在力を生かすことができると指摘する。

    教授新聞(韓国語) 
    https://www.kyosu.net/news/articleView.html?idxno=47687

    【【妄想する韓国】 高句麗広開土大王の水軍、70%以上の確率で対馬上陸~仁荷大教授「これで韓日は和解できる」】の続きを読む

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